「デトニの車内」

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2:【ここでは国鉄ネタも続々・・第一弾はお宝?】

既に登場している写真で、ご存知の方も多いと思いますが、1973年3月初の九州旅行は、母親同伴&観光半分の超軟弱なものでした。完全な「乗り鉄」中心で、そのカメラもハーフサイズでした。前半は、当時春の恒例行事の“順法闘争”に悩まされました。それでも、福岡の親戚宅に着く頃には「戦術ダウン」され・・・博多から日帰りの長崎観光は、ほぼ予定通り消化できました。帰りは何と・・・京都行きの夜行急行【雲仙2号 204レ】のグリーン車を博多まで利用しました。この列車は・・・敢えて乗ったのではなく、時間帯の良さから選んだものだと思います。食堂の連結こそありませんが、東京・関西〜九州の夜行急行全盛期を思わせる「旧客」「10系寝台」の「ロ」「ハ」を含んだ、今から見れば夢のような編成でした。そのグリーン車に連結されていたのが・・・

スロ5426 門サキ

でした。・・・コレ自体、今となっては垂涎の逸品です。しかもそのなかでも「お宝中のお宝」であることが徐々に判ってきました!


上り雲仙2号 204レのサボです。ブレは大したこと無いですが、目測合わせのために(言い訳^_^;)とんでも無いボケピンです。

思い切り「輪郭補正」しちゃいました!ヘンですね・・・

堂々たる「長距離夜行急行」の風格が漂います。長崎駅ホームに停車する204レのスロ5426。記録によると右はA寝台(オロネ10)です。ちょっと暗いですが・・・屋根上に注目して下さい!低屋根ではありません・・・。


↓・・・そして、これが車内です。「顔出し」は、29年以上経っているのでご容赦を!・・・それにしても怖い顔^_^;

南海のクロス車にも通じる天井中央一列と座席毎(スウィッチ付き!)に取り付けられた照明が、長距離優等車としての風格を演出していますが・・・ウン!いくら何でも九州のグリーン車に冷房が無いッ・・・オマケに足元を見ればTR23台車(通常はTR47)が・・・(?_?)

側窓間柱上部に注目してください!ルーバーがあります。これが何と・・・冷風吹き出し口だったのです!当時は、このことよりも台車がTR23であることが強く印象に残っていました。「非冷房」は当然?かと思い、余り気にしていませんでした。走り出すと・・・確かに継ぎ目の振動をしっかり拾い、低速ではとても優等車とは思えない雰囲気でした。しかしある程度速度が上がると、そこは「客レ」です。フラットが皆無で、重心が低い(理由は後述)ことも相まって中々快適な乗心地でした。  デッキとを仕切る腰の低い刷り硝子の入った扉や幅の広い(通路がその分狭い)腰掛も、現在では味わえない逸品です。

前置きが大変、長くなりました。これこそが「旧型座席車」では大変珍しい『床下集中冷房装置』を搭載していた珍しい車輌でした。このことは、撮影後間もなく判明しましたが・・・詳しい記録は、2002年発売の鉄道ピクトリアル誌の記事で漸く明らかになりました。 そこでも、僚友のスロ5429の形式写真が掲載されていましたが・・・床下の冷房装置や車内写真・・・特に冷風吹き出し口のアップなどはありません。ネット検索でも残念ながら発見されていません。皆様のなかで、これらの写真をお持ちの方はいらっしゃいませんでしょうか?

↓題して「鉄道公安36号」と名付けた写真です(^^)

冷風ダクトのために座席部分が一段(100_)上がった独特な床と背もたれまでかかった枕カバーが目を惹きます。

以下、鉄道ピクトリアル718・719号から抜粋したスロ5426の経歴です。

1953.2日車製⇒1964.7小倉工場にて冷房化〜マロ5526に改番(AU21C×2〜ディーゼル発電機駆動)⇒1965.8高砂工場にて台車振替(TR47→TR23D:重量軽減の為)後再度スロ5426に改番⇒1975.2.24廃車。

1973−3−15 長崎


オマケ「キハ26形400番台」

キロ25から格下げ改造されたキハ26形の400番代の多くは、回転式のロマンスシートが残り各地で急行以下の運用に就いていたので馴染みの方々も多いのではないでしょうか?写真は、指宿枕崎線(考えたら、乗ったのはこの時限り・・・)の快速に組み込まれたキハ26形400番台の車内。

小雨振る喜入駅停車中の同車。F1.7レンズ(1/15秒)とTXの組み合わせで夜景は結構・・・イケます♪

1973−3−11  指宿枕崎線 喜入

オリムパスペンEED ズイコー38ミリ F1.7  TX


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