☆一体何なの?この展開
心配事も無事クリアして、短時間だがぐっすり眠って、心身ともにリフレッシュした三井が部活に顔を出したのは、その日の2時頃のことだった。
安西監督が、まだ姿を見せていないことに、部活を遅刻した後ろ暗さのある三井は、ほっと胸をなで下ろした。
「あれっ、三井もういいのか?」
めざとい木暮が、三井に気が付いて近寄ってくる。
「おう。心配かけちまったな。」
もう大丈夫と、木暮に笑いかける三井の背後に、湘北高校で一番態度のでかい一年坊主、桜木花道が抱きついた。
「ミッチー、遅刻かよ。ずいぶんと余裕じゃねぇか?」
「こっ、こらっ、抱きつくなよっ。くそあついだろーがっ。」
いやがってもがく三井に、桜木はよけいに体重をかける。最初のうんざりするランニングや柔軟が終わった頃に、見計らって出てきた様な三井にささやかな嫌がらせである。
いくら三井がもがいても、体重と体力にかなりの差のある二人では、如何ともしがたかった。
「ああっ、桜木、三井は今日は体調が良くないんだから、そんなに無理させちゃだめじゃないか。」
見かねた木暮が、中にはいってくれて、やっと三井は赤毛の子泣き爺の恐怖から解放された。
「なんだ?ミッチーは調子悪いのか?」
意外そうに三井の顔をのぞき込む桜木に、木暮は、今日の午前中に三井が教室で倒れたことを話す。
「だから三井は、今日は、馴らしくらいでいかなきゃだめなんだよ。あまり無茶なことはしないでくれよ。」
木暮のこの説明で、三井は、もうあまり練習ができそうにないと、そっと溜息を付いた。
せっかく体も、朝から無茶して走っていた分は少し重めだが、保健室で休んだことで結構好調だと思って張り切ってきたのに、これでは、周りに監視がついて思うように体が動かせない。
今日はとりあえず流して、明日はがんばろうと心に誓う。
「そうかミッチー疑って悪かったな。」
単純な桜木が、素直に謝るのに、気にするなと答えて、体をほぐし始める。
何となく、周りの連中がこちらを見ないようにしながらも見ているのに気が付いて、どうも気になって集中できない。
赤木が、練習の再開を告げて、全員の注意がそれたことで、ようやく安心して体を動かすことができた。
『やれやれ、やっと落ち着いた。全くうちの連中ってば心配性なんだから。お嬢様じゃないんだから、そこまで気を使わなくたっていいだろうが。』
実際は、わがままなお嬢様そのものの三井だったが、そんなことは、露ほども気が付いていなかった。
ぶつぶつ言いながら柔軟をしていると、叫び声が上がった。
「三井っ!」
呼ばれた方を振り向くと目の前にバスケットボールがあった。ボールの取り合いをしていた、流川と桜木がボールをコート外にはじき出し、その軌道上に三井の頭があったらしい。
ボールは、三井の顔面を直撃してコートに落ちた。
「三井っ。」
「三井サンっ」
「ミッチーっ」
口々に名を呼んで駆け寄る部員の前で、三井の意識は途切れていった。
「頭打ったかな。どうしよう。」
おろおろと木暮が、赤木を見る。
「いや、今の様子だと頭からは落ちていないから、大丈夫だとは思うが。」
念のために動かさずに、校医の先生を呼ぶように指示を出し、赤木は三井の腕を取り脈を取る。呼吸も脈も安定しているようなので、安心の吐息をはく。
校医が駆けつけ、様子を見て軽い脳震盪だろうとのことで、このまま気が付くまで安静にしておけば大丈夫との診察が出て、一同は胸を撫でおろした。
三井の世話を、マネージャーのアヤ子に任せて、赤木は、再び練習を再開するとの号令を出す。
皆が、コートに戻り始めても、桜木と流川が動こうとしていないのに、アヤ子が気付いた。
「どうしたの、流川?桜木花道?」
「アヤ子さん、ミッチー大丈夫かな。今日調子悪かっただろ。」
桜木が心配そうに、三井の横顔を見て言う。
今の三井は、性格の悪そうな目が開いていない分、整った顔が際立ち、普段より数倍頼りなげに見えていた。
「大丈夫よ。軽い脳震盪なんだから。安静にしてればすぐに気が付くわよ。」
さっさと練習に行きなさいと、ふたりを促す。
「しかし、ミッチーってこんな顔してたっけ。」
動こうとせずに桜木が呟く。
「そうねー。こうやってみると三井先輩ってレベル高かったのねぇ。口の悪さと態度の横柄さがなきゃ、結構もてるんじゃないかしら。口元の傷がもったいないわねぇ。」
アヤ子の分析に、一年コンビが珍しく二人そろって頷いている。
「さぁ、二人とも、先輩に見とれてないで、さっさと練習に行った行った。」
「あっ、アヤ子さんっ!別に見とれてなんかいないぞっ。ただ、ミッチーが心配でだなぁっ!」
桜木が、真っ赤になって抗議している横で、流川も幾分焦った様子で首を振っている。
アヤ子がその様子に、何か引っかかるものを感じたが、それは、突然の大声で中断されることになった。
「くぅぉらーっ、そこのふたりっ。いつまでも何さぼっとるかぁーっ。」
とうとう赤木の雷が落ちて、アヤ子にせかされた二人はコートに戻っていった。
☆おいおい、マジかよ?
