☆5号室・朝
国体出場のため、神奈川県高校選抜チームの一行が、海南大学の合宿所を借りて昨日から3泊4日の強化合宿に入っている。
その合宿所の5号室の、朝七時を少し回った頃。
「三井さん、朝ですよ」
三井が、潜り込んだ掛け布団の上から、ゆっくりと揺さぶりながら声をかける奴がいる。
「んー…」
「三井さん、そろそろ起きてくださいよ。朝食を食べ損ねますよ」
『だれだっ?オレの安眠を妨げる奴はっ!』
朝の目覚める直前の微睡みほど、気持ちのいいものはない。
三井は、頑なにその声に逆らい、掛け布団をしっかりと巻き込んで、意地でも起きようとしない。
「まいったなぁ…。三井さんがこんなに寝起き悪いなんて知らなかった…。」
声の主は、困ったような口調で、布団越しに三井の肩を揺する。
その時、勢いよくドアの開くような音がして、騒がしい別の声が聞こえた。
「ミッチー!起きたか?ふぬっ?やっぱりまだ寝てるなっ」
そう言いながら騒がしい第二の声は、三井の側に近づき掛け布団をむんずと掴むと、一気に引き剥がした。
布団から転がり出た三井は、それでも抵抗するかのように躰を丸くしてベッドから降りようとしない。
「ミッチーっ!朝飯だぞっ!」
「」
耳元で大声で叫ばれて、驚いて、三井が飛び起きる。
「目が覚めたか?ミッチー」
そこには、腰に手をやってふんぞり返った、赤毛の後輩桜木花道と、少し困ったような表情をして、三井を見つめる仙道が立っていた。
「な、なんて声出しやがる…」
寝起きでかすれた声のまま、三井がぶつぶつと文句を言う。
「飯の時間が近づいてもミッチーがこねぇから、まだ寝てんだろうってゴリが言うからきてみたらほんとにそうなんだもんな」
呆れたように桜木が三井を見る。
「悪かったな、低血圧なんだよ」
「ミッチー。朝は、気合いだぞ」
「まあまあ、それより、三井さん、出来れば速く着替えてくださいよ。ほんとに朝食に遅れちゃいますよ」
仙道が、二人の暢気な会話に割って入って、今何をすべきかを悟らせる。
「お、おう…」
ようやく三井は、状況を把握したようで、もそもそと着替えを手にして、パジャマを脱ぎ始める。
「じゃ。ミッチー先行ってるぞ!」
異様に大きな声の桜木が出ていき、部屋に、一気に静寂が訪れた。
「ったく…。騒々しい奴…」
三井は、憎まれ口を叩きながら、せっせと着替えをする。
5号室の右隣にある洗面所で、かなりいい加減に洗顔を済ませ、部屋に一旦戻ってきた三井は、ようやく朝食の席に向かう準備を終えた。
その間、じっと仙道が見つめていることに、途中で気付いて居心地の悪さを感じていた三井は、やっと振り向いて、仙道を睨んだ。
「何見てんだよ」
仙道は、ちょっと驚いたような顔をして、次にしょうがないなと言うような笑みを口に掃いた。
そして、三井に近づき、その腰に手を回して三井を腕の中に抱き込んだ。
「三井さんに朝のご挨拶をしたかったんですが、機会を逸してしまって…。で、次のチャンスを狙っていたんです」
「はぁ?」
左腕で、しっかりと抱きしめられて、空いた手で、顎を支えられる。
三井が、何をすると抗議する間もなく、軽いキスをされた。
「せ、せんどーっ」
何をすると、じたばたと暴れると、あっさりと解放された。
「おはようのキスです」
「お前、何言って…」
「三井さん、もしかして夕べのこと忘れちゃってます?」
「夕べの事って?」
「三井さんとオレとが、おつき合いを始めたって事ですけど…」
「うっ…」
「思い出してくれました?言いましたよね。オレ、三井さんが好きなんだって。三井さんも、オレのこと好きだって言ってくれたでしょ?」
確かに言った。
昨日一日、仙道のことが気になって、近づくと緊張が体中に走り、仕方がなかった。
それで、仙道と気まずくなって、どうしようと思っていた。
結局、仙道が、三井のことを好きになってしまったため、迷惑をかけないようにと部屋を変わると言ったとき、ようやく三井も、仙道のことが好きになっていたことに気付いたのだ。
「わかってるよっ!けどな。確か、そ、その…キスとかはしねーって言ったじゃねーかっ!」
まずは、普通のカップルのように手順を踏んで…。
そう言う約束だったはずだ。
「出来るだけ我慢する…って言ったんですよ。たしか。でも今は、三井さんがあまりに可愛くて我慢できませんでした」
「はぁ?」
何を言ってるんだ、そう言うのもありなのかと、脱力しかけた三井は、結局それ以上言い返せずに、言い負かされてしまった事を悟った。
仙道が、ふと時計に目をやる。
「あぁ、食事の時間ですね。じゃ、行きましょうか?」
「お、おう…」
肩を抱かれて、部屋を出るのだけは、必死で抵抗して、三井は、メンバーの待つ食堂へと急ぐことにした。
☆ 三井1
桜木に無理やり起こされた。
ったく、こいつって喧しいのな。
仙道が、変な顔してるじゃねーか。
仙道?
