『チョコレートケーキ、できました?』


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《五十話》二人での外食



 次の日、約束通りに間宮さんと深見さんにお菓子を作って持って行った。
 間宮さんはダイエットに適したお菓子なんて無理難題を言ってきたけど、おからとチョコレート、ハチミツで甘みをつけたケーキを作った。これなら大食いの深見さんのお腹も満足させてくれる……はず。おからもチョコレートもはちみつも女性にうれしい栄養が入ってるし。
 二人に渡すと喜んでくれた。
 間宮さんはそれ以来、勧誘してこなくなった。その代わりにお菓子のリクエストをしてくるようになったけど。味見係が出来たと喜んでおくことにした。
 深見さんからはアドバイスをもらえたりと、良い関係が築けてると思う。

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 学校生活も順調で、アルバイトも慣れてきたし、仲のよい子もできた。そして肝心な圭季との仲だけど、残念ながら……? 特に進展はないけど維持している。圭季との仲に関してはもやもやするものがなきにしもあらずだけど、立場を思い出してこれでいいと自分に言い聞かせる日々。
 あまりにも穏やかすぎて、自分の立場を忘れてしまいそうになる。今の状況は異常なはずなのに、慣れてしまえば今までの日常と大差なくなる。
 そういえば那津と圭季がうちに泊まり込むようになったときも同じようなことを思ったなと思い出したけど、それと同時にあの頃から随分と遠くに来たなとも思わなくもない。
 そんなこんなで周りの人たちに助けられ、表面的には変わりなくあたしは『日常』を送れていた。
 そもそもがあたしがどうしてこんな不自由な生活を送っているかというと、橘家と桜家で話し合いの場を持とうとして何度も交渉をしたらしいんだけど、向こうが理由を付けてまったく出てこないらしい。だから薫子さんにあたしに対して手を出さないようにっていう確約を取れてないからなにがあるか分からなくて、あたしは橘家に引き取られたという経緯があると後から聞かされた。

 そして、三年生になった春休み。
 アルバイトがない日に圭季に誘われて、外食をすることになった。
 そういえば外食なんて、あの事件以来かも。しかも圭季と二人でとなると、もしかしなくても水族館デート以来? 退院したら水族館に行こうっていう話も薫子さんのせいでお流れになた。だから二人っきりの外出ってのはものすごく久しぶり。
 そんなことを考えたら、ものすごく緊張するっ!
 綾子さんに選んでもらったドレスを着て、なぜか美容師さんが出張してきて髪とメイクもしてもらった。
 圭季は先に行っているからと、あたしはどこに行くのか聞かされないままリムジンに乗るようにと言われた。
 どこに行くのだろうかという不安のままでいたけれど、たどり着いたのはホテルの正面玄関。外からドアが開けられて戸惑っていると、スーツ姿の圭季が車内に上半身を入れてきた。
 圭季のスーツ姿を初めて見るわけではないのに思わず見惚れてしまった。
 ぼんやりとしていると圭季は動かないあたしに疑問に思ったようだ。

「チョコ?」

 そこで圭季の手が差し出されていることに気がついた。

「……え、うん」

 シートに置いていたバックを手に取りつつ圭季の手のひらの上に手を置くと、ぎゅっと強く握られた。
 促されるままにリムジンから降りた。
 圭季に腰を抱き寄せられ、歩きにくい思いをしながら歩みを進める。慣れないパンプスで圭季の足を踏まないようにしなきゃ。
 ガラス張りのロビーは外の光を取り入れ、とても明るくて暖かい。だけどどうしてだろう。ぞくりと悪寒がこみ上げてきた。
 そして進行方向へと視線を向けると……。

「!」

 すっかり様変わりしていたけどすぐに分かった。化粧っ気がまったくないし、やつれたようではあったけど妙な色気が加わった薫子さんがなぜかそこにいた。
 あたしの足は反射的に止まる。
 まず身体が拒否反応を示し、次に遅れて心が反応を示した。
 ……怖い!
 今すぐ回れ右をしてリムジンに乗り込んで橘家に帰りたい。
 そう思うけれど、恐怖に身体が凍り付いて動けない。
 薫子さんに気を奪われていて、隣で圭季があたしを支えてくれているのを忘れていたけど声を聞いて思い出した。

