愛から始まる物語


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【ルーチェ】 05



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 こうして、ルーチェは幸政を産むと、この世を去ってしまった。死因は、失血死ということだった。あまりのあっけなさに、オレの心はどうすればいいのか分からずにいた。
 子どもの名前は、ルーチェの希望を取り入れて、『幸』の字を入れた。
 ルーチェの両親が幸政を引き取り、育ててくれるという。イタリアでは祖父母が娘あるいは息子の子どもを育てるというスタイルは、別に珍しくないようだ。
 オレは毎日のようにルーチェの実家に赴き、幸政の成長を見届けた。

『ユキはジュンヤにそっくりね』

 ルーチェの母はそう言って、幸政を愛おしそうに見つめる。幸政の瞳は、ルーチェにそっくりな太陽の瞳だ。

『ルーチェは幸せだったよ。わたしたちも、同じさ。今、とても幸せだよ。こんなすてきな宝を残してくれた』

 その言葉に、オレはどうすればいいのか分からない。
 ぽっかりと空いてしまった心の隙間。どうやって埋めればいいのか分からない。

 その心の隙間をかぎつけたアドルフォが、オレの元へとやってきた。
 こいつらは、人の心の闇を見つけるのが上手だ。そして、それを利用する術を心得ている。

『ジュンヤ、久しぶりだな。いい話を持ってきたんだ』

 いい話がオレにとっては悪い話であることは分かっていた。しかし、冷静な判断が出来なかったオレは、アドルフォの悪の誘いに素直に乗ってしまった。

『ジュンヤには兄がいたんだってな』

 喬哉兄さんのことを思い出し、さらに暗い気持ちになる。
 オレの大切な人たちは……オレを残してみんな、去っていく。

『おまえの兄を殺した人間に、復讐をしてみないか?』
『……復讐?』

 オレはもう、それは終わった話だと思っていたので、驚いて顔を上げた。目の前には、妙にぎらついた目をした、アドルフォがいた。

『最近、荒稼ぎしている日本人がいるらしい。おれたちのボスから、そいつらが目障りだから消してほしいと言われているんだ。調べてみると、どうやら、そいつらのせいでおまえの兄が亡くなったらしいではないか』

 なんの……話だ。
 悪魔はさらにオレに囁く。

『ジュンヤ、おまえがこんなに苦しんでいる間にも、あいつらはのうのうとおもしろおかしく生きているんだ。これは、許されていいのか? あいつらのせいで、おまえは大切な者を、失ってしまったではないか』

 どういう……ことだ。あれはもう、終わった……のではないのか。
 いや、待て。
 ベッドの上で過ごしていた時のことを思い出すんだ。
 喬哉兄さんのあのメモ。オレは『タカヤ』と読んだが、ずっと違和感を抱いていたのではないか。あれはもしかしたら、『タカヤ』ではなかったのではないか、と。
 もしもあれが、別の意味だったら。

『どういうことだ。知っていることを話せ』

 オレは頭の片隅でアドルフォの言葉に耳を傾けてはいけないと分かっていながら、この隙間を埋めるためのなにかが欲しくて、思わず、しがみついてしまった。
 そして……目の前にいる悪魔は、楽しそうに笑ったのだった。

     + + +

 オレが聞いていたのは、喬哉兄さんは仕事が忙しくて……そう、高屋のせいで自殺したって。
 しかし、真相は……。

『「タカイワ」と言われる四人のせいで、死んだだって?』

 にわかには信じられなかった。

『おまえがこんなに悲しみに沈んでいるのに、あいつらはのうのうと生きているんだ。理不尽だと思わないか』

 ルーチェが生きていたら、そう言われても、話自体、聞かなかっただろう。だけど今のオレは、オレの太陽だったルーチェを失い、どうすればいいのか分からずにいた。
 アドルフォの言葉は、甘い毒だった。
 そしてオレは、喬哉兄さんを死へと追いやった四人へ復讐することにした。
 幸政がいる。それは分かっていた。だけど、この空いてしまった穴を埋めるには、喬哉兄さんの復讐を果たさなくてはいけないという妙な思考にはまってしまった。
 そして……母が亡くなったから日本へ一度、帰ってこいと呼び戻され、そのついでにオレは、四人へ制裁を加えたのだ。
 なんとも人の命というのは、あっけないのだろう。
 母も簡単に逝ってしまい、四人もそうだった。

「オー・ソレ・ミオ……」

 オレは燃え上がる別荘を見ながら、イタリアに着いて聞いた歌を口ずさんだ。
 雨雲の垂れ込めた夜空には、当然ながら太陽は見えなかった。それはまるで、ルーチェがオレのやったことを責めているかのようだった。
 しかし、こうでもしないと、オレはルーチェを失った隙間にはまってしまい、身動きできなくなりそうだったのだ。前に進むために必要だったのだ。

「守矢、イタリアに帰ろう。幸政が帰っている」
「……はい」

 守矢はなにか言いたそうな表情で、オレを見ている。

     × × × × ×


「よお」

 今日は赤子を抱きかかえた文緒とともに、睦貴は面会に来てくれていた。

「あ……おめでとう」

 文緒は幸せそうに腕の中の赤子を見つめている。睦貴は子どもが生まれたなんて一言も言わなかったが、それはオレに遠慮してなのか?

「おまえ、子どもが生まれたって言わなかったな。水くさいな」

 少し恨みがましく言ってやった。オレが文緒も好きだったこと、知っているクセに。……だからか?

