『チョコレートケーキっ!』


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一:風色の恋02



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「動物園?」
 ゴールデンウィークに入り、那津は楓家に帰ってきていた。
「そうなの、いきなりだけどようやく私たちふたりも休みが取れたから。ね、行きましょう」
 中学生にもなって家族で動物園、というのにかなり抵抗があったけど、母の楽しそうな顔を見ていると嫌と言えなかった。

 そうして、動物園。
 え? あれ? ちょっと、なんで義父と母、動物園に入った途端にいなくなってるわけ? ワタシと那津は入口の猿山の前で取り残されていた。
「これって……」
「オレたちふたりで見て回るしかないだろう」
 そうなんだけど、那津とふたりっきりというのはどうにも気に食わない。でも、だからってひとりで回れと言われても。
「ほら、行くぞ」
 そう言って那津はワタシの手をつかんで歩き始めた。ちょっと! なんで手なんて。
「おまえにはこの人の多さが目に入っていないのか」
 そう言われ、改めて周りを見る。義父と母に置いていかれたことで忘れていたけど、ゴールデンウィークのしかも陽気のよい動物園。入口からはどこから来たのか、というくらいの人が次から次へとやってくる。はぐれるな、と言われてもこれは無理だわ。那津とはぐれる心細さを考えたら、手を繋いで見て回るくらい、なんともないか。
 とりあえず、猿山を見る。かなり臭いんだけど、猿山の猿を見ているとなんというか、和んでくる。しばらく見ていたんだけど、那津は全然動こうとしない。
「ねー、次のところ、見に行こうよ」
 そう声をかけたら、ようやくのろのろと動き始めた。後ろを振り返りつつ、歩みを進める那津に疑問がわいてくる。
 もしかして、那津って……動物好きなの?
 それは、動物園を見て回って、疑問が確信に変わってきた。とにかく、那津は檻の前から離れない。最初はワタシが声をかけたらしぶしぶといった感じで離れていたんだけど、象のところに来たら、なにを言っても動かなくなってしまった。
「那津っ!」
 腕を引っ張っても押しても全然動かない。柵に身体を預けて熱い視線を象に送っている。きっと、人間の女の子相手にそんな視線を送っていたら思いっきり勘違いするだろうな、というくらいのまなざし。
 那津って見た目、ほんと悔しいけどかっこいいのよ。義父もかなりいい男で、そして母が何気にいい男好きなのを改めて認識させられた。少し甘めのルックスとあの笑顔に惚れたんだろうなぁ、母は。
 もちろん、見た目だけでなく、性格もかなり甘い。那津に対してはとても厳しいけど、ワタシに対しては、限りなく甘い。母が眉をひそめているのにもかかわらず、義父は毎日なにかを買ってきてくれていた。それが不思議とワタシの好みのものばかりだから、断わるに断われない。今まで、母と二人きりでいろんな部分を我慢してきたところもあったワタシにとっては、この義父の態度は甘すぎて、最近ではワタシが引き気味だ。
 それにしても、これだけ女の人の扱いが上手だから、母じゃなくても女の人がほっとかないだろう、と思っていたのに。
「マサくんから猛アピールよ?」
 と母は言うし。
 あ、マサくんとは、義父のこと、楓将弘(かえで まさひろ)。
 母の言っていることが信じられなくて、真相を義父に聞くと、
「そうですよ」
 と言われるし。うーん、世の中って、特に男女仲って分からないわ。



 ワタシの実父は、ろくでもない男だったらしい。ようするに母は『だめんず』と世間で呼ばれるような男と、でき婚だったようだ。
 若気の至りだったのよ、なんて母は笑っていた。
 ワタシが中学生になり、初潮を迎えた頃、真剣な表情をした母に実父の話を聞かされた。

──昔ね、若いだけがとりえの馬鹿な男と女がいて、後先考えず身体を重ね、子どもができちゃったのよ。もめにもめた末に男と女は結婚をしたまではよかったんだけど、男は平凡な生活に耐えられず、身重の女に暴力を振るい、怖くなった女は実家に戻り、無事に女の子を産んだの。男は子どもが産まれたことを知り、一からやり直すから戻ってきてくれ、というから子どもを連れて家に戻ったけど、前と変わらなかったの。変わらないどころか、昔より暴力がひどくてね。女は身の危険を感じ、娘を実家に預け、男と今後のことを話しあっていたの。女としてはもう別れるしかないと思っていたから、別れ話を出したらね。男はどこから取り出したのか知らないけど、包丁を振り上げ、切りかかって来たの。女はとっさに避けたけど、ざっくりと左肩に包丁が刺さってね。

