
☆巨頭会談あるいは不毛な狼達の自己主張
にこにこと手を振る三井が乗る電車が、発車する。
もう、三井の姿を識別することができないくらいに、電車が小さくなって、ようやく4人は、我に返った。
「何を二人でこそこそとはなしてたんです?」
仙道が、三井に向けていた眼を、牧に移した。
「何って?」
牧も、仙道の方に向き直る。
「最後に三井さんに耳打ちしてたでしょう?」
「そうだぞ!じい!なんの内緒話してたんだ?」
桜木も加勢して牧を責める。
「抜け駆けはひどいよねぇ」
仙道が桜木や流川に同意を求める。
「そうだっ!ミッチーはじいのもんじゃねぇんだからなっ!」
桜木が憤慨し、その横で流川がコクコクと頷いている。
(こんな時だけタッグを組むのかこいつらはっ!)
忌々しげに牧は、仙道を睨む。
「そんなことは、俺と三井の間のことだろうが」
「あら、そんな冷たい…さては、デートの約束?」
「さぁ、どうだかな」
「ふぬっ!ミッチーは、湘北だぞ!じいの海南じゃないんだからデートなんてゆるさねぇからなっ!」
「なんだ?お前は三井の小姑なのか?」
「ふ、ふんっ!俺はミッチーのコイビトだ!」
桜木がふんぞり返って言うその後ろから、流川の蹴りが入った。
「どあほう!なに、寝ぼけたこといってやがる!いつ先輩がテメーのコイビトになった?」
「ふぬっ!ルカワっ!」
「先輩はテメーにゃもったいねぇ!」
「なんだとぉっ!このキツネヤロー!テメーこそ変なコトしてミッチー泣かせてんじゃねぇ!」
湘北1年コンビはまさに一触即発の状態で睨み合っている。
「まぁまぁ、ふたりとも、そんなに熱くなっちゃ。こんなところで喧嘩したら、明日の遠征どころかインターハイだって出場できなくなっちゃうよ」
仙道が二人の間に割ってはいる。
駅のホームで乱闘されたら、いくら何でも全国が危ない。
「うっ、センドー」
「そうだぞ、そんなつまらない喧嘩で三井や赤木や木暮の全国の夢をつぶしていいのか?」
牧も、自分から矛先が変わったことに安堵して、二人をたしなめる。
「じ、じい…。く、くそう…ルカワ覚えてろよ」
ぷいっと横を向いた桜木と反対の方へ流川も横向く。
「まったく…湘北も大変だなぁ」
仙道がやれやれといった風に肩をすくめるのを見て、牧は頭が痛くなった。
「お前が言うな、陵南の問題児」
陵南の、見た目よりもはるかに繊細だった、今は引退したというゴール下の大黒柱魚住の心労を思って、溜息混じりに、牧がこぼす。
「あぁっ、牧さんが苛める」
牧の言葉に抗議するように、仙道が泣き真似をする。
一九〇を超える大男のブリブリの泣き真似は、周りの者に寒い波動を起こした。
「仙道それ、気味悪いからやめろ」
「態とだからいいんです」
「嫌がらせか」
「ご想像にお任せします」
ヘラッと笑った仙道を見て、牧は、再び大きな溜息をつく。
『海南に仙道が来なくてよかった』
牧は、この時心底そう思った。
そうこうするうちに、牧達の立つホームに電車が入ってきた。
4人が乗り込む。
車内は比較的空いていたが、4人はドア付近の広い通路に立った。
ガタイのいい男四人が、狭い車内に立っていると、周囲を圧倒してしまい、彼らの近くはだれも近づかないといった状況になった。
「ところで牧さん」
「なんだ?」
「三井さんって昔からあぁなんですか?」
「あぁって?」
「ですから、口が悪くてわがままでそのくせ憎めなくて可愛いところです」
「さぁ、俺は中学の時は三井と直接話すことはほとんどなかったから詳しくは知らないんだが…」
牧は、仙道に問われてかつての三井を思い出す。
今の姿と別人のような、サラサラのキューティクルヘアーの少し長めの髪。意志の強そうな眉と口。勝ち気な眼。しかし、今思えば精一杯がんばっているといった力みが全身から立ち上っていたように思う。
