☆ 合宿だ!
 
 
 『なんだって?』
 三井は、心の中で驚愕していた。
 静岡常誠高校への遠征に安西監督が同行されない。
 赤毛の初心者の一日も速い上達のために、マンツーマンで指導をされるというのだ。
 桜木は、なんで自分だけがとごねている。
 三井と一緒に合宿に行けると思いこんでいたため、置いて行かれることで、流川の牽制ができないと思い至ったことも原因の一つかもしれない。
 しかし三井にとっては、桜木が来ないと言うことより、監督が同行されないと言うことが、全てだった。
 『俺だって安西先生にご指導いただきたいってのにっ!なんで桜木ばっか…』
 心の声をぐっと抑えていると、安西監督がふっと三井を見やり、にっこりと微笑んだ。
 「三井君、たのみますよ。遠征先での後輩の指導は、君たち三年生に任せますからね」
 「は、はいっ!」
 三井は、直立の姿勢をとって、元気に返事をした。
 『先生に頼りにされているんだ。がんばるぞ!』
 現金にも、今までさんざん心の中でぐずっていた三井は、監督直々のお言葉で思いきりやる気になっている。
 周囲の人間が溜息をつきそうな程三井の安西監督への傾倒は徹底していた。
 そんな姿を見て、何となく桜木と流川は、おもしろくない。
 『ぬぅっ、ミッチー、オヤジのいいなりじゃねーか』
 『…センパイ』
 流川はこの合宿中により三井に近づこうと、また、桜木は、合宿が終わったら三井の家に再びおしかけようと、それぞれ心に決めて、監督に声をかけられて喜びに染まった、三井の横顔を見ていた。
 一部の異様な盛り上がりとともに、桜木花道を除いた湘北バスケット部の一同は、常誠高校に旅立つために駅へと向かうこととなった。
 
 それから数分後、湘北高校の遠征部隊は、駅の構内に着いて、新横浜に向かうための電車をぼんやりと待っていた。
 「みーつーいーさーん!」
 後ろから、がっしりと抱きしめられた三井は、流川が飛んできて引き剥がすまで固まったままで、抱きつかれた相手すら確認できない状態だった。
 「っのヤロっ!」
 流川が、三井の背後の男を睨みつけているのにようやく気が付いた三井は、恐る恐る後ろを振り向いた。
 「…仙道」
 「おはようございます。三井さん。昨夜はお疲れさまでした」
 彼の背後には、陵南高校のバスケット部主将にして神奈川の未冠の天才仙道が、何がそんなにご機嫌なんだというほど、無駄な笑顔で立っていた。
 「お、おう…。い、いや、それより仙道、どうしたんだ?こんなとこで」
 「えぇ、今日から三井さん達が、神奈川に遠征されるって事聞いてましたから、ちょっとお見送りに…」
 「いらねぇよ、そんなおおげさな…」
 「大切な三井さんの旅立ちなんですから、俺としては、是非ともお見送りしたいと思ったんですよ」
 「お前…。朝から疲れるようなこというなよ…」
 三井は、脱力して勘弁してくれというようにしゃがみ込んだ。
 「あっ、ひどいなぁ。本当の事いったのにぃ…」
 仙道は、悪びれず相変わらず笑顔で立っている。
 「あ、そうだ。三井さん、これ、お餞別です」
 仙道が、ポケットから小振りの包みを出して、三井に手渡す。
 「なんだよ、これ?」
 受け取った三井が、中を開けてみるとプラスチックの固まりに、ひものついたようなものが入っている。
 「防犯ブザーです」
 「は?」
 「痴漢除けのベルですよ」
 それがなんで餞別なんだと、三井は首をひねる。
 「夏だし、なんといっても、三井さんの周りには、危険がいっぱいあるみたいだし…」
 仙道が、三井の傍らで警戒心いっぱいに睨み付けている流川を、横目で見て挑発する。
 そんな二人の駆け引きに気付かず、三井は、電車の中で最近よく出くわす、二人連れの痴漢を、思い浮かべた。
 「お、おう、そういや…。サンキューな、仙道。使わせてもらうよ」
 流川は、自分のことをいわれたと憮然とした表情になった。
 反対に仙道は、してやったりの笑みを口に浮かべ、これで三井さんも少しは安心でしょうなどと声をかけていた。
 三井は、再び礼を言って、包みを肩にかけたドラムバックに入れた。
 「あっ?そうだ!お前、練習は?」
 三井は、朝っぱらから、陵南高校の最寄り駅からかなり離れた、こんな駅の構内に立っている仙道にようやく不審を持った。
 「今日は、午後からなんです。もう、三井さんをお見送りするしかないような日程でしょ。やはりこれは、二人の運命が深くつながっているとしか思えないですね?」
 「馬鹿…何言ってんだ?」
 あまりに、世界は自分のために回っていると言ったような仙道の物言いに、三井は思わず脱力する。
 「あれ?桜木はどうしたんです?」
 いつもは、自分を目の敵にしてうるさく騒ぐ桜木の姿がないのに、この時点でようやく気付いた仙道は、『どうして?』という表情で三井を見つめる。
 「あ?そ、それは…」
 「遅刻なら、こんな風に落ち着いてホームで立ったりしてないから、桜木は、遠征に不参加なんでしょう。そう言えば監督さんの姿も見えないし…。さしずめ秘密の特訓って所ですか?」
 「う、うーん…」
 そのとおりだが、やはり他校の選手には内情を言い辛く、曖昧に答える。
 「センパイ…」
 横で、ずっと仙道に警戒した眼差しを送っていた流川が、三井のシャツの制服の袖を引く。
 「え?」
 「電車、来る」
 目的の電車が、ホームに入ってくるところだった。
 少し離れたところから、木暮が、こちらを見て『あれに乗るからね』と声をかけている。
 それに気が付いた仙道が、三井の手を取って声をかける。
 「もう出発ですね…。お気をつけて。遠征がんばってくださいね」
 「お、おう、じゃぁな、仙道。行って来るわ」
 握られた手をそっと払って、三井が、仙道に別れを告げる。
 流川を促して、木暮や赤毛のいる場所に行こうとする。
 「流川」
 仙道が三井に続こうとする流川を呼び止めた。
 「抜け駆けはなしだよ」
 にっこり笑って釘を差す。
 流川は、ちっと舌打ちして答えは返さずに、三井の後を追った。
 追いついた流川とともに、三井は木暮達の後に続いて列車に乗り込む。
 発車のベルが鳴り、扉が閉まる。
 ホームに残ったと思われる仙道を眼で捜して、いないことに三井が気付いた。
 『あれ?仙道がいない』
 首をひねったときに後ろから抱きつかれた。
 「やっぱり、新横浜までお見送りしちゃおうかなー」
 「せ、せんどーっ」
 別の扉から乗り込んだ仙道が、扉の外に気を取られて無防備になった三井に抱きついたのだ。
 「んにゃろ…」
 流川が再び三井を仙道から引き離し、今度は、誰にも触らせまいとするように、自分の腕の中に三井を取り込んだ。
 「お、おい…流川…」
 助かったと思ったら、こちらの方もあまりありがたくない。
 もう三井にとっては、前門の狼後門の虎状態で、どうしたらいいのか途方に暮れて、木暮や赤木達の方に救いを求めるように視線を泳がした。
 「こらっ、三井、流川、二人ともなにやっとるんだ!団体行動を乱すな」
 赤木が、仏頂面で小言を言う。
 「なっ!どこを見て注意してやがる!」
 自分は巻き込まれて迷惑してるんだと、言いたかったが、流川に抱き込まれて身動きのとれない状況で言うにはあまりに情けなくて、三井は、結局言葉を濁した。
 「まぁまぁ、赤木もそう目くじらたてないで。三井、流川こっちにかたまらないと、他の人に迷惑だろう?」
 「木暮」
 違うんだ、行きたくてもこのおんぶお化けが放しやがらねえんだと言いたいのに言えない三井は、ヒステリーを起こす寸前だった。
 「流川、いい加減にしろよ。いくら三井サンを気に入って放したくねぇったって、時と場合があるだろう。こんなクーラーのあんまり効いてねぇ車輌で抱きついてちゃ、見てる方まで暑苦しいだろうが」
 「みやぎ…」
 見かねた宮城が、助け船を出してやった。
 どうやら、流川が、三井になんだかあやしい感情を持っていることは、先日の体育館の一件で悟っている宮城だった。
 そう言えば仙道も、先日体育館に乗り込んできて、三井にちょっかいをかけていなかったか?
