その後も、一日のうちで、波があるものの、ピーク時にはかなり忙しいバイトに明け暮れていると、河田が合流して民宿組に加わった。
土屋は相変わらず、機動部隊と称して、海の家と民宿の両方をタイミングよく手伝っている。
そして、初めての木曜日。
今日は、海の家も、民宿も休業日だという。
近隣の民宿と、海の家との協定で、順番に休業していくことになっているらしい。
「じゃぁ、今日は、一日遊んでいいんだ?」
三井がうれしそうに尋ねる。
「そうや。浜で遊んでもええし、ちょっと西に行ったら岩場があって、そっちは穴場やから、水がもっと綺麗やで」
土屋につれられて、岩場に一行はぞろぞろとやってくる。
確かに、少し海水浴の浜からは離れているので、海水浴客はあまりいない。
めいめいに海に入って遊び始める。
海の家の備品のゴムボートや浮き輪を借り出して、のんびりと水に浮かぶものもいれば、仙道は、自前のロッドを持ち込んで、海釣りをはじめた。
「三井、どうしたんだ?」
「なぁ、牧、あっちに行ってみようぜ」
三井は、ゴムボートに乗っていて、岩場の先にある洞窟のようなものを見つけて、牧に行こうとせがむ。
「よし、わかった」
牧が、オールを器用に操りながら、ボートを洞窟に向ける。
ついたところは、岩が、波の侵食で削り取られ、円形の穴をあけているところだった。
洞窟だと思っていたが、反対側もあいていて、トンネルといったほうがいいようだ。
中は、今は、水が引いていて、浅瀬になっている。
ボートを降りて、流されないように少し、奥に引き込んでから、中に歩いていってみる。
「トンネルの中は、少し日の光がさえぎられていて、ひんやりとしているな」
牧が、立ち止まり周りを見る。
「うん、静かで、涼しくって、気持ちいいよなぁ」
三井がうれしそうに、牧を見る。
牧は、そのにこやかな三井に、ぷつっと理性を飛ばしてしまった。
「三井」
そっと名を呼んで、三井を抱きこんで、キスを仕掛けた。
「んっ…」
三井は、一瞬驚いたように目を大きく見開いたが、すぐに、キスに応じて目を瞑る。
長いキスが終わり、牧は、三井を抱きしめる。
「牧、どうしたんだ?」
「限界だな。三井に餓えてしまってるよ」
「仕方ないだろ、あんな雑魚寝じゃ…。それに、いつも仙道がいるし、二人きりになるのなんて、全然なかったじゃないか」
「わかってるんだが、ちょっとな。仙道の過度のスキンシップにいいかげん切れそうだったんだ」
「まきぃ…」
「わかってるよ。大人気ないさ。でもな、仙道は、なついている後輩という隠れ蓑で、三井にちょっかい掛けられるのに、俺は…。と思うとなんかやりきれなくてな」
だから、餓えていると、牧は再び三井の体を抱きしめキスをする。
「まき…」
「うーん。これ以上抱きしめてると、歯止めが利かないな」
そう言うと、そっと三井を離す。
「え?」
「だから、こんなところで、押し倒してしまいそうだってことさ」
「…ばか…」
「キスも、また来週の休業日までお預けなんだろうな」
「もう…。でも、暇を見つけて二人きりになれるんじゃねぇ?」
「まぁ、そうだな。仙道が横向いている間とかな」
「ば、馬鹿、そんなことしたら、ほかのやつに見つかるじゃんか」
「うーん…」
「ったく…。まるでだだっこだぞ」
そう言うと、三井は、牧の唇に掠めるようなキスをした。
「あと二週間だよ。がまんがまん」
そういって笑う。
牧は、ため息をこぼして、愚痴る。
「まったく。参ったな」
そういいながら、再び三井を抱き寄せて、三井の肩口に顔を埋める。
「ミッチー、牧―」
そこに、のんきそうな土屋の声がした。
牧が、三井を離したので、三井は、声のする方に行った。
土屋は、トンネルの入り口で、浮き輪で浮きながら中を見ていた。
「土屋!」
三井が駆け寄る。
「こんなとこにおったんか」
「おう、この奥トンネルになってるんだけどさ、奥に行くとさ、ひんやりして気持ちいいんだ」
「うん、ここは涼しいんや。せやけど、もうちょっとしたら、潮が満ちてくるから、気いつけんと…」
「あぁ、探検したしもうそろそろ、戻るつもりだったんだ」
牧も戻ってきて土屋に話し掛ける。
「ほんなら、戻るか?」
「あぁ」
牧と三井は、ボートで、土屋は、それにつかまって、ほかのメンバーのいる岩場に戻った。
「あ、三井さん、どこ行ってらしたんですか?」
仙道が、三井に気づいて、声を掛ける。
「おう、この向こうに、洞窟みたいなトンネルがあるんだ。そこに行ってみた」
「へぇ。牧さんと?」
「おう」