一七〇センチあるかないかの、しかも体重もさほど乗っていない華奢な体つきと、意志の強そうな表情を割り引いてもあまりある坊ちゃん然とした顔つきからは、やはり『可愛い』とか、そう言った類の表現しか思い浮かばない。
「確かに見た目は、可愛かったな。当時かなりのファンクラブがあったと思うが…。藤真と人気を二分するアイドルだったぞ、そう言えば」
「へぇ?そうそう!うちの魚さんも三井さんにかなりご執心だったみたいなんですよ」
仙道は、三井の復活をシュート一本で確信した、魚住の普段からは考えられない喜び様を思い出した。
「まぁ、俺達の学年で三井を知らないのは、高校からバスケを始めたやつぐらいだろうからな…」
牧がしたり顔で肯定する姿に湘北の1年生二人は、どうしても今の三井と、当時の三井のイメージを重ね合わせることができないでいた。
「あのミッチーがそんなに有名なのか?」
「…?」
確かに二人も認めざるを得ない程、三井のバスケセンスについては、すごいと思うが、県下にいくつもファンクラブがあるくらいのアイドルだったとか、見た目が可愛いかったとかの話と、目つきの悪い我儘大王の三井の姿のギャップに、頭が考えることを拒否しているのだ。
「牧さんは、そのころの三井さんには興味なかったんですか?」
「だから言ってるだろう?三井自身とはほとんど話せなかったって。あいつの周りにはいつも武石の連中がいて、ガードが堅くてな。そうだな…。対戦してみたいとは思ったよ。残念ながら俺のところは、武石と当たる前にいつも敗退していたから叶わなかったんだ。一度、県代表に選ばれて、同じチームになったことはあるが…」
「へぇ?どうだったんです?」
「確かにすごかったな。あの時点で、チームの誰よりも完成度が高かった。同じチームでやれる武石中の奴等が幸せだとも思ったな」
「うーん。見てみたかったなぁ…。俺東京だったし、三井さんの中学時代知らないんですよ。全中に行ったのも俺が3年の時だったし」
「ビデオがあるだろう?お前のところの監督ならきっとデータを集めてるんじゃないか?」
「そうでしょうね。でも、うちでは、禁句なんですよ。監督が、三井さんや宮城や流川に3年連続で逃げられたって、事あるごとに悔しがるもんだから。」
「そうだな。あの人らしい…」
牧は、年の割に妙に熱い、陵南の監督を思いだして、笑いそうになった。
「牧さんは持ってないんですか?」
仙道が牧の逸れた気を引き戻す。
「県代表の時のは、確かダビングしてもらったからあると思うが…」
「貸してください!牧さんが知ってるのに、俺達が知らないなんてずるいですよ」
「なにがずるいんだ?」
「だって、三井さんをねらってる者同士、スタート地点は同じでなきゃ不公平でしょ?桜木も流川もそう思うだろ?」
いまいち説得力がないが、仙道にしてはやけに力の入った説明をする。
それだけでは飽きたらず、桜木や流川まで話に引きずり込もうとする仙道に、牧は眉を顰めた。
「お、おう!そうだそうだ!じいだけずるいぞ!フコウヘイだぞ!」
仙道が振ったとおりに桜木は反応し、流川でさえ、牧を睨んでコクコクと頷いている。
「不公平…」
「なんだよお前達…。そんな過去にこだわったって仕方ないだろうが。お前達は、今の三井がいいんじゃなかったのか?」
牧は、何馬鹿なことを言ってるんだと言いたいのを我慢して、仙道に問いかける。
「もちろん今の三井さんが素敵だからですよ。あの三井さんを好きになっちゃって、今までの三井さんまで知りたいと思ったっていいじゃないですか」
仙道は、もはや悪ノリといった様子で、三井さーんとか呟いている。
「そうだぞじい!独り占めはよくないぞ」
「ズルィ…」
湘北ルーキーズまで、抗議するにいたって、牧は頭を抱えたくなった。
この連中、普通人より声が大きいのだ。
このせまい車内でそんなに大声で、そんな馬鹿な話をしないでくれと、牧は叫びたくなった。
