【一章】迷惑な居候≪二十九≫
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「俺は九重城に住む、姫さんの護衛をやっていたんだ」
「……九重城?」
「そうだ。もう今は城跡も残ってないような小さな城だったんだけどな。ここからほど近いところに昔、あったんだ」
鴉は気になり、記憶を頼りに九重城を探した。ようやく見つけたところには、『九重城跡』という小さな石碑が残っているだけの、滅多に人の訪れない場所。
「九重って名乗ってるけど、俺が姫さんを忘れないようにって」
そして鴉ははーっとため息を吐いた。
「……の割りには、姫さんのこと、すっかり忘れてしまってるんだけどな」
思い出すのは、背筋が伸びた真っ直ぐな後ろ姿だけ。
それさえもおぼろげな輪郭で、あやふやだ。
「でだ。まあ、戦があって、九重城も攻められて、火を放たれたわけだ」
城と言っても、とても小さな規模だった。敵に攻められたらすぐに落とされるのは予想されていたことだった。
「俺は姫さんに逃げようと提案したんだが、あの人は気位だけは高くてな。逃げも隠れもしません! とか言って動かないから、俺も仕方なく従った」
一人で逃げることは考えなかった。
姫を最期まで守るのが自分の仕事だと鴉は思っていたからだ。
「天守閣にいたから、下からの煙に巻かれて、俺も姫さんも酸欠で死んだわけだ」
「…………」
鴉は笑みを浮かべて語っているが、それは辛い思い出なのかもしれない。止めようかと思ったが、ここですべてを吐き出すのが鴉のためなのかもしれないと思い、彩名は黙って聞いていた。
「そこで気まぐれに由良がやってきて、どうやら俺だけ助けたらしい。……助けた、ってのも変な言い方だよな。俺、死んでるのに」
炎に巻かれた九重城から一人、助けられた鴉。
守るべき主君を亡くし、どう思ったのだろう。
「それからはまあ……色々とあって、由良の隙をついてここに逃げてきたってところかな」
だから、と鴉は続けた。
「由良に気まぐれに助けられなければ、俺はこうして彩名に会っていなかった。……だから、由良には一応、感謝してる。だけどもう、あいつの側にいたくない。俺が自分でずっと側にいたいと思ったのは、彩名だ」
「え……だって。由良さん、すごく綺麗な人じゃない。乳臭いわたしなんかより、向こうの方が遙かに鴉の好み……」
「ばーか。あいつはな、見た目綺麗でも、中はどろっどろのぐちょっぐちょで、すっげー性格が悪いんだぞ! あいつの側にいたら、精神がおかしくなる」
「……そっか。だから鴉の性格、悪いんだ」
「って、おいっ! そこ、納得するところなのかよ!」
彩名はいつも通りのこのやりとりがおかしくて、くすくすと笑った。
「だから俺、彩名が嫌だ、嫌いだって言っても、俺の居場所はここだから、側にいる」
とはいうものの、彩名はなんだか釈然としない。
「……というのは、ただの言い訳」
やっぱり嫌いだから止めたとでも言うのだろうかと身構えていると、ふわりと握っていない方の手で鴉が頬に触れてきた。
「要するに、簡潔に申しますと、俺は彩名のことが、好きなんだよ!」
真っ直ぐに彩名を見つめてくる瞳には熱っぽさが込められていて、彩名は恥ずかしくて目を逸らしたくなる。
だけど不思議と逸らすことが出来なくて、彩名はじっと見つめていた。
「彩名はどう思ってるんだ」
真正面からそう聞かれ、彩名は真っ赤になった。
「ななな、なんでそんなことをき、聞くのよ!」
「好きな女が俺のこと、どう思っているのか興味を持つのは当たり前だろう」
好きな女と言われ、彩名はさらに真っ赤になった。彩名は今、とんでもなく赤い顔をしていると思う。
