木目1

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大道棋の歴史(11)  藤倉満 表紙に戻る
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◆新春詰将棋座談会 (近代将棋昭和四十三年二月号)

(前略)
  大道棋というのはいつ頃からあったのですか。
 有田 それはいま歴史を調べているんですが、大体、大正時代ということは間違いないんですね。
  有田さんが作られた大道棋もかなりあるんでしょう。
 有田 大体双玉は私が初めてこしらえたんです。 大道の双玉でなくても、私が一番早いんじゃないかと思いますね。
 七条 古関さんじゃないんですか。
 有田 あの方が一番早いと言われていますが、私が作ったのは戦前なんですから、古関さんが最初であると詰パラに書かれているのを読んだとき、あれっと思いましたね。
  今度、双玉の草わけの弁を書きませんか(笑)
 黒川 そういうことははっきりさせといた方がいいですね。
 金田 双玉は営業用としては一番適しているんじゃないんですか。
 有田 そう、双玉が無いと全国の業者は殆ど商売にならないんじゃないですか。
  業者の数は?
 有田 あまり多くはないですね。 力のないものは自然消えるわけですから。 むずかしい商売だと思いますね。
 金田 もっとも逃げ方まちがったりするのがいますからね。
  僕がありますよ。 トン死させたことがあります(笑)
 有田 業者の中には私に王様一枚でどうかという手合が多いですからね。 中には問題を出しておいて自分で正解を知らないなんて人もいますから。 これは本当に詰むのかなんて自分で首をひねっているんですから(笑)
(後略)

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この座談会に於ける有田氏の発言は、双玉の起源に関心を持つものにとっては極めて重要である。 氏は戦前既に双玉を作ったと言われているが、それが何年頃のことか、には言及されていない。 それで、このことについて書面でお伺いしてみた。 御返信によると、座談会中”戦前”となっているのは何かの誤りで、初作は昭和二十三年とのことであった。 詰パラへも投稿されたが発表されなかったそうである。 まことに残念なことである。

戦前はともかく、昭和二十三年に氏が作られたのであれば(資料的な裏付けは無いが)古関氏の二十六年より古く、有田氏が元祖ということになろうが、ここでも又そうだと断定出来ない事情がある。

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◆あれこれ 小野一男 (詰将棋パラダイス昭和四十三年五月号)

一、高価で求む
(中略)

ニ、大道棋創始者は堀内宗善氏と三桂クラブで元アマ名人の平畑善助氏が教えてくれました。 堀内氏作の大道棋図式は、彼の義兄弟分の内山龍馬氏が全部所蔵しておられる由。 内山氏はいま東京の府中におられる由。

内山氏は大阪の青柳クラブの黒川一郎氏(東京の黒川氏と同姓同名だが別人です)と大の仲よし。 黒川氏を通じ大道棋の歴史と堀内氏の作品を内山氏に聞いて頂くよう頼みました。

三、有田辰次さんにたずねたら、堀内さんの創作”七変化”その他の図を教えて頂けますかしら・・・・・・。

四、青森県の坂本一裕氏(五所川原農林高校教師)から、次のようなお便りがありました。

  (原文のまま)
それから大道棋が将棋世界の創刊号(昭12・10)に一局あり、双玉です。 実は双玉は戦後の産物と思い込んでいました。 近将二月号でも有田氏と古関氏が双玉の先祖争い?をしていられますが、すでに三十年前に街頭にあったのですから、一体本当の双玉の元祖は誰でしょうか?

果して誰でしょうか?

原作者を教えて下さいました方に千円進呈。

五、秘手五百番写図送付先
(後略)

東京渋谷 道玄坂にて

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こうなってくると、双玉大道棋の起源も、単玉のそれと同様模糊として霧の内に鎖されてしまったようである。

私も坂本氏に倣って「一体本当の双玉の元祖は誰でしょうか」と呟く外無さそうである。

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