『消滅の楔』


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【序章】『運命』の相手≪七≫


     § § § § §

 今の状況について、だれでもいいから冗談だと言って欲しかった。
 しかし、引っ張られている赤い糸は紛れもなく彩名の小指から伸びているものであって……。

「耳を塞いだところで、事実は変わらない。だったら、ありのままの現実を素直に受け入れろ」

 そんな、あり得ない。

「さっき出逢ったときに気がつくかと期待していたのに、まったく分かってなかったし。運命の人は一目で分かるなんて、そんなのは迷信だな」
「なっ……なっ」

 彩名の左小指を引っ張る力はますます強くなった。
 これが事実ならば、もっと強く引っ張って、

「切れてしまえばいい、と思うかもしれないけど、残念だったな。俺もこの十四年ほどあらがってみたんだが、無理だった」

 冗談ならやめて欲しい。
 それとも、なにか手品でも使って彩名の小指に糸でも巻き付けているのではないか。
 耳を覆っていた手を外し、彩名は左小指をまさぐった。
 そこには、馴染みのある『赤い糸』しか存在していなくて……。

「あっ、あんたっ! さっき、お願いを聞いてもらうっていってたけど、あの時になにか細工をっ」
「俺、おまえとは違って、赤い糸になにかすることは出来ないから」
「だって、さっきは……!」
「あれは黒い糸、だっただろう? あれはな、邪刻じゃこくが化けていたから触れることができただけだ」
「じゃ……こ、く?」
「そ。邪な刻と書いて、邪刻。文字通り、邪道な存在だよ」

 鴉はそこで一拍おき、続けた。

「まあ、そういう俺もその邪刻の一員なんだがな」
「…………」
「なんの因果か、俺とおまえとは運命の赤い糸で結ばれているわけだよ!」
「じょ、冗談じゃないわよっ!」
「ああ、こっちだってお断りだね! 俺はもっとナイスバディな色気のあるおねーさんが好みなんだ! どうして昨日、おしめが外れましたみたいな乳臭い娘が運命の相手なんだよっ!」
「ちっ……乳臭い……」
「でもまあ、さっきは助けてやったし? お礼の願い事をまだ聞いてもらってないからなあ」

 彩名はそのことを思い出し、立ち上がった。

「あんたがわたしの運命の相手なら、助けるのは当たり前でしょう!」
「は?」
「わたしが死んだら、あんたはこの先、運命の相手と巡り会うことが出来ないんだよ?」
「んなことあるか、馬鹿者」
「あるわよ! 人によっては運命の赤い糸を複数本、持っている『強運』な人もいるけど、あんたのはどう見たってわたしと繋がっている一本しか持ってないんでしょう?」
「いや……」

 鴉がなにか言葉を発そうとしたところ、彩名は遮って続けた。

「この世で運命の相手を大切にしておかないと、生まれ変わったとき、大変な目に遭うんだから! 因果応報って言ってね……」

 彩名はまだ続けようとしたが、鴉はうんざりした表情で口を開いた。

「……おい、じじい。この減らず口はおまえの教育の賜物か?」
「さあな」
「ったく。どっちにしても、約束は約束だ。守ってもらおうか」

 しかし彩名は、腰に手を当てて、つんと顔を背けて一言。

「い・や・だ!」
「はあ? おいっ、守れよ!」
「嫌よ! だってあの黒い糸、あんたのお仲間なんでしょう?」
「仲間……。あんなのと一緒にするなよ」
「だって、あの黒い蛇もあんたも邪刻なんでしょう?」
「そうだが。だからって一緒にするんなって」
「一緒じゃない!」
「おまえな……。じゃあ、おまえとこの辺りのどこかにいる蛇は同じなのかよ」
「違うわよ!」
「それと一緒の理屈だ」
「……訳わかんない。なによ、その屁理屈」
「屁理屈言ってるのはおまえだろう」
「さっきからおまえ、おまえって。わたしには家持彩名って名前があるんだから!」
「おまえだって、俺のことをあんたって言ってるけど、九重鴉ここのえ からすっていう名前があるんだよ!」