額にひんやりしたものが乗せられたのを感じて、三井は目を覚ました。
「あっ、三井先輩気が付きました?」
マネージャーのアヤ子がのぞき込んでいるのに気が付いて、三井は起きあがった。
『確か、柔軟やってて・・・それからどうしたんだ?』
答えがほしくて、マネージャーを見る。
その様子があまりに頼りなくて、これはかなり凶悪だと思いながら、顔面にボールを受けて脳震盪を起こしたこと、今日はできれば安静にした方がいいこと、気になるようなら明日診察を受けた方がいいとのことを、説明した。
「できれば早引けした方がいいと思うんですが、誰か付いていた方が安心だし、今日は、ここで見学されて、誰かに送ってもらいましょう。」
今の表情を、さっきの1年コンビに見せたら、どんな反応をするだろうかと思いながら、アヤ子はてきぱきと説明をしていく。
一方三井は、ようやく実情を理解したのか、表情を普段のものに戻していった。
子供じゃないんだから一人で帰れる、と言おうとして、朝の電車での出来事が思い出された。くらくらする頭で、またあいつ等に会ったら、もう逃げられない。少し消極的になって、マネージャーの意見を採り入れようとした。実際には、三井の家の方角に帰るものは、誰もいないので、待っている分は骨折り損になるのだが、この時点で三井は、それに思い当たることはなかった。
「あぁ、そうだなあ。途中まででも連れがいた方が安心だよな。」
とりあえず、今日は見学と言うことで、三井は体勢を整えた。
やっと、その日の練習が終わり、連れだって帰る内に、駅に着いた。
そのころになって、ようやく三井にも車内では、連れがいないことに気が付いたが、もう後の祭りだった。
ホームで、ほかの連中と別れて、気の進まないまま、電車を待つ。
ふと、背中に視線を感じて振り返ると、そこには、自転車通学のはずの流川が立っていた。
「なんだ?流川。どうしたんだ?」
問いかけたところで、ホームに電車が入ってくる。電車に乗って、後ろを見ると流川も乗り込んできていた。
「おい、流川。電車出ちまうぞ。」
慌てて、注意を促すが、流川は平然と答えた。
「送ってく。」
「はぁっ?」
「今日のボール、俺の投げたやつが当たったから。責任持って送る。」
「おいっ。俺の家は遠いぞ。遅くなったら家の人が心配するだろう?」
まさか、一年生に、家まで送ってもらうわけにもいかず、三井は、翻意を促す。
「今日は、家は誰もいねぇ。法事でみんな出かけて留守。だから送る。」
「流川〜っ」
言い出したら、意地をはり通す流川の性格を思い出して、こりゃ無理かと諦める。何はともあれ、車内に連れができたことが有り難かった。
「しかたねーな。また、遅い電車で帰すわけにもいかねーし、飯もまだだろ。今日は家で泊まれ。」
グレていたときなら、まだ宵の口だが、暇があったら寝ている流川にとっては、三井を送って折り返させるのが酷に思えて(帰りの車内で寝こけて何往復もしそうで)、こんな提案をしてしまった。
流川は、最初きょとんとしていたが、内容を理解したらしく、こっくりと頷いた。
『三井先輩の家で泊まる』
なんとなく、流川の機嫌が急に良くなった様な気がして、三井は、黙り込む。
『今日の流川、何か変だよな。』
初めて見た三井の寝顔が気になって仕方ないということに、流川自身気付いていなかったが、今日一日、三井が視界に入る度に寝顔がちらついて、やりにくかったのは自覚している。それで、バスケに集中できなくて不快なのではなく、なんとなく嬉しい気がするのが不思議だった。
『三井先輩の家で泊まる』
心の中で、何度も繰り返して、また三井の寝顔がみれるかもと、流川はご機嫌だった。
三井の家のある駅について、二人は電車を降りた。駅で、三井が家に後輩を連れ帰ると連絡を入れて、家路を急ぐ。
三井の家は、小高い新興の住宅地にあった。
周囲の家の数軒分よりも大きな区画を使った、かなり広大な敷地を持つ屋敷が、三井の家だった。
「でけぇ」
流川が感心したように呟くのを見て、一族の中では小さな家で、コンプレックスを持っていたが、三井は、少しうれしかった。
「それほどでもねえよ。」
中へ流川を促して、客間に通す。
夕食のシチューを食べて、一息付いた時、電話が鳴った。三井の母から内線で子機に、回線が回された。
