☆ 全国だ!
ひかり号が止まると、そこは、広島だった。
神奈川県立湘北高等学校男子バスケット部ご一行様は、意気込みも新たに、インターハイの地に一歩を踏み出した。
「うっしゃー!やるぞぉー!」
赤毛の一年坊主は、やたら張り切っている。
「花道の奴、ごきげんっすね」
「ったく、気楽な奴だよな」
「どあほー」
ともすれば、彼と一緒に大騒ぎする、湘北の問題児達は、やや大人しめの歩みで、彼の後に続いている。
ひかり号の中で遭遇した、豊玉の選手のことを思いながら、三井は、少し前を歩く安西監督の背を見ていた。
豊玉の生徒に鼻で笑われた、雑誌のランクの低い評価について、話をしようかどうしようか。
監督の安心できる一言が欲しかった。
しかし、監督は、桜木ににこにこと笑いかけていて、声をかける事が出来なかった。
まとまって、宿舎となる旅館へと向かうマイクロバスに詰め込まれる。
駅前の大きな建築物を横目に見ながら、バスは、山手の方に向かっていく。
彼らの宿舎は市街地から少し離れた山間にある。
「ミッチー!元気がないぞ?」
桜木が、三井の顔を覗き込んで、心配そうに尋ねる。
「三井サン、バスに酔ったんじゃ?」
宮城も、つられて覗き込み、少し青い顔をしている三井に気付いた。
三井は、寝不足と緊張の上に、狭いマイクロバスにいささか酔っていた。
「だ、だいじょうぶだって。そんな心配顔すんなって」
しかし、そんな情けない状態を、知られたくなくて、強がって答える。
『またまた、三井サンたら強がっちゃって…。』
宮城は、こっそり溜息をついた。
この、危なっかしい1コ上の先輩は、相変わらずである。
彼を見守る自分といえば、もう気分は、よちよち歩きの赤ん坊をハラハラして見守っている大人のような心境である。
あちこちでぐらついて、転んでは泣き出さないか、どきどきもので、目が離せない。
気が気でないので、手を貸そうものなら、すねて、いじけてしまうので始末に負えない。
しかし、歩ききったときの、満足そうな笑顔が可愛くて、やはり見つめてしまうのだ。
『なんかだかなぁ…』
強がっている三井の横顔を見て、宮城は、見て見ぬ振りの出来ない自分の性分に、半ばあきらめの境地に入っていた。
三井は、桜木と、言い合っていて、少し気分が、紛れたようで、だんだん元気を取り戻しつつあった。
マイクロバスが宿について、一行は、狭い車内から解放されて、大きくのびをする。
「あぁ、やっとついたなぁ」
木暮が、ほっとした風に呟いた。
旅館の玄関で、仲居さん達の出迎えを受け、部屋へと案内された。
部屋割りは、先日の合宿と変わらない、学年毎ということになった。
問題は、一年の部屋だ。
犬猿の仲(狐と猿だが)である桜木と流川の二人を同室にして良いものか一抹の不安もあったが、部屋の両端に寝かせばよいだろうと決まった。
同室の残り三人が、気の毒だが、この際諦めてもらおうということになった。
「やー、疲れたよなー」
三年生の部屋について、荷物を置いて、三井は、大きくのびをした。
「6時から食事だっていってたよ。後1時間とすこしあるな。どうする?」
木暮が、赤木と予定を確認する。
「風呂にでも入るか。」
赤木が提案し、どうやら、入浴後夕食、その後ミーティングという予定が決まったようだ。
赤木が、監督に知らせに行き、木暮が、隣と向かいの、後輩の部屋に連絡に行く。
一人残された三井は、おいてけぼりで、少しむっとしたが、こんな事で波風を立てるまいと、大人の対応をしようと我慢した。
『俺様ってば、人間出来てるからな』
湘北のメンバーが聞いたら脱力しそうなことを考えて、三井は、入浴の用意を始めた。
桜木や宮城を誘って、風呂に行こうと考えたのだ。
この旅館は、天然温泉が引いてあると、仲居さんが言っていたので、ちょっと楽しみだ。
『露天風呂あるって言ったよな』
