1. 事の始まり
「5号室・・・」
自分の引いたくじの内容をぼそりと呟いて、彼はこれから3日間同じ部屋に寝泊まりする相手が誰なのかとあたりを見渡した。
「ミッチー!何号室だ?」
傍らで、彼の傍若無人な赤毛の2年後輩が、興味深げに彼の手元の小さな紙片を覗き込もうとした。
「何だ?桜木。お前こそ何号室なんだ?」
「おう!俺様は4号室だ。ミッチーは?」
「5号室らしい。誰と一緒なのかな・・・?」
そう答えて、赤毛の後輩桜木花道に『ミッチー』と見た目とギャップの激しい呼ばれ方をしている彼、三井寿は、再びあたりを見渡した。
あたりには、総勢17名の男達が集まっている。
ここは、神奈川県の高校バスケット界の金看板である、海南大学付属高等学校の敷地に隣接する大学部の合宿所のミーティングルームだ。
今日から3泊4日の強化合宿に参加している神奈川県の高校男子バスケットボール国体代表選手と彼らのバックアップをつとめるリザーブの選手達である。
代表選手は、県内の各高校からの選抜方式で選ばれている。
監督に、インターハイで2位だった海南の高頭が就き、コーチとして、もう一校の県代表監督の安西と、陵南の田岡が就いていた。
インターハイ県予選のベスト5である、海南の牧と神、湘北の赤木と流川、陵南の仙道の他に、海南から清田、高砂、湘北から三井、宮城、桜木、翔陽から藤真、花形が代表に選ばれている。
リザーブの選手として、海南の武藤、陵南の福田と越野が登録されていた。
海南大の合宿所は、バブル期に建築されたためか、贅沢な拵えで、全室ツインルームになっていた。
そのため部屋割りが必要となってしまったが、代表選手が寄せ集めのため、少しでも親睦が図れるようにと、同じ学校同士にならないように、くじ引きで部屋を決定することになったのだ。
「よし、全員くじを引いたな。書いてある番号を一人ずつ言ってくれ」
部屋の番号を記入したホワイトボードの前で、牧が全員に向かって指示を出した。
手近な者から申告が始まると、神がボードに記入していく。
部屋割りは、1号室が宮城と神、2号室が牧と赤木、3号室が藤真と越野、4号室が桜木と清田、5号室が三井と仙道、6号室が福田と流川、7号室が高砂と花形、8号室が一人部屋となって武藤が入ることになった。
「なにーっ?この天才が、野ザルといっしょなのか?」
「なんで、俺が赤毛ザルと一緒なんすかー?」
4号室があまりに犬猿の(猿同士だが)二人になってしまい、うるさく騒いでいる。
「うるさい!清田。そんなに騒ぐのなら、判った。俺が、交代してやる」
睨み合って一触即発状態になったため、周囲に緊張が走ったのを見かねて、牧が声をかけた。
結局、2号室の牧と清田が入れ替わり、2号室に赤木と清田、4号室に牧と桜木と変更したことで、騒ぎが収まり周囲も安堵の一息をついた。
「三井さん、今日から3日間よろしくお願いします」
騒ぎが収まって、三井や宮城が、結局牧というお目付役に睨まれることになった桜木を冷やかしていると、仙道が三井の元にやってきて、声をかけた。
「お、おう。こっちこそよろしくな、仙道」
三井が応答していると、牧が荷物を部屋に入れて、一〇分後に着替えて集合と号令を出した。
どうやら牧が、キャプテンを務めることになったらしい。
このメンバーを引き連れて行かねばならない、牧のこれから先の気苦労を思いながら、三井は自分に割り当てられた5号室に向かった。
「結構きれいじゃんか。さすが海南は金かけてるよな」
こざっぱりとした部屋を見て、三井が嬉しそうに呟いた。室内は、ビジネスホテルのような内装で、体育会系の合宿者用のためにベッドは少し大きめのセミダブルになっていた。
「大学ともなるとこんなに優雅なんですねぇ」
後ろから、ついて入った仙道が相づちを打つ。
「これでバストイレ付なら言うことないのにな」
「まぁ、合宿所ですからね」
「そーだな、贅沢言うとキリがねぇし。雑魚寝が免れただけでも良しとしなきゃな」
そう言うと、三井は部屋の中央に立ち仙道を振り向いて問いかけた。
「なぁ、お前どっち側のベッド使う?」
「別に気になりませんから三井さんお好きな方どうぞ」
「そうか?じゃ、俺こっちな」
そう言うと三井は、向かって右側のベッドの上に、腰掛けた。
「さっさと着替えて、戻んなきゃな」
「はい」
とりあえず荷物を解き、着ていた制服からウエアに着替える。
「じゃ、そろそろ行くか?」
5号室の二人は、連れだって再び元のミーティングルームに戻っていった。
2. 三井1
