愛から始まる物語


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たゆたう淡泡とゆらめく陽炎【始まりはヘンタイだった】



 世間は夏休み、しかし俺は永遠の夏休み中。
 今年は例年にない暑さで、毎日猛暑日だと言っているようなとある日。俺は兄貴に呼び出された。行きたくなかったのだが、断る理由が見当たらなく、仕方がないので兄貴の部屋へと訪れたのだが。
 ──兄貴の部屋へ行くんじゃなかった。
 話を聞いた当初の感想はそれ、だった。

     * * *

 部屋に行くと、智鶴さんはいなかった。いない隙をついて呼んだらしい。ということは、あまり智鶴さんの耳に入れたくない内容ということか。嫌な予感を抱いていたのだが。

「睦貴、お願いがあるんだ」

 予想は的中した。

「だが断る!」

 俺は反射的に断っていた。

「……まだなにも話してないだろう」

 呆れた兄貴の声。この兄貴が俺に『お願い』をしてくるときは、二百パーセントの確率でろくでもないことなのだ。

「おまえが行くと先方にはすでに伝えてあるから、よろしくな」

 な、なんだってー! それ、なんて事後承諾?

「無視できない事態が発生してしまったんだ。できたら俺が行きたかったんだが、俺には家族があってサービスしなくてはならないし、それに夏は忙しくてな。スケジュールを調整したんだが、無理だった」

 それはまだ独り身の俺へのあてつけなのか? 別になんとも思わないが。
 俺の兄・高屋秋孝(たかや あきたか)は『TAKAYAグループ』の幹部である。そろそろ総帥の座に着くともっぱらの噂だが、俺たちの父で現総帥である高屋孝貴(たかや こうき)はパワーが有り余っているらしく、引退する気配はまったくない。親が元気なことはいいことだ、とニートで働く気がまったくない俺としては安心しているところだ。

「俺は仕事を手伝う気はさらさらないからな」

 違うような気もしたが、先手を打っておく。
 高屋の次男坊は働きもせず、家でぐーたら過ごしているという噂が流れているのは知っている。その不名誉を撤回しようとも挽回を試みようとも俺はまったく思っていない。人生に疲れていた俺には、休息が必要なのだ。
 なんて言ったら、いろんな人から

「どこがだ!」

 という突っ込みが入りそうだが、俺は確かに人生に疲れていた。そういうわけにもいかないというのは分かってはいるのだが、新たな一歩をずっと踏み出せずにいた。

「本当はおまえにだけは頼みたくなかったんだが、他の人間に依頼するにはかなりデリケートな問題で……」

 兄貴はけなしてるんだか馬鹿にしてるんだか、むっとすることを言っている。その割には珍しく気弱な言葉を吐いていて、どう受け取ればいいのか、かなり悩んだ。

「俺の想像も多分に含まれているのだが」

 と意味ありげな言葉を口にして、兄貴はつや消しのシルバーフレームの眼鏡を外した。
 兄貴が眼鏡を外した時は、たいてい記憶を見ようとしているのが分かっているので、俺はつい、身構える。

「睦貴はガードがかたいよな」
「勝手に記憶を見るなよ」

 盾を持ってガードしているようなイメージで俺は自分の心を押し隠す。

「まあ、いい。用件を手っ取り早く告げよう」

 兄貴は眼鏡を持ち替え、俺に視線を定めて口を開いた。

「昨日、空知から招待状が届いた」

 『空知』という言葉に押し隠していた記憶があふれ出してきた。
 忘れられるわけがない。あんなに濃かった一年を。ことあるごとに思い出していたそれらの記憶はどれもが鮮明で、読み取る側の兄貴は洪水にでも遭遇したかのような気持ちになっているかもしれない。
 兄貴を見ると、予想通り俺から視線を外し、頭を抱えている。

