お気軽写真館・11

2002年7月21日アップ

「軽便の未来」を担う・・・はずだった

“垂直カルダン駆動連接車”の抜け殻

近鉄200系

北勢線朝の2往復の限定運用に、細々と?余生を送る、アッと驚く“連接付随車”です。湯ノ山線が三重交通(→三重電鉄)のナロー路線であった1959年に日本車輌で製造された「わが国ナローの最高峰」4401形三車体連接車の“なれの果て”であることは、良く知られています。

垂直カルダン駆動を採用し、EL並みの出力45KW×4を誇り、北勢線転属後も暫く活躍していました。やがて、“異端”“保守性”というお決まりの理由で格下げされてしまいましたが・・・新車が大量投入された今日でも奇跡的に生き残っているのは喜ばしい限りです。

北勢線そのものの存廃が議論されていますが・・・冷房化は勿論・・・交流モーター〜ダイレクトドライブといった最新技術を注入しヤマト&タみの奇跡の復活まで夢見る筆者です^_^;

マアそれだけ、車体の方は「健全」でした。特に連接車は、急曲線と貧弱な軌道の線区ではボギー車に比べて群を抜いた乗心地を示すことを、再認識しました。


馬道での交換風景。素人目にも、「食パン顔」の他車とは一目瞭然の違いをアピールする。


楚原で発車待ち。登場時の湘南顔≠ヘ、大きく改造されている。中央のデカ目1灯は、本線通勤車のような「2灯&方向幕」に変わりました。正面窓上にあった眉毛¢Rとしたベンチレータは、跡形も無い。正面窓のHゴム押さえも無くなり、太くなった中央桟は黒色塗装され「1枚窓」を演出している。尾灯も交換〜移設されていますね。写真では“顔面”が張替えられた跡≠ェ見られる。

この編成なら、若干の重量増による出力不足問題を無視すれば、冷房化も容易だと思います。「1M3T」・・・スイスの小私鉄辺りに存在しそうな好ましい′`態の電車です♪

ク202の運転台直後の車内です。内装材が張替えられ、ATS機器が設置されている以外は、かなり原形を保っていると思います。

サ101(左)とサ201の連接部分。快適な乗心地&軌道に優しい連接車ならではの空気管・ジャンパー類の配置です。

サ201側から、三連接車編成の車内を見渡します。中央に配置されている一列の大きなカバー付き蛍光灯が「近鉄」をアピールします!三重交通時代から付いていたと思われます。

中吊り状態のサ101です。冷房化するなら、ここに機器を集中配置しダクト配風≠キるのがいいでしょうか?かつての近鉄特急の再来ですね(^^)近鉄にあっては平凡なウィングバネのND106(A)台車の乗心地は、未だにナローピカイチ≠ナす。

変わり果てた(モ→)サ201の前面(TT);;;かつては、こちら側に大きなパンタを上げていました。

サ201の運転台跡付近の車内です。奥の電動車は、他編成と同じ新製のモ276。出力38KW×4と、決して充分では無いが(ボギー車1M2T編成に比べて、制御器の減流値を上げているらしい)、かつては28KWの直接制御式のMc車1両が3両のT車を牽引して今と変わらぬ到達時分で阿下喜を往復していたので、何ら問題は無いでしょう。

自動閉塞&「ATS」が導入され・・・ナローにとっては“走りにくい状況”が多くなりましたが・・・『楚原以遠入線不可』という決定的な理由は、見当たりません。


【プロジェクト×】

伝説の「垂直カルダン」の証≠ェ、ここにハッキリ残ります!♪

↑↓・・・ご覧のように、電動台車だった編成両端の床が上がっています!狭いナローの台車に高出力カルダンモーターを納めるには最高の技術です。「決まり文句」の・・・“保守性の問題”から・・・全く普及しなかったのが悔やまれます。特に、ゴムタイヤ車の世界では「全車」に採用され・・・最近では、魔法の玉手箱のような「無段変速機」にまで発展した“傘歯車”の技術が、鉄道では全くといっていいほど成熟しなかったのが悔やまれます。・・・もし、成熟していたら・・・・ローカル線の近代化だけではなく、高性能機関車や超高速車輌にも貢献していた筈です。

ここにも【プロジェクト×】(バツ!)の貴重な産業遺産が、あります。

2002―7―13

キャノンパワーショットG2


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