デトニの部屋特別分室

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憧れの欧州鉄路・2

【終着駅】の街から

以前から弊サイトでもその時の写真が登場している、1980年2月〜3月の「卒業旅行」が拙者の『欧州鉄』『外鉄』の始まりです。当時は「日本をくまなく周るまでは外国には行かない」という信念?でとうとう、就職も間近に迫った1980年の年明けに、急遽・・・初の海外旅行となりました。今更ながら、学生時代に日程に縛られずに放浪の旅をしておけば良かったと反省するこの頃です。

就職も間近、雑誌などの耳学問は結構【通】でも、海外旅行の経験はゼロ。あちこちの旅行社を周って出した結論は『自由時間たっぷり、一都市滞在が長い、卒業旅行対象のツアー』ということで、学生生協で扱っているN旅行の【ヤングスペシャルヨーロッパ17日間 パリ滞在】に決定しました。「TGV」など実用化する以前から、おふらんす国鉄(SNCF)の大ファンであったことから、「6日間のパリ滞在」は大変魅力的でした。

往復の空路は、懐かしい【南回り】のアリタリア航空(往路は、ローマ経由ロンドンまで所要通算28時間以上!)です。この当時は「ヨーロッパ特急」といわれたアラスカ経由さえ過去のものとなった今となっては、「空の各駅停車」の異名を持った空路の旅を味わえたことだけでも貴重な体験でした。

旅程は・・・確か「ロンドン2泊、パリ5泊、ジュネーブ3泊、ローマ3泊」だったかと思います。何と言っても、途中・・・この頃は個人発売されていた8(7?)日間通用の【ユーレイルパス】を購入し、パリ〜ジュネーブ滞在中にフル活用し・・・「オプショナルツアー」の類は、終盤の『ナポリポンペイ1日観光』を除き一切参加せず・・・到着時の半日市内観光以外は、すべて「鉄活動」に振り向けたことは、我ながら画期的な旅でした。

そのツアーの終盤は、ローマ滞在。ユーレイルパスの通用期限も切れ・・・元々「苦手」なイタリア(おフランス語は「それなり」に大学で選択していた・・・)で、イギリス・フランス・スイスと「好きな国」を堪能し・・・あとは「惰性」という気持ちも手伝って、前述のようなオプショナルツアーも参加しました。それでも、残りの一日半は、ローマ市内の地下鉄乗りや有名な【終着駅】ローマテルミニ駅での「撮り鉄」を楽しみました。

スイスアルプスを越えると、急に全てが「南」の雰囲気になることは(まだスイス国内でも)後の「ゴッタルド峠越え」でも感じました。考えてみればイタリアへの旅は、実質(スイス私鉄の終点駅が、イタリア国内にあるというケースが1回だけありました)このときだけという・・・私にとっては、貴重な記録となりました。

後に、イタリア製のスピーカーに「一聴惚れ」し、何故か「イタリア好み」の妻と暮らし(^_-)、リンク先には「イタリア車好き」の方々が多くいらっしゃる・・・という「環境」の変化がありました。

今となっては・・・『伊太利亜に行きたしと思えども余りに遠し』という心境です。「安物は徹底的に安物」、「高級品は徹底的に高級」「デザインとは、見た目と機能の融合」。私にとってはそんな印象が強い国です。22年近く前の記録を、これからご紹介したいと思います。


A:遺跡の街ローマへ

団体としての鉄道利用も「パリ⇒ジュネーブ」の昼行2等コンパートメント(TGV全盛の今では貴重!)と、この「ジュネーブ⇒ローマ」のシンプロン越えの2等簡易寝台(クシェット:我が「三段ハネ」2組がコンパートメントになったかんじ・・・「JR風」にいえば「セクステット」か!?)の2回!ともに500キロ以上の距離があり「鉄分」は、なかなかのものでした。下の写真は、その列車の「サボ」(といっても「幕」)です。確か、ローマ着が朝の8時過ぎなので、北イタリアのフィレンツエは、深夜の通過となる。客車は、軸梁式の台車を履いた新型で乗り心地は満点でした。

