とよかわ
豊川
Toyokawa
うしくぼ
Ushikubo
みかわいちのみや
Mikawaichinomiya

 飯田線全通60周年を記念して改築なった豊川駅。
 一際高く見える屋根が東口とを結ぶ連絡通路、こちら側が西口で豊川稲荷は目の前にある。右側は名鉄(私鉄)の豊川稲荷駅で、ここが終点。バスも走っている。
 豊川市は、平成15年6月1日、市制60周年を迎えました。ここ豊川駅はその玄関口です。

 
 


toyokawa 「どうだい、見てくれ!」と言わぬばかりにそびえ立っているのは、車椅子に乗ったままで利用出来るエレベーターだ。福祉の事もチャント考えられている。

こちらは新しく作られた東口。改築前までは東口は無かった、駅東のこれからの発展が期待される。

toyokawa 駅前ロータリーに設置された狐のモニュメント。
手筒花火をかたどった台座の上で楽しそうに踊っています。

toyokawa 豊川稲荷への表参道、店の看板に「なめしでんがく」の文字がある、東三河の名物を一度お試しあれ。

ここの門前商店街、美人おかみの会「稲美会」のぺーじをご紹介します。ぜひご覧下さい。

toyokawa 豊川稲荷といえば・・・定番の写真になってしまった、まいいか。

toyokawa 奥の院に向かい左をたどって行くと、霊狐塚(れいこづか)がある。

全国の稲荷にお使いに行く狐として、301体が安置されていたものだが、その後信者が祈願成就のお礼として沢山奉納され、数えきれない程ある。

toyokawa ここから先は単線になります。単線の筈なのに何故か、まるで複線の様に線路が敷かれている。三河一宮方面に向かって左側の線路、車両製造会社への引き込み線だ。出来たばかりの新幹線車両などがこの線路の上をソロリソロリと輸送されて行く。(Specialページをご覧下さい。「引き込み線を走る列車」で紹介しています。)
この線路は戦時中豊川海軍工廠(東洋一の兵器工場)への通勤路線として大勢の人に利用されていたもの。
この工廠は昭和20年8月7日、爆撃を受けて壊滅。動員学徒や女子挺身隊員ら2500人が犠牲になり、豊川稲荷の西隣にある供養塔に眠っている。

toyokawa 供養塔の由来
 昭和二十年八月七日午前十時三十分突如米軍機B29の大編隊が豊川海軍工廠に来襲数千の爆弾、焼夷弾、無数の機銃弾が投下され廠内は一瞬修羅の巷と化し阿鼻叫喚のうちに職員、従業員、学徒、女子挺身隊員、雇員、傭人等の尊い命二千有余を奪ってしまった其の惨状目を被はしめ混乱の状筆舌の及ぶところではなかった。
 同年終戦和平となるや豊川海軍工廠報国団が中心となり現地に供養塔を建立して挺身国難に殉じた英霊二千余柱の冥福を祈らんとの議が起こり全国の資金と団員の汗の奉仕とにより十月二十五日地鎮祭を行い翌二十一年九月二十三日竣工除幕式を挙行した。
 因に塔中には戦死者名簿と廠内縁の土を納め各工場の石定盤に戦死者名を刻し台座周囲に組み以て永久に冥福を祈らんとした。
 偶々昭和三十二年八月七日此の地に於て英霊十三回忌法要厳終の際生存者一同相語り供養塔の概要を記し後世に伝えんとて此の碑を建立す。
 右記す。
 昭和三十二年八月七日
 元豊川海軍工廠従業員生存者一同
    八   七   会

toyokawa 塔の左奥に英霊の出身地が刻まれた碑がある。

toyokawa 供養塔のすぐ横の公園で「ゲートボール」を楽しんでいらっしゃる方々。・・・・・


さあ、また飯田線に戻りましょう。

 次は 三河一宮、みかわいちのみや です。


豊川駅前郵便局 豊川駅前のポスト(豊川14)


豊川稲荷境内にある「丸型ポスト」
「豊川閣私設」とあります。
日本でたった二つのポスト
明治45年のものです
「郵便」の文字が右から書かれています。
雪帽子をかぶってご機嫌?



豊川稲荷のすぐ前にある
  「稲荷通交番」です。