世界一詳しい全国大会レポート


 7月22日、静岡グランシップにおいて第16回詰将棋全国大会が行われた。当日は100人を超える詰将棋ファンが全国から一同に会し、看寿賞の授賞式や数々のアトラクションが行われ、また夜は懇親会でお互いの親睦を深めるなど、華やかな「詰将棋の祭典」は大盛況のうちに幕を閉じた。終わり。


 ・・・・・・って、新聞なら数行で事足りるところだが、HPの記事、まして今回企画の立案から司会までやった私としては、そう簡単に済ませる訳にはいかない。まずは前日の模様から順を追って説明しよう。

 20日(海の日)の詰工房の席上で全国大会の最終打ち合わせを行い、アトラクション「100人に聞きました」のリハーサルや「夢銀河」出版記念パーティーをやったことは「詰工房日記」の中で記述した通りである。しかし翌21日に休みが取れなかった私は、着替えや筆記具等一式の入ったリュックを背負い、片手に前日買ったアトラクション用の景品入り紙袋、もう片方は司会の時着るおニューのスーツを入れた鞄を提げて、京浜東北線の通勤電車に乗り込んだ。夕方5時頃会社を出るつもりが、出たのは7時過ぎ。フィルムや靴下を購入して蒲田駅に辿り着いたのが7時半。東京駅まで戻って新幹線に乗ったのが8時半である。車内は満員で座れず、飯も食ってないのでサンドイッチを中で買ったら700円もした。(ちなみに「午後の紅茶」(250ml)は160円) 三島駅でやっと着席。静岡に着いたのは9時50分だった。
 宿泊予定のホテルは前回駿棋会に来た時に下見してるので迷うことはなかった。途中コンビニに立ち寄り、「詰将棋ビンゴ」の説明資料に使うため、ビンゴカードを拡大コピーする。
ホテルでの受付
 ホテルに到着して驚いた。何と入り口に「受付」の机があり、田口さんと八尋さんが座っているではないか! そんなことフロントにお願いすりゃいいのに、と思うが、これがプロデューサーである福島さんの性格なのであろう。聞けば福島さんは1時頃から受付をしてたという。
 僕の部屋は601号室、三谷さんと同室だそうだ。福島さんに模造紙を貰い、早速自室で「詰将棋ビンゴ」の説明資料を書く。30分ほどで書き上げたので、飲み部屋である409号室に向かう。(三谷さんはホテルに来られず、翌日会場に直行する旨の連絡が後であった。)

 部屋の中はすでに宴会状態だったが、何故か奥のテレビでアダルトビデオが流れている。聞けばA氏が100円玉を入れたそうだ。(A氏は翌朝も熱心にビデオを見ていたそうだが、自宅にビデオくらいないのだろうか?) アダルトビデオといえば、昔サラリーマンだった頃、社員旅行でホテルに泊まった際、男どもが同じようにアダルトビデオを見始めた。集団でAVを見るというのも変に気まずいもので、空気を変えようと即興で実況中継を始めたことがある。それ以来隠し芸の一つとしていて、この日も血がうずいたのだが、素面だったし翌日は大事な仕事を控えているのでやめた。しかしもしやれば、今でも30分ぐらいは喋り続ける自信はある。なお、K氏が「モザイクかかっているやつには興味がない」と言っていたのも記録しておこう。
すでに盛り上がってる人々宴会その2

盛り上がる人々
(ついていけん・・・)



こちらも同じ部屋



 まだシャワーも浴びていなかったので、酒も飲まず自室に引き上げ、風呂に入り、適当に運動してから寝た。何といっても今回は第二部全体を仕切る立場なので、以前の「詰将棋ダービー」の司会とはレベルが違うのだ。まして大阪まで行き、あるいは往復はがきまで送って回答を集めた積年の企画なのだ。失敗する訳にはいかない・・・。


