愛から始まる物語


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心に灯る火『前編』



 これから語る話は、俺が二十一歳のぴちぴちの大学生の頃の話だ。



 俺は文字通り、大学生。といってもまだ大学四年生で、獣医になる気満々だったので卒業はまだまだ、という状況。
 将来の俺の嫁となる佳山文緒(かやま ふみお)は五歳、兄貴の息子の高屋柊哉(たかや とうや)は六歳、深町さんの娘の辰己京佳(たつみ きょうか)は文緒と同じ年なので五歳。
 この四人でゴールデンウィークの中日、暇を持て余し……柊哉は探検ごっこをしよう、と言いだした。

「昔、父さんからこの奥にすごく大きくてきれいな池があるって聞いたんだ! オレ、それが見たい!」

 小学生だった柊哉はとにかくわんぱく盛り。正直言って、俺の手にはあまるほど。しかし、今日は一緒になって悪ふざけをする文緒の弟の文彰(ふみあき)がいないから大丈夫か、と油断したのがまずかった。柊哉は俺が止める間もなく、京佳の手を無理矢理引っ張って家族しか入れないという中庭の後ろに広がる森を分け入り、入っていった。

「柊哉、待て!」

 俺が止める声なんて聞かないで、柊哉はずんずんと入って歩いていく。

「むっちゃん……わたし、帰りたい」

 と文緒は俺にはりついて動こうとしない。

「あああ、もうっ! 文緒、俺の背中に乗れ!」

 あんの馬鹿息子がっ! 明らかにあれは俺を困らせようとしてるだろう?

「やぁだぁ。おうちに帰りたいー」

 いつもなら喜んで背中に飛び乗ってくるのに、今日の文緒はちょっとわがまま。普段なら聞き入れられるわがままも、さすがに文緒をこのままここに放置してなんて行けない。

「文緒、あの馬鹿息子を捕まえないと兄貴に殺される!」
「やだー」

 今にも泣きそうな文緒にいらだちを覚えつつ、俺は文緒を抱きかかえる。

「むっちゃん、やだ。帰る!」

 文緒はとうとう泣きだしてしまった。
 あああ、泣かないでくれ。蓮さんと奈津美さんに怒られる!

「文緒、柊哉はともかく、京佳も一緒なんだ。探しに行ってくれるよな?」

 文緒は柊哉のことが苦手らしい。今も強引な柊哉の手を振り払って俺のところに逃れてきたばかり。それなのに俺が柊哉を追いかけようとしているから、ぐずって泣き始めた、というのは分かっている。だけどだ。京佳は大切なお友だち、という認識でいてくれる。

「京佳と遊べなくなってもいいのか?」

 半ば脅しのようなその言葉に、文緒は顔をゆがめ、さらに激しく泣きそうになっている。せっかくの可愛い顔が台無しだな。
 ったく、柊哉の馬鹿たれが。文緒を泣かせることしかないおまえにあげられるかよっ!

「京佳を連れ戻しに一緒に行ってくれるよな?」

 俺は文緒を抱っこした状態で説得に取り掛かる。文緒はぐすぐすと泣いていたが、落ち着いてきたのか、

「分かった。悪い柊哉から京佳を取り返す!」

 文緒の中ではすっかり柊哉は
「悪役」
らしい。苦笑しながら文緒の背中をとんとんと叩き、地面に降ろす。

「じゃあ、歩けるよな?」
「……うん」

 なんだ、その間は。

「おんぶ、しようか?」
「うん!」

 文緒に甘い、と言われるゆえんか。
 文緒を背負い、ずいぶん遅れて柊哉の入っていった森へと入る。表面はそれなりに整備してあるが、中は未開の地。人が踏み入れることは皆無なので、歩くのは大変だ。それなのに柊哉の馬鹿は……ったく。
 その池の話は俺も昔、聞いたことがある。話の出元はたぶん、親父だ。あのおっさんも好奇心旺盛というか探究心が旺盛というか……。兄貴はどうか知らないけど、俺にはその好奇心というのはどうやら遺伝しなかったらしい。知ってはいたが、行きたい、とは思ったことなかったなぁ。