「一生、チョコの前には現れないと約束したのに反故にしたいのか?」

 あたしは薫子さんから顔を逸らせないでいた。目を離した途端、飛びかかられそうで怖かったのだ。
 だけど薫子さんは圭季の冷たい声になんの反応も示さなかった。
 どうして薫子さんがここにいるのか、とか、なにをしに来たのだろうという疑問が浮かぶけど、それらは声にはならなかった。
 息を詰め、必死になって自分の気配を消そうとしたけれど、そうすると今度は息が苦しくなってきた。
 圭季の腕に力が込められたのが分かった。圭季と触れている部分だけ熱を感じた。
 あたしたちの間には緊張感が漂っていた。ちょっとした動きで爆発してしまいそうな危うさ。
 その緊張の糸を断ち切る声。

「薫子さまっ」

 それまで無表情だった薫子さんに表情が甦った。
 あたしはその変化に目を奪われた。
 前からきれいな人だとは思っていたけれど、凄みのある美が足されたような気がする。

「あ……っ」

 その呟きにびくりと身体が震えた。さらに圭季の腕に力が加わる。

「わたくし……一言、謝りたくて」

 ……謝る?
 薫子さんが一歩、足を踏み出したことで気がついた。彼女の足には靴がなかった。

「謝って済む問題ではないと思うけれど……」

 そう口にしたところでスーツ姿の男性が複数人、走って現れた。
 そしてあたしと圭季の姿を見て青ざめていた。

「たっ、橘さま……っ」

 責任者らしき人が圭季のところに走ってきて、土下座でもしそうな勢いで頭を下げてきた。

「もっ、申し訳ございませんっ」

 あたしの視線は未だに薫子さんに定まったまま。

「やだっ、待って!」

 薫子さんはあらがっていたけれど、複数の男性に身体を担がれ、あたしたちから遠ざかっていった。角を曲がって姿が見えなくなってもそこから目が離せなかった。
 だってまたあの人たちを振り切って戻ってくるかもしれないから。
 薫子さんの執念を垣間見て恐ろしくなった。
 じっと動けずにいると、視界の端にいた男の人の姿が消えた。薫子さんが消えていった空間から視線を外すのは怖かったけど、いきなり消え去った男の人も気になったから片目だけ動かして探したけれど見つけられなかった。
 帰ったのかなと思っていると、思いがけない場所から声が聞こえてきた。それは下からだった。

「お約束を反故にしてしまい、申し訳ございませんっ」

 くぐもった声に状況が読めず、諦めて声のしたところへと視線を向けた。
 足下にはカーペットに頭をこすりつけた男の人がいた。
 なんでこの人、こんな格好をしているの?

「……土下座なんてされても困るし、そんなものはいらない。土下座をするくらいならしっかり監視しておけ」

 圭季は冷たい声でそれだけ告げると、きびすを返して玄関へと向かおうとした。
 え……ちょ、ちょっと待って?
 せっかく久しぶりに二人きりでの外食なのに、帰っちゃうの?
 ひっぱられそうになったからあたしは踏ん張って拒否をした。
 あたしの抵抗に圭季は不機嫌な表情を向けてきたけど、あたしはこの日を楽しみにしていたのよ? あんな妨害に負けるものですかっ!

「けーきっ」

 震えは止まっていなかったし、腕に力は入らないし、ろれつも回っていなかったけど、あたしは必死に圭季を引き留めた。

「やだっ、帰りたくないっ」

 今日を逃したら次がいつかなんて分からない。今まで以上に警戒して、もうこんな日は来ないかもしれない。
 子どもみたいにわがままを言っている自覚はあった。
 ううん、あたしは子どもの時、まったくとは言わないけれどわがままを言った覚えがない。だからあたしがはっきりと覚えている限りでは初めてのわがままだと思う。

「…………」

 圭季はかなり険しい表情であたしを見下ろしていた。あたしは涙が浮かびそうになるのを必死になって我慢して圭季を見つめた。
 圭季はしばらくあたしを見つめた後、ふっと表情を緩めた。

「……分かった」

 諦めたような声音にあたしは圭季の腕にとりすがった。

「わがままを言って、ごめんなさい」
「わがままなのはおれの方だ」

 圭季はそう言うと、あたしの手を取って中へと足を向けた。

【つづく】






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