<大会当日>
 ・・・という緊張感のせいか、タイマーは7時半にセットしたのに、目が覚めたのは5時半だった。仕方ないので顔を洗い、起きてしまう。何しろ第二部の司会では何を喋るのか具体的に考えていなかった。そこで紙にざっと主要な台詞を書き、アトラクションなど小一時間ほど声を出して練習した。これでだいぶ自信がついた。結果的には三谷さんがホテルに来れなかったおかげで練習ができた訳で、運が良かった。
 コンビニで朝飯と昼飯を買い込み、集合の二十分ぐらい前からロビーで待機する。(スタッフは8時半集合となっていた。) 元水さんの車が現れたので荷物を積み、助手席に乗る。元水さんは冷たいお茶をポットに用意してきたそうだ。
 グランシップ到着。地下にある荷物搬入口に車を停め荷物を降ろす。森田さんの車が先着していてその荷物も。福島さんが上に人を呼びに行くが、それから待つこと二十分。ようやく人がやってきた。しかし荷物を運ぶための台車がない。仕方ないので清掃係の人が使うゴミ入れ用の台車を勝手に組み立てて使わせてもらう。エレベーターで上に上がると、すでに主要な机の配置はあらかた終わり、照明や音響の操作を係の人が説明しているところだった。真向かいにスタッフ控え室があり、個人の荷物はそこへ運ぶようアナウンスするが、なかなか守られない。
 控え室で持参したスーツに着替えていると突然部屋の電話が鳴った。警備室に荷物が届いてるから取りに来てくれという。部屋に誰もいないので、仕方なくパンツ一丁で福島さんを呼びに行った。好んで裸でウロウロしてた訳ではないので念の為。
 アトラクションの「100人に聞きました」はプロジェクターを使うのだが、その為には前面の照明を暗くする必要がある。しかし同時に舞台に人を上げる予定なので暗すぎてもまずいのだ。そこの所のテストをしたいのだが、PC所有者の加藤さんが現れない。
 他にもやることは山積みだ。大盤解説を行うのだが、大盤には足がない。急遽舞台上に椅子を設置してその上に大盤を乗せることにする。大盤の駒の有無については佐口さんにやってもらう。
 各投票の当選者にどの賞品を上げるのかも決めねばならない。山田剛さんに賞品のある場所を教えて、適当に選出してもらう。「賞品管理係」を事前に決めておらず、これが後々問題を招くことになる。加藤さんが現れたので早速セッティング。照明担当は三谷さん。(三谷さんが歌う時は私) PC操作担当の全さん、効果音担当の尼子君にスタンバってもらい、リハーサルをする。全さんが答えを書いた紙を忘れ、慌ててコピーしに行く一幕もあった。
練習中の三谷氏受付をする人々

←練習中の三谷氏


→受付をする詰工房
 メンバー


 11時受付開始。控え室で幹事会をやっている森田さんに当日握り詰めの駒を握ってもらう。何と双玉で、ほとんど対子に近い。僕は昼飯を買ったのだが緊張で食えそうにないので、他のスタッフに「食べて」と伝える。(結局誰も食べずゴミになったが。)
 11時半、流石に暇ができたので、展望ロビーにコーヒーを飲みに行く。この日は晴れていたのだがモヤっていて肝心の富士山は見ることができなかった。大阪から遠征組の石黒さん、冨永さん、高坂さん、長野の筒井さんなどと話す。アトラクション「100人」の初回デモへの参加もお願いしておく。(高坂さんには僕の代わりにカメラもお願いする。)

 12時、式典が始まった。司会は石黒さん。会場の入りは80名程度か? どうも椅子の数が心配だったが、途中からどんどん来て立ち見の人が出始め、急遽椅子を後ろに搬送する。僕の立ち位置は音響・照明の三谷さんの横だ。広津プロの挨拶が長い以外は予定通りに進む。特に看寿賞の表彰と作品解説は素晴らしく、プロジェクターの使用、簡潔・明瞭な柳田さんの解説で分かり易かった。今後看寿賞の発表はこの形式が定番となるに違いない。
 看寿賞をもらう人々
 会合参加10回表彰の後は、加藤さんのHP探訪。これが予想したより長めで、三谷さんの「WONDER PARADISE」が終わり第一部が終了したのは1時40分だった。なお、三谷さんの歌の最中は音量調節など福島さんがやったので僕は何もしなかった。MDのスタートボタンを押しただけだ。三谷さん、やややりにくそう。やはり会場を暗くした方が良かったか。
 (三谷さんの歌を知りたい人はこちら)


←看寿賞をもらう人たち(と代理の人)
  正面から写すとなお良い。

  看寿賞の解説を聞いて感じたのは「住む世界が違うな」ということ。

 第二部まで十五分の休憩。時間は押したが、この程度は予想の範疇だった。ただ二時間もぶっ続けで座ってるのは参加者にとってつらかったかも。
 休憩時間中とはいえ休んでられない。舞台の上に大盤をセッティングする。また、自由に使える盤駒が出てなかったのでパソコンコーナーの後ろに置く。「100人」のアトラクション用の賞品も舞台横の机に並べる。いよいよだ。


 第二部の開始。マイクを持ち、会場の各コーナーの紹介、投票やお茶のサービスなどに言及した後、最初のアトラクションである人間対コンピューターの指し将棋を始める。人間代表は全さん、大盤解説は山田剛さんで聞き手は私だ。棋譜読み上げは最初金子氏にお願いしていたが、何故か轟さんが務めていた。
 結果から言うとこのイベントが長過ぎた。丸々一時間かかった。やはり持ち時間の10分30秒(30秒未満はカウントされず)の設定がいけなかった。5分、場合によっては「なし」でも良かっただろう。詰工房などで事前にテストしてればこの結果は分かった筈。原田さんじゃないが、やはりリハーサルは必要なのだ。途中ソフトが異常終了したりと、予想外のハプニングも痛かった。将棋の方は全さんがまさかの頓死で大逆転。理想的な終わり方と言えるだろう。(図面を知りたい人はこちら)
大盤解説
百人に聞きました


大盤解説をする私と山田剛氏。



神谷プロに「将棋の格言」をたずねているところ。(「100人に聞きました」)


