《十一話》秋の行事、目白押し
夏休みが終わり、新学期が始まった。
夏休み中の登校日で顔は合わせていたものの、改めて新学期が始まってクラスメイトを見ると、こんがり焼けている人、髪型が変わった人、雰囲気が大人になった人──それぞれみんな、夏休みを満喫してきたんだなぁ、というのが分かって、なんとなくうらやましかった。
あたしは結局、一泊旅行以外は変わり映えのしない夏休みだったしなぁ。
「おーい、チョコ。手伝ってー」
新学期早々、聞きたくない声が聞こえたっ!
仕方がなく立ち上がり、はぁ、とひとつ、ため息をついてから立花センセの元へ行く。
「あれ? センセ、焼けました?」
ぼさぼさ頭に太い黒ぶち眼鏡、しわしわの白衣は変わらなかったけど、恐ろしいほど白かった肌が若干黒くなっていた。
「あのなぁ、おれだって夏休みはそれなりにだな」
そうですか。てっきりあたしと同じで引きこもりかと思っていましたよ。
なんとなく裏切られた? 気分になりつつ、手伝うことにした。家庭科室に向かって一緒に歩いていると、
「あらぁ、立花先生」
うわっ、でたっ! 薫子さんっ!
「……おはようございます、桜先生」
「おはよう」と言う時間ではなく、むしろもうお昼だしっ! と思って立花センセを見ると、予想外に顔をこわばらせて薫子さんを見ている。
「えーっと……あなた、確か……」
薫子さんはわざとらしく考え込む振りをしている。
「そうそう、都さん。あなた、常に立花先生にひっついているけど、お仕事のお邪魔じゃないの?」
にっこりと微笑んでいるけど、目が笑ってない。こっ、こわっ!
「ああ、こいつはおれの助手ですよ」
とフォローを入れてくれたけど、いつから補佐から助手に昇格? しているんですかっ!
「あらぁ、そうだったんですかぁ。だけど、都さんも受験生でしょう? わたし、手が空いてますから、なんならお手伝い……」
「結構です」
立花センセはきっぱりと薫子さんに断わりを入れていた。
「そうですか。残念ですわ。考えが変わったら、ご連絡くださいね」
そうして、薫子さんは立花センセの耳元でなにか囁いて、にっこりと微笑んでから手をひらひらさせて立ち去って行った。なにを言われたのか知らないけど、その一言で立花センセの顔は真っ青に。
「せ、センセ、大丈夫ですか?」
「あぁ、大丈夫」
大丈夫、という感じではなかったけど、自分の足できちんと歩いていたから本人が言う通り、大丈夫なんだろう。
「そうそう、はい、センセ」
袋に入れたクッキーを手渡す。
「夏の疲れをいやしてくれる、マンゴークッキーですよ!」
そんな効果があるかどうか知らないけど、気分よ、気分!
そういえば、と思い出す。夏休み中、圭季が水だし紅茶なるものを出してくれたのを思い出した。今年流行り?のアルフォンソマンゴー入りの紅茶で、ものすごくいい香りがして、さらに紅茶の渋みも少なくて、ものすごく美味しかったのを思い出した。あの紅茶とこのクッキー、美味しそうだな。
「お、ありがとう」
うれしそうに受け取り、早速食べてるあたり、たまに本当にこの人は先生なのか? と疑問に思う。だからなんとなくあたしの中では『立花先生』ではなくて『立花センセ』なんだけど。やっぱりその思いは変わらない。
「で、なにをすればいいですか?」
クッキーをぱくついているセンセは喉に詰めたらしく、胸元をどんどん、と叩いて飲み物を飲んでから、
「そこにあるプリント、セットにして止めてほしい」
もー、それくらい自分でしなさいよっ!
ムッとしつつ、言われるがままにセットにして止めていく。
だけどセンセ、結構まめにこういうプリント類を作るよねぇ。しかも、分かりやすいし。人使いの荒さがなければいいんだけどねぇ……。
って、なにがどういいんだ、あたしっ!?
手伝いが終わって教室に戻ると、梨奈が来ていた。こら中学生っ!
「チョコちゃん、いたぁ!」
とうるうるした瞳で見つめられ、ドキドキする。そんな顔で見つめられたら、男じゃなくてもドキドキするっ!
