☆ とりあえず今は…
 
 海南高校バスケット部主将の牧は、朝の心地よいまどろみから目を覚ました。
 あたりの様子を窺っていると、どうやら、ここはいつもの自分の住んでいる寮の一室でも、実家の自室でもない。
 何より、自分の寝ている布団のとなりに、もうひとつ布団が敷かれており、そこに、見知った男が眠っている。
 茶色の短髪に、整った容貌。
 口元にうっすらと残る傷跡。
 現在自分が狙っている、三井寿が懐に甥っ子を抱えたまま、なんとも無防備に眠りこけているのだ。
 そっと、近づく。
 それでも三井は目を覚まさない。
 牧はふと悪戯心を感じて、三井の形のよい額に、そっと口付けた。
 「ん…う…?」
 三井が、起きそうになったので、慌てて離れる。
 しかし、三井は、再び眠りの中に入っていったらしく、起きだしたりしなかった。
 牧は、調子に乗って、今度は三井のうっすらと開いた唇に軽くキスした。
 「んーっ」
 三井が、もぞもぞとしたので、少し体を離す。
 様子を見ていると、ようやく三井は、眠りの淵から浮上してきた。
 ふわっと目を開き、周りをぼんやり見回す。
 ふと、目の前の牧の顔を見て、不思議そうに首をかしげているうちに、はっと目を見開いて、がばっと起き上がった。
 「う、うわ!」
 なぜ牧が、そこにいて、自分を見つめているのか、分からないといった感じでアワアワとしている三井に、牧は、くすくすと笑いながら声をかけた。
 「おはよう三井」
 パニックから、少し落ち着いて、三井は、寝起きで回りにくい頭を回らないなりにフル回転させて、今の状況を自分なりに分析していた。
 ようやく、牧が、昨日、神奈川選抜の強化練習の帰りに、自分を送ってくれて、母に無理やり宿泊させられたということを、思い出したようだ。
 「まき」
 「やっと、思い出してくれたか?」
 「ったく、何でのぞきこんでたんだよ。いきなり目を開けたら、お前の顔があって、びっくりしたじゃねーか」
 「それは、失礼。三井がどのくらいで起きるか、つい興味があってな。鼻でもつまんでやろうと近づいたとこだったんだ」
 「なんだって?」
 三井が、なにすんだと眉を寄せたのを見て、冗談だといいながら、牧は、にっと笑って、寝床から立ち上がり、三井から、昨夜借りた、スウエットを脱ぎ、三井の母が、昨夜洗濯機と乾燥機を回してくれた制服に着替え始めた。
 三井も、いまだに眠りこけているある意味大物になりそうな甥っ子を腕に抱えて、とりあえず着替えに自室へ戻ることにした。
 三井の母の朝食をいただいて、牧は、三井家を辞することにした。
 「お世話になりました」
 「あら、よろしいのよ。うちのちゃーちゃんの面倒見てくださったんですもの。このくらい。いつでも、また遊びにきてくださいね」
 「ありがとうございます」
 バッグを肩に担ぎ、牧が玄関を出る。
 三井が、近くまで送るとついてきた。
 見送る三井の母と姉にもう一度挨拶して、駅に向かって歩き出す。
 「三井、もう、道が分かるからいいぞ」
 「あぁ、俺も、駅前で雑誌買いたいから駅まで行くよ」
 しばらく無言で、駅に向かって歩く。
 「なぁ、牧」
 「何だ?」
 「俺たち優勝できるかな」
 「できるかなでは、だめだな。優勝する気で臨まないと気力で負けてしまうぞ」
 「そうだな」
 「全国2位の海南と、山王を撃破した湘北のメンバーを中心に、神奈川の逸材を取り揃えているんだ。チームとして、うまくまとまれば優勝も目じゃないさ」
 「おう!」
 恩師の安西先生を全国優勝監督にという悲願を、かなえるためにも頑張らねばと三井は思う。
 「次の週末は翔陽だな」
 「うん」
 「さて、藤真には気をつけろよ」
 「あ…」
 合宿の時、藤真に散々嫌がらせをされたのを思い出す。
