牧と、三井が暮らし始めて一年と少しが過ぎた。
二人の暮らしは、土屋や河田そして仙道たちに脅かされながらも、それなりに順調といえた。
今日も、二人の部屋を別荘と考えている、土屋と河田が、我が物顔でソファを占領している。
「なぁ、夏休みどうすんの?」
土屋が、ソファでつまみ片手に缶ビールを飲みながら、周りの連中に聞いた。
「夏って、言ったって部活があるだろう?」
「まぁ、そうやけど、毎年8月入ったら休みやんか」
「そうだがな…」
「おまえら帰省するんじゃないのか?」
三井が、そうだろうというように河田の顔を見る。
「まぁ、田舎には帰るつもりだべ」
「土屋も大阪に帰らないのか?」
「うーん、そうやねんけどな…」
「何だ?帰らねーの?」
「実はな…」
そういって話し始めた土屋の話の内容はというと、脱サラして田舎に行った叔父が開業した海の家と民宿の、バイトが今年はなぜか不足してしまい、土屋に友達を誘って手伝いにきてくれないかというものだったのだ。
「交代で海に入って遊んでもええって言うてるし、そんなにしんどいことないとは思うんやけどな」
「つまり、俺たちに手伝えと?」
「そうやねん。八月のいける日から、八月いっぱいどうやろか?」
「どうする?」
三井も、別に予定はないし、牧としても実家に帰るしか予定もなく、できれば三井と短い旅行にでもいければいいかという程度の計画しかなかったのだ。
「うーん…」
「なぁ、頼むって。バイト代はずむっちゅうことやし、な?」
三井に、土屋がお願いのポーズをする。
「ま、まぁ、そんなに困ってんなら…」
「ほんまに!おおきに!」
そういうと、土屋は、三井の手を取り商談成功のシェイクハンドをした。
「ほんなら、これで三井と牧はゲットと」
「お、おい」
いつのまにか、頭数に入っている牧は驚いて声をかける。
「何や、牧はあかんの?三井が海の家でぴちぴちの水着ギャルに囲まれててもオッケーなんやな?」
「え、いや、それは…」
「そやろ?心配やんなぁ?いっしょに行きたいやろ?なぁ、牧?」
「うー…」
牧は、ぐらついていた。確かに三井が、水着の若い女性にもてそうだし、それも面白くないが、それよりも、ほかの男たちに危ない目にあわされないかの方が心配だった。
薄着の三井の無防備な危うさは、自分だけでなく、バスケ部全体の自制心を養う訓練に一役買っているといわれるくらいなのだ。
「牧、いかねーの?」
ちょっと小首をかしげて、牧を見る三井に、自制心をフル稼働させて、牧は押し倒したいのを我慢しなくてはならなかった。
「さ、参加させていただきます…」
牧は、屈服してがっくりとうなだれた。
「そやろ?いきたいやろ。さてと。河田、おまえは帰省せんとあかんか?ちょっと位予定空かへんか?」
「二、三日送れてデいいんなら…」
「おっけー頼んだで」
「さてと、あとは…仙道やな」
「仙道?」
「あいつも連れて行くのか?」
「そう、あいつは海の家要員や。売り子の兄ちゃんが男前な方が、若いお嬢ちゃんが寄ってくるしな」
その言葉に、ぴくっと反応したのは河田だったが、彼は、何も言わず、黙っていた。
三井は、それじゃ、自分は、民宿要因なのかとちょっと、考えた。
牧なら、きっと、見ていて面白くないけれど、女にもてるだろうから、海の家要員だろうと思うのだが、果たして自分はどうなのかと、不安になった。
「あと、清水や田村や森本にも声かけて、と」
つまり、バスケ部の知り合い総動員という様子だ。
「で、場所はいったいどこなんだ?」
牧は、確認作業に入った。
「若狭や」
「わかさ?」
「そうや。日本海側や。水は太平洋側から見たら、むちゃ綺麗やで」
「へぇ。水が綺麗なんだ」
「関西からの海水浴客が多いねん。関西方面の夏の旅行は、和歌山か日本海が定番やからな。昔は大阪から、海水浴列車なんかも出てたんや」
「海水浴列車?」
「そうや。海水浴場のある入り江に、臨時で駅作ってそこに客降ろすねん」
「へぇ。そうなんだ」
「じゃぁ、俺たちはどうやっていけばいいんだ?」
「そやな。便考えたら、京都まで新幹線に乗ってきて、そっから北陸線かな?雷鳥で、敦賀で降りて小浜線に乗るんが一番早いかな。ローカル線で気分出すんやったら京都から山陰本線で綾部に行って舞鶴線に入って小浜線かな」
「時間はかかるのか?」
「東京からやと、6時間くらいかな」
「そ、そんなにかかんのか?」
三井が、驚いたように言う。
