水空05
* *
次の日、柊哉と京佳二人が俺たちのところへやってきた。
「その……いろいろと、悪かったな」
柊哉はぶっきらぼうにそっぽを向きながらお詫びの言葉を口にした。それをみた京佳が柊哉のわき腹を小突いた。
前から思っていたけど、京佳ってほんと、強いなぁ。
柊哉、意外なところで気が弱いから確実に尻に敷かれるな。ご愁傷さま。
「もともと、父はわたしと柊哉と結婚させる気でいたみたいです」
それは知っている。
深町さん、そんなことを言っていたし。
「またご迷惑をおかけするかもしれませんが、そのときはよろしくお願いしますね」
と京佳は晴れやかな表情で俺と文緒に言ってきた。
京佳さま、恐ろしゅうございます。
「柊哉と京佳、お互い想いあってたんだね」
帰っていろいろ報告などがあるから、と二人は辰己の屋敷へと帰っていった。
まあ、あの二人ならなにがあっても大丈夫だな。
「ああ、にくいくらいにね」
昨日、想いを確かめ合ったからって、目の前でいちゃいちゃしやがって、ったく。
手をつないだり見つめあったり、他人がいる前で二人の世界を作るなっ!
「睦貴ってそういえば、あんまり人前だとあんなにいちゃつかないよね」
「してほしいのか?」
ヘタレな俺がそんなこと、するわけないだろう。
それにだな、そういうときの文緒は急に色っぽくなりすぎるから、人目にさらしたくないんだよ!
独占欲は意外に強いんだからな、俺。
「されたら困るから、今のままでいい」
それならよかった。
「ゴールデンウィークが明けたら、私は入院になるけど、睦貴、一人で大丈夫?」
「ん? なにが?」
ご飯も家事もこのお屋敷にいる限りでは心配することではないし。
「私がいなくて寂しいって泣かない?」
くすり、と少し意地悪そうな文緒に俺は反論する。
「一人でも平気だ!」
「ほんと? ずっと一緒に寝ていたけど、本当に大丈夫?」
と念を押すように聞かれると……どんどん不安になってくる。
「私はこの子たちがいるから平気だけど、睦貴、一人が寂しいからって浮気したら……わかってるよね?」
「浮気なんてするわけないだろう! 俺はもう、文緒以外は勃たないから!」
俺のストレートな発言に文緒は白い目で見る。
「睦貴、もうちょっとオブラートに包んだ言い方をしてよ。子どもたちが真似するでしょ!」
つい……。
「はい、すみません」
しょんぼり返事をしたら、文緒はものすごくおかしそうに大きなお腹を抱えて笑い始めた。
ああ、こういうふとした瞬間に感じる些細だけど大切な幸せ。
俺はそれらをたくさん集めて、心の宝箱にしまっておこう。
俺と文緒は二人きりで過ごす最後の時間をゆっくりと過ごした。
* *
ゴールデンウィークが終わり、文緒は予定通り入院となった。
入院先は幸いなことに仕事の行き帰りに通る場所だから問題なかった。
時間が許す限り、面会に行った。
柊哉への研修が主な仕事だったので、基本的には定時で帰ることができたからほぼ毎日通ったわけなんだが。
毎日行って、病院の人たちはうっとうしかっただろうなぁ。
この病院は基本は個室なので、他の入院患者に気を使わないのは気が楽だったけど、文緒は少し、さみしそうだった。
文緒はお腹が張るからと張り止めの薬と基本はベッドの上での安静を申しつけられていた。
この様子だと、出産は早まるかもね、と話をしていたのに……。
正期産の時期に入り、今日か明日かと言っているのに産まれてくる気配がない。
「俺に似て、意外に慎重なんだな、この子たち」
医者が言うには、陣痛に近いお腹の張りが来ているからそろそろだというのだが……。
「さすがに苦しいわ。お腹は張る上に中で大暴れしてくれて……たたた、こらっ! 肋骨を蹴らないで!」
なんだか想像を絶する状態になっている、というのは分かった。
文緒のお腹の形が変形するほど、中から蹴っているのが見える。
すげえ、人体の神秘を垣間見た。
どれだけ元気なんだ、こいつら。
それに、文緒の身体もある意味、すごいな。
そうして産まれてくる日を今日か明日かと待っていたのだが……。
産まれてこない。
医者からは母体のことを考えて帝王切開にしますか? という話も出てきたのだが。
