2月12・13日(土・日)晴

帰国&あとがき

スペイン最後の朝はいつも通り8時半に明けた。
天気は良く、テレビを付けると日本のアニメをやっていた(ロボット物)。
朝食は1階の広いカフェテリアで朝日を受けてスペイン風オムレツ(Tortilla Espanola、揚げ煮したポテト入りオムレツ)やスモークサーモン、パン・コン・トマテ(パンにオリーブオイルとトマトのつぶした物を塗って焼くバルセロナがあるカタルーニャ地方のパンの食べ方)を食べたが、これが最後の朝食だと思うと離れがたく、部屋に戻っても去りがたく残念だった。

この日のフライトは10:45発だったので9時半過ぎに空港のハーツの営業所に車を返して空港ロビーに行った。ところがチェックインするとマドリッドのバラハス空港が霧で9:15分の便も飛んでなく、我々の便も出発は11:07になるとの事。やれやれと思ってロビーで空港から見える白い村を眺めて待った。結局我々の便はもともと予約していた9:15発の便よりも先に搭乗が始まり、7時から待っているんだぞと言う人を横目に搭乗した。この予約変更は大正解だった訳で、前日の工藤判断に感謝した。
搭乗するとなかなか動き出さず、乗客が乗った後に空席を埋めるように乗客がどやどやと入って来てどうやら9:15の便でマドリッドから乗り継ぎで他の便に乗り換える人を優先して乗せたようで、結局離陸したのは11時半位になってからだった。
機内には日本人ベテランステュワーデスさんがいて、11月末で撤退してしまったイベリア航空の日本直行便に乗っていたステュワーデスさんではないかと気になってしまった。日本に

はきっと老いた親もいるだろうに仕事の為に遥かスペインの地にいるのかと思うと、浪花節的気分になった。
マドリッド・バラハス空港に最終の着陸体勢に入っても窓の外はいつまでも白く、随分長く雲の中を飛ぶなあと考えていると、ドーンと着陸。フライトが遅れる原因になった霧は確かに濃かった。着陸すると僕の後ろに乗っていたサッカーチームのメンバーらしい若者が拍手をしていた。


バラハスでは荷物の受け取りやらなんやらで、結局KLMのカウンターの横のJALカウンターでチェックインしたのは2時になってからだった(JALは朝日新聞をくれて嬉しかった。ANAはくれない)。15:10発のフライトだったのでこれ以上遅れていたら危なかった。当初の予定では11時過ぎにバラハスに着いてマドリッド市内のプラド美術館にでも行こうかと思っていたが全くそんな状態ではなかった。
バラハス空港の免税店でお土産を一杯買い込んで、KLMに搭乗(ステュワーデスにF1ドライバーのミカ・ハッキネンにそっくりな女性がいて写真に撮ってしまった)機内には来る時にはなかったクリスマスリースが座席の上の荷物入れの側面(ドア)に飾ってあった。

離陸して下を見るとマドリッドは地面を覆うような低い霧にすっぽりと包まれ、これでスペインとお別れだと思うと感慨深かった。
途中ピレネー山脈を右手に見ながら飛行機は順調に飛行し、遅れて出発したのに定刻(5時40分)にアムステルダムに着陸。
乗り継ぎ便は7時30分発だったのでカフェで「せっかくだからモード」でご当地物のハイネケン(後で工藤君がハーゲンダッツもご当地物と気づいた)を飲みしばら自転車の荷物入れ(カゴ)に入れて飾られた真っ赤なチューリップの束を写真に撮ったりして休憩した後買い物をした。
買い物中はまさに「サムバディー ストップ ミー状態」。たいしたものは買わなかったがチーズ切りとかスモークサーモンをガンガン買った。

帰りのJAL412便は70%位の搭乗率だった、夕食は洋食を選んだ。ところが僕は工藤君にJALに乗ったら帰りに「JALそば」を食べるのが楽しみだと言っていたので、はっと気がついて和食に変更した。彼は「もうすこしでつっこみを入れる所だった」と笑っていた。和食は一見すると天丼のような「あんこうのフライご飯添え」と「ほうれん草のベーコン和え」そして「JALそば」。

味は行きと一緒でどうと言う内容ではなかったが、そばを食べた後、つけ汁をそば湯も無いのに一気に全部飲んでしまった。体中の細胞が1週間振りの醤油に喜んでいるような気がして実においしかった。この夕食で一番おいしかったのはこのつけ汁だったかもしれない。
機内映画はアントニオ・バンデラスの「マスク・オブ・ゾロ」と、最近売れているブロンド女優グウィネス・バルトロウ主演の「スライディング・ドア」だったが行きと違い寝癖ができる程寝てしまい全く見なかった。朝食はプレーン・オムレツとロール・パン。再び新潟上空から日本上空に入り、成田到着は日曜日の14:45だった。帰りは15:45発の横浜行きのNEXTで品川まで行き、練馬の家に着いたのは18時少し前。
家に荷物を置くと革ジャンも脱がずに外に出て、ラーメン屋さんに行った。僕は海外から帰るとなぜかラーメンが無性に食べたくなるのだ。この日もラーメンを作るおばちゃんを見ながら「まさかこのおばちゃんは、僕がマドリッドから帰って来てここに駆けつけたとは思ってないだろうなー」と思いながらラーメンをすすった。今度はどこから帰ってラーメンを食べるのだろうか?