「柊哉のヤツ、どこに行ったんだよ」

 親父から聞かされた遠い過去の記憶を掘り起こす。
 この森の中に大きな池があり……真ん中に小島があると。そこに辿りつけた者は幸せになれるって。
 その話を聞いた時、正直、笑ってしまった。そんなもので幸せになれるのならその池まで行って小島に渡ってるって!
 そんな話をした親父に渡ったのか、と聞いたら……。池そのものにたどり着けなかった、と。
『だから実際、あるかどうか分からないんだ。だけど、おまえたちがいるから幸せだよ』
 なんて。結局、親父はなにを言いたかったのか分からなかった。
 その話を聞いたのは確か中学生くらいだった。もしかして、試されていたのか?その池を探し出すほど俺がアクティブかどうか。探すわけないだろう。そんなあいまいな話。
『おまえは激しく現実的なんだな。男はロマンを持たないと駄目だぞ』
 とも言われたな。ロマンじゃ腹はふくれない。マロンなら美味しいが。

「おっと」

 目の前にいきなり、枝が現れて驚いた。とにかく、道がない。柊哉のヤツ、適当にもほどがあるだろう!
 しかし……話の出所が兄貴? 行ったことあるのか?

「ねー、むっちゃん、あそこにいるの、柊哉と京佳じゃない?」

 少し先に、人影が見える。あの後ろ姿は間違いなくそうらしい。
 しかし……目の前はうっそうと茂った草と枝。まっすぐ進めば楽なんだが……。

「文緒、ちょっと降りてくれるか?」

 遠回りするにも、この草はどこまで続くのかさっぱり分からない。それならば、無理矢理ここを突っ切るのが近道。背中から文緒を降ろし、近くに転がっていたそれなりに丈夫そうな木の枝を拾う。それを草に突っ込み、分け入る。別にこの先、崖になっていたりはしないっぽい。がさがさと音をさせ、草を分け入る。
 その音に気がついたらしい草の向こうに見える柊哉と京佳。京佳は音におびえて柊哉の背中に回っている。柊哉はひきつった顔でこちらを見ている。こちらから向こうはよく見えるのだが、向こうからはこちらは見えていないのか?

「おい、柊哉!」

 俺の声に柊哉は驚いたような安心したようななんとも言えない表情をしている。

「けがはないか?」
「……大丈夫」
「そっちにはどうやって行ったんだ?」
「なんだよおっさん、なんでそんな変なところにいるんだよ」

 おっさんじゃないと何度言えば分かるんだよっ!
 それに、変なところってどういうことだ?

「どうやってそこまで行ったんだ?」
「道なりに来たらついたんだけど」

 道なりにって……もしかして俺、とんでもないところから入った? いや……普通に歩いてきたんだが。
 ……まあ、いいや。
 枝を使って草をかき分け……どうにか通ることができる道っぽいものを作ることができた。
 ふぅ。
 再度文緒を背負い、枝を振り払いつつ、草を割って通り抜ける。
 草の向こうは、いきなり視界が広がり……。そこには、思っていた以上に大きな池があった。水はとても透明度が高く、底まで透けて見えるほど。

「……きれいだな」

 高屋のお屋敷の敷地は広いのは知っていたけど、こんなところがあったのか。

「おっさん、小島ってあれだろう?」

 俺は柊哉のところまで歩いていった。
 柊哉の指さす先には、親父に聞かされていた通り、小島が真ん中にあった。しかし、池に舟が浮かんでいるわけでもなく、橋がかかっているわけもなく。あそこには泳いで行くしか……ないよな?