 『全く三井サンも、変な奴等に気に入られたもんだ』
 流川は、渋々三井を解放する。
 しかし、仙道にも渡さないと言う意気込みで、三井と仙道の間に割って立った。
 「三井サン、そっちは入り口で人の出入りがあるからこっちに来た方が落ち着いて立ってられますヨ」
 宮城が、こっちこっちと手招きをする
 「お、おう」
 内心ほっとして、三井は、宮城達が固まっているあたりに向かおうとした。
 「あ、行っちゃうんだ三井さん…つれないなぁ」
 「仙道…これはうちの遠征なんだから、てめぇは、もう帰れ。確か次の駅が陵南だろう?」
 三井は、ちょっときついかなとは思ったが、振り返り引導を渡す。
 「ハイハイ、わかりましたよ。お見送りはここまでって事で…。でもまた遠征から戻ったら逢ってくださいね。俺大人しく待ってますから」
 仙道は、三井の手をさっと取り、両手でそっと握りしめた。
 「う、お、おう・・分かったって…手ぇ放せよ…」
 三井は、なんでこう人に触りたがるかなと、内心思いながらも、突き放すのが何となく気が引けて大人しく手を握られたままになっていた。
 流川が切れる前に、列車はホームに到着して、扉が開いた。
 「じゃぁ、三井さん。遠征がんばってくださいね」
 あっさりと三井の手を離し、仙道が、ホームにと下車した。
 扉が閉まり、電車が動き始めると、仙道は、軽く手を振って、三井達を見送る。
 三井も、ほっと安堵しながら、とりあえず右手を軽く挙げて、仙道に答えてやる。
 なんだかんだ言っても、律儀に相手になってやる三井が、何となく悔しくて、流川は、さっさと三井を促して湘北のメンバー達のところに連れていこうとした。
 「ちょっと挑発し過ぎちゃったかな?流川が暴走しなけりゃいいけど…。でも、宮城がいるから大丈夫かな?」
 ホームで、仙道は呟いて、彼らが帰ってきたら、どんな口実で会いに行こうかなと、策をめぐらしながら、とりあえず自分の下宿に帰るべく、改札へと向かい始めた。
 
 仙道が去った車内は、台風一過というような雰囲気で、染まっていた。
 『まったく、三井さんってば、目を離してられないよな。まるで小さな子供と同じくらい、危なっかしいんだから…』
 宮城はこっそり溜息をついた。
 三井の不良時代の取りまき達の苦労が目に見えるようで、心から同情してしまう。
 本人は、何とも思っていないようだが、何かとやっかいな連中に興味を持たれるようだ。
 しかも、上辺の好意を、本当の好意と思い込む様な感がある。
 不良時代はさぞかし危なっかしかったことだろう。
 『三井さんに気付かせずに守るなんて芸当、俺には無理だわなぁ』
 ちょっと、堀田達を尊敬した宮城だが、この、バスケット部で、彼らの役目を引き継いでしまいそうな自分に溜息をついた。
 『仕方ないよな、あの人が泣き出すと手に負えねぇもんな…』
 全く子供より始末に負えないと考えた、宮城の感想は、その場に居合わせた湘北バスケ部の流川以外の全ての部員の感想と奇しくも一緒だった。
 
 一行は、幾度か線を乗り換えて新横浜に着き、新幹線を待つ。
 『新幹線は久しぶりだ』
 三井は、久々の旅行(部活の遠征だが)に、少し心が弾んでいた。
 彼が新幹線や、列車に乗って旅をするのは、二年生の秋に行った修学旅行以来だ。
 あの時は、バスケができず、暗い気持ちで過ごしていた。
 確かにその時はその時で、バスケができない以外では、徳男達と過ごしていて、楽しいといえば楽しかったのだが…。
 『バスケをしに、遠征旅行なんて中学以来だよな』
 こんな楽しい旅をするのは本当に久しぶりで、三井はご機嫌だった。
 『ここに安西先生もご一緒だったら、もっと嬉しいのになぁ』
 心残りは湘北高校に残った監督のことだ。
 『確かに先生は、先日お倒れになったばかりだから、無理なさらない方がいいよな。まぁ、きっと、インターハイには、ご一緒くださるはずだし、それまでは我慢だ』
 先生に任せられた事だし、一年や、二年の指導をがんばるぞと、三井は心に誓う。
 さっきから、無言で、にこにこしたり、残念そうな顔をしたり、なんだか意気込んだりと、一人忙しい三井の表情を見て、周りのものは、密かに脱力をした。
 横に立つ流川が食い入るように見つめていることを、三井に忠告する勇気のあるものは、誰もいなかったのだ。
 『全く暢気なもんだよな。三井さんてば…』
 きっとお鉢が自分に回ってくるだろう予感に、密かに溜息をつきながら、宮城は合宿中の三井の面倒を見なくてはという使命感に押しつぶされそうだった。
 
 一行は、新横浜から静岡に向かった。
 「安西先生から言い出されたことなんだ」
 今回の桜木の特訓については、監督の提案だったと赤木が説明をする。
 確かに素人の桜木が、一番のびるだろう。
 しかも、自称天才の才能は急速にバスケットを覚えていく。
 一週間でおそらく、また新しいものを吸収するのだろう。
 『だからといって、何となくおもしろくはねぇよな』
 三井は心の中で、愚痴をこぼした
 自分だって残りたかったのだ。
 本当は。
 確かに自分は、この一週間で何がのびるとは言えないだろう。
 監督に後輩の指導をと指示されたのだから、それを忠実に守ることくらいしかないというのはわかっている。
 スタミナへの不安は、一朝一夕で解消するわけではない。
 せめて、常誠のメンバーに非力な番の印象を植え付けないように、体力をセーブしていく作戦を考えなければならない。
 「俺ものこりゃよかったかな」
 やりきれなくて、ふっとこぼした言葉に、赤木が、からかうようにつっこみを入れる。
 「臆したのか?」
 赤木の号令で、1腰上げを始めた車内で、とりあえずがんばるしかないと、三井はあきらめ半分で腿や腹筋に力を入れた。
 

 ☆ 常誠高校
 
 
 昨年度ベスト4の成績を持つ、静岡県の強豪常誠高校は、静岡市の郊外にある私立の共学校だった。
 静岡平野のはずれに建設された、敷地の広い学校は、公立校の湘北バスケ部にうらやましい限りの施設内容だった。
 夏休みに入り、校内は、クラブ活動一色に染まっている。
 校門の前で、安西監督の後輩という常誠のバスケ部の顧問と、主将が出迎えてくれた。
 バスケ部の練習している体育館に、とりあえず案内されることになる。
 「ひゃー、でっけー」
 広い構内を、連れ歩かれて、ようやく体育館にたどり着く。
 体育館らしい建物が、三棟あるうちの一つに案内される。
 どうやら男女のバスケ部練習用の体育館らしい。
 コートが二面とってある体育館にはいると、湘北の部員の何倍いるのかというような部員の一群に迎えられた。
 さすがは、私立と感心していると、それぞれの自己紹介となった。
 はじめに、常誠高校のレギュラーが、ゼッケン番号順に自己紹介をしていく。その後、各学年ごとにまとめて十数名ずつを主将の御子柴が紹介していく。
 ついで、湘北の番となった。
 ゼッケン順となると、三井の扱いに困るので、赤木が、まとめて、紹介を始めた。
 主将の赤木、副主将の木暮、三年の三井。
 二年の安田、宮城、潮崎、角田。
 一年の流川、石井、佐々岡、桑田。
 総勢人の紹介が終わり、今後の予定を知らせた後、さっそく練習のために着替えることになった。
 更衣室へと案内され、とにかく着替え始める。
 体育館に戻り、ウオーミングアップを始める。
 湘北の一行には、普段は女子部が使用しているコートが提供された。
 女子部は、どうやら遠征に出かけているらしい。