「クッキー……」
両手をさしだされ、おねだりされた。その姿は那津と一緒で、苦笑してしまう。
「あるよ」
先ほど、立花センセに渡したのと同じものを梨奈に渡す。
「ありがと~! もう、夏休み中ずっと、これが食べたくてっ!」
わーい、と喜びながら梨奈はその場で包みを開けて、食べ始める。もう、どんだけみんな、飢えてんのよっ!
「マンゴークッキー?」
「うん、そうだよ」
さくさく、といい音をさせて梨奈はクッキーを食べている。なんだか餌付けしてるみたいだ、あたし。
「今度の土曜日に泊まりに行くから、その時、このクッキーの作り方、教えて!」
梨奈は残りのクッキーを手に、叫びながら教室を出て行った。梨奈がいなくなってからちょっとさみしく思っていたから、泊まりに来てくれるのはうれしい。
梨奈が教室から出て行ったタイミングで、那津が帰ってきた。
「ふぅ……」
わざとらしく、ひたいをぬぐっている。梨奈がいるから雲隠れしていた? そう聞こうと思って口を開いた瞬間、予鈴が鳴り始めたので聞くのはやめた。
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二学期が始まって、文化祭の話がちらほらと聞こえてき始めた。
文化祭かぁ。それに運動会もあるんだよねぇ。秋は行事が目白押しで大変だわ。
あたしたちは三年生、ということで運動会ではなにもしないけど、そういえば去年、散々踊りの練習をさせられたのを思い出した。今年はそれがないと知り、うれしい。
「運動会は特になにもないみたいだけど、文化祭も今年最後だ」
ホームルームの時間。立花センセは教壇に立ってなにやら話をしている。
「家庭科教師として、なにかやりたいと思ってるんだが」
またなんかめんどくさいこと言ってるなぁ。
「チョコ……じゃなかった、都!」
いきなり名前を呼ばれ、驚いて手を挙げて立ちあがってしまった。
「は、はひっ?」
「このクラスからはクッキーを焼いて出店しようと思うんだが、リーダーやってくれるか?」
「はい? なんであたしなんですか?」
あたし、そういうリーダーなんてしたことないからどうすればいいのか分からないのですがっ!
「おまえの作るクッキー、美味いからな。あれを出せばかなり売れると思うんだが」
それは褒められている、ということでよろしいのでしょうか?
言われるがまま、文化祭のクッキー係リーダーを申しつけられてしまったあたし。場所は家庭科室の一角を借りられることになったのはいいんだけど、メンバーはどうしよう。
「外部受験組は受験勉強を優先、推薦組が主となってすすめて。他の人は手が空いているようだったら手伝って」
とそこまで段取りをしてくれるのはいいけど、クッキーの材料だとか包装紙はどうするのよ?
「わたし、包装係します!」
と名乗りを上げてくれる子もいて、助かった。センセ、あたしが推薦組なのを知っていて、押し付けたな?
こうして、あたしの二学期は思った以上に忙しくなってしまった。
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放課後、あたしたちは集まってどうするか決める。クッキーを焼く枚数もだけど、売値を決めたり試作してみたり。
「うわー! ほんとだ、美味しいっ!」
という噂が噂を呼び、放課後になるとどこからともなく家庭科室に人が現れ、クッキーを持って行く人が後を絶たない。
ちょ、ちょっと! 試作品なのになにするのよっ!
那津はにやにやしながらあたしを見てるだけだし、立花センセは十六時半になると強制的にあたしたちを帰すし。いったい、何個作ってどれだけで売れば利益が出るのよっ! 高校生にこんなこと、させるなっ!
部屋にこもって原価計算をしていたら、遠慮がちなノックにそれが圭季であることが分かった。
「まだ起きてたんだ」
苦笑したような表情を見て、ムッとする。
「高校生のあたしに原価計算とかさせるひどいセンセがいるもので、寝られないんです」
「原価計算? 雅史さんにそういうこと、聞けばいいのに」
はい? なんでそこで父の名が出てくるの?
「餅は餅屋、菓子は菓子屋」
あー……そういうことか。
今日は比較的早かったようで、夕食も一緒に食べられたから、いるにはいる。
「まだ起きてるみたいだから、聞いてみれば?」
圭季のアドバイスに目からうろこ。あたしは思わず手を握り、ぶんぶんと振りまわした。
「ありがっとー!」
父の部屋へ行き、文化祭の話をする。そして、あたしが持っていた材料費計算の紙を見て、
「チョコ、発酵バターである必要性は? 卵も使わないで済むレシピがあるだろう? アレルギーの子の配慮は? 地場産野菜を使ってみるとか」
と、惜しげもなくアドバイスしてくれた。
……そうかっ! まずはレシピの見直しかっ!