「もうちょっと調整して出してくれ」
「人の記憶を見ようとするからだよ」

 不用意に『空知』なんて名前を出すからいけないんだ。
 俺が『永遠の夏休み』を取っている一つ目の理由。高校一年生の時の親友・空知潤哉(そらち じゅんや)が俺の目の前で飛び降り自殺をしたことが大いに関わっている。
 最初、潤哉の死を受け入れられなかった。何事もなかったかのようにある日、ひょっこりと帰ってくるのではないかとないかとずっと思っていたのだ。だから、潤哉が帰ってきたときに困らないように、俺が代理でまとめ役をやっていたのだが……。慣れないリーダーシップを取るなんてことをやったのが間違いだった。俺の神経は徐々に摩耗していった。しかしその役目も高校を卒業するまでだと自分に言い聞かせ、踏ん張った。
 高校を卒業して大学に入り、その役割から解放されると思っていたのに、どこで噂を聞いてきたのか知らないが、結局ここでもなぜか教授にまとめ役などをやらされ、大学を卒業したあとはその反動で、俺は外界に出るのが怖くなってしまった。
 リーダーなんてやっていると、いろいろな相談を受けるものだ。人の裏表をもろに見てきた。一つずつはそれほど重くなくても、それらがたくさん重なると、ボディブローのように効いてきて、俺の神経は切れる寸前までいった。
 自分がこんなに繊細な人間だとは思わなかったのだが、気が狂う寸前までいってしまった。不眠症になり、眠れない夜を抱えていた。それを紛らわせるために読書と勉強に逃避した。
 ぎりぎりの境界線で押しとどまり、こちらに戻ってこられたのは、それもこれも、佳山文緒という少女のおかげであったわけだが……。自分がいかにもろく、情けないのかを痛感してしまった。
 そして二つ目の理由。立ち直り、歳も歳だから結婚でも考えようと思った矢先。
 結婚の一歩手前までいった女から、こっぴどく振られてしまった。
 彼女曰く、
『自分を見てくれてない、嘘つきは嫌い』
 ということだったのだが、思い当たる節があったし、結婚した後に気がついて取り返しがつかなくなる前で良かったとは思ったのだが、それでもやはり、かなり痛かった。
 俺はだれも愛せない。信じることもできない。
 愛情が欠落しているのではないかと落ち込んでしまった。
 そして、さらに人と接するのが怖くなってしまった。
 それにはきっと、親友だと思っていた潤哉が、実は俺を殺したいほど憎んでいたと知ったから。あれほど仲がよかった人間がずっと俺に対して殺意を抱いていた。
 それは時間が経てば経つほど、俺の心に深く突き刺さってきた。
 リーダーをしながら、俺は周りの人間を内心、疑っていた。俺を頼っているように見せかけ、実は裏ではみんなして悪口を言っているのではないのか、俺の知らないところで陰口を叩いているのではないか。反論しないのは、俺が『高屋』だからなのではないか。
 疑い始めると、止まらなかった。
 周りを信頼している振りをしながら、裏を探り、疑心暗鬼になり……だれも、そう、自分さえも信じることが出来ずに自爆に近い形で、俺は自分で自分をダメにしたわけだ。

「なあ、兄貴。信じていた人間に裏切られたら、どうする?」

 その質問に、兄貴はなぜかおかしそうな表情を浮かべ、目を細めて俺を見た。

「それは、空知の末っ子の話をしているのか?」

 俺は素直に、うなずいた。

「だからあの時、言ったんだ。『気をつけろ』って」

 その言葉は、高校一年生の学園祭の時に言われた言葉。兄貴はどうやら、覚えていたらしい。

「『高屋』であるということ。スタート地点で俺たちは他の人間とは残念ながら、違うんだ。向こうから近寄ってくる人間には常に注意をしておかないと、こちらが傷つくだけなんだ」

 兄貴の言葉はまさにその通りで、返す言葉がなかった。

「俺たちが手に入れなくてはいけない人材というのは、追いかけても逃げる人間だけだ」

 兄貴のその言葉に、俺の眉間には思いっきりしわが寄る。

「ちぃだって最初、ものすごい俺のことを嫌っていたんだ。ちぃから罵倒の言葉を投げかけられた。思わずぞくぞくしたね」

 ……ヘンタイだ。兄貴も間違いなく、あの親父の血を引く、ヘンタイだ。

「蓮もそうだ。きれいな顔をしているから俺が珍しくほめてやったのに、逆に怒り狂ってけんかをふっかけてきたんだ」

 ……頭が痛くなってきた。

「奈津美は俺のことを遠慮しないでグーで殴ってきたんだぞ!」

 もういい。兄貴がヘンタイなのはよーっく分かった。そこでふと、肝心な人を思い出した。

「あれ? 深町さんは?」

 兄貴の秘書をやっている辰己深町(たつみ ふかまち)という人物は、高屋の家と反目している辰己家の跡取りだ。いくら幼なじみだからってそんな人物を秘書に雇っているなんて、やっぱりヘンタイ。

「深町はドSだからに決まっているだろう!」

 ……聞くんじゃなかった。

「逃げるものを追いかけるのは、本能! 捕まえて、従えたときの快感!」

 俺は農耕民族・日本人のつもりでいたんだが、兄貴はいつから狩猟民族になったんだ。顔の彫が深いのは、兄貴は実は狩猟民族だからなのか? しかも、マゾに見せかけてサドだなんて……こんなヘンタイと血が繋がってるなんて、憂鬱さに拍車がかかる。

「いつまでも殻に閉じこもっていても、傷は癒えないぞ」

 兄貴が俺の記憶をどこまで見たのか知らないが、そんなことをぼそりとつぶやいた。





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