20世紀最後の皆既日食観測日記 in トルコ

佐野君の運命の1999年8月11日



撮影に成功したプロミネンス(紅炎)。プロミネンスは高温のガスが時速300km
という速さで吹き上げているのもので、地球が何十個も入る大きさがあります。


NEWS!
佐野君は21世紀最初の皆既日蝕(2001年6月21日)を観測するために、アフリカのザンビアに行きました!。帰国直後の佐野君へのインタビューはこちら 2001/6/28

佐野君が撮った日食の画像が、天文雑誌「AstroArts」の「ヨーロッパ皆既日食・写真コンテスト」への応募作品として、AstroArtsのHPの「日食ギャラリー」に3枚も掲載されています!佐野君の作品を含めて素晴らしい画像が拡大して一杯見れますよ!99/9/22

ホームページ管理人/田中から一言

この日記の作者は、モンゴルと南米ベネズエラの皆既日蝕にも行った「強者」佐野君です。帰国後、早速短い日記を書いてくれたので、みなさんにご紹介します!


「今世紀最後の皆既日食日記inトルコ」

今回参加したツアーは、天文雑誌が企画してペリカン便系の会社(日本通運首都圏旅行支店)が手配した「Sky Watcher日食ツアー」の「トルコ8日間」 (38.8万円)です。本当は東欧の城をバックに写真を撮りたかったのですが、晴天率でトルコを選んでしまいました。

日 程
99年 8月8日(日) 午前:成田発→(ロンドン経由)イスタンブールへ(イスタンブール泊)
9日(月) イスタンブール市内観光(イスタンブール泊)
10日(火) イスタンブール発→空路サムソンへ 観測地の下見(黒海沿岸のサムスン泊)
11日(水) 皆既日蝕観測(黒海沿岸から内陸に入ったメリズフォンという町にあるアルジック小学校で観測予定)後→カッパドキアへ(カッパドキア泊)
-以下、日食ではなくより正しいと思われる日蝕と表記します-
12日(木) 地下都市、洞窟修道院などカッパドキア周辺観光(カッパドキア泊)
13日(金) トルコの首都アンカラを観光後→空路イスタンブールへ(イスタンブール泊)
14日(土) 午前イスタンブール発→(ロンドン経由)成田へ(機内泊)
15日(日) 午前:成田着後解散

NASAが作った皆既帯の地図(皆既帯=皆既日蝕が見られたエリアで地図の青い帯のエリア。地図の左上から右下に向かって時速約2400kmの早さで月の陰が通過した)



イスタンブールから首都アンカラまでが約400km。
皆既帯の中の水色の点が観測予定地メリズフォン(当日メリズフォンが曇っていたので、観測は黄色い点のトゥルハルに変更になった。メリズフォンの右上の黄緑色の点がサムソン)。
地図の中央右寄りのオレンジ色の点がカッパドキア。
地図の左上の赤い点が8/17早朝の大地震の最大の被災地イズミト。
.


出国前、前回(ベネズエラ)・前々回(モンゴル)と同行した友人から電話があり、ツアー添乗員が前回と同じ人だと伝えると、「また何かあるんじゃ?」と。(前回のベネズエラの時、カラカス空港でダブルブッキング&JFK空港で機体故障で足止めなどトラブルがあった......)。

まさかね

そして出発当日(8/8)
イスタンブールまではBA(ブリティッシュ・エアウェイズ)でロンドン/ヒースロー空港乗り継ぎ便で行きましたが、なんと、彼の予想通りロンドン/ヒースロー空港でバゲージロスト42名!!
大半の人は日蝕当日AM2時くらいにホテルに届きましたが、本番に間に合わなかった人も何人か。

そしてトルコ着。
1・2日目(8/8-9)
イスタンブール泊、2日目は幅2km前後しかないボスポラス海峡でアジア側とヨーロッパ側に別れているイスタンブール市内のヨーロッパ側を観光。
ドームの回りに6本のミナレット(尖塔/光塔)がそびえ立っている
ブルー・モスク、東ローマ帝国のコンスタンチヌス帝の時代(4世紀)に作られたという地下宮殿にある地下貯水池、オスマントルコのスルタンのかつての居城で、重さ3kgの世界最大のエメラルドも展示されている絢爛豪華なトプカプ宮殿、旧市街にあるグランド・バザール/カパル・チャルシュ(金細工屋、絨毯屋、土産物屋等が約4,400軒もあるらしい)などを見て回りました。
グランド・バザールは日本人ズレしていると聞きますが、確かに「コンニチハ!」、「オニイサン !ドウデスカ?」とやたら声かけられました。ガイド曰く、「グランド・バザールでは30%値切るのが当たり前」だそうです。ちなみに私が買ったのはトルコのロードマップだけです。