なんで仙道がいるんだ?
あ、あぁそうか、昨日から合宿だったんだ。
あれ、なんか俺、昨日…。
うわーっ!
思い出しちまった。
仙道の前でぼろぼろ泣いて、その上、好きだって言っちまったんだよな。
はずかしーっ。
なんかまともに顔見れねーよな。
さっさと支度して、飯喰いに行こう。
このままじゃ、恥ずかしくって、暴れちまいそうだ。
仙道が、着替えて身支度してる俺を見てる。
野郎の身支度にて何が面白いんだか…。
はっ、そう言えば、こいつって、俺をどうこうしたいって言ってたんじゃ…。
もしかして、やばいのかな。
テイソーの危機ってやつなのか?
ひやーっ!
何見てんだって睨んだら、抱きしめられて、キスされちまった。
抗議したら、昨日のこと忘れたかなんて聞いてくるんだよな、こいつ…。
忘れるわけねーだろー。
そりゃあんまり成績は良くねーけど、こんな事まで忘れるくらいもーろくしてねーぞ!
それより、こいつこそ忘れてねーか?
昨日は、嫌がることはしねーなんて言ってたくせに…。
いつの間にか、出来るだけ我慢するに変わってないか?
ちょっと、いいかげんじゃねぇ?
でも、ま、このくらいのなら、別に嫌じゃねぇんだけど…。
はっ、なんか、俺すっげーこと考えてる…。
俺ってホモの素質あったのかな?
こんなコトされて、嫌じゃねぇなんてさ。
ま、仙道が好きだって思ったくらいだから、フツーじゃねぇんだけどさ…。
合宿にはいるまでの俺と、随分変わっちまったって思うよな。
今までって、いかにしてオンナにもてるかって話してた様に思うんだけど…。
ま、最近はバスケ一筋なんだけどさ…。
まさか、バスケの合宿で同室になった、仙道をいきなり好きになるなんて思わなかったよな。
ま、始まっちまったことは、しかたがねぇ。
とにかく今は、合宿中だ。
バスケだバスケ!
さ、朝メシ喰って、今日もがんばるぞ!
わっ、何肩抱いてんだよっ!
そーいうことは、人前ですんなよなっ!
ちょっと先行き不安じゃねぇ?
☆ 仙道1
三井さんって、寝起き悪いんだ。
桜木に布団引き剥がされても、まだ抵抗しちゃってるよ。
何か可愛いなぁ…。
ようやく目が覚めたって感じ?
桜木の閉口する大声で、耳元で叫ばれたら、誰でも飛び起きちゃうよね。
桜木と口げんか始めちゃうし…。
何か掠れ声の三井さんって、色っぽいんだ。
朝からヤバイですよそれって。
いくらお子さまの桜木だって、クラクラきちゃうかもしれない。
間に割って入って、邪魔しちゃわなきゃ。
支度を勧めたら、やっと、オレの方に注意を向けてくれましたよね。
よかった。
忘れられたかと思っちゃったです。
でも、何か冷たくないですか?
