三ヶ日

 本坂峠の静岡県側は山の斜面がみかん畑で埋まっている。有名な三ヶ日みかんは享保のころ山田弥太夫(三ヶ日みかんの祖)が西国巡礼の旅に出て紀州小みかんを持ち帰ったのが始まりという。その後、天保年間に加藤権兵衛が三河国から温州みかんの苗木を求めて三ヶ日町平山に植え、現在の隆盛となった。
 歴史的には三ヶ日原人の見つかった只木遺跡があり、大きな銅鐸も発見されている。名庭園で知られる大福寺、魔訶那寺、800年の昔から伊勢神宮に布を献上してきた初生衣神社などがある。
 三ヶ日から本坂までのバスは朝と夕方しか無い。

★三ヶ日・本陣
 建物は残っていない。全国を調査して歩いた伊能忠敬は文化2年(1805)この本陣に泊まり「小家なれ共家作りよし。酒造をなす。」と「浜名湖測量日誌」に書いている。

★三ヶ日・一里塚
 江戸より71里目。現在は塚は無く記念碑のみ。

★竹山竹茂の碑
 江戸時代後期の俳人。文化10年に建立された六角柱の句碑。

★大里峠
 この付近と三ヶ日インターチェンジの西側は東名高速道路により道路が切断されていて遠回りまたは近道で歩くことになる。

★滋眼寺・庚申堂
 寺は明治初年に全焼し、それより住職はない。庚申堂には金剛童子を安置し昔は世人の信仰を集めたが焼失後その面影を失った。

★近藤陣屋と代官屋敷
 陣屋は三ヶ日地域を支配した三千石の旗本、大谷・近藤氏の政庁である。領主近藤氏は交代寄合でほとんど江戸勤めであったので、代官を派遣して政務を執らせた。

★黒坂の森
 「六部の森」ともいわれる。明和4年この辺りで行き倒れとなって死んだ円心という巡礼(六部)の墓がある。道沿いに水準点がある。

★大谷・一里塚
 引佐峠の西麓にある。江戸より70里目。現在は塚はなく、記念碑が建てられている。

★石投げ岩
 旅人が峠を上り降りする際、石を投げ岩に乗ると無事峠越えができるといわれた。

★象鳴き峠
 享保14年清国の商人が献上した象が江戸へ向かう途中姫街道を通った。吉田、気賀に泊まり浜松に向かった。気賀村の庄屋が引佐峠まで象を出迎えに出た。峠道は細く急で、象が悲鳴をあげたという。

★引佐峠
 気賀と三ヶ日の境で、海抜220m。本坂峠に次ぐ難所である。景勝の地として知られていたが、現在は木が茂って見晴らしは良くない。すぐ隣に大型農道ができている。

★石畳
 峠から100mほど気賀よりに下がった所と姫岩付近に古い石畳が残っている。

★姫岩(平石休憩所)
 引佐峠の東側中腹にある平らな巨石。大名行列がある時は気賀の近藤家の家臣がここまで出向き、湯茶の接待をした。かまど跡は道路拡張の際取り壊されたが、現在は登山者用の休憩所が設けられている。

★薬師堂と常夜灯
 引佐峠の東麓の岩根地区にある。薬師堂は創建年代不明、本尊の薬師如来像の台座裏に天保6年(1835)再建と記されている。薬師堂の前半分は吹き抜けの板の間になっており、旅人の休憩所として利用された。常夜灯は文化2年(1805)の銘がある。

★西気賀駅
 天竜浜名湖鉄道のユニーク駅の一つ。駅舎跡がフランス料理店になっている。駅前には有名な鰻の白焼きの店がある。

★地蔵・塞の神
 小引佐から岩根に下りる道脇にある。

★小引佐
 姫街道の中で最も景色のよい所として有名。奥浜名湖、館山寺、東名浜名湖橋がよく見える。

★姫街道歌碑
 街道の北、山側にある。

★道祖神と馬頭観音
 下村東山田の辻に並んでまつられている。

★ダイダラボッチの足跡
 琵琶湖を掘った土を運んで富士山を作ったというダイダラボッチの足跡といわれる池。あまりにも小さい。

★東山田の一里塚
 江戸から69里目。急な坂を上った丘(一里山)の上にある。現在、塚はなくなっており石碑が建てられている。

★修理殿松・山村修理の墓
 永禄12年(1569)、堀川城が徳川家康によって攻め落とされた時、城将の一人山村修理がここまで逃れ、切腹した場所。里人がこの地に遺体を埋め、松を植えたという。松は昭和初期に枯れ現在は二代目のもの。



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