『チョコレートケーキ、できました?』


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《二十一話》詳しい話



 そう決意はしたものの、やっぱりまだ気持ちは晴れていなかった。
 だけど那津と梨奈との食事は楽しかったし、美味しく食べることができた。
 今日、楓家に着いた時はどうしようもないくらい落ち込んでいたけど、少しだけ浮上出来ることができたかもしれない。
 那津と梨奈のような……ううん、二人よりもっと幸せになってやる! という目標が出来たことが大きかったと思う。
 夕食の前にあたしは父にメールをして、楓家で夕食をお世話になること、帰りが少し遅くなることを伝えておいた。夕食が終わってから携帯電話をチェックすると父から返信が来ていて、今日は帰りが遅くなるから那津と梨奈と一緒にいるのなら良かったとあった。
 あたしがもっとしっかりしていれば父は心配をしないで済むのに……。
 不甲斐ない自分にまた落ち込みかけたけど、そんなネガティブな考えを振り払うために強く頭を振って追い出した。

 楽しい食事が済むと、あたしたちはまた応接室へと戻った。
 ローテーブルの上は片付けられていたけど、那津はワゴンとともにここにやってきたから食後のお茶を出してくれるらしい。

「日本茶と紅茶、どっちがいい?」

 那津はポットと急須を用意しながらあたしと梨奈に聞いてきた。
 紅茶は来たときにすでに飲んでいたし、食事の後に日本茶でまったりするのもいいなと思ったのであたしは日本茶をリクエストした。

「ワタシも日本茶!」
「りょーかい」

 那津は取りだしていたポットを片付けて、急須の中に日本茶葉を入れ、お湯を注いでいた。
 ふんわりとした匂いが漂ってきて、それで緑茶を淹れてくれているのが分かった。
 あたしと梨奈は那津がお茶を淹れてくれているのをぼんやりと見ていた。
 那津はあたしたちの視線を感じているとは思うけど、いつもと変わらぬ手つきで手際よく用意している。
 淡いピンク色の湯呑み三つに均等に日本茶を淹れ、お盆に乗せてあたしたちの待つソファに近寄ってきた。
 那津は茶托とともにあたし、梨奈、梨奈の隣と置いてお盆をワゴンに戻し、梨奈の隣に座った。

「前置きはともかく、さくっと話をするよ」

 それまでのふんわりとした空気とは打って変わり、ぴんと張り詰めたものになった。
 あたしは背筋を伸ばし、姿勢を正した。

「……と、その前に、チョコちゃんに少し質問があるんだけど」
「あたしに?」
「そう。昨日、どうしてチョコちゃんは『シトラス』にいたの?」

 その質問にあたしは思わずきょとんとした表情を那津に返してしまった。
 ……あれ?
 あたし、那津にどうしてあそこにいたのかを説明していなかった?

「え……と」

 あたしはどこから話せばいいのか逡巡して口を開いた。

「ほら、圭季にアルバイトしたいって話をして、ダメって言われたでしょ?」

 そのときのことを思い出したのか、那津と梨奈は同時に渋い表情を浮かべた。あまりにも二人のタイミングが合っていたから笑いそうになってしまったけど、今はそれどころではないので続けた。

「それで、二人の口添えのおかげでアルバイトくらいなら、しかも橘製菓系列っていう条件付きで許可が出たじゃない」
「……なるほど。そういうことかあ」

 それだけで那津は分かったようだ。対する梨奈は眉間にしわを寄せて那津を見ている。

「梨奈は『シトラス』っていう持ち帰りとイートインのあるケーキ店を知ってる?」
「『シトラス』なら知ってるわよ。何度か食べたことあるし」

 梨奈は唇を尖らせてすねているけど、そういう表情も可愛く見えるからすごく羨ましい。

「その『シトラス』は橘製菓系列のお店なんだよ」
「へー、知らなかった!」

 知らなかったのはあたしだけではなかったみたいで、梨奈の反応にほっとした。

「でまあ……圭季はもしかしたら知らなかったのかもしれないけど、そこの店、以前から問題があってね……」

 那津はそこでふぅとため息を吐いた。

「まあ、知っていたら圭季があのお店を選択したとは思えないから、本当に知らなかったんだと思うよ」

 問題?
 店長と店員の態度のこと……なのかなあ?
 でも、接客は朱里と一緒に店に行ったときは問題はなさそうだったし……。うーん、なんだろう。
 那津は湯呑みを掴むとぐいっと一気に飲み干し、ソファから立ってお代わりを注ぐと戻ってきて座った。
 そしてなにか悩んでいるのか、うーんと唸ってしばらく黙り込んでいた。

「この話をしていいのかどうか悩ましいんだけど……。たぶん今回、チョコちゃんが巻き込まれてしまった原因はここにあるだろうから、他言無用ってことで二人に話すよ」

 他言無用なんてずいぶんと大げさだなと思ったけど、那津の次の言葉を聞いて納得した。

「実は、橘製菓の上層部に問題があるんだ」

 上層部ってことは、圭季のお父さま?

