『チョコレートケーキ、できました?』


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《五十二話》対決



 あたしの決意を聞いた圭季はかなり渋った。
 圭季にしてみればそうかもしれない。
 大学に入ってからこちら、あたしはずっと圭季の作った箱の中にいたのだから。そこから飛び出す算段をあたしからされて複雑な気持ちだろう。
 だけどあたしも大学三年生にもなるから、卒業を視野に入れていかなければならない。四年生になれば、就職活動だの、卒業論文だので余裕なんてなくなってくると思うから。
 ……なんていうのは建前で。
 要するにとっとと片を付けて、気兼ねなく遊べるうちにめいっぱい遊んでおきたい、というのが本音なのだ。
 だって、就職したら自由に遊べないじゃない?
 だけど遊ぶと言っても圭季は働いているからそこまで遊び倒せるわけではないんだけど。
 部活動は今更って感じだからいいんだけど、友達の家に遊びに行きたい!
 綾子さんには『おうちに友だちを呼んでもいいわよ』とは言われていたけど、説明が面倒だったから呼んだことがなかった。それにさすがに気兼ねするわ。
 あとは休みの日にウインドウショッピングをしてみたり。
 アルバイトも自分で電車に乗って行きたい。
 それまで当たり前だったことを取り戻したい。
 そのために、あたしは圭季に一つ、お願いをした。
 かなーり反対されたけど必死になって説得して、そしてようやく調整がついた。

 圭季にお願いしたこと。
 それは薫子さんと直接話をして決着をつけるということ。
 こういう案件って泥沼になる可能性が高いから代理人を立てて話し合うのが基本だし、あたしたちもそうしてきた。だけどずーっと話し合いは平行線をたどり、まったく解決しそうにない。
 こちら側がじれて出てくるのを待っていたんだろうなと思ったけど、あたしは自分の幸せを勝ち取るために行動することにした。
 薫子さんの思惑通りなのは気にくわないけど、こればかりは仕方がない。
 あたしたちが有利なように、日時も場所もこちら側から指定した。なにがなんでも、あたしは今日、この勝負に勝つ……!

 そんな意気込みで迎えた本日。
 ホテルの会議室を借りて、あたしは薫子さんと対決することになった。
 部屋の中にはずらりと警備の人。
 大げさすぎるからと拒否したんだけど、圭季がそこだけは譲らない、受け入れなければあたしの提案は却下すると言ってきたので渋々受け入れた。
 実際に見て思う。
 やはりこれはやりすぎではないか、と。
 だけど薫子さんがなにをしてくるのかまったく読めないから、仕方がないのかなあ。
 なにごとも起こりませんように。
 そんなことを祈りながら、時間の五分前に圭季とともに部屋へと入った。
 圭季はいつも通りのスーツ。あたしは動きやすいようにパンツスーツ。
 乱闘になったとき、髪を掴まれる危険性を考えてアップにした。帽子かターバンをするという提案をされたけど、パンツスーツにそれっておかしいから断った。
 ちなみに、そんな妙な案を出してきたのは那津だ。あれは絶対、あたしで遊んでいた!
 あたしたちの前には長机が置かれていて、一応これがバリケード代わり。プラスチックの透明な板を立てるという話も出たけど、なんだか拘置所にいる気持ちになるから止めてもらった。
 あたしと圭季は並んで座り、時間が来るのをじっと待った。
 腕時計にじっと視線を落とし、秒針を追う。
 じりじりとした空気が場を支配していた。
 秒針が数回周り、予定の時間になった。
 だけど薫子さんが現れる様子はない。
 話し合いの席に着かないかもしれないと思っていたし、正直なところ会いたくなかったから来ないことに内心ではホッとしていた。
 向こうには話し合いのテーブルにつかないということは、今までこちらから提示したことをすべて承諾したものとしますと伝えてある。
 こちらから提示した内容ってのはかなり無理難題な部分もあるような気がしたけど、そうでもしなければ確かにあたしは今までの暮らしは取り戻せない。
 薫子さん側には連絡もなく五分過ぎたら条件すべてをのんだものとすると伝えてある。
 どこまでいってもこちら側が有利になるようになっていた。
 そしてその五分も過ぎてしまった。
 隣に座っていた圭季から安堵した空気を感じたけれど、あたしは気が抜けなかった。
 あまりにもこちらが有利で話し合いにもならない条件。こんなことでいいのかななんて思ってしまう。
 出した条件というのは、桜家と椿家は今後一切、橘家に関わらないこと。
 他にもそこまで指定してもいいの? という驚きの内容だった。
 薫子さんに関しては、あたしたちの住む区域に入らないようにとも書かれていた。さらにあたしたちに害をなすような指示も出してはいけないと。
 そういったことに詳しくないからなんとも言えないけど、制限できるものなのかなあ?
 疑問に思ったけど、もうあんな目に遭いたくないし、自分で会って話し合いをしたいと言ったけど、本心では薫子さんにも会いたくないからそれはありがたかった。
 あたしたちは撤収作業をして部屋を出た。
 なんとなく消化不良気味の結末だったけど、これでいいのよ。
 と思っていたら、エレベーターホールのあたりがざわめいていた。
 何事かと思っていたら、あたしと圭季は警備の人たちに囲まれ緊迫した空気になった。
 しかしそれを打ち破る声が聞こえてきた。