 どうやらそれが、彼なりのアプローチだということを聞いてから、三井は、困惑でいっぱいだ。
 「まぁ、三井にとってはいい迷惑だろうが、そのうち藤真の熱も冷めるだろうから、もう少し我慢だな」
 「うん…。でもなんか、何で俺なんだろうって感じちまうけどなぁ」
 「他にも頭痛の種があるしな」
 「あぁ」
 とにかく、夏の始めからこっち、男に追いまわされる自分の不運が、三井の身にしみている。
 「まぁ、俺を防波堤にできるものはしてくれていいぞ」
 「サンキュ…。でもよ…」
 「ん?」
 「何で、牧は、いつも、庇ってくれるんだ?お前だって、そ、そのホ、ホモって言われんのやじゃねぇの?」
 「別に。俺は、三井の友達のつもりなんだが…。友達が困っていたら手を貸さないか?それに、今は同じ神奈川代表のメンバーだし、三井が、不安定だと、チームも不安定になるじゃないか。それは、チームキャプテンを押し付けられた俺としては、避けたいことだしな」
 牧は、自分の企みをごまかして、もっともなことを言うが、単純な三井は気がつかない。
 「そっか…。ありかとな。牧」
 なんとなく、うれしくなって、三井は牧を見た。
 牧は、無防備な三井の笑顔にくらくらしながら、ここで馬脚をあらわしては元も子もないと、踏ん張った。
 「後二回の合同練習で、いよいよ国体だな」
 話を、何とか変えて、三井の注意をそらす。
 「おう!そうだな。頑張るぞ!」
 「期待してるよ」
 一人盛り上がってくれた三井にほっと胸をなでおろして、牧は、だんだん押さえの効かなくなる自分に焦りを感じ始めていた。
 このままいくと、三井に対して強硬手段をとってしまうのが、そう遠い未来ではなさそうに思えてならない。
 それまでに何とか、三井の中で自分の存在を大きく揺るがないものにしておきたいと、思う牧だった。
 藤真のことを恋愛オンチのように言っている牧だが、実は、彼も自分からアプローチした恋愛というのが、実は皆無だった。
 それだけに、三井にどのように迫るかが、今ひとつ掴みきれていない牧だった。
 「どうかしたか?」
 不安そうに三井が、尋ねたことで、牧は、我知らずため息をついていたことに気づいて、あわてて話をごまかす。
 「いや、うちの清田と、お前のところの桜木と流川のことをちょっと考えてしまったんだ」
 「あぁ、あいつらねぇ」
 「まったく、自分を抑えるということが、まるでないんじゃないかと思うこのメンバーを引き連れて無事に国体を乗り切れるか考えると憂鬱だな」
 「期待してるよキャプテン」
 「ありがとう」
 そんな話をしているうちに、駅についた。
 牧は駅の構内に、三井は、ショッピングセンターにと分かれることになる。
 「三井、すまなかったな、家の人によろしく伝えておいてくれ」
 「いや、俺も世話になったし」
 「じゃあ、また週末に」
 「おう。またな!」
 手を軽く上げて挨拶して、二人は分かれた。
 駅の構内に向かいながら、牧は、今以上に三井にはまっていかないように、気をつけねばと心した。
 三井が、心を開いてきてくれているためか、無防備な姿を見かけることが多くなった。
 それはそれでうれしいのだが、そうなると、自制心をフル回転して対処していかねばならないのだ。
 今はまだ、三井に告白もしていない。
 友人として付き合い始めたばかりなのだ。
 自分でも、気の長いアプローチをしているとは思うのだが、今までこんなに慎重に付き合い方を練った相手がいないので、これもまた新鮮で面白いと感じている自分がどこかにいるのだ。
 とにかく、湘北の生意気な後輩たちや、陵南の極楽トンボには、負けたくはない。
 ましてや、翔陽の腐れ縁の男には、絶対に渡したくない。
 自分自身に負けるなとエールを送って、牧は、自分の寮へと帰っていった。