 今日は、軽く流しながらも、普段のように、1ON1や3ON3等を組み込んだ練習を行う予定だ。
 まだ、常誠高校との手合わせはしないようだ。
 試合形式の練習は、明後日の水曜日から三日間予定されている。
 三井は、とりあえず、基礎練習を終えた後、後輩のシュート指導をすることにした。
 赤木に、そう告げると、今日は流川を除いた、一年の練習を見るよう指示される。
 『赤木の奴、偉そうに…。でも俺も大人だしこんな事で怒っても仕方ねーからな。さ、練習練習』
 命令されるのが、おもしろくなかったが、まずは、監督との約束を守るべく一年に声をかける。
 「シュート見てやっから、一年は、こっちに来い」
 ぞろぞろと集まった四人を見て、おや、と思う。
 「えーっと、流川…。お前は、赤木が面倒見るって言ってたぞ」
 流川は、三井と一緒に練習できないと分かって、憮然とする。
 「俺も、一年っス」
 「そういわれてもなぁ…。お前、別にロングもミドルも特に苦手じゃねぇだろーが…」
 三井に言っても埒があかないと感じた流川は、自分もシュートを見てもらいたいと、赤木に直談判しに行った。
 「なんだ?流川」
 「俺も、シュート見て欲しいっス」
 「しかしお前はシュートは苦手じゃないだろうに」
 赤木も、三井と同じように答えるのが、何となく悔しい。
 「最近、イメージ通りに打てないんで、三井センパイに見てもらいたいっス」
 「しかし…」
 「まぁまぁ、赤木。どうせ、今日は、流川を含めて、二、三年でパス回しの練習って予定だったんだろ。どうせ、三井も外れているし、絶対流川がいなくちゃって事もないんだから、インターハイも近いんだし、気になる点を重点的にチェックした方がいいんじゃないか?」
 流川が、こんなに言うんだから、きっと、かなり気になるんだろうと、木暮が、赤木に取りなしてやる。
 「う〜っ…。わかった。三井に見てもらってこい」
 「うス」
 内心やったーと思いながらも、神妙な顔をして、流川は、三井のいるゴール近くにやってきた。
 「なんだよ?流川。あっちはどうしたんだ?」
 「シュートで、ちょっとイメージ通りに打てないんで三井センパイに見て欲しいっス」
 「なんだよそれ…。ま、いいか。じゃ、順番だから、ちょっと待ってろよな」
 流川をその場に残し、三井は、ミドルシュートの位置に立っている桑田のところに行く。
 流川も他の一年と一緒に桑田のところに近づいた。
 三井は、立ち位置から、姿勢、力の入れ方などをアドバイスして、桑田にシュートを打たせてみる。
 シュートは入ったが、フォームが不完全だと、再度アドバイスを始める。
 普段の大雑把な態度と比べると別人のような繊細さで、桑田のシュートの欠点を洗い出し、修正していく。
 何度か、打っているうちに、桑田のシュートが、見違えるように安定してきた。
 「そうだ。その感じを忘れるなよ。お前等も、一緒にシュート練するときに注意してやれよ。こいつのシュートのフォームが崩れてきたら、今の感じに戻してやれ」
 桑田に後数回打たせて、感じを掴ませてから、次の石井に交代させる。
 同じようにシュートを打たせながら、徐々にフォームを直し、安定させる。
 佐々岡に変わっても同じように丁寧に一つずつフォームを直していく、その姿に、一年達は感動していた。
 おざなりではなく、本当に、自分たちの上達のためになるようにと指摘してくれているのがわかるからだ。
 「さてと、流川か…」
 「ウス。お願いシマス」
 「まぁ、とにかく打ってみろよ」
 流川は、言われたとおりに、シュートを打ってみる。
 主将へ口実にした事は、実際に嘘ではなく、何かシュートを打つことに対して、違和感を感じていたことは事実だったのだ。
 三井は、腕を組んでジッと流川をみている。
 「すまん、あと何回か打ってくれ」
 言われたとおりに、流川は何回か打ってみる。
 やはり違和感がつきまとうのだ。
 三井でもわからないかと、ちょっと諦めかけたとき、三井が、流川に近づいた。
 「ちょっと、こうやって打ってみろよ」
 流川の肘のあたりのラインと、足下の角度を少し修正する。
 言われたとおりに、打ってみると、違和感が消えた。
 驚いて、流川は三井を振り返る。
 「微妙に軸がずれてたんだよ。ホンのちょっとだからわかりにくかったんだよな」
 忘れないように何本か打っておけと言われて、続けて五本シュートを打つ。
 この数日続いていた違和感が消えていた。
 『三井センパイ、スゲェ…』
 流川は、三井を改めて見直した。
 三井のバスケセンスは、本物だと思う。
 1ON1でも、トータルでは自分が少し勝っているが、自分の弱点をいつも新たに見つけては、突いてくるので、油断できないのだ。
 だから、暇があったら1ON1を挑戦している。
 そうやって自分の弱点を克服するのだ。
 三井といると自分も、どんどん上達していくのがうれしい。
 『センパイは、誰にもワタサねぇ』
 流川は、一層ライバル達にまけられないと、心を奮い立たせた。
 一方、三井は、他の一年を連れて、今度は、ロングシュートをみてやることにして、フリースローレンジの後ろで、再びレクチャーを始めだした。
 
 シュート練習があらかた終わって、後は、自分でおさらいするようにと三井は、指導する。
 「いいか、上達への最短距離は、地道な練習なんだぞ。正しいフォームを覚え込んで数をこなすんだ。そうすりゃ、試合で、とっさの時に躰が覚えているシュートを打てるんだ。無意識にでも打てるくらいに覚え込むことが上達の早道だ。わかったか?」
 確かに、意識朦朧躰ふらふらの三井が、極限状態でシュートを決めている姿を目の当たりにしている湘北の一年生達は、自主練習にシュート練習を今の何倍も取り入れようと心に決めて三井の言葉にはいと返事を返す。
 一旦集合して、軽く、流しの試合形式の練習を行う。
 五対五で、一人が審判とかつかつの人数なのだ。
 三井は、今日の練習であまりボールに触ることができなくて、少し欲求不満だったので、気合いを入れて、コートに入った。
 チームを半分に分けて気が付けば、身長の関係で、三井はセンターに入らねばならないようだ。
 『ま、仕方ねぇか…』
 練習できるだけでも良しとしなけりゃと、前向きに考えて、赤木とマッチアップする。
 それなりに充実した練習を終えて、三井は、赤木に声をかける。
 「ちょっと打ち足りねぇから、シュート打ってから終わりてぇんだ」
 一年生がモップを借りて、コートの掃除をし始めたのを横目に三井は、3ポイントラインの少し外側からシュートを打ち始めようとする。
 「三井サン、ボール拾いましょうかぁ?」
 宮城が、三井に声をかける。
 「おう、すまねぇ」
 三井が、答えて、まず一本シュートを決める。
 リングをくぐったボールを拾い、宮城は三井にパスをする。
 それを黙々と数十回繰り返している間に、コート清掃が、三井のいる側のリングの方までやってきたので、うち止めにすることにした。
 「宮城、サンキュな」
 「いえいえ、このくらい」
 『だって、オレ一歩も動いてねえもんな』
 三井のシュートが正確なため、必ず同じ位置に落ちてくるボールを受けて、三井にパスするだけだったのだ。
 コートを出ようとする三井に、常誠の主将御子柴が声をかけた。
 「えっと、三井…君だったな…」
 「?そうだけど」
 「武石中の三井君じゃないのか?」
 「え?」
 三井は、なんで知ってるんだと訝しげに相手をみる。