観光中はイスタンブール名物の焼いた鯖/さばをパンにはさんだ「さばサンド」は食べませんでしたが、トルコ名物の「チャイ」(紅茶。小さいガラス製の”ぐい呑み”みたいな感じのグラスに入っていて、はじめから砂糖入りのものはやたら甘いのですが砂糖無しのものもあって、私としてはあの渋さは結構好きな味です)を飲みました。
この日はイスタンブールでは定番の観光地を回りましたが、実は翌日の観測のことで頭が一杯で観光はどうでも良いって感じだったのです(もったいないけど、こればっかりはしょうがない...)。


3日目(8/10)

空路アンカラへ移動し、黒海沿岸の宿泊地サムスンまでバスで移動し、観測予定地である内陸のメリズフォンのアルジック小学校を下見。
ところで、トルコの食事ですが、トルコではハム、チーズ、トマト、スイカをやたらと食べた気がします。どのホテルでも朝食バイキングはハム、チーズ、ゆで卵。ホテルに限らず、デザートには必ずといって良いほどスイカでした(わりと甘くてうまいのです)。
ピラフも良く出て米が妙にうれしかった印象がありますが、後で知ったのですがこのピラフはトルコではPilav/ピラウと言って、ピラフの元祖だったのです。確かに、研究社の英和辞典でPilaf(f)とひくと「トルコ風たきこみご飯」となっています。日本人だと違和感がないので、トルコでせっかく元祖ピラフを食べてもご当地料理としての印象は残らないかもしれません。事実そうでした。


4日目(8/11)
:日蝕当日
日蝕当日の朝を迎えると、観測予定地であるメリズフォンの
アルジック小学校では雲が多く観測出来ないと先発隊より連絡が入り、急遽100kmほど南東へ行ったトゥルハルという町に観測地が変更となりました。前日アルジック小学校を下見した時、日蝕当日は現地の方々が歓迎の意味を込めて、お手製の軽い昼食(お好み焼の様なものらしいです。)とヨーグルトジュースを準備してくれることになっていたのですが、残念ながら口にする事は出来ませんでした。(第一接触/太陽が欠け始めた時=13時04分14秒はバスの中で迎えてしまった。)

第一接触: 太陽が欠け始めた時。
第二接触: 皆既日蝕(第二接触から第三接触までの皆既の継続時間は2〜6分程度。太陽直径の3倍にも広がった太陽の外層大気であるコロナや、太陽の縁にプロミネンス(紅炎)と言われる赤い炎を見ることもできる)。
第三接触: 皆既が終わって反対側から太陽が 顔をのぞかせた時(ダイヤモンド・リング=第二接触直前にも見られる)。
第四接触: 欠け終わった時(第一から第四接触までは2時間半〜3時間弱)。


代替え地のロケーションは道路沿いのガソリンスタンドいうことになりイマイチですが、日蝕を見るには申し分なし。
急いで機材の準備を終え後は、第二接触(皆既日蝕)を待つ事に。この日のランチはホテルが用意したハムチーズサンドが入ったランチボックスでした。
数分するとどこから湧いてでたのか、現地少年がジュースを売りに来ました。500,000TL(約160円くらい)でちょっと高め。
さて、こうしている間にも太陽がどんどん欠けてきて、食分(欠け具合)50%位になってくるとなんとなく暑さが和らいだ感じになり、皆既10分前くらいになると金星が見えてきました。(このへんまでは前回観測したベネズエラでも同じでした。)

とその時、太陽のすぐ脇に小さな雲が!!(日蝕雲ってやつ?私も詳しいことは知らないのですが、こういった現象が良くあるそうです)、丁度皆既に入る頃に雲がかかりそうで嫌な予感です。
皆既数分前にはガソリンスタンドで地面がコンクリートだった事もあり、シャドーバンドがかなりはっきり確認できました。

シャドーバンド(影帯)
皆既日蝕の直前または直後の数分間に、日光にむらが生じる現象。地上に明暗の縞模様があらわれ、列をなして動いていくように見えることからシャドーバンド(影帯)と呼ばれる。一つ一つの暗い帯は長いものではなく、通常長さ1m前後、幅数十cm程度。
シャドーバンド(影帯)は、星の瞬きと同じで大気の密度の違いによって生じ、列をなして動く方向は上空の大気団の移動する方向と同じで、普段は見ることはできないが、光源である太陽が極端に細くなった時だけ見ることができる。皆既日蝕ではなくても皆既にごく近い金環食でも同様の現象が起きる。

