1.ことの起こり
「はぁっ?」
三井は、咄嗟に聞き返していた。
相手の口にした言葉は、聞き取ることができたが、その言葉の意味することが、自分とどう関係あるのかが、理解できなかったのだ。
「ハネムーンに行こう」
聞き返された牧は、もう一度、同じセリフを口にした。
「牧、それマジで言ってんのか?」
平然とした牧の様子に、少なからずビビリながら、三井は、再び問い掛ける。
「至って本気だ。ハネムーンと言っても、二人が、結婚式を挙げることは今の日本では、少し困難だろう?だからせめて、ゆっくり二人きりの旅行をしたいと思ったんだが。」
牧と三井は、いわゆる、恋人という関係にあった。ただし、互いに高校3年生の男子学生である点が、世の中のカップルと少々(?)異なっていた。
海南大学付属高校バスケット部主将の牧紳一と、県立湘北高校のバスケット部員の三井寿が、周りの邪魔にあいながら、やっと、この関係に落ち着いたのは、彼らがバスケ部から引退したつい数週間前のことだ。偶然、と三井は思っているが、牧にとっては必然的に、二人の進路が同じ大学に決まり、近づく春には、東京都内で同居生活が待っていた。
大学1年生となってしまっては、新たに、部活も始まり、きっとゆっくり旅行になど行くことはできないと、牧は思い、卒業から入学までの数週間を使って、二人で旅をしようと考えたのだ。
嫌か?と問いかけながら、牧は三井の顔を見る。
「うっ・・・そ、それは・・・・」
嫌かと問いかけられて、嫌と簡単に答えられたら、苦労はしない。ただ、三井は、急なことについていけなかっただけだ。二人の旅行については、賛成こそすれ、反対することはなかった。
「どうなんだ?」
「い、いやじゃねぇけど・・・・いったいどこに行くんだ?」
牧は、徐に、国内・国外の旅行パンフレットをこれでもかと広げ、三井に好きなものを選べと促す。三井は、仕方なく、ぱらぱらと、カラー刷りのパンフレットを、あれこれと物色し始める。
「あぁ、ラクダだぁ。月の砂漠みてぇだよなこれ」
中近東のツアーパンフレットをめくっていて、夜の砂漠に駱駝が佇むカット写真を見た三井が、珍しそうに言った。
「駱駝が好きなのか?」
「い、いや、そう言うわけじゃねーけどよ、なんかこーいうのもいいかなーって思っただけだよ」
「いくか?そこに?」
「えっ?」
三井は、手にしたツアーパンフをもう一度見た。『エジプトゆったり11日間・ナイル川クルーズ』。結構高いツアー代金だった。
「けっこういい宿を使っているようだし、セキュリティー面では安心だな」
「けど、高けーよな」
「大丈夫。ある程度は、出世払いで借りられるだろう」
「でも、家の親がなんつーか・・・・」
過保護で有名な自分の親が、こんな旅行を許すだろうかと、三井は不安になった。
「三井のご両親にも了解は取ってあるぞ」
「何時っ?」
「先日、下宿の同居の挨拶に行ったときにな。三井は、結構海外経験あるから、あまり行ったこと無いところにしてやってくれと言われたぞ」
「う、うそ・・・っ」
一体いつのまにそんな話をしていたんだと、三井は頭を抱えたくなった。三井の海外経験は、小学校在学中は、確かにあったが、それは、親につれられての家族旅行だった。自分で、計画して、申し込んでなどという旅行などしたことがない。そのうえ、言葉なんてまるでしゃべれない。イエスかノーかと言う単語は知っていても、相手の言ってる質問の意味が分からないのだから、答えようがないのだ。
そのうえ、牧は、一体どう言って両親を説得したのか不安で仕方がない。まさか、そういう関係だとは、言ってはいないだろうが・・・。
「どうする、三井。そこにするか?せっかくなら、あんまり行けそうもないところにいっといたほうがいいんじゃないか?」
「う、うん、そうかも・・・」
「よし、決まったな。早速申し込むか」
こうして、あっさりと、二人の旅行は、決まったのであった。
2.到着
「まだかぁ?」
これで何度目かの同じ問いを、誰にともなく三井はこぼした。
エジプト航空の東京〜カイロ直行便の機内である。
結局、見ていたパンフのエジプト11日間の旅に決めた二人は、成田からツアーに参加した。ツアーは、比較的女性の多いツアーで、二人のような若い男のグループはなかった。やはり、男の子は、バックパッカーが多いのかもしれない。
成田を日本時間の夕刻にたってから、2度の食事を挟んで、約6時間後、マニラに一旦立ち寄る。約1時間の給油などがあって、そこからまた約4時間かけて、1度の軽食を含み、バンコクに向かう。その間、トイレに立つ以外は、ひたすら、シートに着席したままである。航空機のエコノミーシートなど、ふつうは、女性でも窮屈に感じるのだが、人並み以上に身長のある、三井や牧は、この10時間近くを、苦行に費やしていた。三井の口から、ひたすら泣き言が漏れる。海外経験のある三井が、長時間飛行機に乗っていたのは、ほぼ小学生の頃までで、こんなに育った後に、このシートに座ったことがなかったのだ。
「後少しで、バンコクだ。そこでは、一旦外にでられる。それまで、もう少し辛抱してくれ」