「福井まで夜行バスで行って、そっから電車っちゅう手もあるけどな」
「ま、俺たちにすれば、遠くへの旅行ってことだな」
「そうやな、一応、交通費支給するっちゅうことやから、今度チケット送らせるわ」
「へぇ、気前いいんだ」
「なんか、ほんまに切羽詰ってるみたいやねん」
「例年はどうしてたんだ?」
「学生のバイト頼んでたんやけど、ちょうど、みんな卒業やら、就職活動やらで今回集まらんかったらしいんや」
「そりゃついてないな」
「俺の高校時代のツレちゅうても、ここんとこ疎遠やし、頼みにくうてなぁ…。ま、そう言うことやし、手伝うたってや」
「ま、俺たちも、少しは遊べるんなら、願ったりだけどな」
「水の綺麗な岩場もあるし、砂浜も、泣き砂とまではいかへんけど綺麗な浜やから、楽しんでもらえると思うで」
「へぇ、なんだか楽しみだな」
そういうわけで、彼らは、八月の大半を、日本海の海水浴場ですごすことになった。
「なんか、暑いよな」
「あぁ、確か、北陸は、夏はフェーン現象で、気温が高い日が多いと聞くが、これほどまでとは…」
午後になろうとする時刻に日本海の、海水浴場が唯一の観光資源というような、少しひなびた駅に彼らは降り立った。
「こっちや」
土屋につれられて、一行は、これからのバイト先兼宿舎となる民宿にやってきた。
「へぇ、結構大きいんだ」
立派な門構えの建物が、彼らを待っていた。
「こっちが母屋で、裏の海よりの棟が、民宿の客間になってんねん」
「この裏は、海なのか?」
「うん。出口でたら、道はさんで砂浜になってる」
「へぇ。便利だなぁ」
「さ、こっちや」
玄関をくぐって、土屋は、家人を呼ぶ。
「おばちゃーん。こんにちわー。バイトつれてきたでー」
奥から、四十路を越したかと思われる女性が顔を見せた。
「あっちゃん!待ってたんよ!」
土屋は、一行に叔母を紹介し、叔母にも、一行を紹介する。
「ほんまに、無理ゆうてごめんね。ご飯はどうしたの?」
「駅弁食べてきてん」
「そう、そんなら、部屋に案内するわね」
宿舎はこちらと案内されて、一行はぞろぞろと母屋の中を歩く。
彼らがあてがわれたのは、十畳の日本間が二間だった。
普段は障子で仕切られているのだろうが、今は、ぶち抜きの大広間になっていた。
男ばかり八人の部屋にしてはまぁ、広めといえるが、人並みはずれた大柄なものもいるので、このくらいはやはり必要かもしれない。
「さてと、作業分担やけど、田村、清水、森本は、後からくる河田と一緒に民宿係りや。それから、牧、三井、仙道は海の家や。たぶんおっちゃんが一人で切り盛りしとるから、すぐに手伝いにいったってほしいねん。身軽になったら、声かけてな」
そう言うと、田村たちを連れて、叔母のいる勝手まで連れて行った。
残された三人は、とりあえず、着替えることにする。
Tシャツと短パンに着替えて、土屋を待つ。
「用意できたか?」
土屋が戻ってきて、三人を促す。
土屋につれられて、一行は浜辺までやってきた。
浜辺は、夏の盛りで、海水浴客であふれているが、普段、湘南の芋を洗うような海岸べりになれている彼らには、空いているという感覚しかしない。
「すいてるよな。穴場なのか?」
「普段の日本海はこんなもんやで。盆休みになると、ここも混むけどな」
それでも、関東の海岸ほどではないらしい。
「おっちゃーん。今、ついてん」
土屋が、一軒の海の家に入っていく。
「おう、あっちゃん。まってたんや」
「こいつらが、海の家要員や。なかなかなルックスやろ?」
そういって、叔父と牧たちを引き合わせる。
「男前がそろっててありがたいわ。三軒向こうの浜屋さんが大学生の見栄のええのを雇っててな、こっちはあがったりやってん。これで、こっちも、勝負できるわ」
そう言うと、よろしく頼むと、牧の肩をたたく。
「はぁ、よろしくおねがいします」
分担を、牧と仙道が、飲食品販売、三井が、浮き輪や着替え場所レンタルと振り分けて、早速仕事につかされた。
土屋が、牧と仙道に焼きそばやたこ焼きの焼き方を伝授している。
「ま、おまえらも、普段から、俺の指導受けてるから、味は大丈夫やろうけどな。あとは、愛想や。愛想をいかに振り撒くかや。ちょうどこれからが、昼時やからな、若いねぇちゃんゲットするんやで。」
普段、牧と三井の下宿に入り浸っている土屋は、彼らの部屋に、お好み焼き用の鉄板と、たこ焼きセットを持ち込んでいた。