「チョコのクラスメイトに農家の知り合いだとか親戚はいないのかい? 市場に出せない野菜を回してもらって、それを入れて売りにしてみる、というのも面白いと思うんだけど」
おおおお、さすが父っ! 橘製菓の部長、というのはだてではなかったんだねっ!
「雅史さん、出血大サービスしすぎですね、そのアドバイス」
「あはは、ついついかわいい娘に頼られて、自分の中で温めていたものを放出してしまったよ」
あら、それはよかったのかなぁ?
「チョコが今のアドバイスで成功したら、ボクもそれを元にもう少し練るから」
な、なに? あたしは実験台!?
……まあ、それでもいいか。
とりあえず、レシピの見直しからするか。
今まで作ってきたものをノートに書き留めておいたものをぱらぱらとめくって見てみる。
お、あった! 卵を使わないレシピ。
マーガリンとあるけど、サラダ油でも代用できるのか。うん、これなら小麦粉のアレルギーの人には申し訳ないけど、卵と乳製品のアレルギーの人には対応できるな。おからクッキーも考えたけど、そうすると大変だから……。このレシピかなぁ。
あとは……野菜をどうするか、かぁ。野菜でジャムって作れるのかな?
調べてみると、どうやら作れるらしい。野菜でジャムを作って、それをクッキーの生地に混ぜよう。
これで……原価計算をしてみると、おおお、これはいける! 五枚一セットでこれくらいで売れば……。
「おおお、面白いくらい黒字だっ!」
うふふ、明日が楽しみだー!
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そして次の日の放課後。集まったみんなに昨日考えたレシピを伝える。それで試しに作ってみることにした。だけどこれ、例のアイスボックスクッキーなので、すぐには焼けないんだよね。
でも、大丈夫! お昼時間に少しだけタネを作っておいたから!
説明している間に焼いていたのがちょうど焼けたから、みんなで試食。うん、バター入りのものに比べたらあっさりしてるけど、いろんなジャムで作れるからバリエーションが豊富でいいんじゃないかなぁ?
「だれか農家の人と知り合いじゃない?」
聞いてみたけど、いまいち反応がよくない。クラス全員に聞いてみるか。まあ、手に入らなければ普通に市販のジャムを入れればいいか。
包装係の人と話し合い、今日は思ったより早くまとまったのでいつもより早くに帰ることにした。
アイスボックスクッキーだから、前もって生地を作って冷凍庫に保存できるし、なかなか良かったかも。圭季と父に感謝、だわ。
クッキーも何枚作るか、というのも相談して、生地自体を作るよりも焼く時間を考えてどれくらい前から仕込まないといけない、というのも考える。
文化祭の準備って思ったより大変なんだねぇ。
梨奈は土曜日の度に泊まりに来て、あたしの試作品の試食をしてくれたり、作り方を覚えていた。と、そんなことをやっていたら、いつの間にか運動会が間近になってきた。
「えー、仕事なの~?」
高校最後の運動会だから、圭季にも見に来てほしかったのに、その日は仕事で行けない、と言われてがっかり。
「ごめんな。だけどきちんと見てるから」
仕事なのに見てる、って意味が分かんないしっ!
「おやすみ」
ぽふぽふ、と頭を撫でられて微笑まれたらもうそれ以上、文句を言えないじゃない。
だけどムッとしていたら、いきなり圭季の顔が近づいてきて、頭に柔らかい感触を感じて驚いて見上げると、
「おやすみのキス」
なんて言われるものだから、顔が真っ赤になったのが分かった。そ、そんなことされたらっ! 嫌だ、なんていうのはものすごいわがままになるじゃないの。ずるいよ。
だけどそう言った当の本人も顔を赤くしているあたり、年上の男の人にこんな感想を持つのもなんだけど、とってもかわいい。
もうっ! 胸がキュン、としてしまったではないかっ!
ドキドキとしたまま、布団にもぐる。圭季の唇の触れたところをふと触り、思い出して胸がキュン、とする。寝る間際にそういうことするのは反則よっ!
