牧と三井が、同じ部屋で暮らすようになったのは、3月の終わり、新学期が、あと少しで始まるという頃だった。
「三井、起きろ。遅刻するぞ」
「んーっ…」
三井が、自分の部屋と決めて、荷物を運び込んだ、リビングから向かって右側の洋室に、牧の溜息混じりの目覚まし声が聞こえる。
「三井」
ベッドの毛布を頭からすっぽりと被って、ぬくぬくとした中で丸まっている三井を見て、牧は強硬手段に出ることにした。
三井が死守している毛布を掴み、強引に引き剥がしにかかる。
三井は、あっけなく毛布をひっぺがされて、一気に外気に触れたため寒くなった身体をよりちぢ込めて丸まっている。
「三井、本当に遅刻するぞ」
牧が、三井の肩に手をやって、揺さぶりをかけるにいたって、やっと三井の、目がうっすらと開いた。
「三井?起きたか?」
「…まき?」
「早く支度しろ。今日から、部に顔を出す予定だろ?」
ぼんやりと見つめる三井にクラクラしながらも、今押し倒しては元も子もないので、頼むから早く意識をはっきりしてくれと心から願いながら、牧は、三井に話しかける。
「部?」
「そうだ。今日から大学の練習に参加するんだったろうが」
「練習…」
「三井…。まだ寝ぼけてるのか?」
ようやく意識がはっきりしてきたようで、、三井は、がばっと、飛び起きた。
「そうだ!練習!」
「やっと起きてくれたか。さっさと支度しろ。約束の時間まで、もうあまりないぞ」
ひえぇと、洗面所に駆け込む三井を、眼でおくって、牧は、朝食のテーブルについた。
バシャバシャと水の音がして、静かになったと思えば、三井が、洗面所から出てきた。
「すまねー、牧」
「いや、とにかく座れ。食事にしよう」
「う、うん」
牧が用意した、朝食メニューを、二人して、平らげていく。
とにかく食事をすませ、後かたづけと、出かける支度をざっとして、部屋を出る。
「さぁ、出かけるか」
「お、おう…」
二人並んで、やや早足で道を行く。
この4月から、二人が通う大学は、彼らの借りた部屋から、徒歩で二〇分位のところにあった。
「三井、これから、もう少し余裕を持って起きてくれよ」
「うっ…、すまねー。夕べちょっと夜更かししちまって…」
「なんだ?テレビでも見てたのか?」
「うーっ…」
「まさか、ゲームじゃないだろうな…」
「…」
「三井…。子供じゃないんだから、そこまで熱中してゲームすることはないだろう?」
牧は、今日のことがあるから三井を抱くわけにはいかないと、昨夜、懸命に我慢をしたというのに、当の三井は、ゲームに熱中していたと聞いて、脱力してしまった。
「で、でもよ…ちょっと、壷ふんじまってセーブできなくって…。」
「三井…」
フゥと、溜息混じりに牧がこぼしたのを見て、三井も、口ごもる。
「わ、わかったって…これからは、次の日にひびかねーよーにすっから…」
「あぁ、そうしてくれ」
そうこう、いううちに、大学の正門が見えてきた。
彼らの目指すバスケット部は、正門を入って左側の奥にある体育館で活動をしているという事だ。
まずは、挨拶をしに体育館に向かう。
体育館では、すでにボールの弾む音が聞こえている。
「やべ、遅刻しちまったか?」
「いや、指示された時間には、まだ二〇分近くあるから大丈夫だ」
「へ?だって、お前遅刻するって…」
「そうでも言わなきゃ三井は急がないだろう?」
「うぅっ…」
「それに、一年坊主は、何でも早めに行動を起こさないとな」
「お前って、ホントーに体育会系だな…」
「誉めてるのか、貶してるのか?」
「ノーコメント」
体育館の重い引き戸を、牧が開く。
中では、部員達が練習をしていた。
引き戸が開く音で、全員が、入り口に視線を走らせる。