「オレ、あそこまで泳いで行ってくる!」

 さすがの俺もそこで切れた。

「いい加減にしろ、柊哉!」

 予想以上に大きな声で怒鳴ってしまった。
 背中の文緒は身体を固くして、俺にしがみついている。
 あの柊哉さえも身体を縮こまらせ、泣きそうな顔で俺を見ている。京佳は……ほっとした表情で俺を見ている。意外に強いな、京佳。
 不気味なほどの静けさにどうすればいいのか分からなくなる。

「……帰るぞ」

 普段、怒ることのない俺。怒った後の対処方法なんてどうすればいいのか分からない。
 文緒はおびえたように俺にずっとしがみついている。文緒を驚かせるつもりで言ったわけではないので、背中越しに軽くトントン、と叩くと少し緊張を緩めてくれた。

「ごめんな、文緒」

 文緒に聞こえるくらいの小声でそう伝えると、文緒は首を振ったようで、振動で分かった。

「柊哉、帰ろ」

 京佳は柊哉の後ろから腕を揺すって帰ろうと促している。柊哉は仕方がないな、という表情で京佳を振り払い……っておいおい。さっきは京佳の手を握ってここまで来たんだろう? 京佳は不安そうな表情で柊哉を見ているじゃないか。それなのに柊哉は振り向きもせずに俺のところまで来て、背中にいる文緒の足を引っ張っている。

「柊哉、やめろ」

 というのにやめなくて、文緒も降りる気がないらしく、俺にしがみついている。

「文緒、降りてこいよ。オレも京佳も歩いてるんだから」

 柊哉の言っていることはもっともなんだが……。そんなに強く引っ張るなって!

「うわっ!」

 柊哉がぐい、と強く引っ張ったものだから……オレは激しくバランスを崩し、後ろに倒れそうになる。このまま倒れたら、文緒を下敷きにしてしまう……!
 そんな最悪なことになったら文緒に泣かれるし、蓮さんと奈津美さんにも申し訳が立たない。
 引っ張られた方向に身体をひねり、足を踏ん張るが……柊哉が思っていた以上に強く引っ張ったためにそのまま俺は地面へと倒れ込んでしまった。文緒を背負った状態で倒れたから、手をつくことができなくて、でも顔面からぶつかるのは避けるように必死に身体をそり、胸から思いっきり地面へとついてしまった。

「ぐぉっ」

 痛い。
 激しく痛い。
 背中に背負っている文緒だって軽いとは言っても、十五・六キロはある。一緒に倒れれば……激しく痛い。背中にいる文緒もいくら俺というクッションがあるとはいえ、一緒にこけたのだ。痛いだろう。

「ふ……うわあああん」

 と声をあげて泣き出してしまった。すぐに起きて慰めたいのだが……ああ、無理。声を出すことさえ出来ない。

「文緒ちゃん、大丈夫?」

 京佳があわてて駆けてきて、文緒を俺の背中からおろしてくれた。重しがなくなり、少し楽になった。

「柊哉くん、乱暴はよくないのよ!」

 と京佳が柊哉を怒ってくれている。柊哉は京佳のことが少し苦手らしい。

「だって……」

 とバツが悪そうな顔をして口をへの字にして言い訳を始めた。

「文緒一人だけ背負われていて。京佳もその、疲れているだろう?」
「疲れてなんてないわよ! 柊哉くんがこんなところにくる、なんて言わなければ良かったんじゃない!」

 京佳、言うなぁ……。真正面からそんなこと言われたら、俺でもごめんなさい、としか言えないよ。

「なんだよ……おまえたちにここを見せたくて」

 しどろもどろと柊哉は言い訳をしている。
 二人にいいところを見せようとした、ということか。特に文緒にはかっこいいところを見せたかったんだろうな。しかし……それが女の子二人に責められる結果になるとは。柊哉の将来が思いやられるな。

「別に見たくなかった」

 と京佳に言われてしまった。文緒も泣きながら、こくこくとうなずいている。
 あーあ、柊哉……ご愁傷さま。

「なっ、なんだよ! おまえら二人して……!」

 柊哉は悔しそうな表情で女の子二人を見ている。

「おまえたち、待っていろよ!」

 と言うなり、柊哉は走り出した。
 ちょっと待てよ!
 ようやく動けるようになった俺は身体を動かし、どうにか身体を起こす。

「ぐへっ」
「むっちゃん、大丈夫?」
「睦貴さん、大丈夫ですか?」

 女の子二人に心配される俺、ハーレム、ハーレム。
 ……なんて言っている場合ではなくて!