 そうして、母は服を脱いでワタシに左肩を見せた。そこには、目をそむけたくなるくらいひどい傷跡が残っていた。母の肩のあたりに大きく傷が残っているのをずっと疑問に思っていたのだが、怖くて聞けないでいた。この傷は、実父につけられた傷だったのか。
 しかし、母上。それは……殺人未遂ではありませんか、もしかして。

 その騒動が決定打となり、母は実父と別れた。そして、離婚でやけになった父は飲めない酒を飲んで、川に溺れてそのまま帰らぬ人になった。
『この話を聞けば、男選びに慎重になるわよね』
 慎重になるとかの以前に、男性不信になりますって。その話を聞いた当時、ものすごいトラウマになった。

──馬鹿だったわよ、本当。人間は見た目だけで選んでは駄目なのよ、梨奈。

 なんて言われたけど、ワタシは実父の顔を知らない。実父を知らないことは少しさみしかったが、そこまでもめた相手の写真なんていつまでも持っていたくないだろうし、そんなわがままを言って、母を困らせたくなかった。
 母は忙しいながらもそれなりにかわいがってくれたし、祖父母も健在のうちはかわいがってくれた。

 と思わず回想に耽ってしまうくらい、那津は動かない。

 ぼんやりと象を見つめている那津を眺めていた。その横顔は、ものすごく真剣だった。思っているよりも長いまつげだとか頬のラインを見ていると、見た目はほんと、いいんだけどなぁと思わずため息がこぼれそうになる。
 それにしても、母はこの再婚、どう思っているのだろう。
 ワタシとしては、母が再婚することで経済的に楽になるのは分かっていたし、なによりも毎日が楽しそうだ。それに、再婚をしてしまった今となっては、反対するのはナンセンスだ。
 だけど、あれだけ男に対して恐怖心を抱かせるような話をまだまだ純真無垢な娘にしておいて、年頃の血の繋がらない男とひとつ屋根の下に、ってなにか間違いがあったらどうするつもりなんだろう。それとも、那津は女に興味がないとか強靭な精神力を持っているとかそういう話なの? まさか、そういう仲になっちゃいなよという二人の陰謀? 今日だって、ふたりはさっさとどこかに行っちゃうし。兄妹水入らずで懇親を深めろ、という意味なの、これ?
 それにしても、母に動物園に連れて行ってもらうのがこれが初めてだと気がついた。この年になって今さら、と思ったけど、もしかして母は母なりにいろいろと気にしていたのかもしれない。
 小さい頃から母子家庭で育ってきたから、確かに両親が揃っている家庭に対してかなりうらやましくは思っていた。だけど、母が仕事をしないと食べていけないことは分かっていたし、さみしいけどがまんしないと母が困るのもよく分かっていたから。
 だったら、ますます母よ。この放置はどうかと思うわよ。