「失礼します。4月からお世話になる、牧と申します。今日から、練習に参加させていただけるとのことで、やってまいりました。よろしくお願いします」
張りのある声で、牧が声を掛け、一礼する。
「三井です、よろしくお願いします」
三井も、あとに続く。
「早いね、まだ他の新一年生は来てないから、とりあえずそこの椅子に座って待っててくれるかな」
柔和そうな上級生が、近づいてきて、壁際のパイプ椅子を指す。
とりあえず言われたとおりに壁際に向かうときに、開いた扉を閉めようとして、外から人がやってくるのに気がついた。
「あれ?三井に、牧?お前らもこの大学やったん?」
「土屋ぁ?」
やってきたのは、大阪大栄学園の土屋だった。
土屋も、挨拶をしたあとに、他の新一年生が来るまで待機するようにと指示を受ける。
「なんや、お前らと一緒やってわかってたら、待ち合わせしたのになぁ」
「俺達だって知らなかったよな」
「あぁ、試験会場で見なかったと思ったんだが…」
「あぁ、俺、大阪会場で試験受けたし、こっちには来てへんから…」
「そっかー、でも、牧と土屋と俺か…。結構いいよな、バランス」
「ガード二人にフォワードか」
「あと何人一年はいるんかなぁ…」
「さぁな、おや、また一人来たぞ」
「あ、あいつ…」
「ひゃーっ!あれ、山王の河田とちゃうのん?いやー、むっちゃ豪華やん。うちの学年」
河田が、指示を受けて、彼らの側までやってきた。
「何だ、お前らもここに来たンか」
「あぁ、よろしくな」
「自己紹介した方がええかなぁ?」
「知ってるだろ?お互いに…。バスケ生活長いんだし」
「確かに」
既知の挨拶を交わしているうちに、新入生と思われる3人がやってきた。
「アイツらは知んねぇな」
彼らで新入生は終わりらしく、最初に、声をかけた先輩が、壁際の4人を、コートに呼び寄せた。
ぞろぞろと、コートサイドに集まって、一列に並ぶ。
先程から、新入生に声をかけている先輩が、どうやら、主将らしい。
彼の号令で、上級生達もコートサイドに近づいてくる。
それぞれ順に自己紹介を行い、今後の新チームの顔合わせが終わった。
主将の指示で、新入生は、ウエアに着替えて、コートサイドに再度集合する。
柔軟と基礎練習を、始めるように言われて、各々、適当に広がって準備運動を始める。
新入生の残り3人(ガードが田村、フォアードが清水、森本という名前だった)は、どうやら、大学の附属高校の出身のようで、上級生達と顔見知りなのか、あれこれと声をかけられている。
小一時間ほど準備運動と基礎練習をこなしたあと、新入生が、主将に呼ばれた。
「じゃ、一応顔見せって感じで、軽くゲームしようと思うんだ。新入生対新2年生でいいかな」
そう言うと、コートに2年生と、新入生を入れる。
一〇分ハーフで流しのゲームを行う事になった。
新入生は、7人いるので、とりあえず、ポジション別に先発を決める事にする。
それぞれのポジション同士でジャンケンをした。
ジャンケンで、三井と土屋が負けたので、コートサイドに待機することになった。
「いやー、牧や三井とチーム組めるやなんて、うれしいなー」
土屋が、笑いながら、三井を見る。
「?」
「なんでって、国体優勝の神奈川チームの両ガードと組めるんやで、怖いもんなしやん」
「俺スタメンじゃなかったぞ」
「またまた、ご謙遜を。後半の2試合はスタメンやったやん」
「……。でもさ、このチーム結構いいよな。附属の3人なかなかやるじゃん」
「そやなぁ、こりゃ、レギュラーとる前に、一年同士でしのぎケズラんとあかんみたいやなぁ」
コートでは、1年生が善戦していた。
2年生チームとほぼ互角の戦いをしている。
5分経過して、田村と清水が、三井と土屋と入れ替わった。
「三井、土屋、先輩達は、結構あたりが強いから気をつけろよ」
