魚は空を泳ぎ、鳥は水を飛ぶ。


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【九話】反撃開始! ってだれにだ?《後編》



 頭痛を覚えつつも、重枝家に向かうために左折した途端、黒塗りのベンツに囲まれた。はいはい、まりちゃんはお見通し、ということですか。
 さーてと。荒っぽく巻くのもありだけど、結局は、行く先は重枝の家だろ? あそこまでこの道をカーレースするのもなかなか面白いとは思うけど、そういうのはちょっと俺の性格上、似合わないしなぁ。
 はるちゃんたちは気がついていない。アクセルを気持ち、強めに踏んでみる。周りのベンツも呼応するようにスピードを上げる。これは歓迎されているのか否か。
 先ほど思ったことなど一瞬にしてすっかり忘れ去った俺は、とりあえず、前に走っているベンツが邪魔なので、急ブレーキをわざとかけ、横に走っているベンツと前の車の間に隙間を開ける。急発進させ、その合間を抜けて……始めるつもりのなかった重枝家までのレースが開始されてしまった。
 別に俺、ハンドルを握ったら性格が変わるとかないんだけど。いやぁ、つい、囲まれたら抜け出したくなって。
 一般的なワゴンとベンツが競争して、勝てるわけ、ないよな。しかし、ここは腕の見せ所!
「おまえら、しっかりシートベルトして口を閉じておけよ」
 急ブレーキと急発進でなにかが起こっている、ということを察した後ろの四人はおとなしく座席に座り、前の席の背もたれを握りしめている。ちょっとかわいいじゃないか、おまえら。
 俺は汗ばむ手でハンドルを握り直し、背筋を伸ばした。
 これらのベンツの運転手が若くて美人なぴちぴちなおねーさんだったら嬉しいんだが、どうせ黒服にグラサンの強面のおっさんなんだろ? 勘弁してほしい。逃げるに決まっている!
 アクセルを踏み込み、ベンツを振り切るようにハンドルを操作する。ワゴン車は自分が思っている以上によく動いてくれる。飲食と睡眠を忘れてカーレースのゲームを極めた俺さまだ!
 いや、わかっている。ゲームと実車が違うということくらい。しかし、操作性は実車によく似たゲームで、それを極めた俺には不可能などない!
 われながら後からこの場面を思い出して冷静に考えれば考えるほど、どうしてこんな馬鹿なことをやったのか、まったく分からない。ただ、囲まれたら抜け出たいと思うのは、普通の心境だ、ということにしておこう。
 重枝の家へは一本道だ。途中、脇道などない。迷うことはないし、向こうから車がくる心配もほぼないので、俺は存分にベンツたちと競争した。
 ものすごく楽しい! 手に汗握ることってめったに無いのだが、これはゲーム画面とは違って、現実だ。俺がハンドル操作を誤れば、俺だけではなく、はるちゃんたち四人の命も危ない。そういう状況だというのに、わくわくして仕方がない。
 いろんな人たちに馬鹿だとかアホだとか言われていたけど、自分でもこれは本当に馬鹿だと思う。ベンツは特になにかをしてきたわけではないのだから、俺はあのまま普通に運転していけば、特に危険な目に遭わないで重枝の家に着いていたはずなのだ。なのに、自らけんかを買いにいくようなことをして、いや、ベンツがあんなに俺のことを囲むからいけないんだ! 普通なら逃げる!
 スピードだとか馬力を考えたら、圧倒的にベンツのはずなのだが、やっぱり腕の違いだな。重枝の家には俺が一番でたどり着いた。
 勝った!
 得意満面で車を降りた。後ろの四人はよろよろになって車から転がり降りていた。あ、忘れていた。
「睦貴……なにを」
 はるちゃんは上総に抱えられ、その上総もかなり青ざめた表情で俺を睨みつけている。姉崎と桜井は耐えられなかったようで、犬の姿に戻って仰向けになって苦しんでいる。
「来たか」
 総檜でできた荘厳な門をくぐりやってきたのは。
「まりちゃん」
「ほう、それが姫青か」
 俺がわざと真理のことをまりちゃん呼ばわりしたのは華麗にスルーして、はるちゃんを見つめている。はるちゃんは車酔いとは違う真っ青な表情になり、震え始めた。上総を振り切り、俺にしがみついてきた。
「睦貴……あの男は、怖いのじゃ」
 それは、深町さんを見た時と同じ反応。深町さんはこの重枝の家から仕事に通っているので、もしかして、もともと犬であるはるちゃんの嗅覚が真理の匂いを感じて……?
「さあ、渡してもらおうか」
 真理は一歩前に進み出て、手を差し出してきた。はるちゃんは俺の真後ろに隠れ、震えている。
「文緒はどこだ」
 俺の声に、文緒が屋敷の中から飛び出してきた。文緒は高そうな振袖を着せられていた。赤い艶やかな着物に結い上げた髪、うなじに流れる後れ毛。
「おっと」
 真理は駆け出そうとした文緒の腕を引き、その腕の中に抱え込んだ。
「やめてよ!」
 真理はわざとらしく文緒の首筋に息がかかるようにして口を開く。
「文緒とそっちの姫青を交換だ」
「断る」
「断る? 文緒がどうなってもいい、ということか?」
