魚は空を泳ぎ、鳥は水を飛ぶ。


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【九話】反撃開始! ってだれにだ?《前編》



 われながら情けないと思う。久しぶりに全速力で走り、その後、手から血が出たままで放置していたからか、疲労プラス貧血気味で倒れてしまった。連城家のソファに横たわり、おでこに冷たいタオルを当てられ、あまりの情けなさに溜息しかでない。
 手の傷も奈津美さんに手当してもらっていたのだが、包帯を巻く段階で絡まってとんでもないことになってしまい、蓮さんに助けられた。
「ごめんなさいね、もう、不器用で……」
 と恥ずかしそうにいう奈津美さんを見て、ふと文緒を思い出す。文緒も、激しく不器用だ。奈津美さんに似たのか。
 兄貴は現状を把握すると、そのまま帰っていった。蓮さんはいつもどおり、食事の用意をしてくれているようだ。
 ようやく起き上がれるようになり、手伝いをしようとしたら座っておけと怒られた。
 蓮さんも奈津美さんもきっと、俺を責めたいだろう。一緒にいたのに、目の前でさらわれるのを見ていただけの俺を。
 はるちゃんたちがいなくなり、文緒もいなくて、それはまるでお通夜のように静かな夕食。
「やべ、作りすぎた」
 ぼそりとつぶやく蓮さんの言葉に、胸が痛い。
 文緒の行方はわかった。とりあえず明日から俺の仕事は、はるちゃんたちを探すということだ。しかし、どこをどう探せばいいのだろうか。まったく見当がつかない。

 食事を終え、部屋に戻る。あまりにも静かな部屋に苦しくなる。
 この部屋は、はるちゃんたちに会うまではとても居心地のいい俺の居場所だった。内にこもっていた殻を割られ、外の音を聞いてしまったばかりに、それが聞こえないことが淋しく思えてしまう。これは殻を破って外に出ろ、ということか。
 お風呂に入ろうと思って立ち上がった時、ズボンに入れていた携帯電話が鳴った。着信がほぼないけど、持つように強要されている携帯電話。着信者の名前を見ると、文緒の携帯からだ。俺は慌てて出る。
「文緒?」
 違うという確信はあったもの、そう叫ばずにはいられなかった。
『残念だが、違う』
 深町さんによく似た声。だけどこれは、違う。真理だ。深町さんは父親の摂理によく似ていて、ということは、双子の真理とも似ている、ということになる。
 初めて言葉を交わしたのだが、どうしてこの男はこんなにも心を凍らせるのだろうか。
 次の言葉を待っていたのだが、どうも向こうで何事かもめているようだ。携帯電話に耳を押し当て、必死になって音を拾う。よく聞くと、文緒の声が……する?
「文緒!」
 聞こえるわけがないとは思ったが、俺は携帯電話に向かってありったけの声を出して叫んだ。
「文緒、迎えに行くから! 希望を捨てずに待っていてくれ!」
 向こうに聞こえたかどうかは分からない。向こうで『睦貴先生』と名前を呼んでくれたような気がする。
 しばらく無音になった。切るわけにもいかず、じっと待っていると、また冷たい声が聞こえた。
『おまえは姫青の主人なのだろう? 姫青を連れて、文緒を取り戻しにこい』
 真理は一方的に用件を述べると、俺の返答を聞かずに電話を切った。せっかちだな、おい。
 はるちゃんも渡さないし、文緒も取り返す。
 文緒のことはずっと妹と思っていた。文緒のことが好きだったけど、年齢だとかいろんな条件を鑑みて、好きになってはいけない相手だからと自分の心にそう言い聞かせていた。
 だけど今回の件で思い知った。
 幼い頃からずっと文緒を見てきた。小さい時のわがままっぷりも知っている。だけど嫌いになれないし、大きくあるにつれ、逆にそれは好きという気持ちに変換されていった。文緒が中学に入学したくらいからその気持ちは大きくなり、『妹』と意識することで目をそらしていた。
 それなのに文緒は、俺に告白してきやがった。抑えて隠していた気持ちを暴露されたような気がして、ものすごく動揺した。
 そうだ、俺はずっと文緒のことが好きだったのだ。文緒に言われたとおりだ、ものすごくにぶいな、俺。自分の気持ちがはっきりしたら、すっきりした。とにかく、ここはいつもどおりに寝て、明日に備えよう。