PGの牧を中心にサークルをくんで、位置取りを確認する。
試合が再開されると、牧が、三井と土屋を中心にボールを回し始め、アウトサイドから三井が、インサイドから土屋が、点を固め取りし始めて、一気に2年生との差が開き始めた。
牧と河田は、疲労もないようで、ガンガン2年生をはじき飛ばしている。
『おもしれー』
三井は、久しぶりのゲームを楽しんでいた。
国体の時のように、牧からのパスは正確で、欲しいところに確実に届くし、ゴール下に先輩を圧倒する河田が構えていることで、安心してシュートが打てる。
パスにしても、ここと思うところに、みんながいてくれるから、ほとんど無意識にパス出しをしても、ボールがつながっていく感覚がある。
一〇分が終わり短いハーフタイムになった時点で、8点差で、新一年生がリードしていた。
「おめぇらなかなかやるな」
河田が、満足そうに三井と土屋の肩を叩く。
「まだ油断できないぞ。先輩達は、どうやら、三年生も加わるようだし」
牧が、横で観戦していた三年が、アップを始めるのを見て、みんなのゆるみかけた気持ちを引き締める。
「ほんまや、レギュラーって言うてた先輩もアップしとる」
ハーフタイムが終わって、試合が再開される。
今度は、三井と土屋が最初に入り、田村と清水が、控えに出る。
牧と河田は、疲れた様子がないので、そのまま出続けることになった。
さすがに、レギュラーの加わった上級生チームは、さっきまでのチームと比べると雲泥の差があった。
急造の新入生チームを、じりじりと追いつめようとする。
しかし、急造とはいっても、今出ている、河田と牧は、全日本メンバー
にも選ばれたこともあり、牧と三井は、県代表で、同じチームだったため、牧を中心にうまくまとまっていた。
点差は、五分後に5点差となっていた。
三井と森本が、コートから出て、待機組と入れ替わる。
試合は、上級生チームが盛り返し、終了時には、同点というところに治まり、先輩の面子も守ることが出来、双方、丸く収まる結果となった。
その日の練習は、これで終わりという事になり、新入生が、コートに残って清掃をすることになった。
「牧、うまいこと細工したな」
「何のことだ」
モップ掛けをしながら、土屋が牧に声をかける。
「点差を同点にするように調整したやろ?」
「土屋…」
「後半、パス回しの仕方、ちょっと変えたやろ?同じパスでも、それまでより通りにくい位置ねろて出したりしてたやん」
三井も、コートの内外で見ていて、何かおかしいと思っていたので、モップをかけながら、二人の話を聞いている。
「まぁ、先輩らはわからんと思うけどな。けど、それまであんなにええパスもろてたもんには、バレバレやで」
「レギュラーの先輩が出てきたから、気を使ったんだべ」
「いや、そう言うわけじゃないんだ。確かに、はじめの五分は、少し気を使った方がいいかなと思って押さえぎみにしたんだが、主将が入った五分後あたりから、マークのされ方が、微妙に変わってな。パスが、それまでと同じところに出しにくくなってしまったんだ。コースは開いているようなんだが、いざパスしようとすると、少しずれた位置にしか投げられないといった感じでな…」
「何や、ほんなら、キャプテンのせいかいな」
「お前にそう感じさせるなんて…」
「あぁ、穏和そうに見えて、なかなか手強そうな人だよ」
主将の柔和な笑顔に、うっかりと騙されそうになっていた、新入生達は、気を引き締めることになった。
モップ掛けも終わり、服を着替えて、それぞれ帰宅となる。
牧、三井、土屋、河田の四人は、久しぶりの再会を祝い、今後の事も考えて、一杯のみに行くことにした。
附属組も誘ったのだが、三人は、附属高校のメンバーで集まらねばならない予定があるとのことで、今回は四人でということになった。