「あんの馬鹿はどこに言ったんだ?」

 それだけ言うのもつらい。げほげほと思わずむせてしまう。

「むっちゃん……」

 心配そうに、文緒が俺の背中をなでてくれる。ああ……優しいなぁ。
 ようやく立ち上がることができ、文緒と京佳に柊哉の行方を聞く。

「向こうに走っていったのしか見てない」

 ったくもう。あいつはなにを考えてるんだ。手間をかけやがって。

「文緒と京佳は手を繋いで」

 二人が手を繋いだのを確認して、俺についてくるように言う。
 二人が後ろからきちんとついてきているのを確認しながら、柊哉が走っていったと思われるところへと歩く。
 柊哉は池の周りをぐるりと回って……。
 急に繁みが現れた。

「おっと!」

 なんだ、急に。
 その繁みを避けると、目の前に急にぼろぼろに朽ちたお堂が現れた。
 なんだ、ここは?

「柊哉、どこにいるんだ?」

 俺の声に、お堂の入口ががたがた、と音を立て、中から柊哉が出てきた。

「あった!」

 と手にはなにか持っていて……。
 しかし。
 朽ちたお堂は柊哉がそうやって出入りしたせいでぎりぎりのバランスを保っていたものが崩れて……。

「きゃあ!」

 少し後ろから歩いて来ていた文緒と京佳の悲鳴。
 その声に驚いて上を見上げる柊哉。
 走る俺。お堂の階段を駆け上がり、

「柊哉、手を伸ばせ!」

 俺は柊哉に腕を伸ばし、腕をつかむ。柊哉を引っ張り、引き寄せる。

「いやあああ!」

 文緒の悲鳴。
 崩れ落ちてくるお堂が迫ってくる。
 柊哉を抱きかかえ、かばう。
 音を立てて……がれきが身体に降ってくる。身体に降ってきて、かなり痛い。
 柊哉だけは怪我させてはいけない。その思い一心で……柊哉を腕に抱え、かばった。
 身体に降り注いできたがれきはようやく止まったらしい。音がやんだのを確認して、ゆっくりと身体を起こす。

「柊哉、合図をしたら文緒と京佳に向かって走れ」
「は? なに言ってんの、おっさん」
「いいから。走れ! 行け!」

 柊哉を立たせ、その背中を少し強めに押す。柊哉は俺に背中を押され、そのまま走り出した。
 今の衝撃でまたお堂が音を立て、壊れ始めた。

「やだ、むっちゃん!」

 文緒の悲鳴が聞こえる。

「おまえたち三人だけでも戻れ! そして……だれか呼んできてくれ」

 これ以上動くと、お堂がやばい。

「でも……!」

 泣きそうになっている文緒に、俺はもう一度叫ぶ。

「早く! 兄貴でもだれでもいいから!」

 三人は心配そうに振り返りながら、こちらを見ている。
 俺が背中でお堂を支えているような状況。とにかく……少しでも動けば全部が崩れ落ちてしまう。このまま抜け出られる……自信はない。
 助けを求めたところでどうにかなるとは思えないが、とりあえず、あの三人だけでも戻さねば。



 ……だんだん、しびれてきた。
 さっき、文緒と一緒に倒れたところがずきずきと痛み始めた。
 ちょっと俺、もう駄目かも……。
 意識が遠のいてきた。




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