身支度を始めても、こっちを向いてくれない。
せっかくそっと起こして、おはようのキスをしてなんて計画は、桜木の乱入でご破算になったけど、やはり朝のご挨拶くらいはしたいよな。
一応、恋人なんだしさ。
おや、こっち向いて睨んじゃってる。
まさか忘れちゃってる?
そこまで、酷くは無いんだろうけど…。
なんだか寂しいですよ、三井さん…。
でも、睨んじゃってる姿も可愛くって、たまんないよなぁ…。
ちょっと、実力行使させてもらいます。
抱き寄せてキスしたら、真っ赤になって暴れるんだもんな。
嫌がることはしないって言いましたよ、確かに。
でも、我慢できなかったんだもの。
三井さんも、そんなに嫌そうじゃないじゃないですか。
でも、それ言っちゃうと、また、真っ赤になって暴れそうだから、言いませんけどね。
さぁ、ご飯食べに行きましょ。
今日も一日、がんばってバスケしましょうね。
三井さんと同じチームで、全国制覇ですもんね。
口だけじゃ無くって、本気です。
やはり、ここまでメンバーのそろったのチームで、どこまで行けるか試してみたいじゃないですか。
オレがいくら、通称極楽トンボでも、やるときはやるんです。
あら、肩を抱くのはだめですか?
せっかく、両思いなのに…。
いっそのこと、みんなに三井さんはオレのものだって言いふらしちゃいたいのになぁ…。
わかりましたよ。
肩抱きませんって…。
でもね、いつかは、公認になりたいと思うのは、オレだけなのかなぁ…。
☆練習
「おい、仙道」
食堂に向かう道すがら、三井が仙道に声をかける。
「はい?」
「みんなの前で、べたべたすんなよ」
「べたべた?」
「だから、さっきみたいに肩抱いたりだよ」
「なんだ、さびしいですね。せっかくおつきあいしてるのに…」
「俺は、あいつ等にばれるくらいなら、お前を嫌いになるぞ」
「三井さん…」
仙道は、驚いたような顔をしたが、ちょっと考えるようなふうをして、口を開いた。
「わかりました。三井さんのおっしゃるようにします。でも、みんなの見てない所では、いいんですよね」
「…。度が過ぎねー程度ならな」
「わかりました。注意します。だから、嫌いになるなんて言わないでくださいよ」
仙道が、何故かまじめな顔でそう言うので、三井は、鷹揚に頷く。
「わかりゃいいんだ」
連れだって、食堂にはいると、一同の目が、一斉に集まった。
集合時間に2分ほど遅れてしまっていた様だ。
「ミッチーおせーぞ!」
「す、すまねー」
ちょっと赤面して席に着く。
仙道は、陵南のメンバーの横に腰を落ち着けた。
「ったく、お前は、こんな時でさえ団体行動ができんのか?」
赤木が、ぶつぶつと説教をたれる。
「まあまあ、三井サンの寝起きが悪いのは、今に始まった事じゃないんだし。静岡の遠征でも、インターハイでも、そうだったっしょ?」
宮城が、取りなしてるのか、貶してるのかわからないフォローを入れる。
「う、わ、悪かったなっ…」
ちょっと形勢が不利だ。
「流川でさえ、起きているというのに」
「そうだ、ゴリ!俺様が、毎朝ミッチーを起こしてやるぞ!」
「お、おい…」
「そうだな、桜木に任せるか」
「お前等、何言って…」
三井の意志とは関係なく、話は、決まってしまったらしい。
明日の朝から、桜木の怒号が目覚ましになるようだ。
朝食が始まり、食べ盛りの旺盛な食欲を満たしたあと、その場で、ミーティングとなった。
キャプテンを務める、牧が、今日の予定を伝える。
「昨日伝えたとおり、午前中は、基礎と1ON1、2ON2、3ON3と順に人数を増やしてメンバーの感触を掴む。午後からは、試合形式でメンバーを入れ替えながらの練習だ」
一旦部屋に戻って、練習着に着替えた後分後に体育館に集合と、号令を出す。
その指示に従って、みんなぞろぞろと部屋に戻っていく。
