愛から始まる物語


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【約束】01



 俺は今まで、文緒とたくさんの約束をした。
 俺は自分ができる限り、その約束を果たしてきたと思う。

「置いていかないで、約束よ」
「──ああ……、約束だ」

 その約束が、たとえまた、俺をモノクロの世界へと引き戻す呪文だったとしても、約束を守ることの方が重要だった。
 それにもう、俺は一人ではない。

 潤哉には俺が死んだら文緒を任せたと言ったが、前言撤回だ。
 俺がずっと、俺の世界の中心である文緒を守る。

     ***

 長男である敦貴を連れて、俺は外出していた。敦貴とは双子で次男の瑞貴は咲絵とともに兄貴と智鶴さんに見てもらっている。
 この日、どうして双子がばらばらだったのか、理由は覚えていない。
 ああ、思い出した。双子が珍しく、大げんかをしたのだ。俺たちからすれば些細なことではあったのだが、双子にすればそれは重大事で、とっくみあいのけんかを始めてしまった。いつもならばある程度すれば疲れ果てて止めるのだが、今回のこのけんかは終わりが見えなかった。ようやく引きはがしてそれぞれに理由を聞き、お互い、謝るように言ったのだが……。

「やだ。絶対に謝らない!」
「敦貴が悪いんだよ! おれだって謝らない!」

 だれに似たのか、一度言い始めたら頑固すぎて、仲直りをさせることができなかった。こういう時は少し二人を離してお互い頭を冷やす必要があると思ったのだが、文緒は双子の入学準備で殺気だっていたからどちらかを見ていてほしいなんて気安く頼めなかった。兄貴と智鶴さんにヘルプをお願いして瑞貴と咲絵を見てもらうことにして、俺は敦貴を連れて気分転換のドライブへと出掛けていた。

「敦貴、おまえの言い分も分かるけど」
「……分かってるよ。ボクだって分かってる。だけど、瑞貴だって悪いんだ!」

 移動中に少しは考えを改めてくれるかなと思ったのだが……駄目だこりゃ。
 俺は敦貴とともにお屋敷から少し離れたところにある、小高い丘に来ていた。外の空気を吸えば少しは気持ちが変わるかと思ったけど、そう簡単に切り替えられなかったようだ。

「おまえたちがそんなにけんかをするなんて、ほんっと珍しいな」

 普段は本当に仲が良く、お互いを思いやっている。たまに自己を主張しあってけんかをするが、ほぼ同時にばつが悪くなって謝る。しかし、今回はどうやら違うようだ。

「だってさ、瑞貴のヤツ、美帆(みほ)のことを馬鹿にしたんだぜ。男として怒って当たり前だろ?」

 ああ、そういうことか。
 双子の間でなにか協定があるのか、それとも無意識のうちなのか。俺たちが気がついた時には、敦貴は美帆、瑞貴は穂乃香(ほのか)を将来の伴侶として決めていたようなのだ。この二人は、兄貴と智鶴さんの子どもである。戸籍上では美帆は双子の姉、穂乃香は妹となるのだが、血の繋がりでいえば、従姉妹になる。
 こんな早い時期でもう将来をともに歩む人を決めていいのかと思ったのだが、双子の母である文緒は、もっと幼い頃から俺の嫁になると言い切っていたし、兄貴夫婦はそれが一番いいと思っているようだから、別になにか問題があるわけではないからいいとは思うのだが……。戸籍と血の繋がりのことを考えると、なんともややこしい。
 けんかをするほど仲がいいとは言うが……この先もこの二人は美帆と穂乃香のことで何度も衝突するのだろうなと思ったら、気が重くなった。どうすればいいのかと悩んだが、すぐにそれを考えるのは親の役割ではないことに気がついた。これは双子の問題なのだから、二人に任せることにした。俺たちは余計な口出しをしないで見守り、頼られた時にアドバイスをしてやるのが一番ではないだろうかという思いに至った。