 『あれ?この顔どっかで…』
 「俺のこと覚えてないか?」
 「あ、確か静岡三中の!」
 「そう、御子柴だよ。久しぶりだよな。」
 「あ、あぁ、ひさしぶり…」
 「インターハイで会おうって言ってたのに、なかなか会えなかったから…。海南の牧に聞いてみたんだが、どうも要領をえなくてな」
 どうしてたんだと、にこやかに聞かれて、三井は返事に困ってしまった。
 『まさかグレてましたとは言えねぇよなぁ…』
 「ん、ちょっとな…」
 何がちょっとかわからないが、言葉を濁したのに、御子柴が気付いたのかどうかは、わからないが、話題を変えてきた。
 「今年はインターハイで手合わせ願えそうなんで、嬉しいよ。それに今回の合宿でも対戦できるのを楽しみにしてる。とにかくよろしくな」
 そう言って、握手を求める様に右手を出した。
 「お、おう、こっちこそよろしく…」
 三井としっかり握手をして、御子柴は、それじゃぁとメンバーのところに戻っていった。
 「ひやー、三井サン、顔広いっすねぇ。さすが全国区ってやつですね?」
 「うっせーぞ、宮城」
 宮城のからかいに、さも迷惑そうに、三井は答える。
 「あれ?自慢しないんっすか」
 「ばーか。過去だろ、過去。全国区だったのは今の俺じゃねぇよ」
 「へ、へぇ?生まれ変わった三井サンを見ろってとこですか?」
 「な、何こっぱずかしい事いってんだよ。俺は俺だ。いまさらどう変わりようもねぇさ」
 宮城は、さぞかし、自慢するんじゃないかと思った三井の控えめな答えに、ちょっと驚いてしまった。
 『まぁ、うちの連中の前じゃ、カッコつけるわけにいかねぇもんな』
 あんな乱闘騒ぎの後だしねと、納得する。
 一方、三井は、インターハイに行って、過去に知り合った連中と再会する事実に、うんざりした。
 『もしかして、みんなどうしてたかなんて聞いたりしねぇだろうなぁ』
 聞かれた全員に、語尾を濁すわけにもいかないしと考えて、先が暗くなる。
 あのころの自分は、何も怖いものがなかったから、かなり偉そうに振る舞っていたはずだ。
 全中でも、神奈川代表で行った都道府県対抗戦も、優勝はできなかったが、そこそこの戦績だった。
 その時に知り合った、全国の強豪チームの選手と、派手に交流していたのを思い出す。
 今と比べると、赤面するくらい強気な自分の言動の尻拭いをしなくてはならないのだ。
 人に言われるのは、むかっ腹が立つが、やはり自分は、中学の財産を食いつぶしているだけなのだという認識はある。
 進歩していない自分と、三年間全国で鎬を削ってきた彼らとの間の大きな差を見せつけられることになるのだろう。
 溜息をつきながら、着替えるために更衣室へと向かう。
 今日の夜は、常誠高校側が、歓迎会を行ってくれるという。
 引率の鈴木教諭とマネージャーの彩子が、学校に近いビジネスホテルに泊まるために、一行と別れた後、湘北のメンバーは、更衣室に併設されたシャワー室で汗を軽く落とし、制服に着替えて、宿舎として割り当てられた男子寮に向かった。
 寮は、高校の敷地に隣接しており、普段は多くの学生が寄宿しているが、夏休みに入り、部活動をしていないものは帰省中だ。
 寮に残っているもので、部屋をまとめてあり、余っている部屋を、部活動用の合宿所に使っているのだ。
 一部屋は普段は三人で使っているらしいが、机などは一切片付けられているため、狭いことは狭いが、和室なので布団さえ敷ければ、四、五人の寝泊まりが可能になっている。
 湘北には三部屋割り当ててもらえた。
 各学年で一部屋を使うことにする。
 「うえーっ、雑魚寝かよぉ」
 「贅沢を言うな。一、二年は四人ずつなんだぞ」
 三井の独り言に、赤木が小言をいう。
 「ちっ、俺ぁ繊細なんだよ。どこででも眠れる奴と一緒にすんなよな」
 「まぁまぁ、三井。なるべく離れて眠ればいいだろう?赤木だって、そんなに寝相悪くないだろうしね」
 ぶつぶつ言う三井を、木暮が取りなす。
 「そうだ、赤木。夕食までに、風呂を使ってくれって事だったよな。さっさと行かないと、常誠の人達に悪いんじゃないのか」
 「あぁ、そうだったな。確か、落ち着いてうちが入れるように、四〇分ほど開けといてくれると言っていた」
 「じゃ、早くいかなきゃ。三井も準備して」
 赤木と木暮はさっさと用意を始める。
 促された三井も、渋々荷物をごそごそし始める。
 『ちっ、みんなで芋の子洗うみてーだよな』
 割と長風呂の三井は、きっとゆったり入れそうにない入浴を思い、気が重くなった。
 「三井、早くな。他の部屋に連絡してから行くから先に出るよ」
 「え、あ、待てよ、俺も行くって」
 一人で、知らないところに行くのがイヤで、三井は慌てて赤木と木暮の後を追う。
 結局、メンバー総勢一一人のご一行様に膨れ上がった彼らは、常誠高校の好意による、貸し切り風呂にやってきた。
 浴場は、思っていたよりも広く、彼らが入っても十分ゆったりとしていた。
 「広いじゃないか、さすが私学だなぁ」
 木暮が、正直な感想をこぼす。
 さっさと、服を脱いで、それぞれの洗い場で躰を洗い始める。
 「三井先輩、お背中お流しします」
 「え?」
 後ろから声をかけられて、振り返った三井は、手に泡だったスポンジを持った桑田に気付く。
 「お、おう、すまねぇな」
 「いえ、じゃ、失礼します」
 言うが早いか桑田は、さっさと背中を洗い出す。
 なんだか三井は、呆気にとられていた。
 確かに桑田は、普段から、先輩としての三井をたててくれるが、何も背中まで流してくれなくてもなぁなどと思ってしまう。
 体育会系の部活では、さほど変わったことではないが、三井の場合そんなに後輩の立場というものを経験していないので、ちょっと違和感があるのだ。
 「先輩、お湯流します」
 そう言って、背中の泡を流しておしまいだ。
 「サンキュ、な」
 「いえ、このくらい。また明日も流させていただきますね」
 桑田が、にっこり笑って離れるのを見ていた三井は、頷いて、髪を洗うためにシャワーの方を向いた。
 髪を濡らしてから、シャンプーを手にしようとして、目の前のシャンプーを誰かが取り上げたのに気が付き、視線を上げる。
 「る、流川?」
 「髪洗うッス」
 「え、い、いや、髪ぐらい自分で洗え…」
 「洗うッス」
 シャンプーを握りしめて睨み付ける流川に、三井は、ちょっと腰が引けてしまった。
 『なんなんだよーっ。なんかこいつ、機嫌悪くねえか?』
 確かに流川は、機嫌が悪かった。
 桑田に先を越された。
 三井と、背中を洗っている桑田の間に、和やかな雰囲気が漂っていて、周りも自然と和んでいたのだ。
 何となく、取り残されたようでおもしろくない。
 三井にしても、照れくさそうに座っているが、躰に触れられるのはイヤそうではない。
 この間、触られるのがいやであんなに暴れたのにずるいと、流川は思ってしまう。
 『センパイに触るのはどあほう位だと思ってたのに、桑田までちょっかい出してくるなんて、油断できねぇ』
 明日はゆるさねーと意気込んだ上に、今日も三井に触れたいと思い、髪を洗うことにしたのだ。
 「三井サン、いいなぁ、モテモテっすね」
 宮城が反対側から冷やかしを入れる。
 「宮城ィ…」
 「センパイ、こっち…」
 宮城に抗議をするために反対側に向けられた、三井の頭を強引に自分の方に向ける。
 「ち、ちょっ、流川ぁ」
 流川はシャンプー液を手にうけて、慌てる三井の頭を力任せに押さえながら、洗い出した。
