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【危険がいっぱい6】


☆かっこわりーっ!

 目立っていた。
 有名どころの対戦カードの行われる体育館の中、バスケット関係者や、ファン等がひしめく一角だというのに、その一行は、群を抜いて目立っていた。
 神奈川高校バスケ界の帝王牧と、次代の中心となるだろう天才仙道、今年センセーショナルなデビューを果たした新人王流川と驚異のリバウンド王桜木が、一堂に会している。
 バスケをやる者の中では、さほどずば抜けているとは言えない身長だが、それぞれに持っている雰囲気が、他を圧倒している。
 その目立つ男達の中で、三井は、言いようもなく緊張していた。
 卑屈になっているわけではないが、周りの視線が気になって仕方がない。
 二階席の最前列に座る三井の両側に、牧と仙道が腰掛けている。
 その二人を牽制するように牧の後ろに桜木、仙道の後ろに流川が座っていた。
 試合を観戦している間は良かった。やはり、それぞれがバスケ馬鹿だけに、試合を食い入るように見つめていたのだから。
 親善試合の割には、緊迫した好ゲームが繰り広げられていた前半が終わり、しばらくのハーフタイムに入った途端の事だった。
 「三井、何か飲み物いらないか?」
 「三井さん、腹減ってないですか?何か買ってきましょう。好きなものがあったら言ってください」
 一度に両端から問いかけられて、三井は、答えに困っていた。
 「え?い、いや、俺は・・・」
 「ミッチー!食い物に釣られんなよ!」
 口ごもっていると、後ろから、大声が飛んでくる。振り向くと桜木の隣で流川が小さく頷いている。
 「何だよ釣られるってのは・・・。俺はテメーらほど食い意地はってねぇぞ!」
 「まあまあ三井さん。とりあえずなんか買ってきますよ。何が良いですか?」
 「え?あ、俺・・・?」
 「仙道が使いっ走りしてくれるとはな。三井、ついでに飲み物も買ってきてもらおうか」
 牧が、財布から千円札を数枚出して飲み物とスナック菓子の類をオーダーする。
 「牧さんには聞いてないんだけどなぁ・・・」
 「ついでだろうが。それともいやなのか?どうやら口だけだったらしいぞ、三井」
 「判りましたよ。ご隠居様の頼みじゃ仕方ないな」
 仙道が渋々といった表情で立ち上がり、ふと、三井を見下ろし、にっこり笑って、話しかけた。
 「三井さん、ちょっと行って来ますね。牧さんのセコイ攻略には、はまっちゃだめですよ」
 「え?」
 「仙道!行くならっさっさと行け。でかい図体を人前で曝してるんじゃない」
 「わかりましたよ。じゃぁ、三井さん待っててくださいね」
 そう言うと屈んで三井の手を取り甲に口づけた。
 「仙道!」
 「センドー!」
 「にゃろっ!」
 驚いて固まった三井と、怒りで感情がいきなり沸点になった残りの3人を残して、飄々と仙道は、帝王のお使いに行ってしまった。
 「三井、手を洗いに行こう」
 「え?」
 「そのままでは、気持ち悪いんじゃないか?」
 そう言えばそうだ。男にキスされるのは確かに気持ちいいことではない。だが、三井は、この数日の出来事で、かなりこの件に関して、許容量が広がっていたのだろう。その点について、牧に指摘されるまで気が付かなかった。
 「センドーのヤロー。ゆるさねー」
 後ろで桜木と流川が熱く燃えていた。
 牧が三井の手を取り、行こうと促している。
 「あ、いや、牧、一人で行けるよ。大丈夫。ちょっと行って来るな。」
 「ミッチー。この天才がついていってやるぞ!」
 「いらねーよ!女じゃあるめーし。便所ぐれー一人で行けらぁ」
 牧を制して、後ろの桜木や流川にも付いてくるなと念を押して、三井は立ち上がった。
 さっきからいたたまれなかったのだ。陰険なやり取りをする、仙道と牧や、何かと突っかかるうるさい桜木と、騒ぎはしないが、怒りの波動を送ってくる流川の中に挟まれているのは。
 牧の提案を受けて、しばらく席を外して、気持ちを落ち着けたいと思った。
 このごろ、自分の許容量を超える出来事に遭遇しすぎだ。
 グレていた割に三井は、バスケットに関すること以外は、事なかれ主義である。何事も、穏やかに過ぎていくことが毎日の小さな希望だ。
 三井は、近頃降りかかっている、災難に戸惑っている。この数年、バスケができなかった辛い時期も、バスケのこと以外では、鉄男の懐の中にいたのであまり波風も立たなかったのだ。
 ふぅっと、溜息を吐いて、三井は、スタンドの階段を上り始めた。今日の帰りは、どういうことになるのか想像もつかない。
 くらい気持ちで階段を上っていて、三井は、何かに躓いて、転けた。
 「ってーっ」
 「三井?」
 「ミッチー?」
 牧が、席を確保していろと桜木達を制してすかさず駆け寄ってくる。
 「どうした?大丈夫か?怪我は?」
 転んだことで、恥ずかしさの頂点に達した三井は、ゆっくり起きあがろうとする。その三井を抱き起こして彼の膝や腕などを手に取り痛みを確認するように、牧が目で問いかける。
 「あ?いや、大丈夫だ。ちょっと手をすりむいただけだ」
 手のひらが少しだけひりついている。転んだとき手を突いて、階段の滑り止めに擦れたようだ。
 「良かった。怪我でもしたら大変だからな」
 「お、おう、サンキュ・・」
 猛烈に恥ずかしかった。周囲の視線が突き刺さってくる。ハーフタイムの格好の暇つぶしの的になってしまった。
 この場から立ち去りたかった。
 心のオアシスとまでは行かないが、この視線から逃れることのできる、トイレにいこう。三井はそう思って、立ち上がった。
 心配げな牧を振り切り、この視線の中から逃げ出そうとした。
 「ずいぶん過保護だな。牧」
 そこに、声がかけられた。
 「藤真?」
 声のする方を見て、牧が驚きの声を上げた。三井もつられて声の主を見る。
 つい数週間前、ようやく倒した前年度県準優勝高の主将藤真が、従者よろしく部員達を連れて座っていた。
 「さっきから、悪目立ちしてるぞ。湘北の連中が落ち着きがないのは判ってるが、お前や仙道まで何だ。陰険な漫才やってんじゃねぇよ」
 「見てたのか・・・」
 「見たくはなかったがな」
 「・・・」
 「で、いつまでそこで手を握りあって立ってるつもりなんだ?」
 指摘されて気が付いた。立ち上がった三井と片膝をついた牧は、まだ手を繋いでいたのだ。というより、三井が手を振り解こうとする直前に、藤真から声をかけられて、そっちの方向に意識が行ってしまい、自分の姿を失念していたようだ。
 我に返って、どちらともなく、手を離した。
 三井は、恥ずかしかった。転んだ上に、ぼぉっと突っ立って牧と手を繋いでいたのかと思うと、泣きたいくらいこの場から立ち去りたかった。
 「あ、あの、俺、ちょっと手洗ってくる」
 赤い顔して、三井は必死に言い訳して、その場を離れた。