背中に好奇心の固まりのような多くの視線を感じているのだ。
「あのなぁ…」
いたたまれなくなって、溜息をつく。
「おねがいします。牧さん、ビデオの他に写真とかも見せてくださいよ…」
両手をあわせて、仙道が牧を拝む。そして、頭を下げたままで、下から牧を見上げるようにお願いポーズをし始める。
「そんなに見たいなら、三井本人に見せてもらったらどうだ?俺のところにあるやつよりよっぽど、三井の格好いいところが写ってるんじゃないのか」
牧は、一歩下がって、逃げの体勢で言葉も逃げに入る。
「何言ってるんだ。じい。ミッチーは、すっごい恥ずかしがりやで昔の写真なんか見せてくんないんだぞ。この前、リョーちんがメガネくんに昔の写真見せてもらおうとしたら、ミッチーがあわてて飛んできて、自分の写ってるやつ全部隠しちまったんだぞ!」
牧は、渾名ばかりの説明に、何のことだと頭をひねる。
「宮城先輩に木暮副主将っス」
流川が、横から解説を入れた。
彼にしては破格の行動ではないだろうか?
桜木が、驚いたように流川を見ている。
「ね、だから牧さん見せてくださいよ」
仙道が、桜木の言葉を捉えて再び、牧にお願いする。
横から桜木と流川も訴えるような眼をしてこちらを見ている。
牧は、妥協するしかないかと大きく溜息をついた。
「仕方ないな。ビデオは今度ダビングしてやるから、お前達で順番に見ろ。写真の方は三井の写ってるのは、県代表の時のスナップだけだ。一度魚住に聞いて見ろ。確かあいつも一緒だった筈だからな。もし、それがないようなら見せてやる。ただし、三井が怒ったって知らないぞ」
牧は、勿体ぶって仙道に約束をした。
「本当ですか?いやぁ、楽しみだなぁ。もちろん三井さんには内緒にしますって。あ、でも、恥ずかしがる三井さんもいいかもしんないなぁ…。とにかく、なるべく早くお願いしますね。そのうちに、牧さんだってインハイ行っちゃうし…。俺待ちぼうけになっちゃいますから…」
「わかった、2、3日中に届けてやる」
もう牧は、あきらめの境地に達していた。
この男には、何を言っても暖簾に腕押し、糠に釘状態だ。
大きく溜息をついて、窓の外を見る。
街の灯りが、見覚えのあるものになっている。
「じゃぁ、俺はここで降りるが、お前達喧嘩なんかしないで大人しく帰るんだぞ」
「イヤだなぁ、牧さん。子供じゃないんだから大丈夫ですよ」
『そう言うお前が、二人を挑発して原因をつくったんだろうが』と言いたいのを我慢して、肩を竦める。
「そうだといいんだがな」
電車が駅に到着し、扉が開く。
「じゃぁな。桜木、流川、静岡遠征がんばれよ」
軽く手を振り牧が車両を降りた。
閉まったドアから、仙道が手を振っている。
それを見て、牧はどっと疲れてしまった。
『どこまでが本気で、どこまでが嫌がらせなのか、今一読めん奴だ…』
溜息をついて、改札へと歩き始める。
改札を出て、海南大附属高の寮へと歩を進める。
海南のバスケット部員は、レギュラーは全員寮生活をすることになっている。
管理されていると言えなくはないが、自宅がやや遠方の牧自身は通学にかかるエネルギーの消費が無いだけでもましだと思っている。
寮に帰ったら、とりあえずビデオを探すとしよう。
確か、家から持ってきていた筈だ。
久しぶりに中学の頃のプレイを見るのもいいかもしれない。
過去を振り返るようでは、前には進めないが、あのころの自分は、技術よりも何よりもバスケが楽しくて仕方がなかった。
そのころの新鮮な気持ちを、思い出すのはいいことだと思う。
県代表の時は、それなりに豪華なメンバーでの試合だったから、楽しかったのを覚えている。
あのころ適わないと思った、三井のシュートやパス回しを、今の自分が見てどう思うのだろう。
そんなことを考えて、牧は、寮への道を急いだ。