 『ちょっと待ってくれよ。なんでこうなるんだ?なんで流川がこんなに良い後輩のマネすんだ?』
 上下関係について、桜木より少しはましといった程度の流川が、せっせと先輩である自分の髪を洗っている
 『なんで?』
 三井には、大きな疑問符が頭の中を渦巻いている。
 『三井サンの髪、気持ちイイ』
 流川は、柔らかい猫毛の短い髪の櫛どおりの良さを楽しんでいた。
 『明日は背中流す』
 明日は滑らかな肌に触れて見ようと意気込んで、流川は、入浴時でも誰にも三井は触らせまいと心に誓った。
 一方三井は、今一つ流川の真意を図りかね、先日の流川の無茶を思い出して、いつ、再び暴走するかと気が気ではない。
 とりあえず、大人しく身を伏せて、流川の気まぐれが(と三井は思っている)早く終了するのを息を詰めて待っていた。
 「湯、流すっス」
 シャワーの栓をひねって、三井の頭に湯をかける。
 シャンプーの泡をすっきり流し終わり、流川は、リンスの容器を手に取る。
 「リンスつけマス」
 シャンプーもリンスも、三井持参のものだ。
 資生堂のバラ園のミニ容器らしい。
 さっきから、柔らかいバラの香りに包まれていて、流川はご機嫌だった。
 普段、こんなに直接香料を嗅ぐと、イヤになるのに、三井から香ってくるとなれば話は別というところか。
 リンスをつけてから、バラの香りに包まれて、約1分ジッと待ってまた湯をかける。
 絞ったタオルで、ざっと三井の髪の水滴を拭う。
 「お疲れサンでした」
 流川は三井に声をかける。
 三井は、まだ緊張して、固まっている。
 「センパイ?」
 そっと肩に手を乗せる。
 三井が、それにびくっと反応して、流川を見る。
 「う、お、おう、サンキュな、流川」
 ひきつり気味の笑顔で礼を言う。
 「また、明日洗うッス」
 「い、いや、別に毎日無理しなくても…」
 断れるものなら丁重にお断りしたいと、三井は口ごもりながらも言葉にしようとした。
 「洗うッス!」
 ギンッと睨み付ける迫力に、三井はたじたじとなる。
 「そ、そう、か?は、は、すまねぇな…」
 三井は心で号泣しながら、完全にひきつった笑いで、明日も頼むと言わざるをえなかった。
 「ウスっ」
 満足そうに、流川は頷いて、自分の髪を洗いに離れていった。
 全身から、安堵で脱力して、三井は、湯船につかるべくシャワーで、シャンプーの後のヌルみをとる。
 湯船に入って、フウッと、一息吐く。
 三井の動きに連れて、あたりにバラの香りが広がっていく。
 「三井サン、なんか、可愛らしいシャンプー使ってんですねぇ」
 周りの誰もが聞きたいと思っていた事を、代表する形で、宮城が声をかけた。
 流川だけでなく、周りにいた全員が、柔らかなバラの香りにクラクラきているのだ。
 「え?これか?しんねーよ。お袋が持ってけって…。変か?」
 なんでそんなこと聞くんだというように、不思議そうな顔をして、三井は答える。
 「いや、別に、変って言うんじゃ無いんスけどね。じゃぁ、いつもそれじゃないんですか?」
 「いや、いつもってことはねぇな。なんか、お袋の趣味でいろいろ変わっからよ」
 つまり三井は、彼の母の趣味だという、こんな乙女心をくすぐるような、バラの香りのシャンプーやらなんやらを、抵抗なしに普段から使っているという事らしい。
 ということは、もしかして、彼の父もこんなバラの香りのシャンプーを使っているのか。
 「もしかして、一家みんな同じの使ってます?」
 「ん?親父はなんか、自分で買ってるよーだけどな」
 「三井サンはそっち使わねーんですか?」
 宮城は、どうしてメンズ系の洗髪料を使わないのかと、素朴な疑問を投げかけた。
 高校生ともなると、結構香りや、爽快感なんかに嗜好が固まってくるものなのに、三井は違うのだろうか。
 「え?なんか、そっち使うと、お袋がジジくせーからやめろっていうんだよ」
 変なこと聞く奴という感じで、三井が答える。
 つまりは、母親の言うとおりに大人しく、花の香りの洗髪料を使っている訳だ、この人は。
 ぐれて、あの連中と付き合っていた時でさえ、こんな香りをさせていたのか。
 湘北のメンバー達は、なんだか一気に脱力してしまった。
 「なんだよ?なんか変なのか?」
 三井一人が、わからずに聞き返す。
 「いえ。そうじゃないっす。お袋さんの趣味が良いなって思っただけっすから」
 宮城が、苦しい言い訳をする。
 「さぁ、そろそろ上がらないと、常誠の人達に迷惑かけちゃうな」
 木暮が、話題を打ち切って、みんなを追いやる。
 浴室から出て、服を身につけ、部屋に戻る。
 室内は、適当に冷房が効いているので、ほっとする。
 「あー、なんか腹減ったよなぁ…」
 足を投げ出して、三井はこぼす。
 「ちょっとは、我慢するって事をしらんのかお前は」
 赤木が、呆れたように溜息をつく。
 「なんだとぉ」
 三井が、キッと、赤木を振り返る。
 「まぁまぁ、もうすぐ夕食だから」
 木暮が、間に割ってはいる。
 この三人のパターンは、どこに行っても変わらないらしい。
 そうこうするうちに夕食となった。
 今日は、常誠側が、歓迎会をしてくれるらしい。
 寮の食事にしては豪勢で大量な夕食を用意してくれて、一行は、大いに満足し、常誠高校側に深い感謝の念を抱いたのだ。
 夕食が終わり、就寝まで自由時間になった。
 三年の部屋では、赤木と木暮が、なにやら夏休みの課題を開き始めたので、三井は、うんざりして、部屋を抜け出した。
 隣の宮城達の部屋を覗く。
 「あれ、三井さん、どうしたんスか?」
 ごろごろと転がって、雑誌をみていた宮城が三井に気付いて声をかける。
 「え?いや、なんか暇でよ…」
 「じゃ、トランプでもしますか?」
 「なんだ?持ってきたのか?」
 「まぁ、ね」
 三井は、いそいそと部屋に入ってくる。
 「何します?」
 トランプをくりながら、宮城が尋ねる。
 「大富豪」
 「オッケー」
 他のメンバーが、藁藁と二人の近くに寄ってくる。
 宮城がカードを配って、ゲームが、始まった。
 
 どうも、やばいと、宮城は思った。
 三井が、異常に弱いのだ。
 二回目に、大貧民に落ちてからいっこうに上がってこない。
 確かに、上に上がって来るにはかなりの運が必要なのだが、定位置といった感じで、動かないのだ。
 三井の機嫌は、急降下している。
 『どうしたもんだか』
 わざと負けるには、かなりの努力がいる。
 周りのメンバーも、やばいと思ってはいるのだが、本当についていない三井に勝たせることができないでいた。
 「あーっ。また俺の負けぇ?」
 三井は、あまりのショックに呆然としている。
 「うーん、どうします?三井サン、まだ続けます?」
 一応、宮城はお伺いをかける。
 「う…」
 三井もこのまままけるのはイヤだし、かといって、まるでついていないこの場のまま続けるのも、面目丸つぶれで辛いものがあった。
 とりあえず、もう一ゲームと思ったとき、寮内の放送があった。
 「湘北高校の三井君、お電話です。一階の寮監室前まで起こしください」
 「三井サンじゃないですか?」
 「おう、なんだろう?」
 「とにかくいった方がいいっすよね」
 「あ、あぁ、そうする」
 とにかく、一階に降りてみることにする。
 寮監室の前にやってきて、声をかける。
 「すいません、湘北のものですけど」
 すると、三台並んだうちの一台の公衆電話を指された。
 上がっている受話器を取り上げる。
 『誰だろう』
 「もしもし?」
 (三井か?)
