【序章】『運命』の相手≪二≫
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少し離れて彩名の後を追いかけていた知穂は、彩名の様子を見て、思わず顔がにやけた。
(もうっ、彩名ったら! 一目惚れしたのならそういえばいいのに! 今から追いかけて、告白でもするのかな? でも、あの子の性格からしたら、ずいぶんと大胆よね。あたしが知らなかっただけなのかしら。それとも、『運命』ってヤツを感じて、必死になって追いかけているのかな)
知穂はそんな妄想をして、にやにやが止まらない。
(明日、報告してくれるかな? ううん、彩名ちゃんのことだからきっと、黙ってるだろうな)
彩名の性格を思うと、例え今、情熱的に追いかけたとしても、結果がどっちであれ、知穂にも黙っていそうだ。
なんだかそれは、面白くない。
(こっそり後を付けて見つからなければ、問題ないって。それに、どうなるのか気になるしっ!)
知穂の本音はどうやらそこのようだ。
彩名に気がつかれないように気をつけながら、知穂は後を追いかけた。
それにしても、と知穂は思う。
彩名は目的地がどこか分かっているのか、それとも知穂に気がついて巻こうとしているのか、どんどんと人通りが少ない寂れた道へと入り込んでいく。
(彩名ちゃん、ちょっとそっちはマズイよっ!)
彩名は脇目も振らず、ただ真っ直ぐに歩いているだけだ。だから周りを見ていないようなのだが、親や教師に入り込まないようにと言われている地区へと足を踏み入れていた。
彩名と知穂が住んでいるこの町は遠山という。地名の由来は山から遠いというまんまである。起伏の少ない平坦な土地で、気候も穏やかで過ごしやすい。
昔は田んぼと畑だらけだったようなのだが、都心部に人が増えて土地が高くて人が住むには家賃が高くなってくると、平坦で開発しやすかった遠山は交通の便が悪いにもかかわらず、かなり早い段階で安い値段で土地を買いたたかれ、あっという間に新興住宅地(ニュータウン)とされてしまった。
早くに整備されたし、安いということで続々と人がやってきたが、新しい鉄道が通る計画が潰えた辺りで、陰りが差してきた。
そして、遠山よりも便利な場所が開拓され始めると、一人、二人……と去って行き、今ではすっかり寂れた町になってしまった。
それでも人が住んでいるあたりはまだにぎやかで、栄えていた頃の面影は残っている。
ただ、一歩奥へ足をすすめると、過疎化が進んでいるのがよく分かる。
歩いていた通学路を少し外れると途端に人通りがなくなり、物騒な場所になる。
昔はそれでもこの辺りに人が住んでいたようなのだが、今は打ち捨てられ、手入れをされていない家屋は風雨にさらされ、傾き、ぼろぼろになっている。
浮浪者が流れ着くこともあるらしいのだが、その人たちも気がつくといなくなっている有様だ。
野良猫の一匹でもいればまだよいのだが、それすらもいなくて、生き物の気配がまったく感じられない。
(こっ、これ以上、奥に行ったらマズイよ! 後を付けていたことに対して怒られるかもしれないけどっ! けどっ! 彩名ちゃんをこのままここに置いて、一人で帰れないよ)
知穂は身がすくみ、しかし、彩名を連れて帰らなければという妙な義務感から気力を振り絞った。彩名に見つからないようにと少し距離を取って歩いていたため、足を速める。
だが、その必要はなくなった。
彩名は目的地にたどり着いたのか足を止め、なにかをじっと見つめていた。
「あ……」
やなちゃん、と知穂は言葉を続けるつもりだった。
しかし、がつんと頭に衝撃を感じ、知穂の意識はそこで途切れてしまった。
彩名はなにか聞こえた気がして、振り返った。
「知穂ちゃんっ!」
そこには先ほど別れたはずの知穂がいて、崩れ落ちるところだった。
知穂の後ろにだれかが立っている。
「だ……だれ」
マズイ状況になった、というのだけは彩名にはすぐに分かった。
まさか知穂がこっそりついて来ているとは思わず、彩名は自分の安易な行動を後悔した。
ふと周りを見ると、見覚えのない場所。
そしてすぐに、入ってはいけないと言われていた地域に足を踏み入れていることに気がつき、彩名は全身から血の気が引くのが分かった。
(追いかけるのに夢中になって、周りを見ていなかった──!)