「牧さんとおっしゃる方よ。」
「牧ぃ?」
すっかり忘れていたが、そういえば牧に連絡すると言われていたのだ。まさか、その日の内にかかってくるとは、思っても見なかった三井は、慌てて通話ボタンを押した。
『三井か?夜遅くすまんな。』
「いや、どうしたんだ?何か急用でも?」
『急用ではないんだが、今度の日曜空いてないか?』
「日曜?確か部活が昼まであるけど。」
『じゃあ夕方は空いてるな。実は、実業団の試合があるんだが行かないか?』
実業団の強豪同士の、対戦試合の内容を告げる。バスケをやっている者ならチャンスがあれば見たいカードのはずだ。
「えっ?うそ?マジ?」
目先の餌に三井が食いついたのが、牧には手に取るように判った。
『ああ。知り合いが、チケットをくれたんでな、ちょうど今日話していたところだし、三井と行こうかなと思ったんだが。行けるか?』
少し、遠慮がちなニュアンスを込めて牧は、答えを促す。
「行くっ!何があっても行く!」
『じゃあ決まりだな。日曜の午後4時に○○駅の前でいいか?』
牧は、わかりやすい駅の目印を教えて、待ち合わせの場所を告げる。
三井は、間違わないように、復唱しながら、メモを取っていた。
三井の後ろで、放って置かれた形になった流川は、漏れ聞く話の内容を分析する。
『牧って、海南の牧?日曜に二人で待ち合わせしてどこに行くんだろう?』
後で聞いてみようと心にメモをする。
『今度の日曜の午後4時、○○駅前の東出口の改札前。』
「ああ、じゃあな。今度の日曜。うん。じゃあ。」
お休みと、挨拶を交わして、通話を終わった三井は、滅多にみれない試合のことで、うきうきしていた。その時点まで、流川がいたことは、念頭になかった。
「海南の牧さんと、友達っすか?」
ぼそりと呟く、流川の声に、三井は固まってしまった。その様子に、相手がやはり海南の帝王だと流川は知った。
『流川がいたんだ。』
三井は、客間で電話をとってしまったことを後悔した。
『聞き流しては…くれないだろうな』
流川に気づかれないよう、溜息をつく。今日はどうもついてない
☆目を覚ませ流川!
「海南との試合の時は、そんな風に見えなかった。」
流川は鋭いところを付いてくる。
いくら何でも、今日初めてまともに話しましたとは、いえない。三井は、最近知り合ったと答えただけだった。
「でも日曜の午後の自主練さぼって会うほどの仲。」
疑わしそうな、流川の目から逃れるために、三井は、布団の準備をしておいてやるから、風呂に入れと、流川を浴室にせき立てた。
着替えを出してやって、布団を広げる間も、自主練をフケる言い訳を考えねばと思っては、流川にバレていたことを思い出す。
『ま、どうにかなるだろう。』
流川に口止めさえすればいいだけだから、うまく丸め込もうと、心に誓う。
風呂から上がった流川に、冷たいコーラを出してやり、自分も風呂に入る。
流川に、口止めするために客間に入ったが、やはり流川は、布団には入ってないが、畳の上で寝ていた。
寝起きの悪い流川を、起こすのがいやで、とりあえず小声で呼びかけてみた。
「流川、寝たのか?」
その声に、ぱっちりと目を開けた流川に驚いて、三井は、腰が引けそうになる。
「あ、あのな、流川。」
日曜に、牧と会うことを、黙っていてほしいと、切り出した。特に、桜木に知られては後々うるさいからと、付け加える。
「今度、何でも奢ってやるから。なっ。」
条件をきり出した三井を、流川はじっと見た。
「先輩ん家は、金持ちみたいだから、あまり痛くはないっすね。」
ぽそりと流川が、誠意がこもってないと言う口振りで話したのに、三井は、カッとした。
「あぁっ?じゃあどうすりゃいいんだ?頭でも下げればいいのか?」
どうして欲しいか言って見ろと、いわれて、流川は、ちょっと考える。
目の前の三井と、昼間の三井がダブる。
『もう一度見たいかも』
流川は、そこに座って、目を閉じて欲しいと、要求した。
三井は、殴られるのかと思って、びびったが、何でも言って見ろと行った手前、後には引けずに、言うとおりに目を閉じて座った。
目を閉じていても、意識がある分、昼間のような、頼りなさは姿を消していたが、やはりこうやっておとなしくしてる方が、ずっとかわいいのにもったいないと、流川は思った。