真夏だし、山間だから藪蚊が心配なんだと、悩みながら三井は、隣の二年生の割り当てられた部屋へ向かった。
「宮城ィ―。風呂いかねぇ?」
「三井サン、用意速いっすねぇ」
宮城も、着替えとタオルを掴んで、三井のところにやってくる。
「桜木も誘ってやるか?」
「そうっすねぇ…」
宮城は、先日の合宿で流川が三井の背中を流すとごねて、一悶着あったことを思い出した。
「花道誘ったら、きっと流川もついてくんじゃねぇっスか?」
「うっ、流川か…」
「桑田もごねるかもしれませんねぇ…」
「ううっ…」
三井は、ここ数日、身の危険を感じなかったので、すっかり忘れていたのだが、流川も、桜木も、三井になにやら邪な思いを抱いているようなのだ。
「ま、今日は、とにかくさっさと行っちゃいましょうか?どうせ誘わなくても入ってくるでしょうしね」
悩み始めそうな三井の先を制して、宮城は風呂場に行こうと三井を促した。
「そ、そうだな」
三井も、そのほうが良さそうだと思ったのか、素直に頷いて、宮城に続いた。
他の二年生達も後に続いたので、結局六人の団体となって風呂場へと向かうことになった。
広い大浴場でそこここに別れて、身体を洗い始める。
「三井さん、お背中流しましょうか?」
「あ、いや、そんなに気を使わなくていいから…」
躰を洗い始めた三井に、安田が、気を使って声をかけたが、なんだか悪いような気がして、三井は辞退した。
あまり先輩面するのも気が引けるのだ。
再び身体を洗い出すと、やはり、今回も先日のように、花の香りが辺りに漂いだした。
『三井サンってば、こういう宿にまでボディシャンプーとか持参なんだ…。』
宮城や、二年生がどう反応して良いか悩んでるうちに、三井は、躰をさっさと洗い終わって、髪を洗おうとする。
「三井サン、急いで洗わないと、あいつ等入ってきそうですよ」
宮城が、外の気配を感じて、三井に知らせる。
脱衣場の方から、桜木の声がする。
他の一年達の声もするので、おそらくその近くには、流川もいるはずだ。
「おう、そうだな」
三井も、身の危険を感じたのか、急いで髪を洗い始めた。
洗い終わって、ざっと髪の水気を拭いたところで、浴室のドアが勢い良く開けられた。
「あーっ!ミッチー。リョーチンも。ずるいぞ!風呂に行こうって誘ったら、いなかったのは、さっさと来てたからだな!」
ずかずかと、大股で浴場内に入ってきた桜木が、掛かり湯をしている三井の横にやってきた。
「なんだ、ミッチーもうあがるのか?」
「お、おう…」
「せっかくだから、この天才が背中を流してやろうと思ったのに」
「い、いや、悪りぃから、遠慮しとくよ」
「ふぬ?遠慮なんかいらないぞ。よし、今から洗ってやる」
そう言うと、桜木は、三井の肩を捕まえて、背中を洗おうとタオルに石鹸をつけ始めようとした。
「いや、いいって、桜木…」
三井は、焦って身を捩ろうとするが、その度に、桜木に肩を押さえつけられる。
「よし、今洗ってやるからな」
『ひーっ!』
声にならない悲鳴を上げた三井を押さえつけて、背中を洗い出そうとした桜木の背中に、流川の蹴りが入った。
「流川―っ!なにすんだ!」
「どあほう!センパイいやがってるだろーが」
「ふんぬー、このキツネ!何をコンキョに!」
「センパイの背中は、オレが流す!」
三井の後ろで、一触即発の状態になっている。
「おい、やめろよ、おまえら…」
肩を押さえられているので、身動きがとれない三井は、恐る恐る後ろの二人に声をかけた。
「ミッチーは、お前のもんじゃねぇぞ」
ぐいっと引っ張られて、三井は、すっぽりと桜木の腕の中に収まってしまった。
「ちょっ…桜木っ!」
流川を挑発するように、桜木が三井を抱きしめる。
流川が、桜木の腕から、三井を引き剥がそうと、手を伸ばす。
渡すまいと桜木が、三井を抱きしめるため、三井は、桜木と流川の間で振り回されていた。
