愛から始まる物語


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透明なパレット01




「双子がいなくなった?」

 仕事中、珍しく文緒からメールではなくて電話がかかってきた。緊急時以外には仕事中には電話をかけない、というのが俺と文緒の間に暗黙の了解としてあった。それを破ってまでかかってきたのだから緊急事態だということが分かり、移動中の車を路肩に寄せて電話に出た。助手席には兄貴が乗っている。
 文緒が双子を出産して、あれから三年ほど経っていた。
 あの双子はほんと、男の子の癖におしゃべりが達者で、大人が翻弄されまくっていた。毎日、家に帰って文緒から聞かされる双子の話に唖然としてしまう。
『咲絵(さえ)の世話をしていたら、いなくなっていたのよ』
 咲絵というのは、つい先日生まれた三人目。文緒の出産自体は二回目だ。なんだか妙にややこしい。

「分かった、すぐに戻る」

 電話を切り、ため息をひとつ吐いて、兄貴に事情を説明する。
 双子は俺と文緒の子だが、将来、高屋の家を継ぐことになっているので戸籍上では兄貴の子どもだ。納得のいかない話だが、大人の事情ということで仕方がない。生まれながらにして将来を決めつけるのもかわいそうだが、父親である俺が逃げたばかりに子どもがしりぬぐいをする羽目になった。頭が上がらない、双子には。

「キャンセルしろ」

 え、キャンセル? 直前のキャンセル、ようするにドタキャンですか?
 予想通りだけど、いいのか、それ?

「今日の訪問はそもそもが気が向いてなかったんだ」

 うわぁ、すごいわがまま。しかし、相手はそんなに軽く扱っていいような人物じゃないんだぞ。いいのかよ。

「つべこべ言ってないで早くしろ」

 不機嫌な兄貴に大きくため息をつき、しぶしぶ相手方に電話をかけた。先方もなんとなく分かっていたようで、苦笑された。キミも苦労しているね、と逆に慰められてしまった。本当に申し訳ございません。

「そんなに恐縮しなくていい。向こうが無理矢理入れてきたんだから」

 いや、そうだけど……そうなんですけどね。

「気になるのなら、なにか適当にお詫びを送っておけ」

 はい、そうさせてイタダキマス。

 車をUターンさせ、お屋敷へと戻った。文緒は今か今かと玄関先で待っていたようだった。咲絵を腕に抱き、駆け寄ってくる。
 車の外に出ると、じりじりと焼けるような太陽と皮膚にまとわりつく空気に夏を感じさせた。

「文緒、まだ寝ておかないといけない時期だろう」
「でも」
「いいから、部屋に戻って寝ておいてくれないか」

 泣きそうな表情をしていたので、文緒の肩を抱いて一緒に部屋に戻る。
 兄貴は手がかりを探るためにお屋敷の使用人たちに話を聞いてくると言って一人で行ってしまった。
 咲絵を受け取ると、赤ん坊独特の甘い匂いが鼻腔をくすぐった。小さくてやわらかくて守らなくてはならない存在。くにゃっとしたこの存在を見ているだけで癒される。
 双子が生まれた時も思ったけど、自分の遺伝子を半分持った存在というのはとても不思議だ。見た目だけではなくて性格もどことなく自分に似ていたりして、損得なしに愛おしいと思える。家族を持つ、というのはこういうことなのかと初めて知った。
 文緒の横にあるベビーベッドへと寝かす。気持ちよさそうに眠ってくれている。

「いつ、いなくなったのに気が付いたんだ?」
「睦貴に電話する直前」

 文緒は今にも泣き出しそうな表情をしている。

「別に責めてないから。やっぱり、だれかを一時的に雇うしかないな」

 文緒は咲絵を出産したばかりなので、一か月は赤ん坊の世話以外は基本、寝ておくのが仕事だ。最初の出産の時は兄貴を説得して、育児休暇を取得した。咲絵の時も取ろうとしたのだが、残念ながら、俺の代わりを務められる人間がいなくて、育児休暇取得を断念したのだ。それもこれも、兄貴がわがままだからだ。
 今だって、そりゃあ自分の子どもが行方不明と知ったら、それを放置して仕事なんてできないのは分かるけど、それにしたって。……とまあ、愚痴はいいや。