そっと、顔に指で触れてみる。思ってたより滑らかだった。残念なことに、昼間にぶつけられた、ボールのせいで、右目のあたりが赤黒くなっていた。何日か痣が残るなと、流川は思った。
三井は、いよいよ殴られると思って、体をこわばらせた。その時、食いしばった唇に何かがふれた。
『この感触は、もしかして・・・』
まさかと思ったが、おそるおそる目を開けると、目の前に流川のアップがあった。
三井は、慌てて、流川から体を離そうと、もがいたが、がっしりと抱きかかえられて、身動きがとれない。いいように、流川にキスを許してしまっていた。
『ひーっ!うそだろっ。何で流川が俺にキスするんだっ?』
かなり長い間抵抗してもがいていたが、やはり、体力の無いのは、三井の方だった。疲れ切ってぐったりした三井に気付いて、流川がようやく体を離した。
「な、なにしやがるっ。」
息も絶え絶えに、三井が抗議すると、流川は、しれっとして答えた。
「交換条件。」
「ばっ、な、何で交換条件が、キ・・・、そ、それなんだよっ。」
キスと口に出すのも情けなくて、三井は、喚いた。もう、さっきから涙目状態である。
『かわいい。』
流川は、そんな三井を見て満足気だったが、何故キスをしたのかと、遠回しに聞かれて、ちょっと考えた。そして答えた。
「したかったから。」
「!」
三井は、絶句してしまった。話にならない。会話が通じない。キスは初めてというわけではないが、三井には、やはり、ステップとしては、告白して、お付き合いをはじめて、手をつないで、デートして、お互いの合意の上で、はじめておこなうものという認識があった。
目の前の後輩に(しかも男の)、キスをされてしまうというショックから立ち直れず、とりあえず、流川の前から消えようと無意識に考えた。
「俺、もう寝るから。明日は医者に行くから、お前は、部活まで寝てろ。お袋に言っとくから。」
連絡事項を、とりあえず言って、お休みと挨拶して客間を出ようとした。
その時、流川に腕を捕まれてしまった。
続きがあるのかと、びくついた目を流川に向けると、落ち着き払った後輩は、こう言った。
「医者についてくから。」
「へっ?」
「やっぱり心配。」
「い、いや、いいよ。大丈夫だって。念のためだけだし。」
「置いて行ったら日曜のことバラす。」
「流川〜っ!」
「バラされたくなかったら、朝起こして。」
「お前さっきのっ・・・。」
「あれはあれ、これはこれ。」
弱みを持ってるのは三井なんだから、ばらされたくなかったら、言うことを聞くのが筋と言わんばかりの流川の強引さに、後ろ暗いことのある三井は、従うしかなかった。
日曜まで、流川の要求がこれ以上増えないことを祈りながら、三井は、約束をした。
「じ、じゃあ、な、明日の朝。起こすから。お休み。」
やっと解放されたと思って、三井は、客間を後にしようするが、流川は、掴んだ手を離そうとしない。
「な、なんだよ。まだあんのか?」
いい加減にしてくれと、涙目で訴えながら、流川に尋ねる。
「ここで寝たら?」
「はっ?」
「夜中、苦しくなるかも。心配。」
寝付いたら、何があっても起きないくせに、何言いやがる、とは思ったが、弱みを握られているだけに言い返せない三井が、不安げに流川を見ると、布団の横を空けてぽんぽんと叩く。
「何もしないから。寝るだけ。」
スケベな親父がうぶい小娘をたぶらかすよーな台詞言ってんじゃねえ。と内心毒づきながらも、部屋の照明を落として渋々流川の横に入った。寝入ったら逃げ出してやると考えながらも、おとなしくしたほうが無難と判断した。
枕元の明かりを消して、寝るぞと声を掛ける。
すると、横から流川の腕が伸びてきて、がっしり抱きしめられた。
「こ、こら、流川っ!暑いだろっ離れろよっ。」
「朝までこのまま。」
耳元でぼそりとささやかれ、三井はやけくそな気分になった。これ以上何か仕掛けようもんなら、殴ってでも抵抗してやると、息を潜めていたが、すぐに寝息が聞こえてきたので、ほっと力を抜いた。
少なくとも朝までは、無事のようだ。
腕から抜け出そうとしたが、無理のようなので諦めた。
三井も、いろいろありすぎた一日に、かなり疲れていたらしく、程なくしてうとうととし始めた。
ようやく、長い三井の一日が終わろうとしていた。