「桜薫子は、橘薫子になります!」

 場にそぐわない明るい声ととんでもない言葉にあたしは圭季に視線を向けた。
 橘って、たちばな、だよね?
 圭季の苗字だけど……?

「圭季、見て見てっ! あなたのためにオーダーメイドしたのよ、このウエディングドレス!」

 廊下の角を曲がり、真っ白な固まりが転がり出てきた。

「圭季、あなたの薫子、まいりましたわよ?!」

 薫子さんのその言葉にあたしは唖然とした。
 あたしと圭季の外食を邪魔しに現れたとき、謝りたいって言っていたのはなんだったのだろう。
 それとも、薫子さんにとっては、あれは謝罪だったの?
 久しぶりの、しかも数年ぶりの! ふたりきりの外食を危うく邪魔されるところだったのよ?
 怒りがこみ上げてきた。
 薫子さんの周りにはだれもいない。
 一人で自由に思うがまま。
 それに比べて、あたしはたくさんの人に囲まれて不自由を強いられている。
 理不尽じゃない?
 こんなのおかしいよ!
 あたしの身体は怒りに震えていたけれど、頭は冷静だった。……と思う。
 警備の人たちの隙間をすり抜けて、あたしは薫子さんへと真っ直ぐに向かった。

「チョコっ?」

 圭季の焦った声。絨毯を力強く踏みしめる音。
 薫子さんも真っ直ぐにこちらに向かっていた。
 あたしのことは視界に入っていないみたいで、視線はあたしの後ろにいる圭季に固定されているようだった。
 それならば。
 あたしは緊張で汗がにじみ出ている手のひらを思いっきり開いた。
 薫子さんは目の前に迫っているあたしにまったく気がついていない。
 だから左手で肩を掴むと右手を大きく振りかぶり、力一杯、頬に手のひらを叩きつけた。
 ぱんっ
 とひどく乾いた音の後、手のひらがじんと痺れた。

「チョコ!」

 肩を掴まれ、ぐいっと圭季の後ろに押しやられた。遅れて動き始めた警備の人たちがあたしと圭季を守るように取り囲む。

「…………」

 薫子さんは笑顔のまま、固まっていた。それからおそるおそる左手をあげて頬に触れた。

「な……に」

 薫子さんはあたしになにをされたのか、理解できていないようだった。
 なにか言ってやろうとしたけれど、言葉が出てこなかった。
 

【つづく】






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