アザミが見た夢《二つのアザミの花》
だれもがなにかに縛られている。
潤哉もずっと、なにかに囚われていたようだ。
彼はそれらから解放されて、幸せだっただろうか。
そこから先の記憶が、曖昧だ。
どうやってあそこからお屋敷に帰ったのか、まったく覚えていない。
気がついたら涙と鼻水でぐちゃぐちゃにした母が抱きついていた。俺は服が汚れるから嫌だななんてことを考えていた。
× × ×
春休みが終わり、高校へ行くと、そこには潤哉がいたという痕跡が一つも残っていなかった。
クラス替えがあった影響もあるのだが、だれも『空知喬哉』の名前を口にしなかった。
俺もあえて、彼の名前を話題には出さなかった。
俺の中ではまだ、潤哉の存在は生々しく新しい記憶で、その名前を口に出してクラスメイトたちに聞く勇気も覚悟も出来ていなかったのだ。
新しいクラスになったから、入学の時に誓ったように他人と関わることをやめようと思ったのだが、気がつけば今まで潤哉がやっていた役割を追うように、俺はそれをやっていた。
「睦貴、おまえそれ、ぼけすぎだろ」
「え? あ、そうか?」
前と変わらぬいじられ役。それでも締めるところは締める。
そしてみんな、苗字ではなく名前で呼んでくれる。苗字で呼ばれると潤哉を思い出すから、それは大変、ありがたかった。それになんだか、名前を呼ばれることでみんなの側にいられるような気がしたのだ。俺は自分が思っていたより、実は淋しがり屋だったのかもしれない。
クラス全員、仲はよかったが、学校だけの仲だった。潤哉との関係のように休みに遊びに行ったりどこかに出掛けたりということはまったくなかった。
× × ×
そして夏になり──俺は運命の出逢いを果たした。
佳山文緒という新しい命を、この手につかんだのだ。
潤哉のことを思うと沈みがちだった俺の気持ちを浮上させてくれる、無垢な存在。
そしてまた、俺はずっと、この命を待っていたと確信した。
もっと早くに文緒と出逢っていれば、潤哉の最期も変わったものになったのかもしれない。
そんなことを時々、思ってしまう。
あり得ない
「もしも」
を思わず想像してしまう。
俺はきっと、潤哉に文緒の自慢話をたくさんしただろう。
初めて言葉を発したのは俺の名前だったこと、寝返りを初めて打ったこと、歩き始めたこと。
そしてきっと、潤哉にうんざりしたような顔で『またその話かよ』とあきれられたことだろう。
そんな未来を妄想して、現実に戻った時、喪失感を覚える。
だけど、文緒のぬくもりが、そんな俺の心を癒してくれた。
文緒と出逢ったことで、あの時は分からなかった、潤哉の気持ちが初めて分かった。
かけがえのない存在。
その存在のためなら、自分の命をかけることも、命を捨てることも出来るということを。だれかのせいで失ったときに、相手に復讐をしたくなるという気持ちも、俺はようやく、分かった。
しかし。
たぶん俺はきっと、そうなったとしても、相手を憎むことはできないだろう。
そう、潤哉が最後の最期で俺に手を下せなかったように。
あいつは、殺したいほど憎んでおきながら、結局、そう思ってしまった自分が許せずに──自らを殺してしまったのだ。
あれから数年して、ようやく冷静に当時のことが振り返ることが出来るようになった頃。
俺は空知の家のことを調べた。
潤哉は空知姓を名乗ってはいたが、実は愛人の子どもであったこと。認知はされていたが、かなり肩身の狭い思いをしていたようだ。
その潤哉を支えるように励ましてくれたのが、長兄でスカイグループの後継者でもあった喬哉だった。潤哉は喬哉にものすごくなついていたという。
空知の屋敷に行ったとき、妙な疎外感みたいなものを感じたのはそういうことだったのかと潤哉の出自を知り、分かった。
そして、喬哉の死の真相は、調べても分からなかった。自殺したというのは確かなようだった。
それに付随して分かったことがある。
潤哉の死体は見つかっていないということだった。葬式もされた気配がない。
もしかして──なんてことを思わず思ってしまう。
しかし、あの濁流に呑み込まれたのだ。もちろん、そのもしかしてを願いたいが、そう期待をして外れた時の失望感を思えば、潤哉はもう、この世にいないと思った方がお互いにとっていいのかもしれない。
俺はことあるごとに思い出すだろう。
だれかに話すということはないかもしれないが、それでも潤哉と過ごしたあの一年を懐かしむだろう。
本当に楽しかったのだ。
潤哉がいてくれたから文緒と出逢うことが出来、そしてようやく、母から離れることができた。
「やっぱり潤哉、おまえはいいヤツで、俺の最初で最後のたった一人の親友だよ」
潤哉が目の前にいれば、真っ赤に照れて思いっきり否定をしてくれたかもしれないが、俺はそう思っている。
もう出会うことのないかつての親友を思い出し、笑みを浮かべる。
大切な喬哉兄さんと会えたかな。
死後の世界なんて信じていないクセに、俺はそう、願わずにはいられなかった。
【To Be Continued】