 かっこわりーっ!なんでこんな事になったんだ。
 階段を今度は無事に上りきり、三井は、通路を小走りに抜けて、トイレに駆け込んだ。
 とにかく一人になりたかった。
 空いた個室に飛び込んでほっと一息つく。
 便座の蓋の上に、腰掛けて脱力した。
 ハーフタイムが終わるまでここでジッとしていよう。
 試合になれば、みんなも試合に夢中で目立たないだろう。
 後半開始まで後一〇分ほど。
三井は、膝に肘をつき顎を手のひらで支え時間をつぶす体勢に入った。

 一方、視線の中で取り残された牧は、藤真を見た。
 「足をかけたな」
 「何のことだ?」
 「いくら、湘北の連中が、落ち着きがないといっても、何もないところで転ぶなんて事は滅多にないはずだ」
 「じゃぁ、その滅多にないことが起こったんだろう」
 「最初はそう思ったが、お前が、この席にいたことで考えが変わった」
 「ほう?」
 「何の嫌がらせだ?」
 「心外だな。目の前で知人が転んで、それを、つながりなど何にも無さそうな別の知人が介抱してるから、不思議に思って声をかけただけで、犯人扱いとはな。」
 「信用しろというのか?」
 「ずいぶんな言い様だな」
 「もういい・・・。堂々巡りだ。俺は戻る事にする。邪魔したな」
 「待てよ。どういう組み合わせなんだ?今日の面子は」
 「想像に任せるよ」
 牧は、最後で、ポイントリードしたと感じて、満足して席に戻った。
 後ろの列では、桜木と流川がそっぽを向いて座っていた。
 仲がいいのか悪いのかよくわからんな。溜息をついて、牧は二人の前の席に座る。

 「あれ?三井さんは?」
 しばらくして、手に、缶ジュースやスナック菓子の袋を抱えた仙道が戻ってきた。
 「ミッチーは、便所だ」
 「しかし時間がかかっているな。混んでいるのか」
 「ミッチーは、個室が好きだからゆっくりしてんじゃねぇ?」
 「そうなのか?」
 「試合前は大抵いるぞ」
 「へぇ・・・何か想像つかないな。三井さんがトイレ好きなんて・・・」
 尾籠な話題に花が咲く内に、ハーフタイムが終わり、選手達がコートに出てきた。
 後半戦が始まると直ぐに三井が戻ってきた。
 「ミッチー。また個室で時間つぶしてたな」
 「るせーっ!黙って試合見やがれっ!」
 指摘されて首まで赤くしながら、三井が後ろにひそひそ声だが抗議を投げつけた。
 とりあえず試合に集中することにした一行だった。

