動こうとして、身体に力が入らないのに軽く舌打ちして、三井はソファの下で、神妙に正座している牧を見た。
「大丈夫か?」
心配そうに牧が、三井の背中を支えて助ける。
「…心配するくらいなら、無茶すんなよ…」
「すまん…」
「…ったく」
偉そうに、三井は牧に手を伸ばす。
「三井?」
「動けねーから風呂場に連れてけ」
「かしこまりました」
三井をそっと抱き上げて、浴室のドアの前にやってくる。
三井がドアを開けると、牧は、三井ごと浴室の中に入る。
バスタブの凭れかけさせるように、三井をそっと下ろし、牧はバスタブに湯を入れた。
「洗ってやろうか?」
シャワーのノズルを持ち、牧は、三井を見る。
「変なことはしねーよな」
三井が牧を見上げる。
「サンスケに徹します」
そう言うと、牧はシャワーの栓をひねり、三井にやさしく湯をかけると、スポンジにボディソープを含ませて泡を立て、三井の身体をゆっくりと洗い始めた。
三井は、牧に身体を任せて、力を抜いている。
「なぁ、牧」
「ん?」
「俺の、ベルばらってなんだ?」
「たぶん、『ベルサイユのばら』のことじゃないか」
「で、それって、どんな服なんだ」
「ベルばらの女王と言えば、マリー=アントワネットだろう」
「マリー=アントワネット?」
「フランス革命で、処刑された当時のフランス王妃だよ」
「処刑?」
「オーストリアの皇女で、豊かな王室の中で何不自由なく育ってきたお姫様が、フランスに輿入れして、民衆の心を知らないまま、派手な暮らしを続けたから憎悪をかったんだろうな」
「へぇ」
「たしか、民衆が、飢えで苦しんでいるときに、パンがないのならお菓子を食べればいいといったとか言うエピソードを、世界史で習ったような気がする…」
「そんな女王の仮装すんのか?」
「多分、ベルばらというからには、少女漫画の内容だろう?タカラヅカが舞台化して、昔ブームになったっていう」
「でも、アントワネットは、アントワネットだろう?」
「いや、たしか、あの話では、アントワネットは悲劇のヒロインだったような…」
「?」
「少女のときに輿入れしてきて、初めて本気になって好きになったスウェーデン大使との悲恋が、ベースにあるんだよ。確か…」
「お前、詳しいな…」
「母が、タカラヅカファンでな。子供のころに聞かされたような気がする。
「へぇ…。ウチの親もタカラヅカ好きでよー。姉貴も好きで、一緒に見に行ったりしてるぜ」
「女性は大抵好きなんじゃないのか?なんせ、理想の王子様ばかりが出てくるらしいからな」
「ふーん」
「ま、写真で見た、タカラヅカのアントワネットは、綺麗な衣装だったぞ」
「そっか?」
「さ、洗えた」
そういうと、牧は、三井の身体の泡をシャワーで流し、次にシャンプーをはじめる。
髪を洗い終えて、身体に再びシャワーをかけ、牧は、三井を再び抱き上げ、湯の張れた浴槽に、三井の身体をそっと沈める。
自分の身体をさっさと洗いながら、牧は、ふと、思いついたように呟いた。
「三井の女王様の姿を見せるのはなんだかもったいないな」
「なんだよ、それ」
「そうだろう?美人のお母さんやお姉さんによく似ている三井が、女装したって、そんなにひどくなるわけないじゃないか。その三井が、女王様の衣装をきたって、綺麗になりこそすれ、笑っちまうことはないだろう?そんな三井の姿を、一回生の連中の前に見せてやるのは、なんだか惜しいような気がするな」
「まき…」
三井が呆れたように牧を見る。
「しかもあのバカがいるんだぞ」
「それって仙道のこと?」
「そうとも。きっと調子に乗って、お前に抱きつくに決まってるんだ」
「牧…。考えすぎだって。いくら仙道でも、大勢の中でそんなバカなことしねーって」
「そんな常識の通用するやつじゃないだろう?ラッシュで混んでる駅の構内でさえ、お前に抱きつく奴なんだぞ」
「う、ま、まぁそうだけど…」
自分の髪と身体をさっさと洗い終わって、牧は、三井の身体を湯船から掬い上げて、湯船に腰掛けさせる。
「三井、ちょっとここで待っててくれるか?」
そう言うと湯船に浸かり、フゥと息をついた。
そしてすぐに立ち上がり、脱衣場のバスタオルを取って、自分の身体の水分を払いタオルを腰に巻きつけ、もう一枚のバスタオルで三井の身体も拭いてやる。
バスタオルで、三井の身体を包んで抱き上げる。
「もっとゆっくりしていいぜ、牧。まるで、カラスの行水じゃないか」
呆れたように三井が声をかける。
「いや、いつもこんなもんだよ」
抱き上げた三井を、リビングのソファにそっとおろしたあと、三井の部屋に入ってパジャマを取ってきた。
三井に着せ掛けたあと、自分に部屋でパジャマに着替え、リビングに戻る。
「まだ、身体に力はいらないか」
冷蔵庫から、スポーツドリンクの缶を2本出してきて、1本を三井に渡す。
「うーん、だいぶ戻ったけど、まだたてねぇかも…」
「すまんな」
「すまねぇって思うなら、もうちょっと加減してくれよな。俺はお前と違ってセンサイでデリケートなんだからよ」
「きをつけるよ」
「どうだか…」
今まで、そう言って、手加減したためしがないのだからと、三井はため息をついた。
「さて、三井。ベッドに行くか?」
汗もひいて、一息ついたところで、牧は三井に問い掛ける。
「うん、そうする」
牧が、手を差し出した手に応じて、三井は、牧の首に腕を巻きつける。
牧に抱き上げられて、三井は、牧の顔を見る。
「どうした?」
「…今日は、もうしねーよな?」
「?お望みとあらば頑張らせていただきますが?」
「が、がんばらなくていい!」
「なんだ、つれないな…」
そう言うと、牧は、三井の部屋に向かった。
「あ、あの…」
自分のベッドに下ろされて、三井は、牧に慌てて言った。
「?」
「今日、そっちで寝ていいか?」
「そりゃ、大歓迎だが?」
「ね、寝るだけだぞ!なんにもしねーでだぞ!」
「なんだ?寂しいのか?」
「ば、ばか!ちげーよ!動けねーから、夜中に便所行きたくなったりしたら困んだろ!」
三井は、図星を指されて、あせって、言い訳をつける。
「わかったわかった。ちゃんと面倒見させていただきます」
そう言うと、牧は、再び三井を抱き上げ、今度は自分の部屋のベッドに三井を下ろす。
三井を寝かせて、自分は、戸締りの確認と、消灯をしに部屋を出る。
戻って、ベッドに入ると、三井が牧の胸元に潜り込んできた。
「おやすみ、三井」
「お、おやすみ」
牧は、三井の額にキスをすると、手を伸ばし、ベッドサイドの目覚ましをセットして、ベッドライトを消した。