しかも口から心臓が飛び出しそうなほど、ばくばくと音を立てている。
「……やべえ、口から心臓が出てきそうだ」
それは鴉も同じようだった。落ち着き払っているように見えたのに、どうやら違ったようだ。
「彩名、どうなんだ? 答えないと、唇奪うぞ」
「え……えええっ」
「まあ、それも今更か。寝てるとき、何度かしたからな」
「なっ……!」
眠っている時にそんなことをしていたとは。
彩名は鴉の二つの告白に、頭がパニックになっていた。
「彩名が俺のことが嫌いでも、そのうち好きにさせてやる」
もうすでに好きなのだが、そういうのはなんだか負けたような気がするのはどうしてだろう。
それでも彩名は大きく深呼吸をして、鴉に告げた。
「鴉のこと、……大っ嫌い!」
結局、感情と裏腹な言葉を口に出してしまっていた。
「……ってのは、嘘で、その……。好き……よ」
最後のあたりは口の中でもごもごと言うことしか出来なかった。
「あん? 聞こえなかったなあ」
鴉はにやにやとした笑みを浮かべ、彩名の顔を覗き込んでいる。
「まあ、そんな意地っ張りな彩名も好きな訳だけど?」
臆面もなく好きだという鴉に対して、彩名はもう、真っ赤になるしかなかった。
「彩名の作った飯が食べられなくても、彩名に触れていたら満たされるから、それで充分」
鴉は繋いでいた手を繋ぎ直し、それから何度も彩名の頬を撫でた。
気持ち良くて、彩名は思わず目を閉じた。
とその途端。
目覚める前に感じたほんわかとしたぬくもりを、唇に感じた。
「!」
「彩名、好きだ」
目を開けると、熱っぽい瞳をした鴉が見下ろしていた。
このまま身も心も鴉に奪われてしまうのかなとぼんやり思っていたところ、扉が叩かれた。
「彩名、起きているか?」
秀道の声に、彩名は明らかにほっとして、はーっと思わず大きく息を吐いた。
「うん、起きてるよ。おじいちゃん、ごめんね」
「それなら、よかった。おかゆを作ってくるから、待っておれ」
秀道はそれだけ告げると、部屋から去って行った。
「ちっ。あのじじい。いいタイミングで現れやがって」
鴉は悔しそうに舌打ちをすると、いつの間にやら彩名のベッドに乗っていたようで、ごそごそと降りていた。
「……鴉?」
「なんだ」
鴉は彩名と手を繋いだまま床に座り込み、がしがしと頭をかいている。
「その、いろいろと、ありがと。……わたしも鴉のこと、好き、だよ?」
彩名の言葉に、鴉は頭をかいていた手を止め、盛大なため息を吐いた。
「おまえ……ほんと、鬼だわ。由良より鬼畜だ。今、それを言う? 止められて蛇の生殺し状態なのに、追い打ちを掛けるかっ」
なんだかよく分からないけど、鴉をいじめたことになっているらしい。
彩名はそれがおかしくて、くすくすと笑った。
「あああ、どうして俺の周りの女はみんな、そんなに意地が悪いんだ! 俺がなにをしたんだ!」
「おじいちゃんが言ってたけど、人徳の差、ってヤツじゃないかな」
「うをおおお! くそじじい、なんてことを!」
いつものやりとりに、彩名は楽しい気持ちになる。
しばらくしてから秀道は彩名のためにお粥を作って持ってきて、部屋に鴉がいたことに驚いていた。
「鴉、彩名のこと、くれぐれも頼んだぞ」
そういった秀道の目が殺気立っていて、鴉の背筋にぞっと冷たい汗が流れ落ちた。
一人で食べられるという彩名を止めて、鴉はあーんと言って彩名にお粥を食べさせた。
彩名が美味しそうに食べているから鴉も一口もらったが、なんだか砂を食べているような気持ちになり、口にするのを止めた。
これが彩名が作ったお粥だったなら、とても美味しいのだろうなと思うと、鴉はなんだか不思議な気分だった。