「牧さん帰っちゃったね」
手をひとしきり振って、仙道は、湘北の二人を振り返った。
桜木と流川は、仙道に対してどう反応していいのか、わからなくて、曖昧な表情をしている。
「今日のところは共同戦線張って、牧さんの抜け駆けを阻止したけど、まぁ、成功だったかな?」
「しかし、ミッチーはじいと付き合ってるって言ってたぞ。電車の中でもいちゃいちゃしてたし…」
仙道の言葉に桜木が反論する。
「あれ?三井さんは友達だって言ってたよ」
「なんだと?」
「…?」
途端に桜木と流川が反応する。
「あれ?知らなかったんだ?つるんで遊んだりするだけだって言ってたのに」
「ふぬっ!ミッチー俺達に嘘ついてたのか?」
「?」
「もしかしたら、俺に嘘ついたのかな?そうだとしたらひどいなぁ…」
三人は、三井の真意がどこにあるのか首をひねってしまった。
「今日の三井さんと牧さんの様子じゃ、まだそんなに親密って感じじゃなかったけどねぇ」
今日の様子を思い出して、どう考えても恋人同士という感じがしないのだ。
「いや、ミッチーは結構恥ずかしがりやだから、じいにいちゃいちゃするなって言ったのかもしんねぇ」
「けど先輩に聞いてみたら、誰と付き合ってても関係ないだろうっていって開き直ってた」
「三井さんの気持ちがよくわからないからねぇ」
結局、堂々巡りで話題が振り出しに戻ってしまう。
「とにかく、じいにはミッチーはやらねぇってことだ!」
「それについては賛成だな」
「てめぇにも先輩は勿体ねぇ」
「ルカワにもだっ!」
「桜木にだってやらないよ」
「ふぬっ!」
いきなり、三人が臨戦態勢になる。
「おっと、こんな事で喧嘩なんかしちゃつまらないな。やはり、実力で三井さんを手に入れたものが、勝ちって事だよね」
「ジツリョクだと?」
「そう、もちろん暴力でもないよ。三井さんが俺達の力に対抗できないのはわかってるからね。つまり、三井さんから、好きだって言ってもらえたものの勝ちってことさ。強引に三井さんをものにしたって、あの人の心は手には入らないよ、きっと…」
仙道は言葉巧みに、絶えず三井の側にいる湘北の二人に牽制球を投げる。
負けず嫌いの二人のことだから、こう言っておけば、暴走して三井を力ずくでものにする暴挙はできないだろうとふんでのことだ。
「つまり、ミッチーの心を手に入れたものの勝ちって事か」
「そうそう。あの人をを泣かせたりするのは本意じゃないからね。三井さんに幸せになってもらうことが一番じゃないか。そう思うだろ?桜木も流川も?」
「ふむ…。そりゃそうだがな」
「…」
湘北の二人は、何か考え込んでいる。
「おや?二人とも自信がないんだ?」
「な、何をコンキョに!」
「!」
仙道は二人をうまく話に乗せていく。
一年の人生経験分と言う以上にルーキーズの上手を行く。
「それじゃ、お互い、全力で三井さんを落とす努力をするって事で…。ま、湘北の分二人は有利だろうけど、それはハンデということでいくしかないね。」
「ふぬっ!ハンデだと?」
「馬鹿にすんな」
「おや?怒っちゃった?でも、俺や牧さんよりも、二人の方が三井さんにいつでも話しかけられるんだから、有利だよね」
「そりゃ、ミッチーは湘北だから…」
「そう、それはしかたないからね。まぁ、プライドの高い君たちだから、抜け駆けとかはしないって約束してもらえるのかな?」
「お、おう、普段の練習じゃ、抜け駆けしねーよ」
「…」
「あぁ、それじゃ、プライベートだけで、どれだけ三井さんの気が引けるかってことで勝負できるんだね」
「男に二言はねぇぜ!」
「流川も?」
「たりめーだ」
「じゃぁ、そう言うことで。あっ、俺ここで降りるから…。三井さんによろしくね。また、会いに行きますって伝えて…はくれないか」
肩を竦めて、仙道は開いたドアから降りていく。
ドアが閉まり、湘北の二人を乗せた電車がホームを出ていく。
