3−1.A市の仏教寺院の概観

 

A市の概要

 調査を実施したA市は県庁所在地で人口約44万人、北陸の政治経済の中心都市である。歴史的には、百万石を擁する藩の城下町として繁栄し、戦災を被らなかったこともあり、市街地には往時の面影を留めた古い街並や建造物を残している。地理的には、城跡とその周辺の中心街を起点に南東方向に台地が隆起し、それと平行して東に山、西に台地が伸びている。それらの谷間を2本の川が市の全域を貫いて流れている。山に連なる市の東部と、両台地に連なる市の南部の一帯には、2本の河川源流の分水嶺となる山間域が他県と接して広がり、それが市域の7割にまで及んでいる。

 

宗教法人の宗派別内訳

 1994年7月現在、A市には県知事所轄の仏教系被包括宗教法人が392団体ある。宗派別の割合は次に示すとおりである。これらの宗教法人のほとんどは寺院だが、教会も7含まれている(1)

宗派分類

割合

宗派別内訳

天台系

3%

12

天台宗6、天台真盛宗4、金峰山修験本宗1、浄土真宗遣迎院派1

真言系

7%

28

高野山真言宗17、真言宗醍醐派2、真言宗東寺派1、真言宗山階派2、真言宗国分寺派5、真言密宗1

浄土系

60%

234

浄土宗21、浄土宗西山禅林寺派4、浄土真宗本願寺派17、真宗大谷派190、真宗山元派1、時宗1

禅系

17%

67

臨済宗妙心寺派7、臨済宗同国泰寺派1、曹洞宗58、一尊教団1

日蓮系

13%

51

日蓮宗36、日蓮正宗1、顕本法華宗2、法華宗本門流3、法華宗陣門流3、法華宗真門流3、法華日蓮宗1、本門仏立宗2

 

 この他に、16の仏教系単立宗教法人がある。
 なお、真言系や曹洞宗では、法人化していても住職兼務で不在等のために実質上活動停止の状態に入っているものが、わりと多く見られる。

1)B県総務部総務課による。

 

浄土真宗の優勢

 一般に真宗地帯と言われるとおり、県内では大谷派を中心に浄土真宗の勢力が強く、A市でも寺院総数の5割強を占めているが、それでも県内の他の都市に比べると割合が少なくなる。1992年の3月末で、仏教系被包括宗教法人のうち、真宗の数は、県全体では1377のうち864(63%)、西のB市では全87のうち75(86%)、北のC市では全65のうち55(85%)もある(2)
 A市内の住民の宗旨については、旧来の住民や県内他地域からの流入者には真宗門徒が多いと推測できる。少し古いが、1970年に地元大学の郷土史研究会が近郊・農山村の移動の少ない地域を対象に、町内会長を通じて実施した宗教分布調査によると、対象戸数の約9割が浄土真宗であるが、数町内では他宗派の檀家が多数派になっている。日蓮宗8寺が集中する地区では日蓮宗、天台宗寺院の存在する西部の農村では天台宗、西部から北西部一帯の農村では曹洞宗が優勢となっている(3)

2)B県総務部総務課 1992。

3)C大学郷土誌研究会 1970。

 

A市内の寺院分布

 市内での寺院分布は、歴史的な条件に大きく決定されている。
 真宗寺院はもともと近郊農村に散在していたが、藩政期に城下への移転が進められ、今では市域に一様に点在している。それに対して、城下に創建された非真宗寺院は、中央と西の台地と東の山麓という城下の外縁部に集中して移転された。西の台地と東の山麓に多数の寺院が配置してあるのは、幕府の侵攻を想定した軍事上の対策であったと言われる。中央の台地には藩主と深い関係がある少数の寺が集められた。
 これらの移転の結果、現在、市内の非真宗寺院の分布は局地的に偏っている。市内の非真宗寺院の6割弱が次のように3箇所に集まっている。これに真宗寺院も加わって三大寺院群を形成している。

場所

町数

寺院数

分類別内訳

中央の台地

5町

18

真言系1、浄土系1、禅系15、日蓮系1

西の台地

5町

56

天台系2、真言系4、浄土系11、禅系19、日蓮系17、単立3

東の山麓

5町

35

天台系2、真言系1、浄土系6、禅系7、日蓮系18、単立1

 

 非真宗寺院は郊外に行くにしたがって少なくなり、農山村地域ではわずかしかないが、例外的に北西部の港町に9寺、東部から北東部の農山村地区に日蓮宗8寺がある。

 

