A Trip to NYC



ホームページ管理人から一言:作者のケイさんは2000年の3月下旬にニューヨークに滞在しました。その時の様子を書いたこのコラムは、ニューヨークのスノッブなタウン誌「NEW YORKER」のコラムのようで、ニューヨークの雰囲気が良く出ていて、クールです。

intro.

ニューアーク空港に降り立った私は一瞬体を震わせた。
春めいた風が鼻先をくすぐり出した東京と比べると、ここはまだまだ冬だ。もっとも生っ粋のニューヨーカーなら、もうすっかり暖かくなったね、などとうそぶくのかもしれない。
コンチネンタル航空のフライトがまるで当たり前かのように1時間遅れたため、マンハッタンの街並みは既に暗闇に沈んでいる。かろうじてちらちらと瞬く光が控えめな自己主張をしている。
たどり着いたホテルはタイムズ・スクエアの喧燥がかすかにロビーにこだまするミレニアム・ブロードウェイ。浮かれた名前だが最近できたというわけでもないようだ。ニューヨークへようこそ、フロントの女性が愛想笑いを浮かべた。

the Monday night

アジア系の男が運転するタクシーで7番街を南へ向かう。ヴィレッジ・ヴァンガードの入り口には半ダースほどの人間がたむろしている。
狭い階段を降りて店内に入ると、タートルネックを着た白髪混じりの男が声をかけてきた。
「ちょっと早過ぎたようだな。前のセットが終わったばかりでこれから片づけるんだ。悪いが外でちょっと待っていてくれないか。」
結局彼の言う「ちょっと」とは20分という意味だった。ほぼ埋まりかけた店内を横切り、片隅の、ロイ・ヘインズの写真の前に席を取る。
ヴィレッジ・ヴァンガードのマンデー・ナイトといえばヴァンガード・ジャズ・オーケストラだ。サド・ジョーンズもメル・ルイスももはやいるわけではないが、店内の期待感に溢れた空気は彼らの時代から変わっていないのかもしれない。
めいめい馴染みの客に挨拶しながらメンバーがステージに集まりだし、軽いタッチのピアノがステージの始まりを告げる。
突然のビッグバンドの響きが私の時差ぼけを一気に吹き飛ばす。広くはない店内だからこその圧倒的な音の密度に私は少しくらくらする。
ミディアム・テンポの曲から始まったステージは徐々に温度が上がり、より激しいビバップ・ナンバーに大きな拍手が集まる。今のこの街のリズムなのかもしれない。アルトの2人がテンションの高いソロを交換し、トランペッターの出来に触発されたかのようにバリトン奏者までが信じられないようなハイ・ノートを吹き始める。
ステージが終わり、外に出ると午前1時を回っている。熱い演奏の後の冷気が心地いい。やっとパスポートに入国スタンプを押してもらったような気分になった。

interlude

風の音で目が覚める。
41階の部屋の窓から見下ろしてみるとタイムズ・スクエアに人だかりができている。歓声とも悲鳴ともつかない声が風のような音を立ててここまで届いているのだ。降りてみると歩道のほとんどがティーンエイジの少女達で埋め尽くされている。イン・シンクというアイドルグループが来るらしい。
マンハッタンの空は一面雲に覆われ、時々冷たいものが顔に当たってくる。気温は昨日よりもさらに低い。ブロードウェイも52丁目のあた
りまで来ると観光客よりもスーツ姿の人間のほうが多くなる。昼時だというのにこの天気のせいだろうか、ホットドッグスタンドもあまり賑わいを見せていない。
外の冷気を避けるように7番街のカーネギー・デリに入る。隣の席ではショウビジネス業界にいるらしい二人組が仕事の話とも俳優の噂話ともつかない会話を交わしている。ルシール・ボールの時代からずっとそこに立っているのではないかと密かに疑いたくなる黒人のウェイトレスに「ダニー・ローズ」ならぬ「ウッディ・アレン」サンドイッチを注文する。1年分のコンビーフとパストラミを詰め込んだような気分になった。
午後も半ばにさしかかる頃、私はグリニッチ・ヴィレッジにいた。さすがにこの天気ではワシントン・スクエアにも人気がない。ニューヨーク大学の前には授業が終わった学生達がたむろし、近くのコーヒーショップは寒さを避けようとする若者達で一杯だ。
レコードショップやコーヒーショップ、食料品店、そして刺青屋などが軒を連ねるブリーカー・ストリートをそぞろ歩く。ミッドタウンやSOHOとは違い、このあたりの店はどれも小さく、けばけばしい装飾もこれ見よがしなショーウィンドウもない。ヴィレッジを歩く人々の様子も同様に派手さはないが、かえってそこに親しみを覚える。街全体がギアを一速落としたかのように、タワー・レコードですらここにあってはただのローカルショップのような雰囲気だ。私はこの街が気に入りだしていた。コーヒーの味もここではまともだ。
あたりが暗くなる頃タイムズ・スクエアに戻る。少女達はまだ帰る素振りすら見せていない。