「文緒も返してもらう。姫青も渡さない」
 真理が口を開く度、文緒は泣きそうな表情で俺を見ている。文緒、そんな表情をして俺を煽るな。真理がしている行為に頭に血が上る。それをやっていいのは、俺だけだ!
 それにそもそも、おかしくないか? 文緒は文緒であって、真理のものでもない。はるちゃんも一緒だ。
「睦貴」
 先ほどまでの幼い声ではなく、妙に落ち着いた大人の色香がたっぷりと含まれた声に俺は思わず振り返る。そこには、以前にも見たことがある、はるちゃんアダルトバージョンが立っていた。切れ長の目に大きな黒目。黒くて艶やかな髪。さくらんぼのような色と張りを持った唇が言葉を紡ぐ。
「文緒を返せ。どうしておぬしは文緒をさらう」
「どうして? 面白いことを聞いてくる」
 深町さんと似ているのに、醸し出す雰囲気に向けられる視線、瞳の奥に持つ暗闇。そのどれもが、不快にしか思えない。
 はるちゃんが本能的に怖がる理由もなんとなく分かる。しかし、俺は真理のことが嫌いになれなかった。なぜだか哀れだと感じた。俺は真理と分かり合いたいと思ったのだ。
 それがどうしてかは分からない。どこか似ていたのかもしれない。どこが、という具体的な物は提示出来ないけど、俺と真理は似ている。話せば分かり合えるような気がした。
 しかし、それと今のこの状況は別物だ。文緒は真理のものではない。ましてや、俺のものでもない。文緒は文緒の物なのだ。文緒自身が選択しなければいけないのであって、力だとかそういったものでねじ伏せていいものではない。
「文緒を自由にしろ。姫青だって同じだ。おまえが命令することではないだろう」
 真理は面白そうに笑っている。
「それを言うなら、おまえもわたしに指図できない、ということになる。わたしはわたしの意志で文緒を連れてきた。姫青も欲しい」
 詭弁だが、言い返せない。
「離しなさいよ!」
 文緒は真理の腕の中で抗い、少しだけ腕の力が緩んだ瞬間、肘鉄を食らわし、腕から抜けてこちらへと逃げてきた。さすがだ、文緒。けんかだけはやめておこう。
 周りにいた屈強な黒服男たちは気色ばみ、俺たちに殴りかかってきそうになっていたが、真理は苦しそうな表情をしながら、止めた。
「いい……。こちらにはまだ手がある」
 不気味にも笑う真理。文緒とはるちゃん二人に背中にしがみつかれている。嬉しいんだが、ヘタレな身としては実はとっとと退散したい。
「どうしてわたしが姫青のことを知っているのか、疑問に思わなかったか?」
 疑問に思っていますが、今はとりあえず、文緒を無事に確保したからその、帰っていい?
 なんて言えなくて、俺は背後に二人をかばいながら、じりじりと車へ近寄る。帰りはカーチェイスになるのかなぁ、と思いつつも、それしか手段がない。
 そこでふと、風向きが変わった。今までは俺たち側から屋敷に向かって吹いていたのが、今度は逆に、屋敷側からこちらになった。
「母上の匂いがするのじゃ」
 はるちゃんは鼻を動かし、風の匂いを嗅いでいる。俺にはさっぱり。さすがお犬さま。嗅覚が優れていらっしゃる。
「さすがだな」
 真理は笑い、はるちゃんを見る。その笑みはなにかを含んでいて、嫌な予感がする。
 突如、上空が賑やかになってきた。空を見上げると。
 強い風と大きな音が轟き、空気を切り裂く。どうしてそこにヘリコプターが。
「睦貴!」
 ……俺も馬鹿だが、その上を行く馬鹿というのは世の中に存在するんだ。過保護すぎだろ、馬鹿兄貴っ! どうしてヘリコプターで迎えに来てるんだ?
「真理、久しぶりだな。オレの大切なもの、まとめて返してもらうな」
 上空から縄梯子が降りてきた。まず、文緒、その次にあれはなんじゃと騒ぐはるちゃんと野郎三人を乗せる。
「俺は車で帰る」
「分かった」
 兄貴は叫び、真理に手を上げ、戻っていった。たぶんあのまま、椋野の家に向かったのだろう。行くのは大変苦痛だが、行かないとまずいだろう。
「なんなら、おまえだけでも残っていいんだぞ」
「んー、今日は遠慮しておくよ。なんなら、改めてきちんと正面から誘ってくれないか。一度、あんたとは腹を割って話してみたいよ」
 と真理に本音を伝えたのに、ものすごく嫌な顔をされてしまった。
「話には聞いていたが、椋野の次男はほんとに馬鹿で変態だな」
 うわー、正面から事実を述べられると、へこむ! おまえにだけは言われたくなかったわ!
「おまえもなー、と古い言葉で返せばいいか?」
 俺の馬鹿な言葉に対して、真理は笑った。その笑顔は、そんなに嫌な笑みではなくて、もっとそうやって普通に笑えば嫌われることないのに、と思ったが、それは俺の心のなかにしまうことにした。きっとそんなことを言ったら、真理にまた、馬鹿だのアホだの言われるのが分かったから。
「また近いうちに会うことになるだろう」
 真理はそんな予言を残し、屋敷の中へと入っていった。俺はそれを確認して、車へと戻り、エンジンをかけた。




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