夏の旅行で圭季との距離がぐっと近くなったような……気もする。向こうがかなり歩み寄ってきてくれている、感じが強いけど。
一方のあたしは……どうすればいいのか分からないでいる。
あたしは……圭季のこと、好きなの?
いつもここで、思考が停止してしまう。
この胸の中のもやもやをなんと呼んでいいのか分からない。素直に『好き』と思えないのは、どうして?
『チョコね、──のこと、すきっ』
ずきり、と頭の奥が痛む。
なに、この痛み……? 大切にしまいこんでいた、想い──。
もう少しでつかめそうなのに、するり、と逃げてしまう。
胸の奥でもやもやする。
「う~!」
口に出してみたところで、答えは出ない。
今のあたしは、圭季のことを嫌いではない。どちらかというと好き──それでいいじゃない。婚約だとか結婚なんて、難しいことは抜きにして。好き、という気持ちに理屈なんていらない。感情で好き、なら好きでいいじゃない。
そう結論を出し、もう一度、圭季の唇が触れたところをそっとなでる。
歩みが遅くたっていいじゃない。あたしは……圭季が好き。そうでしょう、チョコ?
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そうして迎えた運動会。梨奈が応援に来てくれた。……と思っていたら。
「なーつーっ!」
そうですか、あたしへの声援ではなく那津へ、なのね。
父は仕事が休みで来てくれたけど、やっぱり圭季がいないのがさみしい。はーあ、とついついため息が漏れてしまう。
「チョコがため息ついてる。珍しい。なに、彼氏とけんかでもしたの?」
朱里の突っ込みに、
「けんかなら……まだよかったんだけどね」
とため息。
「え? え? なにっ? 別れたのっ!?」
野次馬根性丸出しの人たちが何人か集まってきてしまった。そうして、またたく間にわけのわからないうわさが広まってしまった。おいおい、勝手にゴシップを作るな。
だけど訂正するのも面倒で、そのままにしていたのがよくなかったのか……? この噂話は、思わぬところへ波及してしまった。
運動会が終わり、文化祭の準備をしていると前はあまり見掛けなかった薫子さんが、家庭科準備室にちょくちょく出入りしている。文化祭の準備に忙しかったし、立花センセにこき使われる回数も減ってきてよかった、と思っていたから気にしていなかった。
そうそう、文化祭のクッキーだけど、聖マドレーヌ学院の小学部で食育目的に学校の菜園で野菜を育てていたらしく、その野菜を譲り受けることにした。どうせなら、とその採れた野菜でジャムまで作ってもらうことにした。お礼に野菜ジャム入りのクッキーを渡す、と約束して。なんだかいい感じのコラボレーションじゃない?
「卵・バターは一切不使用!」「小学部が育成した野菜で作ったジャム入り!」なんてかなりいい話題じゃないの。
計算機を片手に原価計算。うん、いいじゃない!
こうしてあたしたちはクッキーを毎日毎日焼き続けた。最後の頃にはさすがにこの甘いにおいが鼻について当分、クッキーを焼きたくなくなったけど。
出来上がったクッキーをクラスの人数分持ち、小学部へ訪ねる、立花センセとともに。なんだかこうして歩くのは久しぶりのような気がした。気のせいか、立花センセの機嫌がいい。なんとなく最近、不機嫌な表情をしていることが多かったような気がするから、よかったな、と思う。
小学部に行き、クッキーを渡すとものすごい感謝されてしまった。むしろこちらが感謝しなくてはならないのに。野菜ジャムが美味しいからいいクッキーができたのよね。
「子どもたち、かわいかったですね」
帰り道、そんな感想をぼそり、と呟いたら立花センセもうれしそうに微笑んでいる。
「高校の先生もいいけど、小学校の先生も大変そうだけどいいかもな」
なんて言っている。小学部で家庭科を教えている立花センセ、を想像して……。
『ぼさぼさ頭、ださっ!』
『早く嫁もらえよ』
と生意気なことを言われている姿しか想像できなくて、思わず、ぷっ、と笑ってしまった。
「なんで笑うんだよ。おかしいか?」
「いえ……。小学生に遊ばれているセンセしか想像できなくて」
ついついくすっ、と笑えてしまう。だけど、いい先生になれるような気がする。変なところで子どもっぽいし。
高等部に戻ると、薫子さんがいつか見た時と同じように仁王立ちしてあたしたちの帰りを待っていたようだ。薫子さんは立花センセを見つけるとうれしそうに駆け寄り、するり、と腕を組んでいた。
せ、先生同士でそんなことして、いいんですかっ!?