「圭季が次期後継者というのは、ずいぶん前から決まっていた」

 それがいつ頃の話かは分からないけど、あたしと出会った時にはすでに跡継ぎだったから、その前の話ってことだよね?

「圭季が後継者に決まるまで、上層部でかなりもめたらしい。これまで通りの世襲制にするのか、社員の中で優秀な人物が社長になるのかってところでね」
「もめた……の?」
「もめたらしいよ。オレは親父からちらっと聞いただけだから詳しくは知らないけどね」

 お菓子を作っているだけではなく、学校も経営しているし、喫茶店もやってるし、それ以外にもあたしが知らないところで手広く事業を展開していそうだ。

「橘製菓は戦後に圭季の曾祖父……ようするにひいおじいちゃん、先々代が始めたらしい。手始めにマドレーヌを売り出して、戦後の好景気の勢いに乗って事業を拡大していった……ってのは、社史の受け売りだけど、そんなところだね。聖マドレーヌ学院も橘系列とはいうけど、今は切り離されてまるっきりの別経営になってるから、多少の優遇はあるかもしれないけど、微々たる物みたいだね」
「え……? 今って橘製菓は」
「関係ないとは言い切れないけど、創設したってだけだね」

 知らなかった……!

「聖マドレーヌ学院の経営陣は橘製菓に恩義を感じているらしいから無理が利くのは確かだけど、圭季が去年一年間、家庭科教師として臨時できたのは産休中の先生の代わりだったし、それなりにきちんとした手順は踏んでいるはず」

 そうよね、いくらコネがあっても教員免許がなければ雇えないものね。

「まあ、そうじゃなくても圭季は無理矢理にでも教師として入り込む予定だったみたいだけど」

 圭季は意外に強引なところがあることを知った。

「ちょっと話が前後したけど、圭季が後継者に決定するまでには上層部でごたごたしたんだ」
「具体的にその上層部の人間ってだれなの?」

 梨奈は面白くなさそうな表情をして那津に質問した。

「それはいい質問だね、梨奈」

 那津は口の端を上げて皮肉な表情を浮かべるとあたしと梨奈を見た。

「その人物は二人ともよーっく知っている人の親だよ」

 よく知っている人……?
 あたし、橘製菓の上層部の人って知らないんだけど……。
 それは梨奈も同じなのか、渋い表情をしている。

「答えを言うと、桜薫子さんの父親、だよ」
「……薫子さんの?」

 ここでその名前を聞くとは思わなくて、あたしはしかめっ面をしてしまった。

「嫌な名前を聞いたわ」

 梨奈もあたしと同じ気持ちのようで、不快そうな表情でお茶を飲み干した。

「お代わり!」
「チョコちゃんは?」

 あたしの湯呑みもほとんど空になっていたのでうなずいた。
 那津はお盆にあたしと梨奈の湯呑みを乗せるとワゴンに戻り、お茶を淹れてくれた。

「最後まで反対していたのは薫子さんのお父さんで、とある条件を付けて渋々と承諾したらしい」

 なんとなくその先は簡単に想像がつく。圭季が薫子さんに付き合っていたのは会社の都合でと言っていたし。

「薫子さんと結婚するのなら圭季を後継者として認めてもいいってね」

 予想通りの答えだった。

「圭季のお父さんは『結婚は本人同士の相性というのもあるから二人が同意したのなら結婚は認めるが、それを後継者にする条件で出してくるのは公私混同も甚だしい』と言って却下したようだよ。まあ反対していたのは薫子さんのお父さんともう一人だったから、多数決でどうにか圭季が後継者に決まったようだけどね」

 那津はもう一人と言ったとき、ものすごーく辛そうな表情をしたんだけど、それは気のせいだったのだろうか。すぐにいつもの皮肉そうな表情に戻った。
 現在は学校経営はしてないとはいえ、橘製菓はそれなりに大きな会社だ。野心を持った上層部の人間なら、あわよくば自分が会社を手に入れたいと思っていても不思議はない。
 もしかしたら薫子さんのお父さんは次期社長の椅子を狙っていたのかもしれない。でも周りの上層部の人たちは自分ともう一人以外は圭季が後継者になることを由としていたから、薫子さんと結婚させて……と思ったのか。
 うーん、なんだかそう思うと少しだけ薫子さんがかわいそうになってきた。

「という前提条件を元に、あの日の話を聞いてくれるか?」

 那津のその一言に、あたしと梨奈は同時にうなずいた。
【つづく】






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