Tuesday, the 1st set

ヴィレッジ・ヴァンガードから数ブロックと離れていないスイート・ベイジルは天井の高い小奇麗な内装の店だ。ヴァンガードとの違いは一目瞭然だ。壁も天井もぴかぴかに新しく、テーブルの上にはキャンドルまで据えられている。客の様子も一見して違う。完璧にドレスアップしたカップルがディナーに挑みかかり、隣では若いビジネスマンが書類の束を持ち込んでe-コマースについて熱心に打ち合わせている。
ジョン・パティトゥッチとバンドのメンバーがステージに上がってくる。バンドスタンドは意外に狭い。かつてここのマンデー・ナイトを努めていたギル・エヴァンス・オーケストラの大所帯は東京のラッシュアワーの電車に乗り合わせたような気分を味わっていたに違いない。
コンテンポラリーな曲で始まった演奏は、最新録音のアルバムからの曲を中心にクリス・ポッターとジョン・ビアズレーが堅実さを見せる。
パティトゥッチのベースはスムースの一言に尽きると言っていい。チック・コリアと演っていたときよりもはるかにソフトな印象だ。その一方でオラシオ・エルナンデスのドラミングはエネルギッシュだが、テクニシャンが揃っている割には派手さのないこのバンドにあってはそれがいいアクセントになっている。4人の絶妙なコンビネーションと、流れるように軽いタッチの演奏に、一瞬南カリフォルニアの青空が垣間見えたような気がした。決して雨混じりの鉛色のニューヨークの空に似合う音ではない。昨晩ヴァンガードで感じたテンションは演奏者にも客の側にも感じられない。
物足りなさを残しながらも1時間ほどでセットは終わった。

Tuesday, the 2nd set

「ブルー・ノート?」体重が優に100kgはありそうな黒人のタクシードライバーは首をかしげた。「そんな場所聞いたことないな。」
「3丁目と6番街の角にある。そこまで行ってくれればいい。」私は言った。
「俺はこの辺よく走っているけどそんなクラブ聞いたことないぜ。」男はまだぶつぶつ言っている。いいだろう、アイス・Tが出演するような店ではないことは私も認めよう。
開演までは1時間近くあったが、既に店の前には長い行列ができていた。
一昨年、ジョージ・ガーシュウィンの生誕100周年を記念して作られたいくつものトリビュートの中でもハービー・ハンコックによるアルバムはなかなか素晴らしかった。今夜はここでその演奏が聴けるのだ。
スイート・ベイジルの3倍もの入場料を取るブルー・ノートだが、店内の様子にそれほどの高級感はない。椅子もテーブルも小さく、特に今夜のようなライブでは席に着いたが最後、身動きすらできない。それでもさっきとは比べようもなく広いステージの真正面に何とか潜り込むことができた。
トリビュート・アルバムでは様々なミュージシャンと共演したハンコックだが、今回のステージは6人構成だ。シロ・バプティスタのパーカッションによるイントロから始まったステージは、アルバムとは違い、まるでオリジナル・ナンバーのように自由な展開を見せる。ハンコックが鍵盤のすべてを使い切ろうとしているかのようなダイナミックなソロを繰り広げ、残りのミュージシャンも触発されたかのようにテンションが上がっていく。唯一サックス奏者だけが平凡な演奏に終始するが、それでもジャズ・ミュージシャンの中ではサックス奏者が一番偉いと思っている人間から盛大な拍手をもらう。
しかし最も驚いたのはテリ・リン・キャリントンのドラムだ。彼女はまるでトニー・ウィリアムズのようにパワフルな演奏をする。チャーミングな彼女に敬意を表して私はスコッチのお代わりをした。
現代的に「再構築」された「アイ・ラブズ・ユー・ポーギー」でライブは幕を閉じ、ステージではハンコックが大阪から来たという知人を紹介していた。
出口の人混みを何とか抜け出し、店の前に止まっていたタクシーに乗り込んだ。
「すごい人出だな。」イタリア系の顔をしたドライバーが話しかけてきた。「何の映画をやってたんだい?」