仙道は、チラッと牧を見たが、二人の姿が見えなかった時間は、そんなに長い間ではなかったので、さほどたいしたことはしていないだろうと考えたらしい。
仙道は、このバイトの期間、徹底的に二人の邪魔をしようと考えて、この地にやってきている。
今日も、釣りをしてはいるが、実際には、三井を少し離れたところから監視しているといったつもりのようだ。
「三井さん。ここ結構魚釣れますよ。やってみませんか?」
そういって、三井を誘う。
「ほんとに釣れるのかぁ?」
三井は、興味ありそうに、岩を伝って、仙道の近くにやってくる。
「えぇ。どうぞ。一度釣ってみてください」
そう言うと、三井にロッドを渡す。
三井は、仙道に持ち方やリールの動かし方などを教わりながら、何度か糸を海に向かって投げた。
すると、あっさりと疑似餌に魚が引っかかったようだ。
「わっ!」
「ね、あっさりかかったでしょ」
そう言うと、仙道は、糸を寄せる指示を出しながら、三井の獲物を引き上げるのを手伝う。
小振りのキスがかかっていた。
「キスですね」
仙道が、三井に釣り上げたキスを見せる。
「え?」
三井は、一瞬、何を言われたかわからず、仙道を見る。
「だから、キスですよ。小さいから、逃がしてやっていいですか?」
ようやく、釣った魚のことを言われているのに思い当たって、三井は、リリースすることに同意する。
三井は、牧と向こうのトンネルで、交わしたキスのことを言われたのかと一瞬あせってしまったのだ。
そのあせった様子を見て、仙道は、二人がいなかった時間の中身を理解する。
「やだなぁ、三井さん、さっきは牧さんとキスしてたんですか」
「え?せ、仙道?」
「もう、相変わらずいちゃいちゃしてるんだから…」
仙道にからかわれて、三井は真っ赤になる。
そこに、土屋の声がかかった。
「ミッチー、いったん飯食いに戻るでー」
「お、おう!」
土屋につれられて、一行は、昼食を取りに民宿まで戻る。
昼食後、今度は、砂浜のほうに出て行く。
「昨日より、人が多いな」
「そろそろ週末になるし、ぼちぼち人が増えてきてるんや」
浅瀬で、水掛けをして遊んでいる三井や河田たちを、見ながら、牧は、砂浜で土屋と話していた。
そこに、大阪からきたらしいOLが話し掛けてくる。
逆ナンパされて、牧は、苦笑しながら、丁寧に断る。
しばらくすると再び別のグループが近寄り声を掛けてくる。
土屋が、明日からは海の家にいるのでとCMをしているが、牧は、声をかけられるのはあまり好きではないらしい。
そんな様子を、波打ち際から、三井が見ていた。
「牧さんモテモテですね」
仙道が、三井に聞こえるようにいう。
「う、うん」
三井が見ている間にも、何人かの女性たちに声を掛けられた牧に、なんだか腹が立ってきた。
「牧!」
少し大きな声で呼ぶと、牧は、すぐにこちらを振り向き、女性に断りを入れて、三井の元に駆け寄ってくる。
「何だ、どうしたんだ?」
三井が怪我でもしたのかと、心配げに声を掛ける。
三井は、ご機嫌斜めで、ぷいっと横を向く。
そして、ぽつっと言った。
「モテモテだな」
「?何だ?もしかして三井は、妬いてくれてるのか?」
うれしそうに牧が目を細める。
「そ、そうじゃねぇよ!」
三井が真っ赤になって抗議するが、牧は受け付けようとはしない。
「声を掛けてもらうもんだな。めったに見れない三井のヤキモチがみれるなんて」
「ばっ!ばかいうな!お前こそ勘違いしてんじゃねぇよ」
真っ赤になって見え見えの様子なのに、違うと言い張る三井の姿に周囲は、脱力感にも似た諦めを感じて、そっとため息を吐く。
牧だけが、うれしそうに三井の抗議にうんうんと頷いている。
入学して一年たって、河田と土屋のほかにも、同期のメンバーたちにも牧と三井がどうも付き合っているらしいということが、わかりつつあった。
彼らの考えは、『ま、三井だからしょうがないな』といった感があり、三井本人が聞けば憤慨すること間違いなしだが、それを悟るような三井でもなく、今のところは、牧が、気づいているが黙っている状態だった。
いつのまにか、牧と三井を残して、脱力したほかのメンバーは、砂浜に戻って、半ばやけになって、ナンパをはじめた。
「あれ?みんなどこいったんだ?」
三井が、ふと気づいて周りを見る。
少し離れたところで、女子高生らしいグループに声を掛けている、メンバーを見つけた。
「どうも、気を利かしてくれたようだな」
「なんだって?」
「俺たちの邪魔をしないようにさ」
「ま、牧…。それって…」
「どうやら、ばれてるんじゃないか?」
あっさりと、牧は事実を告げる。