月に数回は、たこ焼きやお好み焼きパーティーを開かされるため、自然に牧も三井も、おいしいお好み焼きやたこ焼き、焼きそばの焼き方を伝授されていた。
三井になついている仙道も、高校のころから部屋に押しかけているため、居合わすことが多く、自ずと、覚えてしまっているのだ。
そのため、たこ焼きを作れといわれても、さほど困ることはなかった。
「ミッチーは、にこにこ笑ろうて兄ちゃんをひっかけるんやで」
「へ?」
「かいらしいミッチーに釣られて、浮き輪やパラソル借りていく兄ちゃんがいるはずやからな。がんばってもらわんと」
「そ、そんなの無理だって…」
「あ、あかん、人だかりになってしもてる。ミッチー、ちょっとあっちヘルプしたって。おっちゃん、こっちたのむな」
そういうと、三井を連れて、牧と仙道のところへ助っ人に入った。
さすがに、若い女性が、売り手を目当てにどっと押し寄せたようだ。
「まいどおおきにー」
土屋が、焼きあがったたこ焼きを手早く売りさばく。
三井も、たこ焼きを焼くのを手伝わされた。
隣では、牧が豪快に焼きそばを作っている。
仙道と土屋が、愛嬌を振りまきながらジュースや焼きあがった食べ物を売っていく。
「まきー。なんか、たいへんだよな」
たこ焼きをくるくるとひっくり返しながら、三井が愚痴る。
「確かに、ちょっと見通しが甘かったかな…」
牧も、焼きそばの火力で、汗を流しながら、肩をすくめる。
「ま、商売繁盛ならそれはそれでいいんじゃないか?」
「う、うん。そうだけどさ」
ようやく、人波が引いてきた。
一気に人が集まったので、大変だったのだが、収まると、それなりに余裕ができてくる。
たこ焼きマシーンとなっていた三井も、ようやく解放された。
「はぁ、一段落やな。次のピークは、たぶん、三時ごろや。それまでは、のんびりしとって」
そう言うと、仙道に、カキ氷のつくりかたを指導したあと、民宿の方にいったん戻るといって、姿を消した。
「はい、三井さん、お疲れ様」
そう言うと、仙道が、ためしに作ってみたカキ氷を、三井に渡す。
「え?いいのか?」
「だって、テストで作った分だし…」
「あぁ、いいよ。飲み物も、ひまな時は、交代で休んで、飲み物も飲んでくれてもいいよ」
土屋の叔父が、かまわないと声をかける。
「え、いいんですか?すみません」
「じゃ、みついさん。はい」
「そ、そうか、すまねーな」
のどが渇いていたので、カキ氷をもらい、人目につかないよう、海の家の奥で、食べた。
「三井さん、シロップの具合どうです?」
「おう、こんなもんだと思うぞ」
「三井は、かなり甘党だぞ」
「そういえばそうでしたね。でも、買いにくるのも女性が多いし、女性は結構甘いの好きだから、三井さんの味覚ぐらいでいいんじゃないですか」
「そうだな」
仙道と牧が、かなり真面目に販売戦略を立てている。
「焼きそばやたこ焼きも、発汗していて塩分が不足している人が多いし、少しソースも多めでいいかもしれませんね」
「そうだな。冷やすジュースも、これからは、おやつ的な甘いのを多めに入れるほうがいいか」
「そうですね。昼は、ご飯にあったもののほうがいいですけど、これからは、炭酸系かな?」
そう言うと、氷で冷やしている飲み物に、炭酸系のジュース類を追加しはじめる。
「ごちそうさん」
三井が、カキ氷を食べ終えて、店先に戻ってきた。
「三井、もう少しするとまた混んでくるから、休んでおけよ」
「そうですよ、三井さん」
二人に、弱いもの扱いされて、三井は面白くない。
「何言ってんだよ。俺だってまだ、働けるのに」
そうはいったものの、今日は朝から強行軍だったので、本当は少し疲れていたのだ。
奥の床机に少し腰を下ろして、二度目のピークまで休んでおこうと考えた。
二度目のピークがやってきた。
今度は、飲み物とカキ氷が飛ぶように売れる。
牧と仙道が、愛敬を振り撒きながら販売している横で、三井は、再びたこ焼きを焼いていた。
小腹が空いてきた人のために、一応焼いておくほうがいいと話が決まったためだ。
確かに、ソースのにおいで、たこ焼きにつられてしまう人もいた。
「さすが関西の人だよな。どこにいても、たこ焼きははずせねーんだな、きっと…」
三井は、感心しながら手を動かしていた。
ピークがすぎて、ほっとしたのもつかの間、今度は、帰りの時間で、貸し出した浮き輪やパラソルの回収と、脱衣場や、シャワーの監視でおおわらわになった。