ちなみに、双子だから必ず帝王切開、とは限らないらしい。病院によるが、自然分娩も可能だという。
俺と文緒と相談して、文緒の強い意志によって自然分娩を選んだ。
担当医もできたらそうした方がいい、というし。
しかし……これはどうしたものかなぁ。
「文緒、どうする?」
文緒は眉間にしわを寄せて考えている。
「明日で四十週に入るから、明日出てこなかったら……お腹切る。嫌だけど。だからあなたたち、早く出てきなさいっ!」
と文緒はお腹をなでながら言い聞かせている。
俺も恐る恐る、文緒のお腹を触る。
俺が手を当てたところにぽこり、と中から蹴られた感覚があり、ものすごく変な気持ちになった。
すごく不思議だ。
文緒の中に人間が入っている、というのは頭では分かっていたけど……。
「ほら、お父さんも待ってるわよ」
文緒の手が俺の手に重ね合わされた。
いつものように面会時間前に俺は病院を出て、お屋敷に戻った。
夕食を食べ、お風呂に入って寝ていたところに……携帯電話が鳴った。
『睦貴、産まれる!』
文緒の絶叫に近い声。
俺は飛び起き、寝癖を直さないままとりあえず着替えて部屋を飛び出し、車に乗り込んで病院へと向かった。
俺、出産に立ち会うことにしていたんだよ!
きちんとそのために講習だって受けたんだ。
信号待ちの時にケータイホルダーに入れた携帯電話を見ると、日付は変わって四十週を示していた。
まさかあいつら……予定日をきっちり守ろうとしていたのか!?
夜中で道が空いていたため、いつもより早く着き、駐車場に車を押し込め、聞いていた夜間外来口から病院内に入った。
文緒の部屋に向かおうとしたが、そういえば……分娩室に行っているよな、と思いなおし院内案内図を探してみる。
どこか分からずに焦っていたら、顔なじみの助産師さんが通りかかった。
「ああ、よかった。もう少しで出てきますよ、急いで!」
と案内してくれた。
『LDR』と書かれた部屋の前に連れて行かれ、いろいろ手渡された。
「そこで壁に貼られている手の洗い方でしっかり洗って消毒してから入室してきてくださいね」
と言われ、俺は渡されたエプロンやら三角巾を付け、念入りに手を洗ってから入室した。
部屋に入ると文緒は苦しそうにいきんでいて……。
「おぎゃあ!」
と室内に産声が響き渡った。
その声に文緒を取り上げたことがついさっきのことのように甦ってきた。
なんだろう、この不思議な感覚。
この世に生まれた時、最初に受け止めた人が俺の子どもを産んでいる。
それほど時間を置かず、また別の産声が聞こえた。
二人目も産まれたらしい。
全身を真っ赤にして産まれてきた二人。
文緒のお腹に乗せられ、文緒は愛おしそうに見つめている。
へその緒を切ったり産後の処理をしたりとばたばたしている中、俺は邪魔にならないように文緒の側に行った。
「お疲れさま、文緒。ありがとう」
「睦貴……日付が変わった途端にいきなりとんでもない痛みが来て大変だったんだよ」
文緒の顔はそれでも産んだことに対して充足した表情をしていた。
「きっと、睦貴が待ってくれてるのを知って、産まれて来てくれたんだよ」
その言葉に、不覚にも涙があふれてしまった。
涙ににじむ視界に文緒も泣いているのが分かった。
にじんだ視界はあの水底から空を見上げた時と同じだった。
* *
一人であの池にたどり着けるかと思って、足を運んでみた。
真夏の太陽が照りつける中、森をさまよったが……結局、たどり着くことができなかった。
たどり着けなかったことで、ほっとしたのも確かだ。
あそこで見つけた片腕の観音像は、宝物庫へ丁寧にしまった。
錆びていた部分を取り除き、磨くと……青銅ということもあり、かなり摩耗してしまったが、それでも優しい顔はきちんと残っていたし、細部の細かい飾りなどは分からなくなってしまっていたが、それでもこれがとても丁寧に作られ、大切にされていたことは分かった。
守るべきお堂を俺は壊してしまったが、代わりにここでたくさんの仲間たちと一緒に過ごしてほしい。
いつか文緒と子どもたち四人でここに来られたらいいな、と思いながら俺は宝物庫の扉を閉めた。
【おわり】