interlude

午後になって、そしてニューヨークに来てから初めて太陽が顔を出した。ロワー・マンハッタンの、イースト・リヴァー沿いのカフェで対岸のブルックリンの街並みを眺めていた私は思わず顔をしかめた。この天気ではサングラスを持ち歩くなど考えもしなかった。
空気が急に暖かくなり、フルトン・ストリートでもこの時を待っていたかのように人通りが増える。海に面したベンチでは家族連れがくつろぎ、餌を期待してかカモメが飛び交いだす。私が座っているカフェが混み出す気配はないが、おそらく近くのショッピングセンターのフードコートは賑わい出していることだろう。
午後の陽射しはグリニッチ・ヴィレッジに着いてからも変わりはなかった。アスター・プラザでは何組もの人間が立ち話にふけり、その横をスケートを履いた少年が走りぬけていく。グリニッチ・アヴェニューには午後の買い物客が目立ち、6番街とブリーカー・ストリートの角の八百屋にも活気が戻る。前日とは打って変わって人通りの多いワシントン・スクエアのベンチに私は腰掛け、数分前にタワー・レコードで手に入れたばかりのヴィレッジ・ヴォイスに目を通しながら今夜の予定に思いをめぐらしてみる。

Wednesday, the final set

リンカーン・センターからコロンバス・アヴェニューを挟んで向かいにあるイリディアムは歴史あるジャズ・クラブというわけではない。入り口の看板を除けば、小奇麗なレストランの地下にジャズ・クラブがあることは見分けるのは難しい。
階段を降り、上階のレストランの電話室となっているフロアを横切る。何の表示もないボールルーム風の入り口を抜けるとそこにクラブがある。いかにも新しい内装のフロアにテーブルが並ぶ。開演20分前だがまだ席は半分も埋まっていない。
「イリディアムへようこそ。」入り口近くのバーで常連客と談笑していた黒人の男が笑いかけてくる。「カヴァーは25ドル、ミニマムチャージは10ドル。お好きな席へどうぞ。」それだけ言うと男はまたバーのほうへ戻っていく。
前夜はガーシュウィンのトリビュートだったが、今年はウェザー・リポートの結成30周年でもある。ジェイソン・マイルズが売れっ子ミュージシャン達を集めてトリビュートアルバムを作ったが、今夜はここでそのライブセッションが行われる。
客席が7割方埋まり出した頃メンバーがステージに集まってくる。ミノ・シネルのパーカッションから「キューカンバー・スランバー」が始まる。トリビュート・アルバム自体は有名ミュージシャンが集まりすぎたせいか緩い内容だったが、この演奏はとてもタイトだ。スタジオ・ミュージシャンとして稼いでいる彼らの体には、スタジオでは控えめにして、ライブで自己主張するという習慣が染み付いているのかもしれない。それにしてもアルバムには参加していなかったミノ・シネルとベースのマーク・イーガンがこのライブをうまく支えている。マーク・イーガンの演奏はジャコ・パストリアスとはまったく異なる音だが、不思議とウェザー・リポートの音楽に合っているようだ。エリック・アレキサンダーのサックスはウェイン・ショーターとはもちろん比べるべくもないが、それでもなかなか悪くない演奏だ。チャック・ローブもかなりの気合で弾いているが、ウェザー・リポートの曲でギタリストが目立つのは至難の業だ。
お約束の「バードランド」で演奏は終了し、メンバーが客席に散っていく。彼らは控え室に戻るわけでもなく、知り合いの客を見つけて延々と話し込んでいる。ここは彼らのホームタウンなのだ。

outro.

大変お待たせしまして、と頭の禿げ上がったフロントの男は丁寧に謝った。午前6時半。チェックアウトする客は私のほかにはいない。外にはこの旅行中二度目の太陽が顔を出し、通りではアラブ系の顔をしたタクシードライバーが客待ち顔でうろうろしている。
ニューヨークのご滞在はいかがでしたか、フロントの男は聞いてきた。とてもよかった、私は答えた。男が満面の笑みを浮かべた。またぜひお越しください、男の言葉に私は、多分、と答え朝の光が反射する歩道に足を踏み出した。





このコラムに登場したJazz ClubのHP:
VILLAGE Vanguard
SWEET BASIL
The Blue Note Jazz Club
ilidium Jazz Club & Restaurant


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