愛から始まる物語


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【番外編】ピリオドの向こう側04



     *     *

 それから思ったより長い間、むっちゃんとの関係は付かず離れず、だった。近づき過ぎていると、いなくなった時の消失感が強くなるのは分かっていたから。
 たとえ『娘』でも、今は側にいられるだけでいい。
 いつまで側にいられるのか分からなかったけど……。

 いつまで側に……あれ?

「睦貴さんは、彼女いないんですか?」

 友だちがどさくさに紛れて、私が聞きたいことを聞いてくれた。

「今はいないよ」

 いないの? 嘘っ!
 だって、お見合い写真が山のように置かれていたり、女の人がたまに押しかけてきていたりしていたから、近いうちに結婚するんだと思っていたんだけど。
 なっちゃんが言っていたけど、
『結婚前までいって白紙になったのが痛手になってるのかしら』
 という言葉が妙に信憑性があった。
 私も十六になったし、思い切って告白してみようかな。それに、私とした昔の約束、覚えていてくれるかも知りたかった。
 車の中で二人きりになったとき、話のきっかけに、彼女がいないと言っていたけど本当なのかという話を振ってみた。

「むっちゃん、本当に彼女いないの?」
「いないよ。ちょっと前にふられた」

 その表情は嘘をついているように見えなかった。私に嘘をつくメリットなんてないもんね。

「なんでむっちゃんは結婚しないの? なっちゃんと蓮、仲いいからもったいないよ」

 どさくさに紛れて、前から聞いてみたかったことを聞いてみた。もしかして、自分にもチャンスがあるんじゃないかと思って。それに、なっちゃんと蓮を見ていると、結婚っていいものだなと思えてくる。
 あの二人は出会いから新生活までトータルプロデュースするという会社で働いている。そういう仕事をしているから、というのもあるけど、二人の関係はとても理想的だ。ただ、少し変わっているのは家事全般は蓮がやっていて、なっちゃんはサポート役、というところ。ちょっと夫婦逆転気味な二人だけど、だからうまくいっている部分もあるのかもしれない。
 あの二人を見ていると、結婚というのを知らないでいるのももったいないと思ったのだ。それがむっちゃんとできるのなら、本望だ。

「そうだな……。文緒の両親みたいな関係に俺もあこがれるな」

 むっちゃんがそんなことを思っていたとは知らなかった。身内のひいき目ではなく、やっぱりあれはあこがれる関係だということが分かって、とてもうれしかった。

「俺に近づいてくる女は、だれひとり俺のことを見てくれない」

 そういったむっちゃんはとても悲しそうだった。なっちゃんも蓮も言っていた。むっちゃんは
「高屋」
だから、と。
 そんなの、関係ない。むっちゃんが高屋だろうがそうでなくても、むっちゃんだから、私は好きになった。大人に対するあこがれだとか、錯覚だとか気のせいだと何度も自分の中で言い聞かせてきたけど、この気持ちは本物だった。
 だから、決死の覚悟で……だけど少し冗談ぽく言ってみた。

「じゃあ、文緒がむっちゃんのお嫁さんになってあげる」
「…………は?」

 唖然としたむっちゃんの顔を見て、唐突過ぎたかな、と後悔した。

「むっちゃん、わたしのこと、嫌い?」

 自分の中にため込んでいた気持ちがあふれ出してしまって、止められなかった。前から聞きたかったことが思わず口からついて出た。

「文緒、俺のこと、からかってるのか?」

 からかってなんていない。本気だ。

「俺はおまえを取り上げたし、おむつも替えた。娘としてしか見られないよ」

 やっぱりむっちゃんにとって私は『娘』なんだ。以前にもそう言われた。覚悟はしていたけど、ものすごく心が痛む。泣いちゃ駄目、と思うけど、自然に涙があふれて止まらない。

「あ、文緒。待てよ!」

 むっちゃんの声が聞こえたけど、止められなかった。泣き顔はかわいくないから見せたくない。……なんて、今さらか。幼い頃、さんざん泣いてむっちゃんを困らせたのに。
 だけどやっぱり、泣き顔は見せたくなかったから、部屋に駆け込んだ。

 分かっていた結果だった。
 幼い日のあの約束なんて、むっちゃんが覚えているわけがない。たとえ、覚えていたとしても、まともな神経を持っていれば、十六も年の離れた娘と結婚しようと思わないだろう。相手にされないのは分かっていた。いくら私がむっちゃんのことが好きでも、叶わない恋なのだ。
 前からずっと『娘』と言われていた。クラスメイトからは
「エンコー」
相手と思われていたではないか。むっちゃんの反応が普通で、私のこの想いは異常なのだ。