(仙道とか…)
5号室の相手が決まったとき、三井は少し不安になった。
相手は、湘北の後輩達が目の敵にしている、陵南の天才仙道だ。
(変な奴じゃないだろうな…)
変わり者だという噂は、耳にしたことがあるが、一緒に寝泊まりする相手としてはどうなんだろうと、いささか気に掛かる。
せっかく選ばれた県代表選手として、今度こそは、インターハイの3回戦の様な無様な負け方はしたくないと思っている。
懸念のあるスタミナ切れも、インターハイが終わってからの真夏の練習で、少しはましになっていると思う。
他校の選手に、あまり情けない奴だと思われたくない。
何よりも、国体で、いい働きをしたい。
学業があまり芳しくない彼にとって、いかに多くの人の目に留まり、大学の推薦を取れるかが、今後のバスケット人生にとっての分かれ道になるのだ。
同期の赤木は、深沢大の推薦がパァになり、希望校の受験のためにこの夏は、インハイ後、引退して予備校にも通っていたはずだ。
今回は、やむをえず、一時復帰して国体に参加するらしいが、とにかく、三井と赤木の偏差値の開きは10以上あるらしい。
それ故に三井には、スカウトの目に留まらねば、大学進学は難しいのだ。
とにかく、いい仕事をして必要な戦力として認められたい。
大好きなバスケットを続けるためにも。
だから、この合宿は何としても無事に過ごしたいのだ。
ベストの状態でこの三日間を過ごして、監督達に認められたい。
少しでも多くコートに出るために。
この神奈川県代表チームには、海南の神というロングシューターがいる。
日によってというよりその日の精神状態によってムラのあるシューターの三井にとって、彼は、どんな状態でも平均した結果が出せる点で、最大のライバルかもしれない。
復帰してまだ日が浅い三井には、試合でスタミナ切れという不安材料と常に戦わねばならなかったため、体調の如何によってはシュートの切れも左右されてしまうのだ。
さすがに海南で二年間みっちり鍛え上げた神には、プライドがあって簡単に認めることはできないが、冷静に自分を見るとまだまだ太刀打ちできていないかもしれない。
だが、少しでも多く試合にでたい。
ベンチで大人しく座っているなんて、我慢できない。
何より、こんなに豪華メンバーで、試合ができる機会なんてそうないんだからせっかくのチャンスを生かしたいのだ。
さて、この同室の仙道という男、果たして自分のこの意気込みを邪魔したりしないだろうか。
バスケの腕前は天才といわれている仙道だから、手合わせできるのはとっても嬉しい。
だが、今自分が彼に求めるのは、平穏に三日間バスケのことだけを考えることができる環境をくれることだ。
『三井さん、今日から3日間よろしくお願いします』
桜木をからかっているときに声をかけられて、ちょっと驚いてしまった。
(なんかでけぇ奴)
赤木よりは低いのだろうが、のっそりと後ろに立たれては、何となく怖い。
部屋の鍵を受け取って、与えられた5号室に向かうとき後ろをゆっくりとついてくる気配に不安が高まる。
鍵を開けて部屋に一歩踏み込んで、3日間を過ごす部屋がこざっぱりしていて安心をしたが、相づちを打っている自分の背後の男が、どんな奴なのか不安で仕方がない。
『なぁ、お前どっち側のベッド使う?』
とりあえず振り返り無難な問いかけをする。
どちらでも良いということなので、普段の自分の部屋と同じ右側のベッドに腰を下ろす。
(なんか緊張するな)
別に仙道自身は、ただにこにことこっちを見てるだけだ。
自分が、意識過剰なんだろう。
でも、全く知らない奴と寝泊まりするのは、初めてなんだからしょうがないじゃないか。
今までの合宿だって、多少は意思の疎通のあるチームメイトだったから、耐えられたのに、仙道ときたら、かつて試合でたった一度当たっただけの、ほとんど見知らぬ奴なんだから。
(だめだ、あれこれ考えてちゃ余計に緊張しちまう)
『さっさと着替えて、戻んなきゃな』
とりあえず、知ってる奴らのいるところに行こうと考えて、さっさと着替えようとした。
現実逃避以外の何ものでもないのだが、このままでは、必要以上に緊張して何を喋ってるか判らなくなりそうだったのだ。
(早くミーティングルームに行って、桜木を冷やかしていつもみたいな気分になって、とにかく落ち着こう)
そそくさと着替えて、ミーティングルームに向かう。
そこに行きさえすれば、湘北のメンバーがいる。
三井の頭には、もはやそれしかなかった。
3. 仙道1
(三井さん?)