 「ま、牧?」
 (おう、常誠は、どんなもんだ?)
 「ど、どうって…」
 (なんだ、まだ手合わせしてないのか?)
 「あぁ、あさってから試合するんだ」
 (そうか。いや、実は少し前に、常誠の御子柴から電話があってな)
 「へ?」
 (武石中の三井が、湘北にいるってなんで教えなかったって、さんざん愚痴られてな)
 「御子柴が?」
 (あぁ、なんだか、あいつ、お前に執着してるんで、ちょっと気になってな。何かあったのか?)
 「いや、ちょこっと話しただけだから…」
 (そうか、それなら良いんだが)
 「それで電話してきたのか?」
 (うーん、それもあるが、それは口実で、本当は、お前の声が聞きたかったからだな)
 「ば…!」
 三井は、声を上げようとしてはっとする。
 寮監が向こうからこっちをみていたのと眼があったのだ。
 軽く会釈して、視線をずらす。
 「何言ってんだ」
 声を落として、牧に抗議する。
 (あ、もしかして近くに誰かいるか?)
 「あぁ、ちょっとな」
 (そうか、長話は無理だな…。帰ってきたらまた、常誠の様子、教えてくれよ)
 「あ、あぁ」
 (それと、御子柴に気をつけろよ)
 「へ?」
 (あんまり近づくなよ)
 「それって…」
 (御子柴は、お前が気になって仕方ないらしい。あんまり挑発するなよ)
 「なんだよ、それ…」
 (ははっ、ま、気をつけるにこしたことはない。じゃ、もう切るよ。呼びつけて悪かったな。合宿がんばってくれ)
 「お、おう、サンキュ」
 (また、戻ってきた頃に電話するよ。おやすみ、三井)
 「お、おう、おやすみ」
 向こうの電話が切れるのを待って、受話器を下ろす。
 『まったく、なんだよ牧の奴…。御子柴がなんだって?』
 自分は、御子柴どころか、流川から身を守るのに精一杯なのだ。
 フウッ、と溜息をついて、部屋に戻ろうとする。
 『あっ』
 「ありがとうございました」
 寮監に礼を言って、今度こそ、部屋へと向かう。
 二年の部屋に戻ってきて、入り口を覗く。
 「あっ、三井サン。なんだったんですか?」
 「あ、いや、別に、たいしたことなかったんだ」
 「それなら、いいんですけど…。そうだ、トランプどうします?」
 「ん?いや、もう消灯近いから、部屋に戻るよ」
 「そうっすか、それじゃ、雪辱戦は、また明日って事で」
 「あぁ、あしたは、負けねぇぞ」
 「期待してますよ、じゃ、おやすみなさい」
 「おう、おやすみ」
 宮城や、他のメンバーの挨拶に答えて、三井は、三年に与えられた部屋に戻った。
 「あっ、三井、電話だって?どうしたんだ?」
 木暮が、待っていたように尋ねる
 「あ、いや、大したことじゃねぇんだ」
 「そうか、それならいいんだ」
 とりあえず、布団を敷く。
 窓際に三井、入り口に赤木、そして真ん中に木暮の布団をかなり離して敷いていく。
 もそもそと、布団に入って、横になると急激に疲れが襲ってきた。
 やはり慣れないところで、緊張していたようだ。
 「じゃぁ、おやすみ、赤木、三井」
 「おう、おやすみ」
 「うむ、おやすみ」
 部屋の明かりを赤木が消して、みんな大人しく床につく。
 三井は、疲れの中で、直ぐに眠気がやってきて、意識を手放した。

 翌日の練習は、前日と変わらず、基礎とその応用と言ったところを重点に行われた。
 三井は、今日は二年生のロングシュートのチェックをしている。
 宮城を筆頭に、後輩達は大人しく三井のシュート講座に聞き入っていた。
 『三井サン、ほんとにシュートだけはすげーんだよな』
 シュートだけとは、あまり誉めているようではないが、宮城にしては、破格の賛辞を心の中で送りながら、苦手なロングシュートを、克服すべく練習に励んでいると、どうも赤木と木暮がみている、一年の方から、妙な視線を感じる。
 『なんだ?流川?』
 一年にして湘北のエースの流川が、ジッとこちら側のコートを見つめている。
 視線はどうやら三井に向けられている。
 三井はというと、安田の肘と膝を確認しながら、シュートフォームの調整をしているところだった。
 安田のフォームが、徐々に安定してくる。
 三井が、だんだん嬉しそうに笑いながら、安田に話しかけているのを、ひたすら見つめているのだ。
 『あぶねー奴…。しかし三井サンすげーな。ヤスのフォームが見違えるほどよくなってる。あの人にそんな力があるなんて、思わなかったな…。』
 宮城は、隠れた三井の才能に驚いていた。
 自分のことだけでなく、他のメンバーの上達に関して、ここまで熱心にアドバイスができるなんて思ってもみなかった。
 しかもそのアドバイスが、的確で、正確なのだ。
 自分を含めて、メンバー全員のシュートが随分よくなっている。
 『人を育てる才能ってやつを持ってるのかねぇ…』
 宮城は、三井についての認識を改めた。
 泣き崩れてまでバスケがしたいと言ったあの姿は、今も記憶にあるのだが、普段の三井は、偉そうにふんぞり返っていて、そんなことがあったのかという様子なのだ。
 しかし、バスケのことになると、ここまでと驚くほど繊細で熱心なのだ。
 バスケをしているときと、普段の姿のギャップに今一つついていけない。
 『ま、どっちにしても、湘北には良いことだわな』
 湘北に三井が戻ってきたことで、戦力のアップは、もちろんの事、全員の実力の底上げにも貢献してもらえるのなら、あの乱闘騒ぎも、仕方ないかと思ってしまう。
 宮城は、三井の後ろ姿に、見入っている流川に視線をやる。
 『しかしまぁ…』
 よそ見をしている流川に、とうとう赤木の鉄拳が下された。
 『バスケ命の流川がこんなに気もソゾロになるとはね』
 そんなに、三井が気になるのかと、宮城は感心する。
 『あの人ってば年の割に可愛いとこもあるしね。人好きずきってとこかな。まぁ、オレはアヤちゃんの方がいいけどサ』
 個人的には人事なので、どうでも良いのだ。
 『でも、あの人に泣かれるのだけは勘弁してもらいてーよな。三井サンの調子が落ちると、こっちまでペースが狂っちまうからな。』
 練習に差し支えない程度なら好きにしてもらうことに吝かではない。
 流川の良識に頼るのみというところに不安が来るのだ。
 『仕方ねぇよな。守れそうなのはオレだけなんだもんな』
 あまり人の恋路は邪魔したくないが、それ以上に湘北バスケ部の平穏のために三井をそれとなくカバーしてやらねばと、心にとめて、三井の様子をうかがう。