立花センセはさすがにあわてて薫子さんの腕を無理やりもぎ取り、
「ここは学校ですよっ!」
と説教している。
「学校外ならいい、ということですか、立花先生?」
と意味深な発言をしつつ、色っぽい視線を送っている。薫子さん……あなた、圭季のことが好きなんでしょう? 立花センセに乗り替えたんですか?
「それではセンセ、失礼します」
先ほどまでの楽しい気分を台無しにされ、不機嫌に家庭科室へ戻る。残りのクッキーを焼いてしまわないと。なんだか薫子さんの行動にむかむかする。なんでむかむかしているのか分からなかったけど、気分が悪い。
「チョコ、小学部でなにか言われたの?」
不機嫌な表情で帰ってきたあたしに手伝ってくれている朱里が心配そうに声をかけてくれた。
「ううん、小学部の子たち、みんな喜んでくれていたよ」
あわてて笑って、そうじゃない、とアピールする。ものすごく感謝されたことを説明した。
あたしが小学部に行っている間も着々とクッキーは焼かれていて、手が空いている人たちみんなして手分けして袋に詰めてくれている。包装係の子がすごくかわいい包装紙を考えてくれて、クッキーがものすごく美味しそうに見える。クッキーも美味しいけど、やっぱりビジュアルが悪いと手に取ってもらえないからね。
大変だったけど、充実した文化祭の準備が済んだ。
前日、改めて圭季を誘ったけど、やっぱり仕事、と言われ……。いけない、と思いつつ、怒ってしまった。怒ったって仕方がないのは分かっていたし、行けないことが辛いのも分かっていたけど、前回の運動会の件もあったからついつい言ってしまった。
ああ、これでは『あたしと仕事、どっちがいいの?』状態じゃない。そんな嫌なこと、言いたかったわけじゃなかったのに。お仕事、お休みの日なのにお疲れさま、って笑ってあげられなかった。あたし、最低だ。
わがままだって分かっている。分かってるけど……。
自分の心の狭さを圭季に見せてしまい、これで嫌われちゃったな、と思うと余計に泣けてきた。
そして迎えた当日。
若干、目が赤いけど、それは泣きながら寝てしまったから。
店番のシフト表を片手に、あたしたちのクラスのお店に待機する。POPも包装紙もかわいいし、あとはどれだけの人が買ってくれるのか、が勝負。
味はいい。
見た目もいい。
だれが買って行ってくれるんだろう……?
と思っていたら、真っ先にやってきたのはなぜだか小学生の大群、だった。なんでだ?
「あ、都さん」
と声をかけてくれたのは、野菜を提供してくれた小学部の先生だった。
「クッキー、ありがとうございました。美味しかったみたいで、まだ食べたい! と言ってみんなで買いに来ました」
そんなこと言われたら、感動して泣いちゃうわよ。
圭季と昨日、けんかしたのもあり、少し涙腺が緩んでいたあたし。
「チョコレートのおねーちゃんだ!」
「クッキー、美味しかったから買いに来ちゃった!」
と口々に言ってくれて、あまりの嬉しさに本格的に涙が出てきた。
今日、那津は、自分のクラスの当番がある、と言ってあたしの側にはいない。よかった、こんなの見られたら当分、からかわれるわよ。
少し遅れてきた立花センセに、泣いているところをばっちり見られてしまった。ものすごい恥ずかしいんですけどっ!