「そ、そんな…。ば、ばらしたのか?牧?」
「いや?べつに話したわけではないが、どうも、俺たちの雰囲気でわかったんじゃないのか?」
「…!」
三井は、絶句して真っ青になり、次いで真っ赤になった。
「三井?」
牧は、不思議そうに三井を見る。
「ど、どうしよう?」
三井がおろおろと、目で牧に縋った。
「別に気にすることないさ、今までどおりにしていれば、勘違いかなと思うかもしれないだろう?それに、もうばれてるんだったら、今以上状況が悪くなることはないだろう?」
「そ、そうだけどよ…」
三井は、少し落ち着いたように見える。
「それよりも、せっかく二人にしてくれてるんだから、ちょっとご好意に甘えないか?」
「?なんだ?」
「二人きりで、ちょっと隠れるというのはどうかな?」
「え?」
「土屋が教えてくれたんだが、さっきの岩場とは、逆のところに人のこない岩場があるそうだが…。行かないか?」
そう言うと、三井の背を押してそちらに向かおうとする。
「ち、ちょっと待てよ!何するつもりだよ!まさか…俺やだぞ!どうせ変なことするつもりだろ?」
三井はあせって牧の手から逃げる。
「何だ、つれないな三井は…。俺は、もうそろそろ限界だというのに…」
牧が残念そうに呟く。
「ぜってーやだ!このバイト中は、絶対に拒否するからな!」
三井は必死で、牧に思いとどまらせようとする。
「じゃぁ、バイトが終わって東京に帰ったら、その分も相手してくれるんだ?好きにさせてくれるんだな?」
「え?」
「ここで、我慢を強いるんだからそのくらいは当然だろ?」
牧は、三井の目を覗き込んでそうだろうというような表情をした。
「う…。ま、まぁ、今我慢してくれるんなら」
「そうか、それなら、とても残念だが、我慢するか」
牧は、三井にわからないように、にやっと笑った。
東京に戻ってからのことを、あれこれと、考えると自然に笑いがこみ上げてくるが、三井に知られないように細心の注意を払わねばならない。
「じゃぁ、土屋たちのところに行くか?」
浜では、女子高生のグループと意気投合した土屋たちが、ビーチバレーをはじめていた。
「おう!」
三井が、そこに駆け出すのに、牧もふと微笑みながら、後ろをついていった。
その日は、日が暮れるまで遊びほうけて、くたくたになって宿舎に戻った。
そして、再びバイトの日々が始まる。
怒涛の盆休みを乗り切り、八月の後半を海の家ですごした三井たちが、東京に戻ってきた。
懐は、とても暖かくなっている。
土屋の叔父夫婦が、予想以上にがんばった彼らに、バイト料を弾んでくれたのだ。
海の家の売り上げは、牧と仙道の見た目に釣られた女性たちと、三井の笑顔にころりと釣られた男性たちのおかげで、近年にない額を記録したらしい。
来年もぜひきてほしいと、懇願されているのだ。
しかし、来年のことはなかなかわからないため、色よい返事ができなかったので、叔父夫妻を嘆かせた。
三井たちも、お盆を過ぎると徐々に人も少なくなって、手が空き始め、要領がわかるようになって交代で遊べるたので、楽しい夏になったのは確かだ。
「あー、楽しかったよなぁ」
一行と別れて、下宿に戻ってきた三井は、荷物をリビングの床に置くと、ソファにどっさりと座り込んだ。
「東京も、まだまだ暑いなぁ」
気温は、まだ高い。
牧は、いったん窓を開けて、空気を入れ替えたあと、クーラーのスイッチをいれて、部屋を冷やす。
「うーん、極楽」
部屋の温度が下がって来ると、三井は、ソファに寝転んで、大きく伸びをする。
牧は、伸びをしている三井に、覆い被さりキスを仕掛けた。
「!」
三井は、驚いて応えることも忘れている。
「三井」
牧が、唇を離してそっと三井の名を呼ぶ。
「な、何だよ!牧!いきなりびっくりするだろ!」
「誉めてくれたっていいじゃないか。かれこれ一ヶ月、ずっと我慢していたんだからな」
「まき?」
三井は、いやな予感に牧の顔を見る。
「三井が、東京に帰ったら好きにしていいといったから、本当に我慢していたんだぞ」
「ま、ま、まさか…」
「さてと。最初はどうしようかな…。あぁ、大学が始まるまで、一週間もある。楽しみだよな、三井」
にっと笑う牧に、三井は、青くなる。
「まき…そ、その…」
何か言いかける三井の言葉も聞かず、牧は、三井の体を起こす。
「まずは、いっしょに風呂に入ろうか」
そう言うと、三井をバスルームに引っ張っていき、うれしそうに彼のシャツをはがし始める。
ご機嫌な牧を見ていて、三井は、口は災いの元という諺の意味をひしひしと身に感じていた。
1999.9.15