 後半の白熱した試合が終わった。
 「おもしろかったなぁ」
 「あぁ、白熱したいい試合だったな」
 満足した一行は、人混みに揉まれて体育館を出た。
 「さて三井。これからどうする?」
 「そうだなぁ・・・」
 時間は、夜の七時半を少し回っていた。
 「夕飯一緒にどうだ?」
 「うーん、そうだなぁ」
 三井はちらりと後輩達を見た。明日は、静岡まで出かけるのだ。朝は、一〇時に学校に集合なので、それほど早くはないが、準備もあるしあまり遅くまでいられない。
 自分のことは何とでもなるが、二人の後輩がついてきてしまっているので、どうしようかと、考えた。
 最上級生である自分に責任があるはずだ。
 「あ、俺も一緒に混ぜてくださいね。これから、一人で食事は侘びしいから」
 「ふぬっ!俺も一緒に行くぞ!ミッチー」
 仙道のお願いに、桜木と流川が反応する。
 三井が、戸惑っているのを牧が察して問いかけてくる。
 「何か用があるのか?」
 「え?いや、明日から俺達静岡だろ?あんまりぶらぶらできねーなって、考えてただけだ」
 「そう言えばそうだったな。あまり時間がとれないか」
 「すまねぇ」
 「いや。でも飯くらいは良いだろう?そこのファミレスで腹ごなししないか?」
 確かに、空腹だ。
 「そうだな」
 一行は、手近なファミリーレストランに入った。
 店内は、さほど混んではいなかった。八人掛けの大テーブルが空いていたので、そこに座る。
 旺盛な食欲を満たすために、店員が、驚くような量のオーダーを済ます。
 「何だ、三井は小食なんだな」
 「テメー等が大食いなだけだ。俺は普通よりはよく食う方だぞ」
 「ミッチーもっと食べなきゃだめだぞ」
 「なっ・・・・。だからテメー等と比べるなって・・・・」
 抗議する三井の手を、流川が手に取り一言いった。
 「ガリガリ」
 流川の手を振り払い、真っ赤になって抗議する。
 「わ、悪かったなぁ!」
 「確かに、もう少し体重をつけた方がいいかもな。当たり負けするだろう?」
 牧が、まじめに三井の方を向いてそう言うので、三井は、真っ赤になった。
 確かに当たり負けする。インターハイ県予選の海南戦で、牧に吹っ飛ばされたことを思い出した。
 「う、ま、まぁな」
 今三井は、躰をつくっている最中だ。
 ブランクの後で、一般の高校生にしては、均整の取れた躰はしているが、確かにスポーツをしている躰ではない。
 無駄な贅肉をそぎ落として筋肉をつくっているところなのだ。
 たぶん体重は、バスケに戻る前より落ちているはずだ。
 食べても食べても、今は肉になっていないかもしれない。
 「今、胃袋でっかくしてる途中なんだよ。そのうち、テメー等にも当たり負けしねーよーになるさ」
 「それはそれで、何か寂しいなぁ」
 「へ?」
 「後ろから抱きついたときに、今の三井さんってちょうど良いんですよ抱き心地・・・」
 「な・・・んだと?」
 「確かに、肩を抱いたとき華奢に感じたが、あれに肉が付くとあんまり嬉しくないかもな」
 「テメー等・・・・」
 冗談じゃない。なんで男に抱き心地の評価をされなきゃならないんだと抗議の声を上げようとしたときに、オーダーした料理がやってきた。
 「さ、三井の頼んだのが来てるぞ、さめない内に食べる方がいいぞ」
 「おう、ミッチー、食おうぜ!」
 「う、うん・・・」
 怒りの矛先を外されて、拍子抜けした三井は、いわれるままにいただきますと手を合わせて料理に手を伸ばす。
 「三井さんって・・・」
 「?何だよ?」
 「いえ、別に・・・」
 「?」
 育ちの良さそうなところがまるまる出てますねと、いいそうになって、また、三井の逆鱗に触れるかもしれないと悟った仙道は、思いを飲み込んだ。
 食事をしている姿を見て、周りのみんながそう思ってしまったことを、当の本人、三井だけは気付かずにいた。

 食事を終えて、店を出る。時間は九時近くになっていた。
 一行は、駅までぶらぶらと歩いてきた。
 「三井、今日は、無理を言って済まなかったな。明日からの常誠との合宿がんばって来いよ」
 ホームで三井だけが逆の方向に帰るので、階段のところで牧が、別れの挨拶をした。
 「牧、今日は悪かったな・・・。その・・・」
 邪魔なお荷物が増えちまってと言い辛くて口ごもる。
 「気にするなって」
 牧が、肩をたたいた。そして、三井の耳元に口を近づけ、そっとささやく。
 「次は邪魔者なしでバスケでもしような」
 「おう!」
 『帝王とバスケ』に三井の心は浮き立ってしまった。
 「また電話するよ」
 「三井さーん。また遊んでくださいねー」
 「ミッチー、また明日な」
 「・・っす」
 それぞれの言葉に手を振って、三井はご機嫌で、ホームへの階段を駆け上がる。
 明日からの合宿の憂える問題を、この時点で小作りな三井の頭は、すっかり忘れ去っていた。
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