「う……くっ」

 分かっていた。わかりきっていたことだけど、こうもはっきりと言われると、やっぱり心に痛い。
 もう、忘れないといけない。むっちゃんは私以外の誰かと結婚する。私とは結ばれない。なっちゃんと蓮がさんざん言っていたではないか、世界が違うのだから好きになったら辛いだけだよ、と。あの二人は、私のことを思ってそう言ってくれていたのだ。結果が分かっていたのだから。
 もう今日でこの気持ちにピリオドを打とう。だからたくさん泣いて、流してしまおう。
 そう決心したのに。

 ようやく泣き止んだ頃、ドアがノックされたので開けると、むっちゃんが立っていた。

「そんなに泣いて。せっかくのかわいい顔が台無しだぞ」

 顔を見たら、やっぱりあきらめきれなくて、抱きついていた。生まれた瞬間からずっと恋をしていた相手を、ちょっとの間、泣いたくらいであきらめきれる訳がないのだ。
 むっちゃんは私の背中を優しく叩いてくれている。幼い頃、泣き止まない私の背中を叩いてくれていたのを思い出す。そのことで涙が出そうになったけど、むっちゃんが笑っている気配を感じて、涙が引っ込んだ。

「あ、今なんか嫌なこと思い出したでしょ」
「相変わらず泣き虫だな、と思って」

 強く抱きしめられ、むっちゃんのぬくもりをいつも以上に感じる。今から忘れないといけないのに、そんな風に抱きしめられたら、忘れられない。

「むっちゃん、苦しいよ」

 私の言葉にむっちゃんは腕の力を緩めてくれた。

「その『むっちゃん』っての、やめてくれないか」

 なんでいきなり脈絡もなくそんなことを言ってくるのだろうと不思議に思う。

「むっちゃんはむっちゃんじゃん」

 昔からずっと
「むっちゃん」
と呼んでいたから、今さらやめてくれないか、と言われても、困る。なんと呼べばいいのか悩んでいたら、

「睦貴」

 と一言。え? だって、むっちゃんはむっちゃんであって……睦貴、なんて呼べない。

「いつまでもむっちゃんって呼んでいるから、俺は文緒のことを娘としか見れないんだよ」

 なに、それ? 本当に本気?

「え……? 私が睦貴って呼んだら、彼氏になってくれるの? お嫁さんにしてくれるの?」

 信じられなくて、思わず確認してしまう。

「彼女にでもなんでもしてやるから、もうむっちゃんって呼ばないでくれ」
「嘘。むっちゃ……」

 言葉の途中で、むっちゃんに唇をふさがれた。目の前に見慣れているけど、こんなに間近で見たことのない顔があって、思わずまじまじと見つめてしまう。むっちゃんの閉じた目には思ったよりも長いまつげが縁取っていて、新たな発見だった。それに、初めて気がついたけど、二重なんだ。

「うわ、しょっぱ。文緒、泣きすぎだろう」
「な……!」

 突然のむっちゃんの行動に、言葉を失う。
 ファーストキスはレモンの味だのイチゴの味だと言われるけど、涙味。なんだかすごくかっこ悪い。

「むっちゃん、いきなり……!」

 軽く、唇に触れるくらいのキス。

「むっちゃん、という度にペナルティね」
「じゃあ、むっちゃんでいいや」

 自分からキスして、なんて恥ずかしすぎて言えないから、むっちゃんのそのアイデアはいいなと思ってしまった。
 三回目のキスをされるのが分かったから、今度は目を閉じた。先ほどより長くて少し深めなキス。息が苦しくて、むっちゃんの身体に腕を回し、しがみつく。

「身が持たないから、きちんと睦貴、って呼んでくれるか」
「嫌だ」

 睦貴、なんて恥ずかしくて呼べない。むっちゃんでいいじゃない。

「むっちゃん」

 ずっと夢見ていたむっちゃんとキスを交わすことができて、それがうれしくて、わざとそう呼びかけた。むっちゃんは困ったような表情でキスをしてきた。

「文緒、わざと言ってるだろう」
「あは、ばれちゃった?」

 だってずっと、むっちゃんの……睦貴のこと、好きだったから。キスしたいと思ったし、睦貴相手ならそれより先にいっても、なんて。



 こうして、私と睦貴の『娘と父』という関係はピリオドを打ち、改めて新しい関係を結ぶことになった。

 告白も私からで、プロポーズも自分からだったけど、睦貴は受け入れてくれた。睦貴が『高屋』に縛られていたから、私は睦貴が『高屋』じゃなくてもいいと思ったから、『佳山』姓を選択した。睦貴も同意してくれた。
 だけどこれが、まさか私と睦貴の息子たちの将来を左右することになるなんて──思ってもいなかった。

【おわり】



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