 那津をどうにか引っ張って、ようやく象の前から移動することができた。
「やっぱり象のあの瞳はかわいいよなー」
 とひとりでぶつぶつうっとりとつぶやいている。那津って意外に危ない奴?
 お腹が空いてきたな、と思っていたら、少し先にレストランが見える。少し時間は早かったけど、ここを逃したらもう食べるところがないかもしれないし。あ、園内案内図を見ればいいのか。と思って見ようとしたら、那津はワタシの手を引いて、中にぐいぐい入った。もう、なんでこんなに俺様なのっ。
 有無を言わさずにここになってしまったので、なににしようかなぁ、と悩んでディスプレイを見ている間に、那津は券売機の前に立ち、お金を入れて適当にボタンを押している。ちょっと、早いよ!
「梨奈は?」
 聞いてくれたのでホッとした。食べるものまで勝手に決められたら切れるところだった。
 悩みに悩んで、スパゲッティにする。那津は食券を持って行ってくれたので、席を確保する。
 窓際の外がよく見えるところ。外を歩く人たちを眺めていたら、那津が料理を持ってやってきた。
 って。
「これは梨奈の」
 うん、ワタシ、確かにスパゲッティにした。で、反対の手に持っているトレイの上に乗っているもの、だれが食べるの? ラーメンにチャーハン、さらにはフライドポテトまで乗っている。
「こっちは俺の」
 よく食べるのは知っていたけど、それはちょっと異常な量じゃない? 半チャーハンなら分かるけど、明らかにそれ、普通の量だよね。それに、なんでポテトまで。明らかにカロリーオーバーでしょ。
 そんな思いを知らない那津は、いただきますと言って食べている。見ていると気持ち悪くなりそうだから、外を眺めながら食べることにした。
 那津はその後、やっぱり足りないなぁ、と言いながらソフトクリームを食べていた。高校生男子は、確かによく食べるけど、見てると気持ち悪くなるほど食べるのはどうかと思う。
「梨奈は運動をしている割に小食だなぁ」
 と言うけど、気をつけないと太りやすいのよっ! 那津は義父を見ていても思うけど、太らなさそうでうらやましいわ。母は、最近少し太ったわ、とは言っているけど、確かに見えない部分には若干お肉はついているけど、それでも標準体型だ。油断したらすぐ太るのは、顔も知らない父のせいかもしれない。
「那津、ほら、腹ごなしに少し走ろ」
 そうして繋いでいる手を引っ張ると、那津はしかめっ面をして、
「なんでお兄さまと呼ばないんだ」
「なにがお兄さまよ。那津は那津じゃないっ!」
 那津の言葉に腹が立ち、繋いでいた手を振って離す。
「ほら、迷子になるぞ」
 振り払った手を再度、繋ぎ直してくる。迷子になっても車まで戻ればいいじゃない、と思ったけど、ふと、どの車で来たのか思い出せない。……ここで那津とけんかをするのは得策ではないらしい。
「お、あそこに行こう!」
 なにかを発見したらしい那津は、ワタシの腕をぐいぐいと引っ張って行く。そこがなにか見ないで入ったワタシが、間違いだった。

