お気軽写真館・10

2002年3月24日アップ

本土防衛の重責を担った・・・

武蔵野の「鉄聯線」跡?


中央線から「中島飛行機武蔵製作所」への専用線を利用し短命に終わった「武蔵野競技場線」、そして武蔵野鉄道(現西武池袋線)東久留米からおなじ中島飛行機の関連会社「中島航空金属」への専用線の跡は、それぞれはっきり残っていることは知られています。しかし、この両線の中間にあったとされる・・・つまり「武蔵製作所」と「中島航空金属」の両工場を結ぶ2フィートゲージの簡易軌道のはっきりした跡は、残念ながら残っていません。しかし、多摩地区の歴史についての各種文献を参考に作成された個人HPや、先日発売された「鉄道ピクトリアル・西武特集」の記述を総合すると・・・西武新宿線をアンダークロスする地点は、(これが真実なら)実に魅力的な【とわいらいとぞ〜ん】といえましょう(^^)♪

天気予報に反してイマイチ冴えない天気でしたが、桜満開の西武「乗り鉄」(何と、やっと・・・「完乗」達成!)&「撮り鉄」の途中に訪ねてみました。


西武柳沢から田無に向かい・・・青梅街道のオーバークロス直前の築堤の下に、細い道が通っているのが見えてきます。

築堤は「春爛漫」♪

怪しいかんじですね・・・「木」は、すべてを知っている?

この細い道を南に抜けると青梅街道です。すると・・・こんなものまでありました!西武新宿線と青梅街道との位置関係が良く判ります。こうして見ると・・・右側がかなり高くなっています。「社」や「木」の位置は不変・・・。軌道は、左側を通っていたかも知れません。

北にすすむとこんなかんじです。西武のアンダークロス部の角度とこの道の角度がずれています。軌道は、この木の左だったか・・・右の道の位置だったか???

アンダークロス部は、ごらんの通り改修されています。しかし、道路との位置関係が不自然に屈曲しています。2フィートゲージの小型機関車は、難なく通り抜けていたのでしょうか?

反対の、北側から見るとこうなります。最新の20000系が、静かに駆け抜けます。

この怪しい道が北側に抜けるところです。斜め左方向が「中島航空金属」(現住友重機)にあたります。ここから先、軌道の痕跡らしいものはほとんど残されていないらしいです。正面の民家・・・「地型」が揃っていません。左の民家のラインと、手前の軌道跡のラインがほぼ一致するようですが・・・???

東久留米の中島航空金属では、新形エンジンの地上テストを行い、「戦時」とはいえ「近隣騒音」がひどかったそうです。戦争末期に、突然(勿論、土地は「強制収容」でしょう)建設され、テストのための新形エンジンを載せて走る簡易軌道・・・写真も正式な記録も残っていないのは、仕方ないことでしょう。エンジンカウルの外側に「ターボチャージャー」を付けた、幻の高高度迎撃試作戦闘機【キ87】のエンジンも・・・この場所をゴロゴロと運ばれていったのでしょうか? 元々、強制収容された軌道用地故・・・「元に戻る」のにそう時間はかからなかったのでしょう。

2002−3−23 撮影

キャノンパワーショットG2


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