到着した日は、終日ローマ市内観光です。ギリシャのアテネ同様、「町中が遺跡状態」で、地下鉄建設もままならぬらしい。そして、「アルプスの北」の街中では大形犬が目立っていましたが・・・ここでは、やたら「猫」が目立ちます。これだけでも「違うな〜!」という印象です。下の写真は、「コロッセオの遺跡」です。

↓・・・切れ長の目をしたイタリア美人?の凛々しいネコ

今まで見てきた、近代的な路面電車に比べると・・・相当、時代が戻ってしまったローマの市電。そもそも、(そこそこの地図でも)路線が載っていないし、旅行ガイドにも・・・マア、「その程度」の乗り物なのです。ただ、この車輌は、れっきとした新性能車です。若干の差はあるが同系車体で「連接車」と「ボギー車」が並びます。無骨なビューゲル?が目立ちます。「ヨーロッパタイプ」というより、アメリカの「PCC」という感じです。はっきり記憶がありませんが、この写真を観ると・・・左は単線です。又、右奥にはもう2編成が停まっています。どなたかと談笑中?7017号の運転士氏といい・・・ここは、折り返し場所だったかな〜?だとすると、終点はループで折り返し、車輌は片運転台という一般的なタイプではなく、日本と同じ両運転台でしょう。

イヤイヤ・・・片側(進行左)にドアが一切無いです。ってことはやはり「片運」なんですね!

そういえば泊まったホテルの前にも単線の(遂に、電車の姿を見ることは無かった)軌道がありました。ループ形成のための単線ではなく、単に「道が狭い」だけなのか・・・。この時点で廃止(というか・・・「長期運休」といった表現が正しいか?)路線も多く・・・余命も?と思われたが・・・どっこい、車輌も大して変わらずに今でも元気に走っているようです。ちなみに、車体は「イタリアングリーン」です。

こちらは、年代もののボギー車。黄色系だったと思います。大きな「明り取り」付きの窓、薄い幕板、日本風にいえば「前面9枚窓」というのでしょうか!?ゴムタイヤ車も含めて・・・やっぱり「粋な」国です。「フェラーリ」とか「マセラティ」なんて・・・決して走っていません!

↑7013号と比べると、細部に違いがある7063号。とにかく、小型ゴムタイヤ車の天下です!

観光バス車内から、停車中の古典ボギー車を写す。一方向固定クロスが「片運」の証。簡素な車体構造&台車の様子が良く判る。上窓が開くのではなく、下窓下降ですね。系統番号入りのサボは、単純だが見易い。結構な混雑振り。一応「コロ軸受」、台車を見ると・・・2個モーターみたいです。実に、シンプルな床下です!

これが有名な【終着駅】 ローマ テルミニ駅の立派な駅舎。城の様な造りの多いヨーロッパのターミナルとしては画期的な近代デザインです。駅前広場は、たしか「五百人広場」といいました。我が「百人町」と同じような起源だったような?敷石とアスファルトが混在し、ここにもヘロヘロと軌道が・・・。

「到着列車」案内表示です。ちょっと「改札」のように見えますが、単なる「外と内」の仕切りだったと思います。「出入り自由」は『駅鉄』にとって最高!


 

確か・・・「20数番線」が一平面に整然と並ぶターミナル駅です。この写真をスキャンして初めて気がつきましたが・・・2本が対になったホームの柱の間に二人分のベンチと広告が一体になっていた!陽だまりに戯れるカップルの姿も・・・これぞ『イタリアンデザインの極致』

広告の「ドクロ」は・・・ミュージカルかオペラでしょうか?

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急行列車の出発風景。奥には、かなり古い客車が!手前は、当時の「標準客車」です。二段窓の下は固定です。ヨーロッパで下が開くクルマは見たことがありません。「デトニ的」に観れば・・・ナナメ横に張り出したオイルダンパが凄い!

1980年3月8日〜12日撮影

アサヒペンタックスSPF SMCタクマー35、55、85、120ミリ  プラスX(Microdol-X 1:3 21℃ 11min.)


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