 三井自身は、角田のシュートフォームを丁寧に調整しているところだった。
 角田はもちろんの事、周りの安田や塩崎が、三井のレクチャーを食い入るように聞いている。
 それぞれが、普段の三井への認識を改めたような表情をしている。
 『普段もこうなら、もっと尊敬してもらえるのになぁ』
 そこが、三井の三井たる所以なのだが、普段から先輩らしくしてくれれば、こちらも持ち上げやすいのになぁと、宮城は思った。
 この合宿の最初の2日間で、後輩達の三井への評価は、バブル期の発売直後のNTT株価のように一気に上昇した。
 このままの高値で推移するかは、神のみぞ知ると言うところだろうか。
 その日の練習が終わり、再び三井が、シュート練習を始める。
 宮城が、昨日に引き続き相手をつとめて、モップ掛けが近づくまで、それは続いた。
 「やっぱ、三井サンのシュートは絶品っすね」
 宮城が、シュート練習が終わって、軽く汗を拭う三井を見て、ぽつりと言った。
 「え?」
 振り返った三井は、驚いた顔をして、次いでカァーッと真っ赤になった。
 「三井サン?」
 その様子が、あんまりに可愛らしくて、宮城は狼狽えた。
 『三井サンのことだから、ふんぞり返って、当たり前だとか言うと思ったんだけどなぁ』
 「な、なんだよ、いきなり…」
 三井は、動揺を隠して、声を返す。
 相変わらず、首まで赤くなっている。
 「やだなぁ、照れちゃって」
 「ばっ…」
 「なんか、すっげーしおらしくないですか?三井サンらしくもねぇ」
 「うっせーよっ!」
 三井は、赤い顔のまま、ぷいっと顔を反らして寮の方にと足早に戻っていった。
 『なんで、あんな事、急に言いやがんだ?』
 三井は、いつも、辛口の評価しか吐かない宮城の口から、感嘆の台詞が出てきたことに狼狽えていた。
 『いつもに無いこと言いやがるから、ビックリしちまったじゃないか』
 歩きながら、だんだん落ち着いてきて、宮城の言葉を思い返してみる。
 『でも…』
 それなりのセンスを持った宮城に、自分の技術が認められたようで、何となく嬉しい。
 たとえ中学時代の遺産であっても、今の彼から認められたのだから、それなりのレベルに達しているのだろう。
 『明日も、がんばろう』
 現金にも、やる気いっぱいになって、三井は、寮へと歩みを早めた。
 「三井君」
 その三井を、寮の手前で呼び止める声がある。
 「?」
 声の方を見ると、物陰から、常誠の主将御子柴が出てきた。
 「一人?」
 三井の周囲に誰もいないのを見て、確認するように問う。
 「御子柴?」
 「ちょっと話しあるんだけど良いかな?」
 「え?、あぁ」
 手招きする御子柴に三井は近づいていく。
 「で、話って?」
 三井は、いったいなんだろうと、不思議そうな顔をして御子柴に問いかける。
 小首を傾げて、少し上目遣いに御子柴を見る三井は、昨夜の牧の忠告をすっかり忘れており、一言で言うと無防備だった。
 あまりの無防備さに、御子柴は、我を忘れて詰まってしまう。
 これが、三井寿か。
 思い浮かぶのは、三年前の三井の姿。
 きらきらと輝く瞳、勝ち気そうな表情の中に、バスケに対する情熱が溢れていた。
 一目惚れだったのかもしれない。
 インターハイで逢おうと、約束をした。
 自分の精一杯の問いかけに、三井はにっこり笑って、頷いてくれた。
 それから三年。
 二度のインターハイには、三井の姿はなかった。
 神奈川の代表は、二年続けて海南大付属と翔陽の二校だった。
 昨年の夏、牧に三井の消息を尋ねてみた。
 牧は、三井の姿を予選で見ることはなかったという。
 どうやら、故障して、バスケから離れたというのだ。
 ショックだった。
 もう、三井の姿が見れないと言う事実に、かなりの日数をぼんやり過ごしてしまったような気がする。
 気を取り直して、三年の夏を迎えた。
 神奈川は、海南と、無名の湘北というチームがインターハイにやってくるらしい。
 なんと、その神奈川の番狂わせチームが、自分の学校に遠征に来るという。
 下調べのつもりで、牧に電話してみた。
 湘北は型破りで個性的なメンバーのそろった、ラン・アンド・ガンが得意な攻撃主体のチーム。
 そういう説明を受けた。
 その時は、三井のことなど何も言っていなかったのだ。
 牧は。
 自分が、あれほど気にしていたのを知っていたはずなのに。
 昨日、湘北がやってきた。
 生意気そうな表情をしたメンバーが、三人程いたが、牧が言っていたほど型破りそうでもない。
 どちらかというと、没個性そうな、大人しいタイプのメンバーが大半の小粒なチームに思えた。
 体育館の半分を使って、練習をしている湘北の様子を見ている。
 さほど驚くような練習もしていない。
 三年生が、二手に分かれて、後輩の指導をしているだけだ。
 『このチームが本当にあの翔陽を破ってきたのか?』
 確か神奈川には、もう一校、天才という噂の仙道という選手を擁する学校があったはずだ。それらのチームと競り合ったにしては、爆発的なパワーを感じない。
 首を傾げてしまった。
 湘北の練習が終わり、三年の一人がシュートの個人練習を始めた。
 今日、後輩にロングやミドルのシュート指導をしていた奴だ。
 確か三井と言った。
 自分の探している男と同じ姓だが、あの、坊ちゃん然とした少年が、成長した姿とは思えなかった。
 だが、シュートフォームを見て、驚いた。
 正確で、無駄のないシュートフォーム。
 自分のあこがれていた、あの三井と同じフォーム。
 まさかと思って、声をかけてみた。
 武石中の三井かと。
 彼がそうだったのだ。
 武石中の三井寿。
 やっと見つけた。
 かなり、様子が変わっているが、彼が、自分が探してきた奴だ。
 どうして牧は、教えてくれなかったのか。
 電話して聞いてみた。
 反対に、何故そんなに固執するのかと尋ねられた。
 あこがれだったのだと答える。
 随分様子が変わったろうと、笑いながら応じる牧に、不信感を抱く。
 三井のことをよく知っているのか?
 友達だと答える牧が、何か含んでいるように感じた。
 付き合っているのかと尋ねると、何かと話題を変えようとする。
 『まさか』
 牧に電話をした後、少しして、三井宛の電話があったらしい。
 寮監に聞いてみたら、牧とか言う男だという。
 何故、三井にわざわざ電話するのか?
