本坂峠(愛知県嵩山宿−静岡県三ヶ日宿)

 姫街道最大の難所である。橘逸勢が峠越えの際急死したのもむべなるかなという気がする。峠道は大正4年(1915)に本坂トンネルが完成してその使命を終えた。昭和53年には更に新トンネルが開通した。

★嵩山宿
道標「姫街道」これより先は道幅が狭く車は入れない
いよいよ峠道となる

 嵩山は街道沿いの小さな村であったが、1707年の大地震により東海道の新居、舞阪宿が大打撃を受け一気に宿場の重荷を負うことになった。交通量は東海道が回復しても減らず、人馬の継立て役で田畑の仕事も出来ないありさまとなった。度重なる嘆願により幕府は大名の通行に制限を設け、村の負担の軽減策をとった。本陣と言っても庄屋宅で、問屋場も兼ねていた。大名は赤坂宿、三ヶ日宿、又は吉田宿に宿泊し嵩山宿本陣では休憩のみであった。

★正宗寺
 鎌倉時代の永仁年間(1293〜1298)に来日した中国僧日顔(じけん)禅師はこの地形が達磨大師ゆかりの嵩山に似ているので嵩山と名づけ、山上に寺を建てた。その後火災で焼失し現在の建物は江戸時代に再建されたもの。重要文化財の長沢芦雪の絵などがある。

★道標「姫街道」
 姫街道と旧国道に西面して建っている。昭和46年に建てられた。

★嵩山一里塚
 江戸日本橋から73番目。山林の中にありわかりにくい。木の標柱が建っている。

★嵩山蛇穴遺跡
 新本坂トンネル付近は石灰層で鍾乳洞がいくつかある。蛇穴は石灰洞窟を利用した縄文時代の住居跡であり、土器、石器が発見された。開口部は西向きで幅3.5m、高さ1.2mで70m程奥に入れる。
本坂峠にあるトンネル、向こうは三ケ日方面

★本坂峠・茶屋跡
 幕末から明治にかけて峠の南側に茶屋があったようだが、今は跡形もない。

★椿の原生林
 峠の東約500mの所。1,2月がみごろ。

★鏡岩
 山道の南にある斜めの平な面の岩。高さ3m、幅10mのチャートの断層。

★橘逸勢の墓・橘神社
 橘逸勢は嵯峨天皇、弘法大師とともに三筆の一人の有力貴族であった。藤原氏の陰謀により謀反の罪により伊豆に流され、その途上板築駅で落命し、この地にほうむられた。父逸勢の身を心配して付き従っていた娘は死後墳墓を守っていたが、父の罪が許されたため帰葬した。周囲に橘神社、筆塚、娘の顕彰碑、歌碑がある。

★本坂の古関
 気賀に関所が移るまではここに関所があった。

★高札場(本坂)・常夜台
 石を積み上げて作った土台が残っている。

★本陣
 峠を越える前後に大名が休憩した「茶屋本陣」である。

★本坂一里塚・馬頭観音
 本坂村の東端の台地の先端にある。南側の塚は国道工事の際崩れて今は無い。横に6体の馬頭観音がある。文久、天保の年号がある。

★板築駅
 華蔵寺西の三差路の付近にある平安時代の官道の駅。板築駅ができる以前の街道が「古道(ふるみち)」の地名として残っている。

★日比沢城址
 浜名氏に属した後藤氏の居城。永禄12年(1569)徳川家康の遠州攻撃で浜名氏は滅亡、以降廃城となる。本丸、土居、濠、門の跡がある。

★華蔵寺
 鎌倉初期の釈迦如来像、室町時代の大日如来像と阿弥陀如来像などがある。境内には、寺の西の三差路に建っていた道標が移してある。上の方に仏像が彫られ、その下に「右」「左」の文字があるがそこから下半分は折れてなくなっている。

★常夜灯と鞘堂
 国道から三ヶ日高校の方へ200mほど行った所にある。鞘堂が常夜灯全体を覆っており小さなお堂のように見える。



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