 彩名はまさか鴉がきちんと名乗るとは思っていなくて、目を見開いて止まってしまった。

「九重……から、す?」
「そう。誤解のないように先に言っておくが、別に正体が鴉って訳じゃないからな。俺は元々、人間だったんだ」
「…………」

 鴉の言葉が信じられなくて、彩名は疑いの目を鴉に向けたが、暗闇の中、それは鴉には見えなかったようだ。

「信じる、信じないも勝手だけど」
「じゃあ、あんたは胡散臭いから、信じない」
「…………」

 胡散臭いの一言で片付けられ、鴉はがっくりと肩を落とした。

「まあ、いいや。あんたが」
「彩名っ!」
「……彩名がお願いを聞いてくれないのなら、じーさんでもいいんだぜ?」

 鴉は裏口から秀道が座っている本尊前まで歩いて移動した。

「聞ける願いと、聞けない願いとあるぞ」
「あのな、俺は常識的範囲内でしかお願いしないぜ?」
「それならば、言ってみればいい」

 秀道の落ち着き払った声を聞き、彩名は任せることにした。

「十四年前、彩名を助けた時のこと、覚えているか?」
「……ああ、覚えておる」
「なら、話は早い」

 そういえば、赤い糸に気を取られてすっかり忘れていたのだが、結局、事故の時に彩名はどうなっていたのだろう。
 聞こうとしたのだが、それより早く鴉が口を開いた。

「俺はこの運命、どうあっても受け入れがたい。それに自分で言うのもなんだが、こんな得体の知れない男が運命の相手だなんて、納得いかないだろう?」
「…………」
「これでもほんと、十四年間ずっと、どうやれば運命が変えられるか探っていたんだ。だが、糸口さえつかめない。しかし、当の彩名は赤い糸に触れることが出来るし、しかも、操作することも出来る」
「…………回りくどい。結論から言え」
「短気だなあ。結論から言えば、俺をここに置いて欲しい」

 鴉の願い事に、彩名は思わず、大声を上げていた。

「反対っ! 無理無理! なんであんたみたいな野蛮な人間をっ」
「……いいだろう」
「えっ! ちょ、ちょっと、おじーちゃん!」
「彩名の側にいて、赤い糸を断ち切りたいのだろう?」
「そそ」
「しかし、そうすればおまえさんはともかく、彩名には次の運命の相手はおらぬぞ?」
「んなもん、知るかよ」

 鴉の言葉に、彩名は絶句した。

「その条件ならば、置くことは叶わん。条件として、運命の糸を断ち切った後、彩名の新たな運命の相手を見つけ出し、切れた赤い糸を結びつけること」
「なっ……なんという無茶振り!」
「大切な孫娘だ。そこまでしてもらわねば」
「だけどよー。このままだとこの俺さまが運命の相手なんだぜ? それでもいいのかよ?」
「彩名が納得するのであれば、構わん」
「おっ……おじーちゃん!」

 彩名の悲鳴のような声に、秀道は顔を歪めた。

「この男は人間ではないかもしれないが、そんなに悪い奴ではないとわしは思っておる。彩名がこの男のことを愛し、添い遂げる覚悟があるのなら、今の運命のままで構わないと思っている」
「じょーだんじゃないわよ!」
「なら、話は決まったな。……まあ、俺以外の運命の相手っつーのがかなりの難題ではあるけど、ま、どうにかなるだろ。いいだろう、その話、乗った!」
「乗らないでよ!」
「それとも、彩名は俺が相手でもいいっていうのか? 俺の美貌に心を奪われた? ああ、いい男ってのは、罪だなあ」
「なっ、なにがいい男よ、最低!」
「なら、彩名にとっても悪い話ではなかろう? 『運命は変えられる』んだよ」
「…………」

 鴉はくくくっと喉の奥で楽しそうに笑った。





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