寺院の檀家

 一般的に言って、A市では藩政時代には浄土真宗の門徒は、農民・職人・商人階層だった。それに対して、真宗以外の宗派の寺院は、武士階層を檀家とし、藩主と結びつき寺を維持していた。寺領を拝領したり、藩家老や家臣の菩提寺や祈祷寺として厚い保護を享受していた。だが、明治時代の廃藩置県で寺領や保護を失い、武士階層の離散で経済的基盤が崩れたために、寺の護持に困窮して移転したり、合併したりするところもあった。非真宗寺院で、一箇所に墓碑を段々に重ねて数体の地蔵像を配した無縁墓に、武士階層のものが多数見られるのは、このためである。
 現在、全宗派のなかで多くの門徒数を持つのは真宗寺院である。各寺院あたり100〜800世帯に達する。A市で最多の門徒を誇る大谷派の寺は、約8000世帯の檀家を有すると言われる。この寺は、葬祭会館や広大な霊園を所有している。これに対して、非真宗寺院の檀家数はひじょうに少ない。檀家が100世帯を超す寺は数えるほどしかなく、天台系や真言系では檀家を全然もたない、あるいはわずかしか持たない寺が多い。こうした「信者寺」では、現世利益祈願により不特定の崇敬者による信仰を集め、檀家の少なさを補っている。

 

寺院の副業

 寺院経営を支える基本的な財源は、檀信徒に割り当てられる寺の護持の負担金や、葬祭や法要における布施など、継続的に関係を維持する者から得られる収入である。その他に得られる収入は、法務に関わるものと、世俗的なものに分けられる。前者には諸祈願、加持祈祷、人生相談、先祖・水子の供養、ペット供養、御札・御守り、おみくじなどがある。少なくとも3寺がペット供養を行い、そのうち2寺と提携するペット葬儀社は、テレビや電話帳に広告を出している。寺院や関連施設を活用墓地造営・経営と観光は、法務に関わるものだが、世俗的な趣も強い。石材店と組んで境内を墓地として売れば、一度に墓地管理と法要の仕事が生じることになる。
 完全に世俗的な領域での収入源には教員等の勤務、アパート・駐車場等の不動産賃貸、幼稚園・保育園等の教育施設の経営がある。住職や副住職に勤務経験がある寺は、訪れた55寺の中に6寺ある。幼稚園・保育園を併設する寺は、少なくとも10寺ある。

 

寺院の観光化

 観光都市としてのA市は、官民挙げて伝統を引き継ぐ景観の整備に取り組んでいる。市街地に立ち並び、歴史情緒を醸し出す寺院群は、重要な観光資源の一つである。旅行案内書には寺院側の思惑とは無関係に、観光名所として由来や見所が紹介され、行政側も寺院の観光利用を推進する意向を持っている(4)。当の寺院では、住職が商業主義や静寂の喪失を嫌い、寺の観光化を拒否する態度を表すこともあるが、なかには拝観料をとり、境内や建物内に売店を構え、土産物を販売するなど、積極的に観光化に乗り出すところもある。
 観光寺院として最も人気があるのが、建物内部の複雑な迷路状の構造から「忍者寺」と通称される西の台地の日蓮宗寺院である。その寺の並びには、関連商品を売る土産物屋が何軒か列なっている。周囲の寺には忍者寺観光用の駐車場として境内を整備し、常時観光バスを停めているところもある。

4)A市の観光協会と商工会議所は、1971年と1973年にそれぞれ寺院群に関して、名称・山号・宗派・本山・本尊等の基本情報を記載した『古寺巡拝』と題する小冊子を作成した。A市の観光課は、寺を中心に観光名所を組み合わせて設定した徒歩での観光順路を地図に載せて配布し、同様の案内板を主要な寺の門前に設置した。また、1993年には観光地域の拡大と促進の立場から、潜在的な観光資源の発掘を目的に、132箇所の遺跡・遺構・史跡に対して観光価値や保存状況について評価する報告書を発行した。

 

A市の民間信仰 

 民俗学者の小林忠男は、A市の都市性との関連で、京都のように様々な種類の民間信仰が展開すると述べ、祈願の対象神仏と内容を整理している(5)。明治以後から昭和中期までを主眼としているようで、すでに消えた寺も含まれているが、現在まで続くものもある。
 寺院が関係する民間信仰で最も有名なのは、「鬼子母神さん」と俗称される東の山麓の日蓮宗寺院における安産・子育て祈願である。この寺は、これまでにも何度か民俗学の文献で紹介されている。
 京都と類似するA市の特徴として、市街地に古くからの住民が多く、町内会など地域的な結合が強いことがある。京都では町内会で地蔵像を管理し、子供の活動を中心に地蔵盆を行なうが、A市でも子供の出番は少ないものの、寺院や町内の地蔵像で地蔵盆を行なっている。こうした伝統的な地蔵盆や地蔵信仰に新たに水子供養の意味が付け加えられたりすることもある。

5)小林 1984,126頁。

 

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