《二十七話》ヘンタイ椿の正体
あたしは精神的に疲れを感じていた。
橋内さんとは学部が一緒だし、選択した授業が似ているようで、よく顔を合わせる。
前のようになにかを言ってくるわけではないけど、その代わりというか、向こうのうかがうような様子にあたしはどうすればいいのか分からないでいた。
すでに前期の授業計画は出してしまっているし、今から変更は効かない。もしも変更出来たとしても、変えるのも癪だ。
橋内さんたちは周りから浮いているというか、敬遠されているような空気が流れていて、関わらない方がいいような感じだったので気にしないでおけば問題ないという少し後ろ向きだけどそういう結論に達した。
金曜日の授業が終わり、あたしは帰るために校門へと向かっていた。
帰宅するとき、いつもびくびくしてしまう。
理由はあのヘンタイ椿のせいだ。
薔薇の花束を抱えて待ち伏せされたこと二回。それ以外にも数回。
キャンパスは広いのに、どうしてここしか出入りするところがないんだろう、この大学。
ふかーいため息を吐いていたら背後に人の気配がした。
「やあ、また会ったね」
声でだれか分かる。
あたしはぶるりと震え上がり、走り出そうとした。
「待って!」
がしっと肩をつかまれ、あたしは恐怖に叫びそうになった。
「は……離してっ!」
「いや、離さない。その代わり、ぼくから話があるんだ」
「あたしからはありませんから!」
掴まれている肩から手を離して欲しくてぐっと力を入れたけど、振り払うことが出来なかった。
怖い。
今のあたしは恐怖に支配されていて、泣き叫んで逃げ出したかった。でも肩を強くつかまれていてそれが出来ない。
「さ……叫び、ますよっ」
「叫べばいいさ」
そう言われてしまうと逆に叫びづらい。
「離してっ」
「ぼくは話がある」
なんの話だというのだろう。聞きたくなくて頭を強く振った。
「どうしてぼくが橘圭季を知っているのか、不思議に思ったのじゃないのかい?」
それは不思議に思ったけど、それでもあたしは怖さのあまり首を振ることしか出来なかった。
「ぼく、嫌われている?」
ぼそりと呟かれた言葉にあたしは答えられない。
好きか嫌いかのどちらかを選べと言われたら嫌いになる。けどそんなこと、今までの突飛な行動を考えると、思っていることを素直に言ったらなにをされるか分からない。
「離してくださいっ!」
あたしは少し大きめな声で抗議した。それでも肩にかけられた手の力は緩められることはない。
恐ろしくて涙が出てきそうになった頃。
「チョコちゃーん!」
聞き覚えのある声が校門前に響いた。
いつもだったらこんな公衆の面前で名前を呼ばないでよと思うんだけど今日は違った。
この声はまさしく、救いの声! じわりと涙がにじんできたのが分かった。
声がした方向に視線を向けると、制服姿の那津が大きく手を振っていた。学校帰りに直接こちらに向かって来てくれたようだ。
那津はあたしがピンチの時、必ず助けてくれる。
だけどほっとしたのも束の間。
「お迎えが来たからって、ぼくが素直に帰すと思っているの?」
その一言にぞっとした。
「ちょうどいい。義弟に挨拶が出来るからね」
ぎてー?
ぎてい……って、義理の弟……の義弟、だよね?
え? はいっ? どーいうことですかっ?
あたしはヘンタイ椿の言った言葉の意味がさっぱり分からず、すっかり逃げるということを忘れ、呆然と立っていることしか出来なかった。
「チョコちゃん?」
那津は校門前にリムジンと共に待っていたんだけど、やってこないあたしをいぶかしく思ったらしく中に入ってきた。
どうすればいいのか分からないあたしは近寄ってくる那津を見ていることしか出来ない。来ないでというのもなんかおかしいし。
と悩んでいる間に那津は至近距離までやってきて、ようやくあたしの後ろにいるヘンタイ椿に気がついたようだった。
「おまえ……」
「やあ、久しぶりだね、那津」
那津は顔を強ばらせ、立ち止まった。
「俊平(しゅんぺい)……」
「義兄(あに)に向かって呼び捨てとは、相変わらず礼儀がなってないね」
ふふんと鼻であしらうような気配にかちんとする。
那津は眉をつり上げ、ずかずかと近づいて来た。
「チョコちゃんに触るなっ!」
そういうとヘンタイ椿があたしの肩をつかんでいた手を力一杯振り払うと、あたしを背後へと隠してくれた。
これほどまで那津が頼もしいと思ったことはない。
「これはなかなかかっこいい騎士(ナイト)さまですね」
ヘンタイ椿は口角をあげ、くくくと嫌な笑いを浮かべていた。
「まあ、今日のところはキミの顔に免じて引き下がってあげるけど、ぼくは諦めないよ」
諦めないって! 冗談じゃないわよ!