     *     *

 文緒が泣いている。近づいて抱きしめてあげなくては。近寄ろうとするのだが、歩いても近づくどころかますます遠ざかる。
 文緒、と叫ぼうとするが、声が出ない。声の出し方を忘れてしまったのだろうか。
 壊れていく音がする。なんだ、この音は。
 待ってくれ、文緒。昔したように、抱きしめて背中を撫でてあげるから、泣き止んで。
 俺の気持ちも聞いて欲しい。手を伸ばすのだが、届かない。激しく胸が押さえつけられて、息が苦しい。なんでだ? どうして。
「待って、文緒」
 ようやく声が出せた、と思ったら、夢の中ではなくて、現実でだった。
 しかし、息苦しい。胸の上になにかが乗って……。
「おい……」
 なんで俺の上に、黒い犬が乗っている……って。
「はるちゃん?」
 あれ? はるちゃんたちがうちを出ていったのは、夢? 幻?
 慌てて起き上がると、はるちゃんは胸の上からころりと落ちた。それでも起きてこない。安心しすぎだろ。足元を見ると、上総と姉崎、桜井が犬の姿で丸くなって寝ている。数時間でギブアップしたのか?
 もう一度寝るにも、ベッドを占拠されてしまっているので無理だとわかり、時計を見てもそろそろ起きる時間なのでベッドから抜け出た。着替えをすませてから、おもむろにパソコンの電源をつける。連城家へ行く時間まで、はるちゃんたちを起こさないでおこう。
 それにしても、ここまでどうやって入ってきたのだろうか。夢の中で聞こえた破壊音はまさか。よく分からないが、考えたら負けだ。たぶん、予想通りだと思われるので、聞くのもやめておこう。
 それよりも、帰ってきてくれて良かった。はるちゃんのご主人までも失格かと思っていたから、本当に助かった。
 ぼんやりとしていたら連城家へ向かう時間になったので、パソコンの電源を落とし、そういえばはるちゃんたちが戻ってきたことを伝えていなかったことを思い出し、今さらと思いつつも慌てて蓮さんに連絡を入れた。予想していたようで、大丈夫だ、という答えが返ってきた。なんであの人、あんなに察しがいいのだろう。
 野郎三人は足で起こし、はるちゃんは身体を揺さぶった。四人ともうっとうしそうに俺の手と足を払いのける。
「起きやがれ、馬鹿者っ!」
 俺の怒鳴り声に、四人は一斉に飛び起きた。面白すぎる。起きたとたんに犬から人間になるのは、見ていると面白い。
「ほら、朝ごはんだぞ」
「睦貴……その、あの」
「なんだ?」
 睨みつけると、はるちゃんは黙り込んだ。
「腹、減ってるだろ?」
 はるちゃんは瞳をうるませ、俺に抱きついてきた。
「やっぱり、大好きなのじゃ」
 え、いや、告白されても困るし! 俺には文緒が……!
「さすがはわらわのご主人!」
 あ、そういう意味ね。

 四人を引き連れて連城家に行くと、昨日と変わらぬ態度で迎えてくれた。文緒がいないという以外は昨日と同じ朝食の風景。
 はるちゃんは食事が終わるのを見計らい、立ち上がった。
「わらわたちはここから出ていくのが最善だと思っていたのじゃ。それが……申し訳ない」
 文緒がさらわれたというのははるちゃんたちは知っているようだ。深々と頭を下げている。
「おまえたちが気に病むことはない。真理はもともと、文緒を狙っていた。文緒本人の危機管理がなってなかったのもある。それに、早いか遅いかの違いだ」
 蓮さんは手厳しいな。本当はだれよりも一番心配しているはずなのに、そんなことをおくびも出さないなんて。
 真理は文緒を手に入れたいと思っていたのだろう。しかし、どういった経緯でなのかは知らないが、はるちゃんの存在を知り、そちらも手に入れたいと思った。真理からすれば、文緒とはるちゃんの両方が手に入るのが一番だと思っている節も見受けられる。しかし、そのどちらも渡す気はない。
「おれたちは仕事がある。文緒のことは睦貴、おまえに任せた」
 だれよりも行きたいと思っているのに、蓮さんは俺に任せてくれた。その期待に俺はしっかりと応えないとダメだと思う。今までのヘタレで臆病で情けない椋野睦貴を返上しなくてはならない。
 俺たちは蓮さんたちが出かけるのを見送って、いつも通りに食器を片付けた。
「さて。いろいろと聞きたいことはあるが、今は時間がもったいない。車で移動しながら話をしよう」
 駐車場に降り、ワゴンに乗り込む。エンジンを掛けてカーナビに予め調べておいた住所を入力する。大体の道は調べたのだが、念のために。
 しっかし、真理はふざけているな。俺たちが乗り込んでいくのはわかりきっているだろう。それとも、不法侵入者として警察に通報するか? 向こうは誘拐犯だぞ。
「睦貴、わらわから話がある」
 はるちゃんは後ろの席から話しかけてきた。俺はバックミラー越しに見る。
「睦貴のところから出て、わらわたちは元の世界に戻るための橋を探したのじゃ」
「橋?」
「そうじゃ。わらわたちの世界の言い伝えに世界を繋ぐ橋を渡れば行き来できると」
 橋か。このあたりの橋といえば、線路の上の橋と陸橋くらいしか思いつかないな。
「屋上から見えた橋らしきところへ行ってみたのじゃが、違っていた」
 そう簡単には見つからないと思う、その橋。
 そのあたりにあれば、俺たちは容易にはるちゃんたちの世界と交流しているだろう。はるちゃんは言っていたじゃないか、昔はそれなりに行き来があったが、俺たちがはるちゃんたちの存在を忘れていったから、行き来ができなくなったと。
「わかっていたのじゃが、簡単に行かなくてな」
 しょんぼりしているはるちゃんの頭を撫でてあげたかったが、今は残念なことに運転中だ。
「それで、文緒がさらわれたのを知ったのは?」
 俺のこの質問に、はるちゃんは顔をこわばらせた。どうした?
 バックミラーに映るはるちゃんはうつむき、唇を噛み締めている。
「わたしからお話します」
 なかなか言い出せないはるちゃんに代わって、上総が話を継いだ。
「慣れない世界ですので、結局はあまり遠くに行けず、うろうろしていたら、ちょうど睦貴さんが歩いているところに出くわしまして、その」
 後をつけた、ということか。ミラー越しにバツの悪い表情をした二人。つけられていることに気がつかなかった。まあ、ショックでぼんやりしていたからな。
 そこで文緒がさらわれる場面に遭遇したという。
「追いかけたんじゃが、追いつかなくて」
 これは一大事、と四人で追いかけたが、見失ってしまった。そして、見事に迷子に。俺のところに戻ろうということで必死になって帰ってきた。
 帰ってきた、までは良かったんだが、破壊するのは勘弁してほしかったな、元通りになっているとしても。よく警報が鳴らなかったな。まさか、警報器も壊した……なんてこと、ありえそうだな、それ。





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