いよいよ緊張の第二接触(皆既日蝕=14時28分28秒)を迎え、皆既に突入。

 


上の画像は当日撮影したもの。露出は上段:f.11 1/60秒、下段:f.11 1/250秒です
(フィルムは感度100)。下段の画像はプロミネンスが途切れているのが写っていて気に入っています。



今回のコロナは満遍なく出ており(全方位形と呼ぶらしいです)、ピンク色の大きいプロミネンス(太陽の縁に見える炎=紅炎)と言われるものもいくつも確認できました。
皆既中心位から心配していた雲がうっすらと太陽にかかり出し、コロナは見えるも、第三接触(皆既が終わって反対側から太陽が 顔をのぞかせる時=
14時30分43秒)のダイヤモンドリングは良くわからずイマイチ。あっと言う間の2分半でした全体的には80点というところでしょうか。


これはベネズエラで撮った画像ですが、肉眼で
見た雰囲気を良く伝えているのでご紹介します。


5日目(8/12):中央アナトリア高原のカッパドキア観光。奇岩群や政府公認の絨毯工場を見学しました。絨毯工場にはやたらと日本語が上手いトルコ人が絨毯について説明してくれ、その喋りはプロのマネキン級(マーフィー岡田)でした。工場では直販もしていて絨毯を購入した方も結構いました(中には十何億トルコリラなんてのを購入している人も)。
この日の夜は毎年この時期に見られるペルセウス座流星群が最も多くなる「極大日」という事で、23時にホテルの明かりも消してもらい、観測しましたが、毎時10〜20個くらいしか確認できませんでした。(極大がずれたかな?)


6日目(8/13)

バスでアンカラまで6時間の移動し、途中トゥーズ湖(塩湖)に寄りアンカラで市内観光の後、航路イスタンブールへ。イスタンブール到着後、市内で遅めの夕食を取りました。この時、怪しい伸びるアイスの屋台を発見し、ドンドルマを食べました。このドンドルマはやろうと思えば2m位伸びるらしく、アイスクリームのくせにもちもちしていて、餅みたいで妙な食感でした(餅っぽいと言ってもアイスですから冬は売ってません)。


7・8日目(8/14)

イスタンブールを出発し、ロンドン経由で帰国(なんと、現地を出発したのは、死者1万人5千人、建物の被害が22.9万棟にもなった大地震の3日前だったのです! 震源はイスタンブールの南東約90kmにある都市イズミットで、イスタンブールでも約1,000人が亡くなった.....)。

成田に着くと、驚いた事に帰りもバゲージロストが何人かいました(往きも帰りもロストした人がいた)。
私もBAにクレームを入れたら、それなりにケアしてくれたので私としては満足。
でも、成田でロストした人は、30kgもある荷物を自宅まで無料で届けてくれるので、ある意味でラッキーかなと言ってました。

旅行中は1日に約3−4時間の睡眠を3回くらい繰り返すといった毎日で時差ぼけもありませんでした。

再来年はアフリカ南部からマダカスカル島にかけてが皆既帯。
(2009年の奄美大島の皆既日蝕は、確か皆既時間が5分くらいあったので良いかもしれません)。

早くも遠征したくなってしまった!


当日撮影した画像(左から時系列順)


観測地情報

観測地(トゥルハル)緯度経度
北緯40°24′01″
東経36°05′46″

第一接触 13:04:14(現地時間)
第二接触 14:28:28
第三接触 14:30:43
第四接触 15:47:50


今回の機材は以下の通りです。(重量は約4kg位)
・カメラ
Canon EOS−1n HS、OLYMPUS OM−4+モータドライブ
・レンズ
OLYMPUS 24mm F2.8、OLYMPUS 50mm F1.8、Canon 28−138mmズーム
Canon 100−400mmズーム、Canon 1.4倍テレコンバータ
・フィルター
ND400(減光フィルター)、ND8(減光フィルター)、PL(偏光フィルター)


皆既日蝕関連サイト

・皆既日食当日の各地の様子や最新の天文ニュースが見れる天文雑誌「Atro Arts」天文ニュース
・NASAの皆既日食サイトTotal Solar Eclipse of 1999 August 11
・今後の皆既日食の予定が見れるSolar Eclipses: 2001 - 2010(2009年の奄美大島周辺の皆既帯のマップも見れます)


TOP/HOME
日蝕以外の旅のアルバムへ
ご感想・ご質問は「みんなの掲示板」に書き込んで下さい!