 さて、いよいよ「100人に聞きました」だが、時間の方が30分しかない。何問できるのか? 取り敢えずやり方を説明するため、詰工房と創棋会のメンバーに登場してもらい、「静岡の名物」に回答してもらう。その後、名札の隅に書かれた通し番号を頼りに抽選で壇上に上がってもらう。結局、用意した10問のうち消化できたのは6問だけ。残り4問も面白い問題だっただけに悔いが残る。
 司会者から見て客席の反応はまあまあ受けていたと思うが、客席からちゃんとスクリーン上の答えや回答者の顔が見えていたのかどうかは分からず。多分大丈夫とは思うが。(アンケートを知りたい人はこちら)

 3時半から恒例の「大いなる発言」だ。やはりこいつをやらないと全国大会という気がしない。最初はマイク渡しを手伝っていたが、駒谷さんが全てやってくれて助かった。一人一言の後はステージ周辺に椅子を並べて全員の記念撮影。4時45分で全ての催しが終了。後片付けに入る。時間的にはぎりぎりで、後ろ髪引かれながらも「100人」を打ち切ったのは当然とはいえ正解だった。

 控え室でスーツをTシャツに着替え、荷物を持って1階のレストランに向かう。程なくして乾杯。懇親会は飲み放題で、料理の方も不足するようなことはなかったと思う。僕はもっぱら縫田さんが連れてきた和田さんという女の子(今回女性の参加は彼女だけ!)とお話する。別に下心がある訳ではなく、肝心の縫田君が出歩いてて、彼女が一人で寂しそうにしていたからだ。
懇親会の様子


→懇親会の模様。フィルムが見つからずこれ1枚しか撮れず。

詰将棋ビンゴの問題が知りたい方はこちら

 各種表彰を金子さんに任せながら、小一時間たったのでいよいよ詰将棋ビンゴの準備に取りかかる。テーブル三つに景品をぶちまける。その時はかなり沢山の景品があるように見えた。小物が多いので「一人2個」と勝手に決める。マイクを持って詰将棋ビンゴのやり方の説明。ところが、「ペアを組んで」と繰り返し説明したのに、実際は一人で取り組んだ人がかなりいたみたい。そのせいで、二十分過ぎてもビンゴ化しない人があちこちで詰将棋を解き続けている。それにしても、つい先ほどまで賑やかに酒を飲み歓談していたのに、詰将棋を手渡すと一心不乱に解き始めるとは変な集団である。詰めキストはひょっとして「パブロフの犬」なのであろうか? しまいには「他のチームと協力して」と叫ぶが全然効果がない。一方的にゲーム終了を宣言したが、後で聞くと賞品が最後には足りなくなっていたらしい。きちんと数を数えていればよかった。(実はビンゴの問題が一題誤植で不詰だった。う〜ん・・・)
 その後もある人がトイレで寝ていることが発見されたりと様々だった。時間が来たのでお開き。さあ、荷物を運ぼうとして驚いた。何と! 森田さんが提供した一番いい賞品(将棋盤や駒・チェスクロなど)が入った箱が見つかったのだ。OH MY GOD! 何てこったい。翌日にも手付かずの賞品が見つかるなど(鞄とかいいものが結構あった)という事態が発生。今回賞品を管理する人間を決めなかったのは失敗だった。もっとも、「夢銀河」その他いろんな物を配ってたから、参加者が損をしたことは間違ってもないとは思う。

 尼子君が帰るというのでキーボードを八尋さんに持ってもらい、タクシーでホテルに向かう。ホテルの宴会場で皆と死ぬほど飲む。10時半頃、石黒・筒井・吉田・来島・金子・私というメンツで歌いに行くという相談がまとまるが、ちょっとした手違いで行けなくなった。後で冷静に考えると、あんな遅い時間に出かけなくて良かったと思う。自室に戻ったら速攻で寝てしまった。

 翌朝、部屋を見まわして呆然とする。スーツがない・・・。記憶を手繰ると、どうもレストランに忘れたとしか思えない。賞品の箱を運ぶのに夢中でスーツを入れた鞄をすっかり失念していたのだ。朝食にやってくる人にいろいろ聞いてみると、どうやら藤沢さんがホテルまで持ってきたことが判明。しかしその後が分からない。念のためホテルに聞いてみると、ありました。ロビーに置きっぱなしになっていたんである。
 その後、浜松まで駿棋会に行くという人々を尻目に、私と柳田さん、藤沢さんは登呂遺跡を見学し、とろろめしを食ってから新幹線で帰途に着いた。何しろ荷物はあるし二日酔いで体調は悪いし、疲れはあるわでさっさと帰りたかったのである。最初は駿府城公園の葵博も見る筈だったが、暑いのと疲れてるので流石にやめになった。まあ僕は前に見てるから別にいいけど。

 そんな訳で全国大会は終わった。反省点もいろいろあったが、福島さんの予言通り「伝説に残る大会」にはなったと思う。
 これで暫くは詰将棋から離れられるかな?


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