御油

 姫街道の西の起点である。御油周辺は見所が多いのでゆっくり時間を取りたい。御油は東海道で江戸から数えて35番目の宿場町である。徳川家康は慶長6年(1601)に東海道の宿駅を整えることを命じ、一宿に一通ずつ伝馬朱印状を下した。ところがこの朱印状には「赤坂・五井(御油)と二宿が併記され、36番目の赤坂と二つの宿で一つの宿場の機能を果たすものとされた。このような例は他には無い。二宿間の距離はわずか1.6キロ。本書では赤坂宿も紹介する。天保年間の頃の流行り歌に「御油や赤坂、吉田がなけりゃ なんのよしみに 江戸通い」とあり、遊興できこえた宿場だった。

★御油宿
 名鉄の国府駅から徒歩15分、御油駅から徒歩5分。本陣2軒、旅籠62軒、総家数316軒、問屋場1ヵ所があった。
 町並み300メートル。今でも当時の面影をしのぶことができる。

★御油の松並木資料館
 新御油橋北10メートル。宿場の復元模型、古文書、民具を展示。午前10時〜午後4時 月曜休館 入場無料 0533-87-7214

★東林寺
 室町時代創建。江戸時代には御油の中心寺院として栄えた。墓地には宿場の飯盛り女の墓がある。境内には戦前の奉安殿がある。

★松並木
御油の松並木

 街道の両側約600メートル。慶長9年、幕府の道路政策として大久保長安により植樹された。当初650本あったが一時は百数十本にまで減少。昭和19年に国の天然記念物に指定され、現在は約350本。十辺舎一九が書いた弥次喜多道中の舞台にもなっている。

★宮路山
 街道の南に見える山で標高362m。昔から紅葉の名勝として知られる。山頂には持統上皇が観覧されたという聖跡碑が立つ。

★赤坂宿
 名電赤坂駅から徒歩10分。江戸初期、棟数360戸。宝永6年(1709)の大火で280戸が焼失。その後幕府の援助で復興。全盛期は旅籠、女郎置屋、茶屋だけで80余戸にものぼったという。

★関川神社
 境内に芭蕉の句碑「夏の月 御油よりいでて 赤坂や」がある。夏の夜の短さを御油・赤坂間の距離の短さにたとえ、赤(あか)坂と夜明(あけ)が掛け言葉になっている。

★長福寺
 悲恋の伝説が伝わる寺。愛した三河の国守・大江定基が都に帰るのを悲しんで自ら命を絶った赤坂長者の娘、力寿姫が化したという石と大江定基が寄進した恵心僧都作の聖観音像が伝わる。

★浄泉寺
 境内の大きいソテツは筋向かいにあった旅籠、清州屋から移されたものらしい。広重の「赤坂」に描かれたソテツのモデルという。

★大橋屋
 江戸時代の旅籠の面影を残し現在も旅館として営業中。かつては「伊右ェ門・鯉屋」と号した。黒光りした階段を上れば江戸時代のままの部屋が客室になっている。見学も可。電話0533-87-2450

★高札場
 町の中央で最も人目につきやすい場所に建てられた。間口、高さとも各二間、奥行き一間の瓦葺きで創建は慶長年間(1595〜1614)といわれる。正徳元年(1711)に掛け替えられた高札が赤坂公民館にあり、別の2枚が正法寺に所蔵されている。

★向称寺
 正保年間(1644〜1648)の建立。往時の赤坂宿は夜おそくまで騒がしかったため毎夜決まった時刻になるとこの寺の鐘をついて騒ぎを止めるよう合図したという。その鐘は戦時中供出して今は無い。

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