「チョコちゃんに近づいたのはあいつが指図したからか」
「あいつ……? ああ、静華さんのことか。それなら違うよ」
人の神経を逆なでするようにくすくすと笑った。
なるほど、こいつはこっちが本性なのか。あたしはさらに表情が強ばるのが分かった。
そんなあたしを見て、ヘンタイ椿はにっこりと笑った。
「怖がらせてごめんね。でも、ぼくがキミのことを好きなのは変わらないから」
この状況下でその言葉はまるっきりの嘘だということが分かり、あたしは首を振った。
もともと本気にはしてなかったけど、なにか裏があってあたしに近寄ってきていたのがよく分かった。
「チョコちゃん、帰ろう」
那津はヘンタイ椿をじっと睨みつつ、あたしに帰ろうと促してきた。
「……うん」
那津はまだ、睨んだまま。あたしは気になりつつも那津みたいに器用に歩けないから、ヘンタイ椿に背中を向けて、校門へと向かった。
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リムジンでそのまま、楓家へ。最近、こちらのおうちにお世話になることが多いような気がする。
車内では那津はずっと黙ったままだった。
あたしは色々と聞きたかったけど、なんだか聞ける様子ではなかったし、それになにから聞けばいいのかも分かっていなかったから黙っていた。
大学が始まってから二週間。よくもまあ、次から次へと色んなことが起こるなあ……とすでに他人事のように感心するしかない状況。
楓家に着いて応接室に通されて待っていると、那津はいつものようにワゴンにお茶セットを乗せて戻ってきた。
制服から私服になっている。うす青色のシャツに濃紺のジーンズ。
「梨奈は今日も部活だから、少し遅くなるよ」
「あ……うん」
それは梨奈が帰ってくる前に聞きたいことがあれば聞くようにってこと?
あたしは那津がお茶を淹れてくれるのを見ながら、なにを聞けばいいのか考えた。
まず、ヘンタイ椿と那津の関係。義弟だの義兄と言っていたけど、どういうことだろう。
那津はいつものように手際よく紅茶を淹れてくれて、あたしの前に置いてくれた。
「砂糖とミルクはこれで」
「ありがとう」
那津も同じようにカップに紅茶を淹れてきたようだ。
あたしから少し離れたところに座ると、砂糖を二杯ほど入れ、ティースプーンでかき回してからミルクを入れていた。
あたしはどうしようかなと悩み、ストレートで飲むことにした。
カップを口に持っていくと、紅茶のいい匂いがふんわりと立ち上ってきた。
ああ、幸せだ。
あたしは二・三口飲むとカップを置き、那津に向き合った。
「ねえ、那津。聞いてもいい?」
「……ああ」
出来たら聞いて欲しくないって表情をしていたけど、今、聞いておかなくてはならないことだというのが分かったので思い切って聞いた。
「ヘンタイ椿……あ、あのっ、さっきのあの男の人なんだけどっ」
ヘンタイ椿と言ってからしまったと思ったけど遅かった。言い直したけど那津はしっかり聞いていたみたいだった。
「ヘンタイ椿……?」
「朱里がそうやって名付けたんだけど……」
「ああ、花村さんか。なかなかあの人らしいネーミングだね」
「だって! いきなり真っ赤な薔薇の花束を抱えて現れたんだよ? どう見たって変な人じゃない」
那津はあたしの言葉に驚いたように目を見開き、それから声を上げて笑った。
「赤い薔薇の花束! チョコちゃん、そんなことされたの?」
「そうなのよ……」
そのときの様子を想像して、なにがツボだったのか分からないけど那津はお腹を抱えて笑い始めた。
さっきまでしかめっ面をしていたから笑ってくれたのは良かったけど、なんだかとっても腑に落ちない。
【つづく】