ようやく、周りに人がいなくなったのは、日暮れになろうかという時間帯だった。
「はー、やっと終わった」
「人のパワーって圧倒されますね」
「おう、一気にやってくると、なんか怖いもんあるよな」
「ま、商売繁盛ってことですから…」
「さ、片付けに入るか?」
明日のために、今日汚れたものは、綺麗にしておかねばならない。
手分けして、海の家の掃除をはじめて、終わったのは、夕日が西の海岸線に消えたあとだった。
「いやぁ、ご苦労さん。また明日も頼むな」
土屋の叔父に連れられて、民宿へと戻る。
民宿では、ちょうど夕食時間で、民宿組が、おおわらわだった。
「手伝うほうがいいかな?」
そう言うと、彼らも、食事運びの手伝いに入った。
食事運びが一段落すると、彼らも食事にありつけた。
海の幸がふんだんに使われた、磯料理だ。
かなり体力が消耗しているせいか、みんな、必死でかきこんでいる。
食べ終わって、ほっとしているうちに、今度は食事を下げて、布団を敷く作業がやってくる。
二手に分かれて食事の片付けをして、一気に布団を敷いていった。
二十室ある各部屋をすべて片付けるのに、かなりの時間がかかった。
民宿組は、このあと、洗い物を手伝って、やっと解放されるらしいが、海の家組は、とりあえず仕事から解放されて、宿舎にあてがわれた部屋に戻ってきた。
「ふえー。なんか、たいへんだよな」
「ちょっと、甘く見てましたよね」
「要領を得るまで、大変かもしれないな」
「こんな調子で、海に入るひまなんてあるのかな?」
「さぁ…。そのうち、慣れてきたら、時間のやりくりもつくんじゃないですか?」
そこに、土屋が、戻ってきた。
「おつかれ。風呂に順番に入ってや」
浴室は、母屋のものを使ってくれとのことで、普通の民家の風呂なのであまり広くないため、一人づつ交代で入らねばならないとのことだ。
「三井さんからどうぞ」
そう、促されて、三井が、まず入ることにした。
風呂は、広くないとはいえ、普段のマンションの風呂から比べれば格段に広い。
「ふいー」
風呂好きな三井は、手足をゆっくり伸ばせる大き目の湯船に満足して、風呂をあがった。
交代で、牧、仙道と入っていると、民宿組が戻ってきて、続いて風呂に入っていく。
その間に、残ったものは、人数分の布団を大広間に敷き始めた。
「雑魚寝ったって、結構広いな」
「そうだな」
牧は、三井にお休みのキスもできないのが、少し不満だったのだが、人前なので、いたしかたないかと、我慢した。
「三井さーん。隣に行っていいですか?」
「え?別にいいけどよ。おまえ、寝相悪くねーだろうな」
「えぇ、それは大丈夫です。大人しいもんですから」
そう言うと、仙道は、三井の腰掛けている布団の隣に座った。
壁から牧、三井、仙道の順で、並ぶことになる。
仙道の横には、土屋が寝ることになった。
民宿組は、もうひとつの部屋の方に三人並ぶことになる。
後日参加の河田は、そちらにもう一枚布団を追加するようだ。
「三井さんと、せっかく一緒のバイトなのに、今日はちっとも話できませんでしたよねぇ…」
さびしいといいながら、三井に抱きつく。
「お、おい、こら、仙道!」
三井は、わたわたと仙道から逃れようとするが、なかなか、大柄な子泣き爺を振り払うことができない。
牧が、仙道に睨みを利かしながら、三井を助け出す。
「まったく。どうして、いつもいつも、俺に抱きつくんだ?」
三井が、牧の元に逃れて安心したのか、仙道に軽い蹴りを入れながら愚痴る。
「いやだなぁ。そんなこと、三井さんが大好きだからに決まってるじゃありませんか」
悪びれることなく、仙道がにじり寄って来るのを見て、牧が、ため息をこぼしながら諌める。
「仙道、いいかげんにしないか。三井が疲れるだろう。今日は強行軍の上に、いきなりなれない仕事をしてるんだ。そろそろ三井を休ませてやってくれ」
「はぁ、そうですね。残念ですが、今日はこの辺にします」
そう言うと、自分の布団の上に戻った。
それを見て安心したのか、体力を消耗しているせいか、三井は、早速うつらうつらし始めたので、牧に、布団の中に押し込められた。
もぞもぞしていたのもつかの間、すーすーと寝息が聞こえてくるようになった。
「じゃぁ、俺たちも寝ることにするか?」
「そうですね。では、おやすみなさい」
そう言うと、牧と仙道も布団に入り、すぐに寝息をたてる。
そうして、ハードなバイト一日目が終わった。