 中に入ると、急に暗くなり、視力を奪われる。二・三度瞬きしたら、ようやく暗闇に慣れてきた。そうして少し歩くと、今度は赤いランプがついた妙な場所。
 なにここ?
 疑問に思ってあたりを見渡すと、ここは夜間に行動する動物を展示している場所です、この赤いランプは動物たちには暗闇と認識されていますと書かれている。なんかよくわからないけど、ここは夜を再現しているらしい。ガラスケースの向こうには、夜行性の動物が元気に飛び跳ねている。ウサギのようなカンガルーのような不思議な生き物がいたり、コウモリがいたりする。那津はそれほど興味がないのか、ゆっくり歩きながら見ている。ここでも象の時と同じように動かなかったらどうしよう、と思っていたから助かった。
 一階を見て、二階に上がると、ここは下の階のような赤いランプではなく、普通の蛍光灯のようだった。
 しかし。
「きゃあっ」
 ちょっと待って。いっ、いきなり目の前にへ、蛇ってっ!
「おー、いるいる」
 那津はうれしそうだ。
「やっ、ちょっと那津。ワタシ、蛇は駄目」
「えー。かわいいじゃないか」
 かかかかっ、かわいくないわっ!
「わっ、ワタシ、先に出てるっ」
 那津の手を振り払い、できるだけ遠くに身体を寄せ、壁伝いで出口を目指す。しかし、角を曲がったところで。
 見る予定はなかったのに、人が今日は多いから大丈夫だろうと少し油断していたのもあり、ソレと視線が合ってしまった。
 いやぁぁぁあああっ!
 喉の奥に声が張り付いて、出ない。足から力が抜けて、その場に座り込んでしまった。
 頭では分かってるのよ。ガラスで仕切られているから、絶対にこちらには来ないって。だけど、頭で分かっていても、怖いものは怖い。ましてや、あんなに長くて大きいものと目が合っちゃったんだよ?
 立ちあがらなきゃ、とは思ったけど、自分で立ちあがろうにも腰が抜けたのか、立ち上がることができない。
 だれか気がついてと思ったけど、ちょうどここはみんな、アレと遭遇する場所で、驚いて気をそちらに取られてワタシのことにまで気がついてもらえない。しかも、場所が悪いことに、少しここ、暗がりでもあるのだ。
 那津に気がついてもらう以外、ワタシが救われる道はない、と思うものの、那津に頼るのがものすごく癪だ。
 角を曲がって、次々と人がやってくる。みんな、ガラスの向こうのアレに気を取られ、きゃあ、とか悲鳴が聞こえるけど、ワタシのことにはだれひとりとして気がつかない。どうしよう、那津もワタシのこと、気がついてくれなかったら。
 そう思っていたら、向こうからゆっくりとガラスケースの向こうを見ながら歩いてくる那津が見えた。
 那津、お願い、気がついて。気がついてくれたら、お兄ちゃんって呼ぶから。
 そんな念力をこめて那津をじーっと見ていた。だけど那津は、まったく気がついてくれないようだ。
 どうしよう、ワタシ……。泣きたくなってきた。
 那津は角を曲がるとき、ふとこちらを向いてくれた。あっ、気がついてくれた!
 那津とふと、視線が合った。鉄黒色の瞳が大きく見開かれる。
「梨奈?」
 那津、気がついてくれた……!
 これだけ人が通っても、だれひとり気がついてくれなくて泣きそうになっていたところで、那津が気がついてくれた。泣いちゃだめ、と思っても、鼻の奥がツンと痛くなって勝手に涙があふれてくる。泣き始めたワタシを見て、那津は困ったように鼻の頭をかきながらやってきた。
「やっぱり、ここにいるし」
 へ?
「今でこそ平気だけど、最初、ここに連れて来てもらった時、同じようにここであのインドニシキヘビと目があって、この端っこで大泣きしたんだよな」
 それ以来、ここを通る時はワタシが座っているあたりを気をつけて見るんだ、と言った。だけど、だれひとりこちらに視線を向けてくれなかったから。那津が気がついてくれなかったら、ワタシ、ここでずっと座りこんだままだった。
「立てる?」
 那津は手を差し伸べてくれ、ワタシを立たせてくれた。その力がものすごく心強くて、数日の差でもやはり兄なんだな、と思えた。
 それからは、那津の手を離すことなく、ワタシたちはゆっくりと動物を見て回った。

 すべて見終わって、入口に戻っている時、那津がぼそり、とつぶやいた。
「梨奈は大切な妹だから、守るよ」
 驚いて那津の顔を見たけど、恥ずかしいのか、そっぽを向かれてしまった。
「ありがとう、お兄ちゃん」
 数日違いで兄だと威張られるのは少し癪だけど、さっきは本当に助かったから。悔しいけど、お兄ちゃん、って呼ぶことにするよ。
 だけど、ワタシはその時、那津に抱いた気持ちに気がつかなかった。この気持ちは、兄に対する気持ちではない、ということに。
 那津はワタシがお兄ちゃん、と呼んだことにさらに照れくさそうに、手を握っていない反対の手で鼻の頭をかいていた。
 動物園から出て、那津は迷うことなく乗ってきた車のところまで歩いていった。両親はすでに戻ってきていたらしく、車の中から手を振ってきた。
「ちょうどよかったわ。私たちも今、戻ってきたところなの」
「もう、お母さんっ! ワタシたちを置いて先にいかないでよ」
 助手席に座ってにこにこしている母に文句を言う。
「一応、私たち、新婚なんだし。兄と妹の交流が持てたから、いいじゃない」
 母はワタシと那津が手を繋いでいたのをしっかり見たらしい。先ほどのにこにこ顔からにやにやとしている。
「あっ、あれは……」
「はぐれたら大変だから、繋いでいたんだけど。案の定、勝手に先に行って、インドニシキヘビに驚いて腰を抜かしていたから」
「お兄ちゃん、言わないでって言ったのにっ!」
 ワタシと那津のやり取りを見て、前の席の義父と母は楽しそうに笑っている。
 この年になって母が再婚、と聞いた時はどうしようかと思ったけど、なんだかうまくやっていけそうな気もしてきた。まだまだ不安はたくさんあるけど。
 そうして、帰り道。ワタシと那津は後部座席で仲良く寄り添って眠ってしまった。それを見て、両親が楽しそうに話していたのは、もちろん、知らない。




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