あとがき

この旅は忙しくて毎日移動してました。
特に日中に移動していることが多く、グラナダーアルヘシラス間は午後を丸々移動に使ってしまいました。7泊もしたのに同じホテルにはアルヘシラスで2泊しただけでした。それでも例えどんなに忙しくてもアンダルシアの主な場所では見ていないのはコルドバだけなので結果には満足しています。

今回一緒に行った工藤君とは97年のGWに行ったバルセロナ&南仏以来2回目ですが、彼がラテンな人であることを再認識しました。彼はラテンの時間帯が身についているので僕は彼とはお腹が空く時間が2〜3時間ずれていて、いらいらする事もありましたが、その程度のいらいらは僕にとっては充分許容範囲内なのですが、問題は彼のいらいらが許容範囲内に収まっていたかですが、これは聞いてません^_^。

彼とは生活パターン、例えばお風呂の時間も違っていてこれは好都合でした。彼がシャワーを浴びるのは朝、僕は寝る前にバスタブにお湯を張って入るのでバスルームの使用時間で競合することが無いからです。彼は朝食も食べないので朝は僕が彼よりも1時間は早く起き、その代わり彼はサッカーの試合をテレビでやっている日は僕よりも遅く寝る。万事違うので食事時間以外は都合が良かったのです。

今回アンダルシアの旅で感じたのは、同じ場所を夏にもう一度見たいと思った事で、光輝く場所はやはり初夏〜初秋に行くべきだと思いました。冬は寒くてもインドアで充分楽しめる大都市の方が行くのに向いていると思います。しかし、アンダルシアは12月でも充分暖かく、特にモロッコでは暑い位だったので12月に行く場所としては充分すぎる程の場所でした。
イスラム教の文化とキリスト教文化が混じり合った風物は特色があって他のどこにも無い独特のものです、今回はモロッコにまで足を伸ばしてイスラムの世界を垣間見ましたが、文化も魅力的でしたがヨーロッパとアフリカを隔てている狭いジブラルタル海峡は魅力的でした。
6世紀にイスラム勢力がジブラルタル海峡をわずか数千人で渡ってイベリア半島を占領し、その後栄華を極めて15世紀には同じ海峡をモロッコへと落ちのびて行ったこの海峡を、船で渡ったのは大正解でした。飛行機で往復したのでは2つの大陸を実感できなかったと思います。帰って来て思うのは僕にとっては今回の旅はジブラルタル海峡を渡ることが目的だったような気がします。

今回はモバイルギアでグラナダ到着までは現地で書きましたが、後のほとんどの部分は年賀状書きをさぼってほぼ2週間を丸々つぶして書きました。今まで書いた日記と特に書き方が違う訳ではないのですが、写真抜きで57ページにも達してしまい自分でも呆れてしまいました。
途中で読んでもらった人には長すぎて最初の方を忘れてしまうと言われてしまいました。もうちょっと短くすべきなのでしょうが、ページを減らす為に文字の大きさを小さくする事位しかできませんでした。現地であった事現地で考えた事を全て書くつもりで書いたものを削る事は記憶を消し去る事に等しく、僕にはできないのです、なにしろこの日記は僕が当時考え、見た事の90%位は網羅されているのです。なにもそこまでしなくてもいいのでしょうが、これは自分自身の為に記録を残しているのでしょうが無いのです^_^。

書いている時にもどんどん忘れていってしまう大切な旅の記憶を書いて残す事は有意義な事だと思います。また、普通は予習しかしない旅も日記を書く為には復習が必要で、この復習が日記書きのもう一つの大きな効用だと思います。
帰って来て改めてガイドブックを読み返すとまたアンダルシアやモロッコに行きたくなってしまいましたが、今度はどこに行くのか自分でも楽しみです。おそらくロンドン郊外かニューヨーク再訪、あるいはオーストラリアかでしょうが、今度は自然に接したいと思っています(と言いながら全然違う場所に行っても驚かないで下さい。言行不一致ではありません、旅の行き先は決める時のタイミングなんですから)。

最後までこの長い日記を読んでいただいた方には本当に感謝します。
ありがとうございました。



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