お店の後ろでぐずぐず泣いているあたしの頭をぽふぽふ、とやさしくなでて、あたしの代わりにお店の呼び込みをしてくれている。そのなで方が圭季みたいで、余計に泣けてしまった。なんでそんな、やさしいなで方するのよ。
結局、そのまま泣き止めずに裏でずっと泣いていた。なんなの、あたし……。
文化祭が終わるころ、ようやく泣き止むことができた。もう、馬鹿じゃない、あたし。
やり終えた達成感、なんてあったもんじゃない。
みんなが口々にお疲れさま、と言ってくれるけど、最後の最後はなんにもしなかったリーダーでごめんなさい。裏でずっと、泣いてただけだし。
最後の義務として、今日の売り上げをまとめる。
クッキーは、小学部の子たちの口コミでまたたく間に売れてしまったらしい。なので、店は早々に片付けられていた。
家庭科室を借りて、売り上げを数える。準備していた個数と売れた個数、そして売上すべてが一致したのを確認して、お金を立花センセに預ける。
「金庫に保管してくる。お疲れさま」
とねぎらいの言葉をかけられ、またもや不覚にも、うっと泣きそうになってしまった。だけど唇をかみしめ、我慢する。
那津がやってきて、かばんを持ってくれる。泣きはらしたあたしの顔を見たはずなのに、那津はなにも言ってこない。どうせなら、からかってくれた方が気が紛れたのに。
帰り道、あたしと那津は無言で歩く。
圭季は今日、帰りが遅いから、と言われていた。
家に帰ると、父が珍しくキッチンに立っていた。
「あれ、お父さん、どうしたの?」
「夕食を作ってるんだよ。きみたち、疲れてるだろう?」
父はどうやら最初の頃、クッキーを買いに来てくれていたらしい。
「小学部の菜園でできた野菜を使うなんて、なかなかいいじゃないか」
どうやら父は五袋くらい買ってくれたらしい。那津は父にちょうだい、とおねだりしていて、苦笑されつつ、二袋ほど受け取っていた。
着替えを済ませ、ダイニングに行くと、料理が並べられていた。
「久しぶりに作ったから、自信はないんだけど」
と言われて並べられた料理は確かにお世辞にも見た目は良くなかったけど、久しぶりの父の味にまた涙が出てきた。
今日のあたし、変だ。涙が止まらない。涙の原因がなにか分かっているだけに、胸が苦しい。
恋をするって、こんなに切ないことなの? 好きになるって……泣けてくるの?
はぁ、とひとつため息をつき、いつもならいるはずの人の席に視線を向ける。そこは珍しく空席で、気持ちが苦しくなる。
あまり自覚がなかったけど、あたしは圭季のことが思っていた以上に好きなんだ。
せっかくの父の料理はほとんど食べられなかった。申し訳ない、と思いつつ、部屋に戻る。
お風呂に入る元気もなくて、そのままベッドに横になる。
なんだかあたし、よくこうやって泣きながら寝てるよなぁ、と思いつつ、そのまま寝てしまった。
「チョコ、ごめんな」
夜中、ふとそんな声が聞こえたような気がしたけど、目を開けてもだれもいなかった。きっと、あたしの願望が幻聴になったのだ。
朝、泣きはらした顔を洗ってキッチンへと向かう。昨日は土曜日で、今日は日曜日。月曜日は土曜日の代休で休みだ。
「おはよう、チョコ」
いつも通りの笑顔でキッチンに立っている圭季を見て、じわっと涙が浮かんできた。
あたしは圭季に駆け寄り、抱きついた。最初、圭季は驚いたようだったけど、あたしのことをやさしく抱きしめてぽんぽん、と髪をなでてくれる。
「チョコ、ごめんな」
「あたしの方こそ、わがまま言って、ごめんなさい」
けんかしたわけではないけど、これで仲直り?
「明日、ふたりで少し、出かけようか」
「え? だって明日、仕事……」
「心配するな。昨日、休めなかった代わり」
そう言われ、恥ずかしくなる。圭季はきちんとあたしのこと、考えてくれていたんだ。
なのに、ものすごいわがまま言ってるし、昨日なんてずっと泣いて周りのみんなに迷惑をかけまくっていたし。これじゃあ、まるっきり駄々っ子じゃない。
那津は梨奈に連れられて、実家に戻っている。父はぐーぐーと寝ている。
あたしたちふたりは朝ごはんを食べ、昨日、お風呂に入らないで寝てしまったので軽くシャワーだけ浴びる。
部屋でぼーっとしていたら、ノックされたので開けると、圭季が立っていた。
「買い物に行こうと思うんだけど」
と言われ、ついていくことにした。
手を繋いで、買い物へ。なんだか新婚さんみたいだ。
買い物も楽しく済ませて、マンションへ帰ってきたら。こうやって待ち伏せされるのも慣れてしまったけど、これもどうなんだろうか。
仁王立ちで、薫子さんが立っていた。
だから……なんで仁王立ちなの?
それに『人の恋路を邪魔する奴は~』というセリフ、知ってるんだろうか、薫子さん。
「あら、あなたたちは別れたんじゃないの?」
はい?