「美帆と穂乃香になにか買って帰るか?」
「だったらさ、咲絵にもなにか買ってよ」

 敦貴のその思いやりに、俺は笑みを浮かべて頭をなでる。

「じゃあ、仲直りの印に、瑞貴にもなにか買っていくか」
「……うん」

 ほんの少し表情が曇ったが、すぐその後にはいつものしまりのない笑みを浮かべて、

「仕方がないな」

 なんてえらそうに言っている。

「じゃあ、車まで競争だぜ!」

 敦貴はそう叫ぶなり、走り出した。

「ちょ! ちょっと待て!」

 外を歩くときはだれかと手を繋いで、という約束を破り、敦貴は一人で走っている。確かに、ここから車までの距離はたいしたことはない。しかし、万が一ということを──。

「敦貴っ!」

 見覚えのある影が俺の目の前を横切り、そして敦貴をあっという間にさらう。

「おまえ……潤哉!」

 茶色い髪が長くなっている上にサングラスをかけているから一瞬、分からなかったが、あれは明らかに、潤哉だ。

「敦貴を離せ」

 もう会えないと思っていた『親友』が、目の前にいる。本来なら喜ぶところだが、潤哉は明らかに殺気をまとっている。

「おっさん、だれだよ!」

 敦貴は潤哉の腕の中で離せと暴れている。

「久しぶりだな、睦貴。おっと、暴れるなよ。このナイフは本物だからな」

 潤哉の手には、ナイフが握られている。敦貴は刃の光を見て、大人しくなった。

「この子と文緒を交換だ」
「断るっ」

 考えるより先に、そう答えていた。

「文緒も敦貴も渡さない。返してもらおう」

 俺は万が一の時のためにとポケットに入れている、警備会社への通報ボタンへ手を伸ばした。躊躇することなくボタンを押し、俺は潤哉へ向かって走った。あれはどう見ても脅しだ。敦貴が刺されることはない。頭では分かっていたのだが、反射的に動いていた。
 潤哉はまさか俺が走ってくるとは思っていなかったらしく、戸惑っている。
 その隙をついて二人に近づき、敦貴の腕を取って引っ張り、潤哉へと体当たりをする。敦貴が地面に転げ落ちたのは確認した。
 潤哉は敦貴を引っ張られてバランスを崩し、さらに俺が体当たりをしたことで完全に身体の制御を失い、倒れる。俺はその上にのしかかり……。

「ぐっ」

 今まで感じたことのない衝撃が、身体を貫いた。どうやら潤哉の手に握られていたナイフが、俺の脇腹へと刺さったようだ。

「敦貴も……文緒も……おまえには渡さない」

 ナイフが刺さったところから、強烈な痛みを感じる。そこから流れ出す感触。血が、命が流れるというのはこういうことなのか。

「敦貴……車まで行け。少ししたら、警備会社の人間が来るから、助けてもらうんだ」

 立ち上がって敦貴へと行こうとする潤哉にしがみつく。

「敦貴は渡さない。俺と文緒の、大切な子どもなんだ」

 脇腹から血が抜けて行くと同時に力がなくなっていくが、どうあっても敦貴の側には行かせない。その一心で、潤哉にしがみつく。

「離せっ!」

 潤哉は俺を離そうと暴れる。その度に脇腹が痛むが、そんなことは今はどうでもいい。敦貴を守らなくてはならない。
 俺には、守らないといけないものがたくさん出来たのだ。

「嫌だ。敦貴は命に代えてでも守る」

 強がってはみるのだが、意識が薄れていく。しかし、皮肉なことに脇腹の痛みが意識を繋いでくれている。
 俺は敦貴がいる方へ視線を向ける。車の側にたたずみ、心配そうにこちらを見ている。大丈夫だと安心させるために微笑んだつもりだが、上手く笑えたのか分からない。
 それほど待つことなく、遠くから車のエンジン音が聞こえてきた。警備会社の人間が到着したのだろう。

「文緒はおまえにも絶対に──渡さない」

 その言葉も、きちんと声に出せて言えたのか、自信がない。
 薄れゆく意識の中、潤哉だけは離さないと強く思い、そのまま俺は意識を失ってしまった。

     ***

 気がついたとき、見知らぬ天井が見えた。

「文緒、遅いなぁ。喉渇いたよ」
「そうだな。飲み物を買いに行ったにしては、少し遅いな。様子を見に行ってくるか」
「その前にボク、トイレに行きたい!」

 兄貴と敦貴の会話が聞こえてきた。
 左右に視線を走らせると、点滴スタンドが目に入った。どうやら無事に病院に担ぎ込まれて、俺は生きているということらしい。
 俺の側から二人が離れていく気配を感じた。
 しかし、文緒が飲み物を買いに行って帰ってこない?
 どうにも嫌な予感がする。
 身体を半回転させて横に向き、どうにかベッドから抜け出す。痛み止めが効いているのか、思っているよりは脇腹は痛まない。
 点滴を抜き去って外に出ようとしたのだが、上手く外れないしこのスタンドがある方が歩きやすいような気がする。
 音を立てないように気をつけながら、俺は病室から抜け出した。
 廊下へ出ると、閑散としていた。ちょうど見舞客などが帰った後の一瞬の空白時間。
 ここは、TAKAYA系列の病院のようだ。文緒は自動販売機で飲み物を買っているのだろうと見当をつけ、そちらへと向かう。

「!」

 大きく取られた窓から差し込む夕日に照らされた自動販売機が置かれたスペース。そこに予想通り、文緒と潤哉がいた。潤哉の手には、先ほど俺を刺したと思われるナイフが握られていた。文緒はその刃先を魅入られたかのように見つめている。
 文緒の上体がそのナイフに引き寄せられるように傾ぐ。

「文緒!」

 俺はとっさに文緒の名前を叫んだ。




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