豊橋市北部

 豊橋駅から「和田の辻」までのバスの便はいいが、それ以遠は本数が少ない。嵩山(すせ)行きは昼間では1〜2時間に1本しかないので注意が必要。和田辻から東は交通量が少なく田園地帯なので歩くのに適している。
 ここから東海道の吉田(豊橋)に抜ける街道があった。

★牟呂用水
 豊川の水を新城市で取り入れ、一宮をへて豊橋に送り三河湾に至る全長20キロの農業、工業、水道用水。

★高井城址
 南北朝時代、南朝方の忠臣高井主膳正が築いたといわれる。現在は堀、土塁が残っている。

★馬頭観音碑
 大正12年に三ヶ日、遠州、牛久保、豊橋、豊川、嵩山等の交通運輸関係者が建立した。

★分岐点・常夜灯
 文政3年(1820)建立で姫街道から吉田方面への分岐点に立つ。

★一里塚
一里塚
 分岐点の西方の竹林付近に江戸から74番目の一里塚があったという。碑が立っている。


★道標・長楽寺地蔵
 吉田への分岐点にあったと思われる石仏が長楽寺境内の石仏群の中にある。「右ごゆ道左よし田道」と刻まれている。

★万福寺
 貞和3年(1347)創建。本堂万福寺の木額は松平定信筆といわれる。

★万福寺古墳
 6世紀中頃の築造で直径15m、高さ3m。石室は横穴式で8m、奥壁の高さ2m。西に向かって開口している。

★市場城址
 室町時代末期、西郷氏の居城。永禄5年今川氏により落城。自由が丘団地西側に土塁の一部が残っている。
和田辻東にある常夜灯と道標
道標には「右豊川」「左豊橋」とある。
嵩山(すせ)宿の常夜灯
「村中安全」と刻まれている。



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