そのせいで知穂を危ない目に遭わせてしまったし、彩名もやばい状況になっている。
(ど、どーしようっ)
と思っても、後の祭りである。
崩れ落ちた知穂の後ろに立っているのは、ブラウスにスカート姿の女の人。髪の毛が乱れているものの、他は特におかしな様子はない。
見知らぬ人とはいえ、彩名は女性ということに少しだけ安堵した。
もしかして、彩名と知穂がこんな場所に入り込んでいるのを見て、追いかけてきた人なのかもしれない。
それなら早い段階で声を掛けてくれればいいのに……と、彩名は自分の行動を棚に上げて思ったのだが、そのことは今は横に置いといて、口を開いた。
「あの……っ」
彩名は女性に向けて一歩足を踏み出した。そして、女性がなにか手に持っていることに気がついた。
(……トレイ?)
丸くて平らな、トレイというより盆といった方が適切な代物。厚手の木で出来ているため、頑丈そうだ。
女性は表情を変えることなく、盆を握り直すと知穂を乗り越え、彩名に近づいてきた。
彩名は肌でおかしいと感じて、二・三歩ほど後退した。
のだが、背中はすぐになにかに当たった。
「!」
彩名はとっさに振り返った。
「あっ……!」
精彩さに欠ける表情をした男性が、彩名の真後ろに立っていた。いつの間にいたのだろう。
彩名の視界の端に、男性の小指の先が見えた。
(あっ、この人だ……!)
後ろに立っているのは、彩名とすれ違い、気になって追いかけていた男性だった。
「お帰りなさい」
この場にそぐわない言葉が女性の口から発せられた。それは抑揚がなく、現実味が薄れていく。
「…………」
彩名は男性に肩をつかまれ、動くに動けない状況だ。
彩名を挟み、女性が一方的に会話を始めた。
「その女が」
女性は手に持っていた盆を持ち上げ、水平に構えた。
「今度の新しい浮気相手、なのね?」
思ってもいなかった言葉に、彩名は目を見開いた。
「ずいぶんと、若いわね?」
女性の瞳に剣呑な光が宿ったのを見て取り、彩名は弁解した。
「やっ、ちっ、ちがっ!」
家持彩名、十七歳。
これまでに好きな人がいなかったわけではないが、勇気が持てずに遠くから見守ることしか出来なかったような人間に浮気なんてハードルの高いことが出来るわけもなく。
しかも背後にいる男性とは今まで面識はなかったのだ。
誤解も誤解すぎて、彩名は挙動不審になるしかなかった。
「わわわわっ、わたしはっ!」
「肩を掴んで、汚らわしいっ!」
女性は激昂して、手にしていた盆を投げつけてきた。
「うわっあっ!」
それは見事に真っ直ぐに、彩名に向かって飛んでくる。
彩名は鞄を持ち上げ、顔を庇った。
途端、がつんとした衝撃を腕に感じて、乾いた音が響いた。
顔の前に鞄を覆ったまま足元を見ると、盆がからからと音を立てて地面に回っていた。
「や……ちょっ!」
問答無用に盆を投げてきた女性は、舌打ちをした。
「それならば、アナタを殺してワタシも死ぬっ!」
「えっ、えええっ!」
極端な発想に、彩名は目を丸くした。
後ろに立つ男性はしかし、まったく反応しない。
「ちょっ、ちょっと! なんとか言いなさいよっ!」
「…………」
彩名はきつく掴まれていた手を振り払い、振り返った。
「!」
そこには、表情を弛緩させてどこを見ているのか分からない、男が立っていた。