『チョコレートケーキ、できました?』


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《四十八話》将来への抱負



 どうにか圭季は目を覚ましてくれた。
 起きるまでの数時間は圭季に拘束されたままだったけどね!
 まったくもう。

「おはよう、チョコ」

 少し寝ぼけ眼のとろんとした幼い表情にどきりとした。
 ここのところずっと険しい表情しか見ていなかったような気がするから、余計に心臓に悪いです!

「……おはようと言うには遅い時間ですよ」

 素直におはようって返せばいいのに、思わずそう言っていた。
 圭季はちらりと視線を上げ、時計を見た。

「……うん、そうだね。ごめん」

 怒ったつもりだったのにすねたような声音になったのに圭季は敏感に気が付いたようで、素直に謝ってきた。
 素直って最強だと思う。だってもう、これ以上は文句が言えなくなってしまうんだもん。ああ、悔しい。

「チョコ」

 圭季が悔しがっているあたしの名前を呼んだから顔を向けたら、不意打ちのキス。しかも朝から超がつくほど濃厚なヤツ。
 昨日の夜を思い出して、心臓がばくばくし始めた。
 明るいうちにこんなフシダラでミダラなことは駄目だって……!
 あたしは圭季に流されそうになるのを必死に抵抗して胸を叩いた。
 それでもしばらくの間、圭季は離してくれなかった。

「んーっ!」

 息が苦しくなってきたので唸ったら、ようやく離れてくれた。
 はあ。
 あたしはもぞもぞと圭季の腕の中から抜け出した。当たり前だけどぬくもりが逃げていって淋しい。

「部屋に戻って、着替えてくる」

 その気持ちを振り払うために、あたしはこれからの行動を示した。

「ああ、分かった。おれも着替えたら食堂に行く」

 離れるのは名残惜しいけど、せっかくの休みなんだもん。他にも圭季とすることはあると思うの!
 圧倒的にあたしと圭季は一緒にいる時間が少ない。もっと圭季を知りたい。
 圭季はお菓子が苦手だって言うから、一緒に作って一緒に食べたい。
 圭季、そっちにあるバターを取ってー。だとかさ、計量カップを渡すときにふと手が触れて、あっ……なんてっ!
 あとはほら、あたしが味見をしていて、じゃあおれも、って言ってなぜかキスしてくるとかさ!
 きゃーっ!
 自分の妄想に顔が赤らむのがわかり、火照る頬を押さえたところでふと我に返った。
 ……ちょっと待って。
 あたし、なんだかものすごく暴走してない?
 昨日が寸止めだったから?
 あらやだ、純情な乙女なはずなのにっ。
 身体の関係がすべてではないのよっ!
 あたしは今、圭季との絆を作っているところなの! それはきっと圭季も同じ気持ちだと思うのよ。うん、そうに違いない!
 不安からなのか、またもや暴走しそうな妄想にあたしは牽制をかけ、するべきことをやってしまおう。
 着替えて、顔を洗って、朝食兼昼食をとる。
 それからキッチンを覗いて空いているようなら圭季となにか作ろう。
 今日の予定をざっくり立ててから部屋を出て洗面所に寄ってから食堂へ行くと、戸惑い顔をした圭季とご機嫌な綾子さんがそこにはいた。

「おはよう、チョコちゃん。ちょうど良かったわ」

 今日もお着物姿でお綺麗ですね。
 なんて思っていると、綾子さんはとんでもないことを口にした。

「今、チョコちゃんのために大きな調理場のある離れを造ろうと思っているのっ」

 …………。
 離れ?
 わっつ、離れ?
 意味が分からなくて瞬きをして、圭季を見た。
 圭季も途方に暮れていた。

「和明さんとしばらく協議していたのよ。チョコちゃんにより気兼ねなくここで暮らしてもらうにはその方がいいのではって」
「あのっ……!」
「造るからにはしっかりしたものをと思っているから、数年単位になっちゃうかもしれないけど、結婚した暁にはそこで新婚生活を送ってもらって……!」

 驚くことに、あたしのさらに上を行く暴走者がいた。

「そこで趣味のお菓子作りをしてくれてもいいし、なんなら橘製菓の新製品開発に取り組んでもらっても」
「母さんっ」

 それまで黙っていた圭季が声をあらげた。だけど綾子さんは素知らぬ顔。

「いいじゃない、わたくしの夢を語るくらい」

 将来のことはぼんやりとしか考えてなかったから、綾子さんの提案にあたしは一筋の光を見つけたような気がした。
 商品開発なんて会社の要であるからあたしみたいなひよっこが携わるのはおこがましいのかもしれないけど、できるのならやってみたい。
 それにはもっと勉強して、体験して、色んなことを吸収しなければならないってのは分かる。

「離れなんてとんでもないですけど、あたし、橘製菓の発展に少しでも貢献したいって思ってます!」

 そういえばあたしは自分の思いを言葉にしていなかったような気がする。だから今はとてもいい機会だと思う。

「ふふっ、頼もしい言葉ね」

 綾子さんの機嫌がさらによくなったのが分かった。綾子さんは口角を上げるとあたしに挑むような視線を向けてきた。
 あたしは背筋を伸ばしてその視線を受け止めた。

「だけど、あなたが圭季の婚約者であっても、仕事とあれば特別扱いはしないわよ?」
「はいっ」

 特別扱いなんてそんなものは要らない。

「圭季、離れの話はわたくしが進めておくわ」

 綾子さんはそれだけ言うと軽やかに退場していった。

「え……、ちょっと母さん!」

 圭季が追いかけようとしたときには廊下の角を曲がって姿が見えなくなっていた。恐ろしいほど素早いのね……!
 そして不機嫌な圭季と二人きり。
 普段のあたしだったら怖くて黙っているんだけど、どうしても一言だけ言いたくて思い切って口を開いた。

「あの……圭季」

 予想通りの不機嫌な表情だったけど怯んでいられない。

「あたしね、圭季の力になりたいのっ」

 あたしに出来ることなんてたかがしれているけど、ただ守られているだけなんて性に合わない。

「今はまだ、ぜんぜん役に立たないだろうけど、頑張るからっ」

 あたしの決意に、圭季は驚いたように目を見開いた後、優しい笑みを浮かべた。

「うん、期待してる」

 そう言って圭季はあたしの頭を撫でてくれた。
 子ども扱いしないでよ! と思ったけど、あたしはまだ名実ともに成人前の子どもだったことを思い出して甘んじることにした。
 圭季の大きくて温かい手が気持ちが良くて、うっとりと目を細めていつまでも撫でられていた。

【つづく】






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