「三井さん、今朝は済みませんでした。オレがもっとしっかり起こしてれば、遅れずにすんだんですね」
「あー、いや、俺ものんびりしすぎたみてーだし…。お前も一緒に遅れてめだっちまったな、ごめんな」
「明日は、桜木が来る前にちゃんと起こしますよ」
「う、うん、すまねー。どうも朝は苦手なんだよ…」
「大丈夫、絶対に起こしますって」
「頼むな」
部屋で、練習着に着替えて、一息つく。
「さぁ、練習に行くか」
「えぇ、今日もがんばりましょう」
「おう、早く、他の奴等とパスのやり取りできるようにならねーとな」
「そうですね。このチームでは、それが最大のネックですからね。普段はライバルチームのメンバー同士だけど、今は、最高のチームプレーをして、全国を制覇するんですからね」
「そうよ!神奈川が、全国を制すんだ!」
「じゃ、そろそろいきましょうか?」
「おう、がんばろーぜ!」
熱血な拳を振るって、三井が意気込んで部屋を出る。
その後を、仙道がゆっくりとついてゆく。
練習は、昨日と同様に淡々と進められた。
午前中は、昨日同様、レベルの高い基礎練習となったが、午後は、パス回しや、ポジション取りにかみ合わないところが出てくる。
それでも少しずつ、スムーズなプレイになってくるのがわかるため、やる気がそがれることはない。
ローテーションで、外に出た三井に、牧が声をかけた。
「三井」
「?」
「昨日は、仙道とうまくいってないようだったが、どうなんだ?」
「ど、どうって?」
「相変わらず緊張したままで口もきかないのか?」
「い、いや、もう大丈夫…」
「そうか、それならいいんだが…。昨日仙道がかなり煮詰まってるようだったから気になってな」
「すまねー。ちょっと緊張しちまってな。夕べ話して、緊張も解けたみたいなんだ。心配かけちまったな」
「あぁ、よかった。それじゃ、二人ともバスケに集中できるな」
「おう、もうバッチリさ!」
仙道がコートから出てきて、二人のそばにやってきた。
「仙道、どうだ?感触は?」
牧が、仙道に声をかける。
「そうですね、まぁまぁって所ですか?昨日よりはパスも通るようになってきたし、後二日でどこまで行けるかが勝負ですね」
「あぁ、そうなんだ。国体までには、この合宿の後も、毎週末に集まって調整はするんだが、やはり、この4日で、ある程度は答を出さねばならないだろう」
「そうですね。この合宿でめどが立たないと、残りの調整では、不安が募るばかりですからね」
「気になるところは、なるべく早く解消したいと思っているんだが。練習後のミーティングでも取り上げるつもりでいるから、思ったことをなんでも言ってくれよ」
「えぇ、そうですね」
「三井も、頼むな」
「え?、おう、わかった」
そう言って、牧は、交代にコートの中へと入っていった。
「済みません」
「え?」
仙道がいきなり謝り出すので、三井がビックリして仙道の顔を見る。
「牧さんと和やかに話してましたね。ちょっと妬けちゃって、話の腰を折ってしまいました」
「妬けたって、お前…」
「だって、牧さんは、オレの知らない中学生の三井さんを知ってるし…」
「ば…、何言ってんだよ。それなら、藤真や、花形なんかもそうじゃないか」
「でも、二人は、三井さんとそんなに話したりしないけど、牧さんは親しく話してるでしょ」
「うーっ」
「ふぅ、すみません。今のナシにしてください。この調子で行くと、三井さんが話してる相手みんなに妬いちゃいそうです」
「え?」
「桜木や宮城や流川や赤木さんまで…」
「仙道…」
「そうならないように努力しますから…。あ、三井さんの番じゃないですか?」
「お、おう、いってくるわ。でもよ、仙道、あんまり変な所まで気を回すなよ。俺、そんなに節操ナシじゃねーからな」
「三井さん…」
仙道を残して、三井はコートに入っていった。