二人に笑い掛けて、挨拶のように片手を挙げてから、改札に向かう。
「さてと、湘北のうるさいのはあれで、抜け駆けできないだろうけど…。やっぱり、問題は牧さんか」
徹底的に邪魔してやろうと心に誓いながら、仙道は、下宿に帰っていく。
東京出身の仙道は、学校に近くにワンルームマンションを借りて住んでいる。
入学してしばらくの間は、学生寮に住んでいたのだが、あまりにマイペースだったため、周囲に示しがつかず、寮監が田岡に泣きつき、仕方なく退寮させられてしまったのだ。
おかげで、一人暮らしを満喫している仙道だった。
「明日お見送りに行っちゃおうかな」
三井の焦る顔が目に浮かぶ。
くすくすと笑いながら、からかいがいのある三井の表情をシュミレーションして、牧よりも一歩でも進んでやろうと、明日静岡に発つ湘北の一行を見送りに行くことを心に決める。
「いやぁ、楽しみ、楽しみ」
仙道は、足取りも軽く、下宿に戻っていった。
車内に残された湘北のスーパールーキーコンビは、無言で仙道を見つめていた。
彼の姿が改札に消えてやっと、緊張が解け、桜木は、大きく息をした。
「ふん、センドーの奴、抜け駆けだなんてシツレイな」
どうも、流川と一緒にぼんやり立っているのが気詰まりで、困ってしまう。
「おい、キツネ。テメーもミッチー泣かすよーなことすんじゃねーぞ」
「どあほうに言われたくねー」
「んだとぉ!」
相変わらずぎりぎりのところで睨み合ってしまう。
「ふ、ふん、こんなとこで喧嘩したら、インターハイに出られなくなって、それこそミッチー泣かしちまうから我慢してやるが、テメーにだって、ミッチーはワタサねぇぞ!」
「…」
流川は、心の中で『てめーにこそわたさねー』とか考えてはいたが、ぷいっと横を向いて応じようとはしなかった。
「むっ…」
相手にされないのがわかって、桜木は、むかっとしたが、場所を考えて、我慢することにした。
『明日ぜってー許さねぇ』
桜木も流川も、互いに明日人目のないところで、一合戦を心に決めながら、湘北高校の最寄り駅まで沈黙したまま立っていた。
桜木は、湘北高校の近くからの徒歩通学。流川は、桜木よりはやや遠方になるが、自転車で軽く通える範囲に住んでいた。
電車を降りて、駅から右と左に無言で分かれる。
とにかく明日からは合宿だ。三井と寝起きをともにできる。
そのことが、二人の気持ちを妙に浮き立たせていた。
ほんの少し、三井が気になるという程度だった二人だったが、いつの間にか、牧や仙道がちょっかいを掛けてきて、負けず嫌いの性格に火がついてしまっていた。
もう、互いに後には引けなくなっている。
今後の勝負に意気込みながら、桜木も流川も家路を急いでいた。
☆被害者、あるいは赤頭巾ちゃんの気持ち
そのころ、三井は、自宅への最寄り駅に後少しというところにいた。
残してきた四人組の諍いなどに思いもいたらず、ただ、彼らに振り回された今日の自分に溜息をついていた。
この数日どうなったんだというくらいにもてている。
男ばかりに。
しかもバスケ関係者で、神奈川では知る人ぞ知るといったメンバー達に。
男にもてるということは、普通なら男気のあるいい奴という意味に取れるのだが、どうやら、そんな熱い心の話ではなくって、女の代わりのような意味らしい。
三井にして見れば、いい迷惑以外の何ものでもない。
グレていた時でさえ、そんな対象に見られたことがなかったというのに、である。
実際は、三井の周囲が、強力なガード力を発揮しており、そんな怪しげな連中を近づけずにきていただけなのだが、そんな気遣いは三井本人には全く悟られていなかった。
というよりは、三井自身が気の付くような敏感な人間ではなかったという事だったのだが…。
(まったくよぉ、牧はともかく、なんで仙道が俺に友達になってくれって言うんだ?)