「なにか手がかりは? あの二人、たしかに無謀なことはしてくれるが、文緒を困らせるようなことはしないはずなんだが」
「手がかりになるかどうか分からないけど、ほら昔、行った池があるじゃない? そのことを聞いてきたのよ。行ったら駄目よ、危ないからと言ったんだけど」
「そこに行った可能性は高いな」

 よりによってそんなことを聞いてくるとは。だれだ、入れ知恵したヤツは。
 俺は頭の中で容疑者を絞ろうとしたが、そういうことを話しそうな該当者はいなかった。

「気になるかもしれないが、文緒はここで寝ておいて、咲絵の世話だけしておいてくれないか。俺は探してくる」

 不安そうな表情をしているから一緒にいてあげたいけど、双子がそれ以上に気になる。

「うん、お願いね」

 文緒の頬にキスをして、俺は部屋を出た。

 とりあえず、例の池に向かおう。たどり着けるかどうかはともかくとしてだ。
 部屋を出て、佳山家へ向かう。合鍵で開けて、中へと入る。部屋を抜け、庭へと出る。
 庭に出ると、緑が多いせいか、草いきれで一瞬、息が詰まる。きれいに手入れされた庭。二人が戻ってきたら、ここで花火でもしよう。楽しんでくれるかな。

「敦貴(あつき)、瑞貴(みずき)」

 二人の名を呼ぶが、返事はない。

「いたか?」

 兄貴が本来の出入口からやってきた。表情を見ると浮かない。手がかりはなにもなかったのだろう。

「文緒の話によると、いなくなる前にあの池のことを聞いていたらしい」
「池?」

 なにかとトラブルを起こすあの池に、兄貴の表情は険しくなる。

 敦貴と瑞貴が生まれる前にあの池に沈んで見上げた空を思い出した。
 どこまでも澄んだ透明な水越しに見えるこの世界。ゆらゆらと揺れる水底から見た向こうは、当たり前だが色がついていた。生まれてくる二人の心は透明だが、生きて行くうちにさまざまな色を吸収していく。色の拾い方を教えるのは、俺たち周りの大人の責任だ。
 きれいな色なのか、透き通ったクリアな色なのかは分からない。
 しかし、透き通ったきれいな色ばかりだと、悪意がやって来た時にそのまま通してしまい、心に大きな痛手を負うことになるだろう。ひび割れた心を持つことになる。汚い部分も怖い部分も知ってこそ、人間だと思う。だけど、俺のように汚い色ばかり知らなくていいと思う。もっときれいな物を知っていてほしい。

「ここに来る前に文緒に会ってきたけど、ものすごく心配していた」

 最近の兄貴は、意識して俺たちにはない不思議な能力を使わないようにしているらしい。今回だって使ったらもしかしたら一発解決かもしれない。きっと兄貴は葛藤しているはずだ。今度使ったらどうなるか分からないと医者にも言われている。俺がいることで少しは軽減されるらしいのだが、使ってほしくない。歯がゆい思いをしているのは分かる。いらいらと足踏みをして、どうしたものかと思案している。
 二人が怖い思いをしているかもしれない。泣いているかもしれない。だけどそういう感情を知るのも成長のための過程だと冷めた目で見ている自分がいたりする。
 あの二人は大丈夫。
 よくわからないが、そんな自信が俺の中にあった。いないことに対して心配はあるが、焦る気持ちはなかった。

「池に行けるかどうかともかく、森に入ってみよう」

 ここで待っていれば二人が帰ってくるのかどうか分からない。たどり着けないかもしれないが、チャレンジしてみる価値はある。
 兄貴とともに森に足を踏み入れる。だれかが入った形跡があるような気がする。

「ここの枝が折れてるけど、切り口が真新しい」

 ふと視線を落とした先にあった細い枝が折れていて、その口が白かった。時間が経てば乾いて茶色くなるので、やはり、ここを入って行ったのは確かなようだ。
 池に無事にたどりついたとしても、ついていないとしても不安だ。あの池、水深は浅いとはいえ、三歳児にとってみれば、深い。水に落ちていなければいいのだが。
 しかし、どうやってあの二人はここに入ったんだ? ここに入るには、先ほど兄貴が入ってきた正式な出入口からか、佳山家の勝手口からのどちらかからしか入れないはずだ。その点に兄貴も気が付いたらしい。