同室の相手は、湘北高校の1歳年上の三井らしい。
仙道は、あたりを見渡してその相手を捜した。
(やっぱり、挨拶はこっちからだよな…)
当の本人はあまりその点については気にしないのだが、やはり体育会系では礼儀が必要だと、チームメイトの越野にうるさいほど小言をいわれているのだ。
ましてや、相手は他校の一級上だし、事が穏便に進むのなら、挨拶の一つぐらいはやっておこう。
さて、三井はというと、ひとしきり騒ぎを起こした湘北の問題児を、2年の宮城と一緒にからかっている最中だった。
(なんだかなぁ)
威厳がないというかなんというか…。
(あの3人って、もし同学年といわれても違和感無いかも…)
近寄っていくと、どうやら先輩風を吹かしている様だ。
(扱いにくい人なのかな?)
とにかくこんな時こそ挨拶だ。
『三井さん、今日から3日間よろしくお願いします』
声をかけると、びくっとして、こっちを振り向いた。
(あれ?)
先輩風吹かすわけでなく、存外素直に答えを返してくれる。
ただ、目が不安そうに揺れている。
(おや?もしかして、内弁慶さんかな?)
三井が聞いたら真っ赤になって怒りだしそうなことを心の中で考えながら、とりあえず、口元には笑みを張り付ける。
自分のできる一番優しげな表情をして、怖くないよとアピールしてみるが、肝心の彼は、目を伏せたままこっちを見てくれない。
部屋の鍵を受け取って、さっさかと歩いていってしまう。
(あらら…)
後ろ姿が、何となく不安そうで、声をかけがたくてただ後ろをゆっくりついてゆく。
前を向いている三井が、自分の動く気配に注意をしているのが感じられる。
(警戒心が強いのかな)
部屋が割ときれいで、嬉しそうに呟いたときは、一瞬こちらの存在を忘れたようだが、相づちを打つととたんに背中がこわばった。
『なぁ、お前どっち側のベッド使う?』
なんだか精一杯平静を装ってますみたいな表情でこっちに問いかけるから、とりあえずどちらでも良いと答えてやる。
もちろん、にこにこと無害さをアピールして。
彼は、右側のベッドに腰掛けて、こちらを意識しないようにしている。
(何か、借りてきた猫みたいだよな)
彼が、年下だったらやりようもあるんだがな。
軽い冗談の一つも言って、緊張を解いてもやれるのに。
彼は、早くミーティングルームに行こうと着替えを促している。
とりあえず相づちを打って指示に従おう。
こうなりゃ、いかに自分が安全無害で警戒なんて必要ないってことをわかってもらうしかない。
言われるままに着替える事にする。
(まぁ、まずは三井さんの言うことを尊重することから始めるか)
4. 練習
ミーティングルームに集合して、今日からの練習日程について説明があった。
午前中は主に基礎練習や2ON2、30N3、午後からはメンバーを入れ替えながらの試合形式の練習という日程だ。
午前中の基礎練習では、さすがに県下で名を馳せた選手の集まりだけに、何事もスムーズに行われ、有効な練習が続けられた。
午前中の基礎練習を終えて、昼食をとり、休憩後に試合形式の練習にはいる。
午後の練習では、チームプレーになると、普段と違うメンバーのため、ちぐはぐになる場合が多く、それが、この合宿の課題であることが全員に認識されたようだ。
「三井サン調子どうっすか?」
入れ替わりでコートから出てきた三井に、湘北の新キャプテン宮城が、近寄ってきた。
「ん?おもしれーよ」
「おもしろいって?」
「あぁ、パスがな、結構通るんだ。いて欲しいと思う所にちゃんといるんだよな。それに、パスが欲しいときにも、結構回ってくるし…」
「へぇ…。それって誰です?」
「あぁ、湘北のメンバーは、だいたい癖つかんでっから、パス出し迷うことはねぇんだけど、他校の奴らはなかなかつかめねぇと思ってたんだけどな。まぁ、牧とか、藤真とかは、中学ん時に一度チーム組んだことがあるんで何となくわかるんだけど、仙道にもなパスが通るんだ。」
「うーん流石にってメンバーっすね」
「あぁ、伊達に有名じゃねぇってことだよな」