「あらぁ、噂はしょせん、噂……ということね」
「噂ってなんですか?」
薫子さんはあごに指を添えて、
「あなたと圭季が別れた、と学校で聞いたんだけど?」
噂ってまさか、運動会の時に広まった噂っ!? もうっ! どこまで広がってるの、そんな噂っ。
「薫子、もういい加減、チョコに付きまとうの、やめてくれないか」
圭季さま?
薫子さん、あたしじゃなくて圭季に付きまとってるんだと思うんだけど……。たまにずれたことを言うよね。
「圭季? わたしがこのチョコレート頭に付きまとってる、と思っていたの?」
「……違うのか?」
本気で思っていたのかー! ……あたしも相当ボケてるけど、恐るべし、天然ボケっ!
ボケボケコンビだと漫才はなりたたないな。
って、違うっ!
あたしは圭季と漫才をしたいわけじゃなくてっ!
「圭季っ!」
繋いでいた手をぐい、と引っ張ってマンションに向かおうとした。
すると、薫子さんはあたしたちとマンションのエントランスの間に立ち、腕を組んで意味深にすがめ、にやり、と赤い唇をつり上げ、睨みつけてくる。
「圭季、ねぇ」
ふぅーん、といいながらあたしたちに向かって指をさす。
「ま、今日のところはいいわ。では、『学校』でお会いしましょう」
それだけ言い捨て、薫子さんは長い髪をばさり、とはらって踵を返して去って行った。
毎回思うけど、薫子さんって暇なの?
ふと圭季を見上げると、薫子さんの後姿を思った以上に厳しい視線で睨みつけるように見ていた。
どうしてそんな風に薫子さんのこと、見てるの?
「……戻ろうか」
圭季は大きく息を吐き、一度軽く頭を振ってから歩き出した。
あたしはそれにしたがって歩くしかなかった。
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そして月曜日。文化祭の代休日。
出かけよう、と言われていたけど、どこに連れて行ってくれるんだろう?
かなり早い時間に起こされた。
どこに連れて行ってくれるの? と聞いても『ついたら分かるよ』としか言わないんだもん。
圭季に連れられて歩いていると、駅に到着。駅?
「はい、切符」
と手渡された行き先を見て……。
「ここって……?」
切符に印字された文字を見て、目が点になった。だって、隣の県だよ?
「日帰りで行けるところだから」
圭季の目的がまったくわからないまま、電車に乗る。
途中、乗り換えて電車に揺られていると、朝、早かったこともあり、気がついたら圭季にもたれて寝ていた。
「チョコ、そろそろ着くぞ」
と声をかけられて目が覚めたけど、もしかしてずっと、あたしの顔、見てた? 恥ずかしすぎっ!
駅名を見て、もしかして……? と思っていたけど、目的の駅につき、改札を通ってしばらく待っていると、迎えのバスが来ていてそれに乗った。
「もしかして……、ぶどう狩り?」
「そう、正解」
にっこりと微笑まれ、うれしくて思わず圭季に抱きついてしまった。
「やだ、最初から言ってくれたらよかったのにっ!」
「それじゃあ面白くないだろう? チョコの驚いた顔が見たかったから」
驚いた、というよりすっごく嬉しい。基本的に引きこもりなので、こうでもしないとお出かけなんてしないから。
「ぶどう狩り、初めて!」
もー、うれしいサプライズ、じゃないのっ!
あたしたちは休みだけど、世間は月曜日。ぶどう園は貸し切り状態。
ぶどうが食べ放題、というけど、そんなにたくさん食べられないって。
ふたりで二房、が限度。
お昼はここでバーベキュー! 野菜にお肉に焼いて食べて。
お土産にぶどうまでもらったよ。
「帰りの電車まで、まだ時間があるから、少し他のところも見てみようか」
この辺りはぶどう畑が多くて、そのおかげでワイナリーもたくさんあるみたい。あたしは未成年だからワイン工場に行ってもつまらないかも、と思ったけど、思ったより楽しめた。
へー、こうやってワインって作られてるんだ。
圭季は試飲してたけど、あたしはお預け。ちょっとそこだけつまらなかった。
父にワインを一本お土産に買い、電車の時間も近づいてきたから駅へ向かう。
運動会と文化祭、来てもらえなかったけど、これで帳消し。
……われながら現金なヤツだな。
帰りの電車の中でもやっぱりもたれかかってしっかり寝てしまった。あたし、どれだけ寝てるの?
もう少し、電車の中で圭季と話をするとかしようよ……。
【つづく】