「ここにはどうやって入ったんだろうな」

 佳山家の鍵を持っているのは、佳山の名のつくものだけだ。文緒が二人に鍵を渡すわけがないし、蓮さんと奈津美さんは仕事中。後は俺と文彰だが、文彰もこの時間なら会社にいる。俺は兄貴と一緒にいた。
 犯人はだれだ?
 残りの正規ルートで入る方法だが、そこの鍵を持っているのは親父と兄貴と智鶴さんだ。親父はもう長い間、ここには足を踏み入れていないようだし、智鶴さんも今日は子どもの検診ということでお屋敷にはいないはずだ。
 アリバイがないのはだれだ?
 って推理小説みたいな展開になってきたな。

「あれ?」

 適当に歩いていたら、さっき通ったところにまた戻ってきてしまった。ほんと、この森は不思議だよ。富士の樹海並みだ。行ったことないけど。

「こちらへ行ってみてはどうだ?」

 兄貴の言葉に従い、中へと分け入るのだが、行き止まり。どうなってるんだ、これ?
 森の木で太陽が遮られているからまだいいが、それでも肌に触れる空気は蒸し暑く、そろそろ限界が近づいてきた。小さい二人、大丈夫だろうか。無事だとは思うが、やはり心配だ。
 額に浮かぶ汗をぬぐい、兄貴を見る。

「やみくもに探して俺たちまで倒れたらミイラ取りがミイラになる、だよな。一度、戻ろう」

 兄貴は無言でうなずいて俺の意見に賛同してくれた。
 来た道を戻ろうとするのだが、思いっきり迷ってここまで来たものだから、正直なことを言っていいか?

「兄貴、迷子だ」

 帰りに困らないようにと思って必死になって道を覚えていたのだが、分からなくなってしまった。やばい。
 自分の家の庭先で迷子になるなんて、カッコ悪すぎる! 俺ってやっぱり馬鹿?

「えーっと、こっちがお屋敷の方面だと思われるから……」

 太陽の位置をヒントにして、どちら方面に出ればいいのか考える。たぶん、こっちであっているはずだ。
 俺と兄貴は無言だった。まったくもって、情けなくて涙が出そうだ。迷子を捜しにいって迷子になるなんて。
 無事に帰ることができるのかという不安を抱きながら木々をかき分け、歩く。白いワイシャツに草の汁や砂や土がつくが、そんなこと気にしていられるほど余裕はなかった。
 少し広い所に出ることができ、ほっとするのもつかの間。すぐに行き止まりになってしまった。横をふと見ると、どうやら庭の端にはたどりつけているようだった。ここを無理矢理通れば帰ることができる。
 大きく深呼吸をして、きれいに切り揃えられている垣根に体当たりをした。
 木の枝が俺を刺してくるが、それに躊躇しないでそのまま前に突き進む。顔をかばうように交差させ、前進する。
 痛い、とてつもなく痛い。
 垣根ってある意味あるのか、と実は疑問に思っていたんだが、有効なんだな。無理矢理通り抜けようとする俺みたいな馬鹿が現れたら意味をなさないが、普通ならここで躊躇するもんだよな。

「睦貴、戻ってこい」

 後ろで見ている兄貴が俺を止めている。

「別の道を探そう」

 確かにそれが正しいだろう。しかし、戻るにもすでに実は動くのが厳しい状況でして……。

「前に進むにも後ろに進むにもどちらにしても同じ痛さなんだ」

 体重を前にかけて進む方が楽かもしれない、と思ったのが間違いだったか。また血まみれになってそうだなという客観的な姿がよぎったが、かまっていられなかった。
 渾身の力を込め、前に進んでようやく通り抜けることができた。

「やっぱりおまえは馬鹿だ」

 庭に出て、垣根の向こうにいる兄貴に手を振ったらそんなことを言われた。

「俺は別の道を探してそちらに戻る」

 それがいいと思います、総帥。
 暑さと今の通り抜けで力尽き、俺は芝生の上に寝転がった。両手を広げて空を見ると、白い雲が気持ちよさそうに流れていた。ここは木陰になっていて、風が吹くとそれなりに気持ちがいい。
 耳を澄ますと、遠くで音がする。兄貴が歩いている音かもしれない。
 その音を聞きながら目を閉じると、暑いにも関わらず、睡魔が訪れた。ここで寝たら駄目だ、と言い聞かせるのだが、睡眠不足も手伝って思わず眠ってしまった。

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