何か変だなと思っては、いるのだ。
『年下だけど友達になってください』
他校のしかもライバル校の、年上の男に向かってそんなことを言う奴って普通はいないはずだ。
その上、流川に桜木だ。
今日だって、結局牧とゆっくり見るつもりだったバスケ観戦の邪魔をしに来ていた。
仙道のあまりチケットでちゃっかり会場まで入り込んで、後ろで牧の行動の一挙手一投足にチェックを入れていた。
横にいて、いつ牧が怒り出すかと冷や冷やしていたのだ。
(でも、考えてみると、牧って…)
年の割に落ち着いているとは思ったが、ここまで人間ができているとは思わなかった。
最初の駅での待ち合わせで少し不機嫌さを表していたが、直ぐに立ち直って、桜木や仙道を適当にあしらっていた牧を思い出す。
確かに自分なら、直ぐに切れていたに違いない。
(何か余裕だよな)
同じ年だというのに何となく悔しい。
(でも、友達になろうには驚いたな)
何故彼が自分と友達になろうと言ったのかは、未だに不明だが、今日大人な対応を見せられた牧から、直々にお願いされたことに何となくプライドをくすぐられる。
初めてできたバスケをやってる同学年の友達なのだ。
大切にしたいと思う。
今度二人でバスケしようとお誘いの言葉ももらった。
(静岡行ったら、何か土産でも買ってくるか)
何を買ってこようと考えているうちに、最寄り駅に着いていた。
あわてて電車から駆け降り、改札に向かう。
(やべー、ぼーっとしてて降り損ねるとこだった)
油断大敵と呟きながら駅を出て、自宅に向かう。
帰り道は住宅街をただただ歩くだけで、一〇時近くになると、さすがに夏の夜でも人気がない。
昼間の蒸し暑さも、夜の風に払われて、外気は心持ちひんやりとしている。
駅から歩いて二〇分ほどのところにある家まで、ぶらぶらと歩いていく。
(あれ?)
一〇分ほど行ったところで、後ろから人の足音がし始めた。
何となく自分の歩みにあわせるように後ろからついてくる。
(なんだよぉ)
三井は、ふと先日部室で宮城達が、話していた怪談話を思い出してしまった。
後ろからついてくる足音がだんだん近づいてきて、耳元に後ろの人の息づかいが聞こえて怖くなって振り向いたら血塗れの女が笑っていたとかいう話だ。
いかにも作り話のような内容で、その時は、なんともなく笑い飛ばしたのだが、こんな時に思い出してしまうと異様に怖い。
(ち、ちぇっ…とにかく早く帰るに限るよな。そうそう、明日は合宿なんだから準備しなくちゃいけねーもんな)
三井は、心の中でとにかく納得して足を早めた。
すると、後ろの足音もペースを上げているのだ。
(う、うっそー!マジ?ど、どうしよう…洒落になんねぇ)
三井は怖くて振り向くこともできず、とにかく小走りに駆けだした。
するとやはり足音もついてくるのだ。
(ひ〜っ!勘弁してくれよぉ〜)
もはや三井に残されているのは、勇気を持って後ろを振り返るか、ひたすら逃げを打つかの二つに一つだった。
そして三井の選んだ手段は、全速で走り去ることだった。
いきなりダッシュをして、バスケの試合よりも限界いっぱいに走り出す。
背中に恐怖心を張り付かせて全力疾走する三井の後ろで、足音もダッシュをかけている様に思える。
(こ、こえぇっ!)
後ろの足音が今まで以上に近づいて三井は半泣きになりながら、逃げを打った。
(あの角曲がったらもうすぐ家だ)
見慣れた家々が続いている道をひたすら走る。
自宅の門までやっとたどり着き、弾む息もそのままに、門扉に手を掛けたとき、左肩に手が置かれた感触がした。
(!!!!!)
