2002年2月26日早朝

おかげさまで23000ヒット達成いたしました

人生を変えた?フランス国鉄TGV 南東線用23000系「TGV-PSE」車輌・その1


「23000」といえば・・・私にとっては、何をさておいてもコレです!今や【おフランスのシンカンセンTGV】を知らぬ方は「鉄」以外の方でも少ない、と思います。スペインに「輸出」されたAVEや派生型といえるユーロスターも含め、実際に(普通の)観光コースや所用で乗られている方も多いと思います。しかし、1981年9月27日に颯爽とデビウした「オレンジ色の憎い奴」こと、パリ南東線用TGV-PSE(Paris sud-est)車が日本風に表現すれば『23000系』であることをご存知の方は・・・逆に「鉄」でも少ないのではないでしょうか?

◆元々高速列車に興味がある反面、我が「0系」とそれに続く「200系」に何かと不満であった私にとって、半ば『神話』であった フランス国鉄の直流(1500V)電気機関車 CC7100形(108t 3500kW)とBB9000形(82t 3000KW)(どちらも特別仕様)が1955年に・・・レールとパンタ、架線をズタズタにして樹立した【331km/h】という大記録を、正式営業開始前の高速試験(奇しくも・・・21年前の今日!)で大幅に更新した379km/hという大記録を樹立したTGVの存在は、本当に憧れでした。

1980年2〜3月の就職直前に『憧れの欧州鉄路』の旅行の夢を果たしたものの・・・TGVの開業は1981年9月・・・当時の「社会常識」からいっても、新人サラリーマンが新婚旅行以外で海外旅行することなど・・・【夢】の又【夢】でした。

しかし・・・就職1年余りも経つと「仕事の流れ」が見えてきました!あくまでも、独断と偏見に基づく勝手な解釈ですが、『年度末の繁忙期』(これが、極端に忙しい!)を過ぎて『GW』明けまでは、結構「暇」との結論を自分の中で導いてしまいました^_^;。パソコンはおろか、会社でも「クルマより高い」ワープロが1台「床の間」に鎮座していたような時代・・・字の下手なことでは折り紙つきの拙者が必死で『長期有給休暇取得お願い書』なるモノを、クドクドと作成しました。ざっと下記のような要領だったと思います。

@ 取得目的
A 期間
B この期間に決定した理由
C 休暇期間中並びに休暇後の自らの職務等について・・

◆・・・何とマア!会社をバカにしているというか・・・自分勝手というか・・・呆れて(@_@)・・・というのが、上司(今でも、年賀状のやりとりは続いています^_^;)殿の率直なご意見だと思います!少ないながらも「部下」を持つようになった今日、もし立場が逆だったら・・・きっと、怒鳴り付けるんじゃあないでしょうか!?この時クビにならなかったのは、奇跡というしかありません。寛容な?上司殿には心から感謝いたします・・・__<m(__);;;m>__・・・オマケに・・・帰国後は、「旅行記」を社内報に掲載し、高額(某鉄道雑誌の数十倍!)な原稿料まで頂いてしまいました。

兎も角、1982年3月30日憧れの 京成初代AE車〜「おふらんすの会社のひこーき」と乗り継いで、花の都パリを目指しました。今回はJTBで扱っていた、往復空路とエッフェル塔に程近い安ホテル(朝食のみの日本のビジネスホテル級)9泊、それに到着日の簡単な市内観光のみが付いていた一都市滞在型12日間(といっても、アラスカ経由の便では往復で足掛け4日掛かるので正味は8日間)のコースでした。勿論「オプショナルツアー」なるモノは一切申し込まずに「ユーレイルパス15日間用」に加え、イギリス国鉄(当時)と英仏間(海路)連絡の「ブリットシーパス4日間用」まで買い込んで・・・パリのホテルは4泊も無駄(つまり、この間はイギリスも含み夜行漬け!!!)にするというとんでもない行動に出ました。正味8日間のうちTGV乗車は、パリ〜リヨン往復と同じくジュネーブ往復で丸二日間をかけました。又、最終日には、在来線区間とはいえパリ近郊での走行写真にも挑戦しました。

前置きが長くなりました・・・それでは、第一弾のスタートです♪


パリ近郊の三複線区間で、車輌基地を出庫したTGV回送列車とZ6100系近郊電車が、ピタリと並びました!あの有名な「ミストラル」も通った・・・日本でいえば、正しく「東海道本線」に相当する大幹線です。しかし、ごらんの通りやっと「下り列車線」がPC(RC?)マクラギ化されているだけです。しかしロングレール化は、遥か昔に完了しています。これだけでも、日本とは対照的ですね。中央2本の「電車線」には、ちょうど信号機があります。堂々たる信号柱は、ちょっと日本では見られません。しかし「インピーダンスポンド」は、日本そっくりですね!Z6100系は、今でも活躍する近郊型電車。2M2Tと、MT比は日本並です。古典的なバッファーと密着連結器の組み合わせが我々の眼には奇妙です。列車ホームに合わせた低床設計のためか、電動車の片方の屋根上には抵抗器が載っています。フランス伝統の「昆虫顔」は、最新最速のTGVにまで受け継がれた。このような併走シーンが何処でも見られるのが、在来線直通の楽しさです。

1982-4-8   Paris-Lyon線 Maison Alford駅付近

アサヒペンタックスSPF SMCタクマー 85ミリF1.8 PLUS-X


↑旅行も、いよいよ終りが近付く頃になると・・・旅慣れてきたこともあり、近郊区間の駅間走行写真撮影へと向かいました。ホームからは、絶好の位置に歩道橋が見えました(^^)v!


私が撮った1枚目のTGVです。パリ・リヨン駅※では、TGV専用の出発ホームが整備され、珍しい「改札」も(日本ほど厳重なものではありませんが)設けられました。しかし到着列車については、一般列車と同じ扱いでした。19世紀そのまま、といった景観のなかに停車するTGVの姿・・・それは、最新ファッションが伝統の街に溢れる「Paris」そのものです!

写真の編成番号は「20」です。先頭車は奇数偶数ペアになっているので、この車輌はTGV23039号です。最高解像度によるスキャン原画では、先頭車輪手前(右)車体裾にある小さい表記が完全に読み取れました。車輌の詳しい解説は、次の機会にしたいと思います。


1982年4月1日9時・・・とうとう、憧れのTGV車中の人となりました!「専用ホーム」といっても全長400M(2編成併結の20両編成)の列車先頭部は、ごらんの通りです。24ミリレンズを駆使してようやく収まりました。昆虫顔が、一層強調されます。発車まで1分足らず!慌てて車内に戻りました(汗!)。

前日のどんよりした曇り空がウソのように晴れ上がりました!朝日に輝く「オレンジ色の憎い奴」!このアングルからみると、配色の妙が良く判ります。この頃の日本ではまだ見られない「Zパンタ」「戸袋無しのプラグドア」だけでもシビレます。沿線都市の「市章」を掲げるのは、イギリスを含めたヨーロッパの鉄道では多くみられます。

3枚共 パリ・リヨン駅※にて  1982-3-31・4-1

アサヒペンタックスSPU SMCタクマー 35ミリF3.5・24ミリF3.5  KR

23000大特集・2へ


トップメニューへ

※「パリにあるリヨン方面行きの列車が発着するターミナル」です。そのまま、日本に当てはめるなら【東京・大阪駅】!