「あ、俺の番だ、じゃ、ちょっくらお手並み拝見してきます」
宮城が、牧と入れ替わりでコートに入っていく。
コートから出た牧が、三井に気付いて近寄ってきた。
「三井、さっきのパスよかったぞ」
「あぁ、サンキュ。そっちも、いいとこに出してくれたしな」
「あんなにやりやすいとは思わなかったな」
「俺も、もっと時間掛かるかと思ってたよ」
「どうだろうな、このチームは」
「結構いくんじゃねぇ?」
「そうあって欲しいな」
「あぁ」
しみじみ話してる間に、コートから仙道が出てきて、牧と三井を見かけて近寄ってきた。
「あれ、三井さんと牧さんって、知り合いだったんですか?」
「ん?中学の時に県代表のチーム組んだんだよな?」
「あぁ、あまり話はしなかったがな」
「んー、なんで話しなかったんだろ?」
「三井は、結構取りまきがいたからな」
「何だよそれ。牧だって、一人爺くさくしてたから、話しかけにくかったんだよっ」
「爺くさいはひどいな…」
仲良く漫才する二人に、仙道が割って入った。
「いいなぁ、俺、中学県外だったから、ほとんど知らないんですよ。陵南からの二人がいるから、孤独にはならないけど…」
「何言ってるんだ、そのために部屋割りを、他校の選手と同室にする事になったんだろう?まずは同室の奴から仲良くなればいいじゃないか。お前は確か…」
「三井さんと一緒ですよ」
「何だ、それなら話が早いだろう?」
「三井さん、仲良くしてくださいね。よろしくお願いします。」
「え?お、おぅ…」
「三井、もしかして、緊張してるのか?」
「なっ…、何馬鹿なこと言ってんだよ。緊張なんてしてねーよっ」
「そうか、それならいいんだが」
「そうですよ、俺って人畜無害ですから、怖くないですからね」
「う…っ」
「自分で何言ってるんだ」
「だって誰もフォローしてくれる人いないから…」
「あのなぁ…」
「あっ、お、俺、入れ替わりみてぇ。いってくるな」
三井が、そそくさとその場を離れる。
「やっぱり、避けられてるのかな」
コートに入る三井の後ろ姿を見て、仙道が溜息混じりに呟いた。
「何だって、三井ともう衝突したのか?」
牧が、呆れたように問いかけた。
「いえ、衝突するよりも何よりも、ほとんど口きいてませんから…」
「三井を怒らせたのか?」
「さっぱり分けわかんないんです。コートの中では、そんなこと無くって、パスも通るし、そうでもないかと思ったんですが、コートから出ちゃうとあぁですもんね…。何か全身で警戒されてるって感じです。そうそう、猫が部外者に対して緊張してる時ってしっぽなんかが逆立ってるでしょ?あんな感じなんですよ」
「なんて喩えだ…。つまり、お前個人に対して、警戒していて、緊張のあまり口もきいてくれないと?」
「えぇ、そうなんです。みんなにそうなのかなと思ったんだけど、湘北のメンバーとは、仲良くじゃれあってるし、牧さんや、藤真さん、花形さんなんかとは、普通に冗談も言ってるでしょう?それに、うちの福田や、越野にも特に警戒して無さそうに話してるんです。それなのに俺には、あぁですからねぇ…」
肩をすくめて、自嘲気味に仙道が答える。
「堪えてるようだな」
牧が、その様子を見て眉を顰めた。
「そう言われればそうかもしれないですね。こっちが仲良くしようって歩み寄ろうとしてるのに、歩み寄る前に殻の中に入り込んで出てきてくれないなんて初めてですから…」
「うーん」
「ちょっと今日からの部屋での話題に苦労しそうですよ」
「それとなく、俺も三井の方を気にかけておくよ。赤木なんかにも、普段はどうなのか確認しておいてやる」
「はぁ、すみません。お世話かけちゃいますね」
「主将になっちまったからな。チーム内にごたごたは起こしたくないからな」
そう言うと、牧はコートの反対側に赤木を見つけて、確認しに行ってくると仙道に告げ、彼のそばを離れた。
仙道は、牧の後ろ姿を見て、溜息をひとつ吐き、コートに視線を向けた。
コートの中では、三井が、楽しそうに目をきらきらさせて、藤真から受けたパスを3ポイントラインから、シュートしていた。