「言うタイミングを逃して……。悪かった」

 もしかして、幸政のことではなくて、このことを言いたかったのか?

「それで、幸政のことなんだが」
「あのねっ! 潤哉の子ども、見てみたいのっ!」

 後ろで子どもをあやしていた文緒が、オレたちの会話にいきなり入ってきた。

「文緒、話がややこしくなる……」

 頭を抱えている睦貴に、オレは思わず吹き出してしまった。
 文緒はまた、睦貴の後ろに戻り、子どもをあやしている。オレは睦貴に向き合った。

「あのさ……睦貴」

 オレは睦貴が来たら、言おうと思っていた言葉を口にした。

「こんな出会いでなければ、オレたち……真の『親友』になれていたかな」

 オレは自分の人生を振り返り、『もしも』を考えることが多くなっていた。
 『もしも』復讐をきっかけではなくて睦貴と出会っていたら、オレたちはどうなっていたのか。仲良くなれていただろうか。そんな考えを思わず、睦貴に直接、聞いてみたくなったのだ。

「今からでも遅くないとは思うんだが、ダメか?」

 ああ、こいつはこういうヤツだ。オレがほしいと思っている以上の言葉を与えてくれる。だから居心地が良すぎて……離れられないんだ。

「そっか……ありがとう」

 思わず、胸の奥から熱い物がこみ上げてくる。鼻の奥がつんとする。泣いてしまいそうになったのを悟られたくなくて、ごまかすように言葉を続けた。

「そう言ってくれるのなら、おまえたちに幸政を任せられるよ。オレ、親としてあいつになにもしてやれなかった」

 そして、迷惑を承知でさらなるお願いをしてみた。

「あいつが了承したらなんだが、日本に来ると言ったら、養子にしてやってくれないか」
「……どうして?」

 睦貴は唖然とした表情でオレを見ている。

「日本に来れば、オレは犯罪者として名を知られている。幸政はなにも知らない。知る必要もないと思っている。いきなり、慣れない日本に来て、そんなことを言われたら、辛いだろう? だから……」
「気持ちは分かるけど……」

 戸惑う睦貴に、文緒が後ろから口を開く。

「潤哉、それは間違ってる!」

 怒った表情の文緒に視線を向ける。

「幸政が望むのなら、養子として迎えるのは全然かまわない。だけど、真実を話さないのはよくない。罪を隠したって、どこからか耳に入るよ。本人の口からじゃなくて他人から聞くなんて、幸政のショックはすごく大きいと思う」

 このはっきりした態度に、やっぱり惹かれてしまうのだ。

「……そうだな。ありがとう。幸政に手紙を書くよ。あの子にとって、とてもショックが大きい出来事だと思うけど、素直に今までのことに向き合って……書く」

 そうして二人は、顔を見合わせて微笑みあっていた。この二人の仲を裂くなんて、運命でさえ無理だなと思わせる、幸せな微笑み。オレは自分のエゴで、この二人を引き裂こうとしていたのか。運命よりも強い力なんて持っていないオレには、二人の絆を壊すなんてできなくて、当たり前だ。
 面会時間を終え、二人は仲良く帰って行った。
 帰る間際に睦貴が照れくさそうにつぶやいた言葉が、妙にうれしかった。

「生きていてくれて、ありがとう」

 その言葉に、オレは思わず涙があふれた。部屋へ戻りながら、あふれてくる涙をぬぐった。
 幸政に軽蔑されてもいい。オレはありのまま、これまでの出来事を手紙に書いた。
 どんな反応が返ってくるのか見当もつかなかったけど、手紙を書いたことで、ようやくオレは自分の中の気持ちを整理することができたような気がする。
 幸政はルーチェに似て、まっすぐに育ってくれた。太陽のような瞳で、あの子は世界を見つめている。

「オー・ソレ・ミオ……」

 私の太陽、か。
 太陽の娘は空へと昇り、本物の太陽になった。太陽が空に昇る限り、ルーチェはオレたちの側にずっといる。
 鉄格子の向こうに霞んで見える太陽を見て、オレはようやく穏やかな気持ちになれた。
 生きていて良かった……。初めてそう、思えた。

     × × × × ×


「荷物だ」

 渡された荷物の中に、幸政からの手紙があった。震える手で恐る恐る、見る。
 それは絵はがきで、懐かしいレッチェの風景が広がっていた。見覚えのある字で書かれたそこにはたった一言、たどたどしい日本語で『日本行きたい』とだけ、あった。

『ジュンヤが生まれ育った街に一度、行ってみたい』

 生前にルーチェが言っていた言葉だ。幸政はぬくもりを知らない母のためにそれを叶えようとしているのだろうか。ルーチェと同じ瞳で、オレが生まれ育った街を見るために、日本へと来るのだろうか。
 面会に来た睦貴に、幸政から来た手紙のことを伝えた。

「分かった。俺と文緒で迎えに行くよ」
「ありがとう」

 オレは睦貴へ深々と頭を下げた。
 ルーチェの両親に手紙を書かなければならないな。そんなことを思いながらも、ようやく本当に心穏やかに過ごせるようになったことに、オレは気がついた。
 それはきっと、『親友』である睦貴のおかげだろう。あいつにはなにかお返しをしなければならない……そんなことをオレは初めて思ったのだった。

【おわり】




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