3−2.水子供養の実施状況 ※寺院に付けられた数字は附録資料への収載順序を示す
最初の水子供養寺院 A市の寺院のなかで、4寺が、自分の寺がA市で最初に水子供養を開始したという説明をしている。始めた年代が最も早いのが、1948年に霊能者の先代住職が霊夢で啓示を受けて始めたという寺院(11)である。これが事実ならば、優生保護法の制定に対応しているが、実際のところはわからない。先代は水子供養の先駆となったことを豪語していたと住職は言い、自らも自負している。この他には、1961(正しくは1969)年に産婦人科医や看護婦等の有志で発願し、後に日本母性保護医協会(日母協会)(1)県支部の主催で始めたとする寺院(82)や、1967年に先代住職が水子地蔵像を建立したころ、県内に水子供養の寺はなかったとする寺院(13)などがある。 (1)優生保護法指定医の団体で、日本医師会の関連団体。
A市の水子供養年譜 諸寺院で地蔵や観音など水子供養を請願とする仏像を最初に建立した年代や、自覚的に水子供養を開始した年代を年譜にまとめた。これを見ると、単なる胎児の供養ではない新しい現象としての「水子供養」が、A市に浸透する時間的経過が概観できる。ただし、地蔵像の新規建立なしに多くの供養をこなす寺もあるので、これらが水子供養をする寺の全部ではない。
水子供養開始の契機 地蔵像や観音像の建立を含めて、寺院が水子供養を始める契機として多いのは、檀家や信者等の縁者の要望に接して供養を意識し始めることである(13,30,134,166)。水子供養の依頼が現われるようになったり(27)、地蔵像の奉納を受けて「時代の要求」を感じたり(83)して、水子供養の意義を自覚し始めることもある。世間の流行に感化されて、水子供養の必要性を実感する寺もある(120)。寺院(27)の住職は、それまで供養の必要はあまり感じなかったと述べている。こういう感想は、ほかの寺の住職にも共通していると思われる。
寺院の類型 水子供養を実施する回数は寺院間できわめて差がある。これは、宗旨上の理由、寺の歴史や性格、住職の方針、檀信徒との関係等の要因により左右されるためである。水子供養の実施頻度から、寺院は次の3類型に大別できる。
水子供養の実施件数 水子供養の実施件数が毎月1回以上あれば、かなり多いほうである。その部類に入るのは、全部で14寺ある(3,5,8,10,27,80,81,82,83,86,129,131,132,162)。回数の内訳は、1回が3、2〜3回が4、4〜5回が3、6〜10回が3、11回以上が1である。これ以外にも、今は衰えたが、累積の供養件数がかなりに上る寺院や、回数ははっきりしないが、明らかに高頻度で供養する寺院が多数ある(2,11,13,23,30,122,133,134,164)。
水子供養の宣伝 供養頻度が高い寺の多くは、地蔵像や観音像を建立するなど意識的に水子供養に関わっているが、調査した55寺のなかには派手に宣伝する寺はなく(2)、せいぜい信者向けに広告入りのちり紙やチラシを用意する程度である(8)。したがって、依頼者側からすれば、口伝えや評判で情報を得るか、水子地蔵像や観音像を目印にするかにより、供養を依頼する寺を探すことになる。 (2)結果的に今回は調査を行なえなかった寺院には、媒体を通じて営業展開するところもある。高野山真言宗のM院は電話帳や地元紙に「水子供養 護摩祈願 人生相談」をうたう広告を掲載する。尼僧の住職はもともと高島系の占い師だったらしい。また、以前東の山麓に水子供養専門のS院があり、テレビで宣伝を流していたと僧侶からしばしば聞いた。稼いだ金を夜の街で使いすぎたため、夜逃げしたとも言われ、あまり評判が良くない。現在、市の郊外に同名の単立寺院がある。A市外の寺院では、隣県の高野山真言宗のS寺が電話帳に先祖と水子の供養を勧める広告を出し、人工の巨大洞窟を観光の売物にする県内のH院が地元紙の観光案内に「水子の里」と称して広告を出している。