躰が、金縛りにあったように固まってしまった。
頭の中で恐怖が 渦を巻いている。
そんな三井の肩に乗せられた手は、ぽんぽんと肩を叩いている。
(あれ?)
「寿くん。慌ててどうしたんだい?」
後ろからつけてきたと思われる人間が、後ろから声をかけた。
(え?)
おそるおそる三井は振り返った。
彼の後ろには、血塗れの女性でなく、穏やかな笑みをたたえた男性が立っていた。
「義兄さん…?」
「寿くんだろう?少し見なかった間に随分男っぽくなったじゃないか」
軽く息を弾ませたその男は、相変わらず三井の肩をぽんぽんと叩いている。
「義兄さん!いつ日本に戻ってきたんだよっ!」
後ろの男は、三井の年の離れた姉の旦那だった。
三井の父は3人兄弟の末っ子で、彼の二人の兄達には、何故か娘しかできなかった。
三井の祖父が経営している企業の跡を継ぐものが自分の孫の中にできない事になってしまた。
上二人と少し年の離れた三井の父が結婚し、その子に男子が生まれることに夢を託したが、三井の姉が生まれた時点で女ばかり5人の孫を得た祖父は、長男の後を直系に継がせることを断念し、親族から養子をとり、自分の孫娘と結婚させることで同族経営の古い老舗企業を守ることにしたのだ。
そこで、三井の祖父が、遠縁の親族から幼い男児を長男の養子としてもらい受け、その子供に生まれたばかりの三井の姉を嫁がせることにしたのだ。
これで会社も安泰と、一族みんなが安心してから数年。
あれほど望んでいたときには、生まれてこなかった男児が、三井家に誕生した。
祖父は、手放しで男児の出生を喜び、名を『寿』と名付ける気合いの入れようだったが、その時にはすでに一族の同意の元で跡継ぎが決定した後だったため、今更お家騒動の元をつくる訳にもいかず、その子供は三井の父、つまり現在の三井家の跡取り息子としてだけの待遇に落ち着くことになった。
古くから続く大看板を次ぐ必要の無かった三井は、一族の期待を一身に背負った跡継ぎとその婚約者である姉の二人の苦労を横で見ながら、かなりのんびりと育ってきたのだ。
三井が中学に入った年、8歳違いの姉が、婚約者の元に嫁いだ。
お互いまだ学生だったが、祖父のいる本宅で暮らすことになったのだ。
大学卒業後、若夫婦は跡取り修行のため、ニューヨーク支社へと飛び立っていった。
姉や二人の間にできた息子(今度はあっさり長男ができたため祖父は気合い抜けしたという噂がある)は、たまに帰省していたが、三井は、義兄とあうのは数年ぶりのことだった。
「昨日、久しぶりに日本に帰ってきたんだよ。といっても支社からの出張なんだけれどもね。彼女も君たちに会いたがっていたし、一緒に帰って来たのさ」
「ほんと久しぶりですね。でも、義兄さんどうして、一人でこんなとこに?」
三井は、今の今まで怖い思いをしていたことに納得のいく回答を得ようとした。
「駅前の書店に用があってね。今日発行の本が欲しくて、散歩のつもりで歩いてでかけたのさ。帰り道で前を行く君を見かけてね。寿くんかなと思いながら、自信が無くて、声をかけるタイミングを失っていたんだ」
それでも黙って後ろをつけられるのは泣きそうになるくらい怖かったのだ。
ビックリしたことをぶつぶつと言いながら、三井はとにかく家の中に入ることにした。
「ただいまー」
「ただいま帰りました」
声をかけて家の中にはいる。
リビングに顔を出すと、これも久々に見る姉と、この前見たときはよちよち歩きしかできなかった甥っ子があちこち走り回っている姿が見えた。
「まぁ、ちゃーちゃんどうしたのその髪!」
姉の驚きにそう言えば、姉と最後にあったのは去年の春だったと思い出した。
「また、バスケットを始めたっていったでしょ。それで邪魔だからってあっさりカットしちゃったの」
三井の母がせっかく似合ってたのにねぇと、溜息混じりに説明する。