 夕べ一晩、考えた。
 それで、三井に尋ねてみようと考えたのだ。
 三井は、小首を傾げて、御子柴が答えるのを待っている。
 「あ、あのな、牧と、その、付き合っているのか?」
 しどろもどろで、御子柴が聞いた内容に、三井は、一瞬固まってしまう。
 「な、なんで、そんなこと…」
 『なんだ?なんで、こいつに牧とつきあってるか聞かれるんだ?』
 それでようやく、夕べ牧が電話してきたことを思い出した。
 『御子柴が俺に固執しているって…』
 「付き合ってるのか?」
 がしっと肩を捕まえられて、、再び問われる。
 三井は、いきなりの展開に、一瞬固まったが、はっと気を取り直して、身を捩って御子柴から離れる。
 幸い御子柴が、本気で力を込めていなかったので、三井は、自由になれた。
 『これも、最近のやばいパターンといっしょじゃねぇかよ!』
 さすがに、三井も、危険を察知したようだ。
 少しでも、御子柴から離れようと、じりじりと後ずさる。
 「三井君…」
 御子柴の目には、三井が嫌悪で自分から離れていく様に見えた。
 そして、それは、牧とのつきあいを肯定しているようにも思える。
 絶望的な気分になって再び三井を捕まえようとして、手を伸ばす。
 「三井サン?そんな所で一体何やってんです?」
 「宮城!」
 三井は、見知った後輩が、やってくるのを見て、ほっと安心した。
 「早く戻んないと、フロに入り損ねますゼ」
 「お、おう…」
 三井は、話を中断したままで立ち去ることに、少し気が引けたが、このままこの場にいても、身の危険が増すだけなので、宮城ととっとと戻ることにした。
 「じ、じゃぁな、御子柴…入浴時間があっから…」
 「あ、いや、時間をとらせたな…」
 他人が乱入したことで、我に返った御子柴は、この場は引くことにした。
 後三日はこの寮に三井は滞在するのだから、また話すチャンスもあるだろうと考えたのだ。
 宮城と三井は、入浴時間に間に合わすべく、そそくさと部屋へ戻る。
 「御子柴さん、なんですって?」
 戻る道すがら、宮城が尋ねる。
 「え?いや、別に…」
 牧とつきあってるかと聞かれたなんて、この後輩に答えたくない。
 そんなこと言えば、やっぱり男にもてる人は違うとか、何とか言ってからかわれるのがオチだ。
 ましてや、牧のことは、ただの友達だというのに、変な勘ぐりで本命登場ですねとかいうにきまってるのだ。
 見つかったのが宮城で、良かったのか悪かったのか複雑だ。
 流川なら、御子柴を殴り倒すかもしれないし、それ以外の後輩達なら、遠巻きに見ているだけで助けてなどくれない。
 木暮や赤木は、後々までしつこく聞くか、説教をたれるだろう。
 宮城は、さっきのようにあっさり助けてくれる代わりに、弱みを握られることになるのだ。
 三井は、宮城に気付かれないように溜息を吐いた。
 宮城は、不審そうな顔をしたが、深く尋ねることはしなかった。
 『また、男に引っかかっちゃって…。なんでこの人って、こう男にもてるんだか』
 流川のガードだけでも気を使うのに、今度は向こうの主将までガード対象に入れなきゃならないのかと、宮城は心の中でうんざりした。
 『バスケの為っつってもなんか、負担が多いよな』
 宮城がそんなことを思っているなどと考えることもせず、三井は、部屋へと急いだ。
 着替えや、入浴剤を掴んで、急いで浴場に向かう。
 今日は、少し遅れたので木暮や赤木に置いて行かれてしまった。
 宮城と二人で浴室にはいる。
 洗い場に腰をかけて、ボディソープを手にしようとした途端その容器を奪われた。
 「流川?」
 「背中流すっす」
 「え?」
 三井は驚いて、流川を見る。
 「流川君!ずるいよ。三井先輩の背中は僕が洗うって約束したのにっ!」
 三井がやってくるのを待ちかまえていた桑田が抗議する。
 「るせー。先輩は俺んだ…」
 桑田にはやらないと、三井の躰を後ろから抱きしめて、所有を主張し出す。
 「流川!何言って…?」
 三井は振り返って流川に抗議しようとした。
 「俺んだ」
 流川は、びっしり抱きしめて、離そうとしない。
 「流川、いい加減にしろよ。三井サンいやがってるぞ。お前、嫌われちゃ元も子もないんじゃないの?」
 見かねて、宮城が助け船を出す。
 流川は、宮城を睨み付ける。
 「ほらほら、嫌われちゃうよ、流川」
 宮城の言葉に、流川は、三井の顔を覗き込む。
 「嫌?」
 三井は、焦っていた。
 ここで、ビシッといわなけりゃ、これから、ずっと流川に背中を流されるに決まっている。
 「う、ま、まぁな…。あんまり、背中とか触られたくねぇ…」
 しかし言葉にできたのは、かなり消極的な意志表示に過ぎなかった。
 「ほらな、流川。三井サンは、困ってんだよ。その手を離して、三井サンを自由にしてやりな。緊張したままでフロ使ったって、ちっとも疲れがとれないだろ?それでなくても、三井サンってば、体力ねぇんだから、こんな事で、体調崩しちゃなんにもなんねぇだろーが」
 宮城が後を引き継いで、流川を諭してくれるが、三井にして見れば、その言葉の内容は、あんまり嬉しいものではなかった。
 『宮城ぃ…。言うに事欠いてなんて事を言いやがる』
 心の中で罵声を浴びせるが、まずは、背中に張り付いている流川だ。
 「流川…」
 振り向いて、流川を見る。
 「わかった。そんなにイヤなら諦める」
 流川も、バスケに影響が出るようなら仕方がないと、思い至ったらしい。
 三井に回した手を解いて、少し離れる。
 「お、おう、悪いな…」
 三井は、ほっとして、全身から力を抜いた。
 流川は、三井の隣に腰を下ろしたまま、自分の髪を洗い出した。
 どうやら、三井の隣の位置というものをキープして、桑田の接近を阻もうとしたらしい。
 『ここにいれば、センパイ見てられるし…』
 横目で、三井を見ることだって出来る、一石二鳥の位置に居座ることにした様だ。
 三井は、隣の流川が、気になったが、どけろとも言えず、もそもそと躰を洗い始めた。
 昨日に続き、浴室内に乙女チックなバラの香りが漂い始める。
 ボディソープも、バラ園で揃えているところが、笑えるが、あまりからかって、機嫌を損ねてもと、宮城は言葉を飲み込んだ。
 三井の動きを、周りが香りにつられて、無意識に注目しているため、浴室内は、水を打ったように静かになった。
 三井が、何となく静かになったのに気が付いて周りを見渡す。
 「お前等、何見てんだ?」
 自分に何かついているのかと三井が、慌てて背中を振り返る。
 「何でもありませんよ、大人しい三井サンが、珍しかっただけっす」
 「んだとぉ!宮城ぃ」
 「そうそう、それそれ、三井サンは、やっぱそうでなきゃ」
 笑いながら宮城は、浴槽の方に逃げる。
 三井は、ちっと舌打ちをして追うのを諦めた。
 まだ、髪も洗っていない。
 さっさと洗わないと、常誠の入浴時間になる。
 三井は、シャワーのノズルをひねって、頭から湯を被った。
 黙々と洗髪を終えて、躰に湯をかけ、やっと浴槽に躰をつける。
 ふぅと、一息ついて躰を伸ばす。
 三井は、長風呂で、ゆったりと湯に浸かるのが好きだが、この湯は少し熱い。
 『もう少しぬるめの湯だったら、もっとのんびり浸かってられるのにな…』
 あんまり長くはいるとのぼせちまうと、渋々切り上げて、浴室を出る。
 その間流川が、ずっと周りに張り付いていたのが、気になるが、触ったり抱きついたりしないから、まぁ、仕方ないかと黙っていた。
 入浴後、食事をとって、再び自由時間になる。
 三井は、昨日の雪辱戦のために、隣の部屋に向かおうと部屋を出る。
 その日三井は、それなりについていて、一度も大貧民に落ちることが無かった。
 三井も、相手をした二年生達も安心して、たいそう和やかに消灯を迎えた。
 
 翌日からは、午前中は各校独自の練習、午後からは、練習試合という日程になっていた。
 湘北高校は、リバウンド王の桜木がいない分、高さにハンデを負うが、昨年度ベスト4の常誠高校にほぼ互角の戦いをして、通算1勝1敗1分けの成績を修めた。
 宮城が心配した、常誠の主将も、試合のことで、かなり気になることがあったのか(確かに無名のチームに、この成績では不安も残るだろう)、あれから三井に言い寄ることもなく、流川も浴室で、あれ以来隣の位置をキープするだけで、三井に危害を加えなかったため、波風の立たない日々となった。
 
 常誠での合宿を終えて、湘北高校のバスケ部一行は、監督と桜木の待つ学校へと戻ってきた。
 久しぶりに、安西監督の顔を見ることが出来て、三井はご機嫌だった。
 『安西先生、お元気そうでよかった。』
 「ミッチー、あのな…」
 肩に手を回して、桜木は、三井にミドルシュートが入るようになったことを教えようとする。
 「なんだ桜木。先生にご迷惑かけなかっただろうな?」
 「この天才に向かって、何を言うんだミッチー」
 それでシュートがと続けようとした桜木に、流川の蹴りが入った。
 「気安くセンパイに触るんじゃねぇ」
 「ふぬーっ!ルカワっ!何しやがる」
 一週間ぶりの乱闘が始まりそうになった時、赤木の拳骨が二人の頭に落とされた。
 「帰った途端に何をしとるかーっ」
 くどくどと説教の始まった、その場を離れて、三井は監督に近づく。
 「安西先生」
 「おや、三井君。どうでした?常誠高校への遠征は?」
 「は、はい!」
 試合の内容などを、嬉しそうに三井は報告する。
 「先生のお言いつけどおりに、一、二年のシュートを見てみましたので、後で先生も、チェックお願いします」
 赤木の説教からやっと解放された桜木と流川が見たのは、にこにこと微笑む監督に、これ以上ないというくらい可愛く笑いながら話しかけている三井の姿だった。
 
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