「花道、いい加減にしろよ。流川も。三井サンふらふらじゃねーか」
見かねて、宮城が声をかけるが、頭に血が上っている二人は、耳を貸そうとしない。
周りで、他の一、二年生達がおろおろと心配げに見ているが、いかんせん、二人を止められるほどのパワーのあるものがいなかった。
「こんな所まで来て何をしとるかー!」
みんなの脳裏に浮かんだ、最後の手だてである、湘北の主将の怒号と拳骨が、桜木、流川、三井の上に飛んだ。
「な、なんでおれまで…」
三井が、赤木に抗議を始める。
「三井、三年のお前がいて、どうしてこの騒ぎを押さえられないんだ。見て見ぬ振りは同罪だ」
「なっ…!」
どこが見て見ぬ振りなんだ、自分は被害者なんだと抗議したかったが、それもあまりに情けないので、三井は、屈辱に拳を震わせながら耐えていた。
赤木の小言の鉾先は、今度は一年の二人に向かっていた。
「三井」
宮城に事の次第を聞いていた木暮が、小さな声で三井を呼んで、渦中から引っぱり出そうとしてくれた。
『木暮…』
「三井サン、とんだ災難でしたね」
宮城もそっと慰めてくれる。
三井は、二人に促されて、湯船の方に逃れ出た。
「三井、明日から、風呂は、赤木や俺と一緒に入った方がいいんじゃないか?」
「そうっスね。キャプテンがいれば、あの馬鹿二人もそうそう無茶は出来ねぇし…」
「そうだな…」
湯船に浸かって、やっと一息ついて、木暮と宮城の提案に、不本意ながら、同意するしか無さそうで、三井は、渋々頷いた。
赤木が、洗い場の中央に陣取り、桜木と流川を分断して座らせ、騒動は終焉を迎えた。
三井は、宮城とともに浴室から出ていった。
「いやー、参りましたね」
脱衣所の大きな扇風機の前で、汗が引くのを待ちながら、宮城がこぼした。
「ったくよー、なんで俺まで殴られなきゃなんねーんだよな」
やはり納得できずに、三井も愚痴り始める。
騒ぎのおかげで、露天風呂にも入れなかった。
ぶつぶつ言う三井を、宮城がなだめる。
浴衣に着替えて、脱衣所を出ると、床几が置いてあり、横に冷えた麦茶のサービスカウンターがあった。
麦茶をもらって、床几に腰掛け、一息つく。
「ふーっ。なんか、温泉って感じだなー」
「そうっすね。でも、考えてみたらインターハイだし、こんな事やってる場合じゃないのかも」
「そーだよな、こんな所で、ほっこりしてたら、トーソーホンノーってやつがサビついちまうかも」
そう言いながらも、二人は、麦茶を飲んで落ち着いている。
「あー、ミッチー!ずるいぞ!俺にも麦茶!」
騒々しい声が聞こえて、赤い頭の後輩がやってきた。
麦茶を手に、三井達の隣にある床几にどっかりと腰掛ける。
「ミッチー、さっきはさっさと抜け出すなんて、ハクジョーモノじゃないか」
「ばーか、なんで俺が一緒になって怒られなきゃなんねーんだよ。第一、騒ぎは、桜木、お前が原因だろうが」
「ふぬっ。しかし、ミッチーを俺様が、キツネから守ってやったのに」
「流川は、お前が、絡んでなきゃ、大人しくしてたよ」
な、と三井が、横の宮城に同意を求める。
宮城も、確かに以前の合宿で、流川が、三井が疲れないようにちょっかいをかけなくなった事を思い出して、同意する。
「なんだ、二人ともルカワの肩もつのか…」
寂しそうに桜木がこぼすので、笑って、二人は桜木の肩を叩いて、慰める。
「そろそろメシの時間だぞ、桜木」
「そうそう、早く荷物置きに行こうぜ花道」
悄げる桜木をせかして、部屋へと戻す。
夕食は、広間に集まってとることになった。
旺盛な食欲で、給仕に出てくれた仲居さん達を驚かせて、食事を終え、部屋に戻る。
三つの中でいちばん広い、二年生達の割り当てられた部屋に全員が集まってミーティングを開くことになった。
明日の起床時間、食事時間、開会式へ向かうための集合時間などの、連絡事項の確認をおこない、今日は、なるべくゆっくりと休むようにとの指示があって解散となった。