身の上相談 数多く水子供養を行う寺院のなかには、身の上相談において、生活上の不幸と中絶行為や水子供養の不足の因果関係を、特定の方法で調べて、供養による解決を勧めたり、因果関係を断定しないまでも緩やかに関連づけて助言したりするところがある。これらの寺院は全て、天台、真言、日蓮系で、真言系を筆頭にした密教系宗派に水子供養の寺が多いとしばしば言われるのは、こうした事情による。浄土系や禅系には、宗教的な原理を応用した身の上相談に積極的に関わる寺は見られない。A市では、日蓮宗の修法師と呼ばれる宗派公認の祈祷師(3)が住職を務める寺で活発な動きが目立つ。修法師は、祈祷や霊断等により先祖や水子の不浄霊や因縁の影響を見抜き、浄霊や憑祓を悩みの解決に役立てている(122,131,132,133,134)。 (3)100日間の「荒行」を重ねて修する修法師の宗教的職能者としての特性については、長谷部八朗が概括している(長谷部 1989a;1989b)。修法や霊断を駆使する僧侶は水子供養や中絶に関しては率直に見解を語ってくれるが、それらの手法や解釈に関しては公に明かすことを是としない。全国的に荒行の志願者は増加傾向にあり、ある僧の話では、金沢の日蓮宗青年会に属する50歳以下の僧侶、二十数人の半数以上が修法師の資格を有するという。
水子供養の合同法要 水子供養の依頼件数が多い寺院では、随時に個別の供養をするだけでなく、参詣者を一同に集めて、水子供養を主目的、または目的の一部とする法要を開いている。これには、以前から、7月から8月にかけて行われていた地蔵尊大祭に、水子供養を付け足した場合が多い。供養頻度の少ない一般の寺院でも、月参り、年回忌、春秋の彼岸、盆施餓鬼、地蔵祭などの各種行事や活動のさいに、檀信徒から先祖とともに水子の供養が申し込まれることがある(9,31,36,37,124,126)。また、卒塔婆を立てず、特別な申し込みを要しない祭礼や、子供に縁が深く気軽に参詣できる一般の地蔵祭でも、参拝者が水子の幸福を内心祈ることもありうる。
水子供養の依頼者 檀信徒は中絶経験を知られたくないので、檀那寺には水子供養の依頼をせずに、身分を隠せる遠方の寺に出かけるとしばしば言われるが、これが全ての依頼者にあてはまるわけではない。なじみの深い菩提寺に水子地蔵像の建立を希望したり、水子供養を求める檀信徒は存在する。農山村部に位置する日蓮宗の修法師の寺院や、古くからの住宅地に位置する町内会縁の地蔵堂(86)には、檀信徒や地元住民の多数から供養が申し込まれている。 (4)近年、男女同伴の依頼者が増えつつあることは、これまでにも示唆されている(橋本 1990,森栗 1994,大貫 1985,ヴェルヴロウスキー 1993)。
一般の寺院の対応 仏教寺院の大多数では、盆や彼岸などの各種行事の機会を除いて、個別に実施する供養の回数は皆無から月に1回程度とごく少数である。檀家から頼まれたこともない寺院もあり(85)、筆者が電話で尋ねるかぎりでも、そういう例はわりとあるようである。
水子供養寺院の紹介 檀信徒以外からの依頼を断わる寺はわりとあり、そうした寺は供養依頼や問い合わせの電話がかかると、宗派を問わず、しばしば水子供養の「専門家」として寺院(82)を紹介する(34,75,88)。寺院(126)も年に2〜3回かかる電話に対して、よその寺に行くように勧めるという。読経だけで満足するなら引き受けるが、「してほしい人は形あるものにしてほしいのでは」と住職は語っている。この住職の言葉にあるように、匿名の依頼を断わる寺院は、依頼者が地蔵像など供養の特別な証を「形あるもの」として望んでいると推量している。供養に対する責任感から、意識的に対象を檀家に限定して、位牌での水子供養を始めた単立寺院もある(164)。日蓮正宗や本門仏立宗の寺院では、教義や信心に対して厳格な態度を求め、檀信徒からだけ供養を受けつけている(154,165)。
過去帳の水子 たいていの寺院の過去帳には、早ければ江戸末期から「水子」という戒名が載っている。これらの戒名について、僧侶の理解は、胎児のもの、一部は子供のもの、ほとんど1歳程の子供のものと分かれるが、最初に説明したように、おそらく生後の子供のものがかなりあるだろう。現在では幼児には孩子・嬰子という戒名が付けられるが、胎児の多数を占める中絶の胎児には戒名があまり付けられないので、最近の過去帳では水子の戒名がかえって減少している。
浄土真宗寺院の対応 仏教諸宗派中で、浄土真宗の寺院は、宗旨上の理由から水子供養を拒絶し、その独特の態度が際立っている。そこで、他宗の寺院とは別にその対応を記述する。 次の章に進む トップページに戻る |