「せっかくきれいなストレートだったのに…。ま、そう言われれば、今の髪型もスポーツマンぽくって可愛いわね。で、インターハイに行けるんですって?」
すでに、母から一通りの説明があったようだ。
子供の頃から、母や姉、父や姉の婚約者(今は義兄)からべたべたに甘やかされて育ってきた三井は、グレていた時でさえ、変わらずに接してくる家族の中で、いったいどこが不良なのか首をひねらざるを得ない暢気で穏やかな暮らしをしてきたのだ。
「ちゃーちゃん、だっこー」
リビングの入り口で、女性陣の寸評に曝されていた、三井の足下に、小さな甥っ子がまとわりついてきた。
「なんだ?ひさしぶりだな。おっ、結構重くなったんだ?」
抱き上げてやると、去年は楽々抱き上げられたのが、今はかなり重い。
「そんなところで立ってないで、着替えてらっしゃい」
母に言われて、甥っ子を抱き上げたまま部屋に向かった。
部屋のベッドに甥っ子を下ろし、とにかく部屋着に着替える。
甥っ子は、去年あったときも妙に三井になついており、好かれることに三井もまんざらでわなかったせいか、母や姉にまるでコイビトみたいと笑われてしまったくらい、いつも一緒にくっついていた。
甥っ子も、それを覚えていたのか、着替えている間にベッドから降りてまた足下にまとわりついてきた。
「なんだ?ちょっとまってくれよ」
「ちゃーちゃん、ちゅー」
「まいったなー」
すでに叔父馬鹿と化している三井は、さっさと着替えて、しゃがんで目線を下げると、甥っ子の頬にちゅっとキスをしてやる。
「やーっ」
頬が気に入らなかったのか、彼は自分で三井の顔を小さな両手で押さえ、唇にキスをしてきた。
「わっ?お、お前何すんだよ。ちっちぇーくせに生意気だぞ」
慌てて引き離すと、不満そうにじたじたする。
「もっとー」
「まじかよー」
今度は大人しく、子供の言いなりになってやると、何度もちゅっとキスされた。
「なんだ?ほんとに恋人みたいだな」
開けたままの部屋のドアの向こうから、義兄が、顔を覗かせている。
「義兄さん…」
なんかまずいところを見られたなと、三井は赤くなった。
「去年の春に日本から戻ってきて、ちゃーちゃんがいないって大泣きしてね。これじゃまた、連れて帰るの大変だろうな」
「そんな…」
三井は甥っ子を抱き上げて、リビングへ戻ろうとした。
「パパがちゃーちゃんとっちゃおうかなー」
横に並んだときに、三井の顔を強引に引き寄せ、息子に見せびらかすように唇に軽いキスをしてきた。
「だめー!」
「に、義兄さん?」
義兄は、固まった三井と、彼を守るべく自分の父を追いやるように叔父をかばう息子を見て、笑いながら先にリビングへ戻っていった。
「ちゃーちゃん?」
心配そうに小さな手で頬をぺたぺたとたたかれて、三井は我に返った。
『ひー、義兄さんも悪戯が過ぎるよな…』
心で焦ったが、心配げに顔を覗き込む甥っ子の頬に軽くキスして大丈夫と微笑んでやる。
安心して頭に抱きつく甥っ子を支えながら、三井はどんな所でも男にキスされる自分に情けなくなっていた。
明日からの合宿で流川や桜木から身を守らねばならないことにようやく思い至り、忘れていた憂鬱に溜息をついた。
『そうだ明日っから合宿だったんだ』
リビングに戻り、家族の団欒に加わった後も、三井の憂鬱は晴れることはなかった。
ただ、安西監督と数日間ともに行動できることだけが心の救いだった。
『先生のそばで、いろいろ教えていただこう』
ようやく心落ち着く考えにいたって、三井は、安堵の息を吐いた。
この時点で、三井はまだ明日からの合宿で、安西が神奈川に残る事は知らなかったため、とにかく心を落ち着けることができたのだった。
翌日からの合宿で自分の思惑どうりに事を運ぶことが出来るのは、果たして誰か、狼達と赤頭巾ちゃんの攻防はこれからが本番だ。