牧も、少し後悔していた。なぜ、せめて、Cクラスのシートで申し込まなかったんだろうと。とにかく今は、我慢だ。そうこうするうちに、バンコクに到着するという機内放送が入る。
ここでやっと、機外に出ることができた。トランジットで、免税店の辺りをうろうろする。真夜中の空港は、何となく寂しいものだ。
三井が、トイレに駆け込んだ。結構デリケートな彼は、どうも、機内の狭いトイレになじめずに、この10時間ほど、苦しい思いをしていたのだ。個室に駆け込んで、はっとする。どうやら、詰まっているようだ。バンコクの空港では、ペーパーは、流せないのに、誰かが知らずに流したようだ。
『誰だっ。俺の邪魔をする奴はっ!ちゃんと紙は、ボックスに捨てやがれっ!』
泣きたい気持ちで、三井は、他の個室に駆け込む。ここでは、無事だったようで、事なきを得た。
トイレから出てきたら、牧が、待っていた。
「どうした三井?具合でも悪いのか?」
心配げに三井の顔をのぞき込む。
「い、いや、そーゆーんじゃねぇ。せっかく、広いトイレに行けるチャンスなんだからと思って入っただけだ。」
心配性すぎると、思ったが、三井は、あえて口にはしなかった。言ったってどうせ、牧に、言いくるめられるだけだろうから。これでも、ちゃんと学習能力があるのだから、何度も同じ過ちはしないんだと、三井自身は思う。
「それならいいんだが。そろそろ、飛行機に戻るか?また手荷物のチェックがあるらしいからな」
「なんだぁ?またやんのか?成田でもやったのに?」
まぁまぁと、牧がなだめながら二人は、搭乗ゲートに向かう。
エジプト航空は、手荷物チェックが厳しい。成田では、通常のX線チェックの他に、機内持ち込みの手荷物の中身を1つづつ鞄を開けられてチェックされるのだ。三井は、かなりの本数のミネラルウォーターや菓子類を鞄につっこんでいたので、1つづつ中から出されて並べられたのを周りの人に見られて恥ずかしかった事を、まだ根に持っているようだ。
バンコクでの手荷物チェックは、X線を、再び通すだけですんだが、かなり、時間が掛かって、余裕を見てやってきたたつもりが、結構ぎりぎりの時間になっていた。
「さて、後約7時間だ。向こうに着いたら、夜明けらしいから一応眠った方がいいぞ」
「おぅ、そういや、うとうとした頃に食事で、結局寝てねぇよな。どーりで眠いと思った。いま日本じゃ真夜中だもんな」
ふあぁっとのびをして、三井は眠る体制を整える。牧も、少しは、眠ろうと毛布を肩までかけた。毛布の下から、そっと手を、三井の手にのばし、そっと握る。
「な、馬鹿ヤロ・・・」
照れたように、三井は牧をにらんだが、振り解くことはせず、そっと握り返した。なんだかんだ言っても、二人は、ラブラブカップルだったのだ。
数時間うとうとした頃、最後の機内食が配られて、嫌々眠りから起こされた。
「あぁ、後1時間ちょっとかぁ。長かったよなぁ」
もぐもぐと、パンを口に含みながら、三井は、牧に同意を求める。確かに途中2度の補給を含めて、約19時間は長い。身体は寝不足で少し重いし、あまり動いていないのに配られる食事はこってりしていて、胃にもたれている。短気で、我慢という言葉を知らぬ気な普段の三井からしたら、画期的なことだった。
「そうだな、よく我慢したな、三井」
「ばっか・・・子供じゃねーんだぞ。そのくらいは、俺だって我慢できらぁ」
ぷぅっと頬を膨らますその様子に、どこが子供じゃないんだと思いながらも、牧は、うんうんと、満足げに頷いてやった。
三井は、一応誉められた形に満足して機嫌を直す。
そうこうしている内に、機内のモニターは、現在位置が紅海を越え、ほぼカイロ上空まで近づき、高度もだんだん下がっているようだった。(エジプト航空の機内のモニターは、映画をやる以外は、地図上に飛行機マークで現在位置を表し、最寄りの都市の名前と、現在の高度と機外温度を表示した画面がひたすら、映っているのだ)
「ピラミッドは、見えねーのかなぁ」
「まだ、夜明け前だし無理じゃないか?」
ようやく着陸したカイロ空港は、どこまでが滑走路で、どこまでが砂地なのかよくわからない程、砂色の地面が、広がっていた。タラップを降りて、伸びをする。空の端が少し明るくなってはいるが、まだ気配は夜だ。風が少し強く、南の国だが肌寒い。到着ゲートまで、バスに乗って行く。ゲートの外で、バスを降りる。カイロエアポートの文字と現地時間の時計があり、朝の5時を少しすぎていた。周りでは、いきなり記念撮影会が始まっている。確かに19時間の後では、少し自棄になって写真を撮りたくなるかもしれないなと、牧は思った。しかし、そのほとんどが、日本人と言うところが笑える。
「牧!」
気が付くと、三井がカイロエアポートの文字の前で立っている。三井も記念撮影をするつもりのようだ。牧は、バックから、カメラを取り出すと、得意そうに立っている三井を写した。
3.ピラミッドと、スフィンクス
空港から、ホテルに向かうバスに乗ったのは、夜が明けて朝の景色に変わった6時少し前になっていた。入国の手続きなどに結構手間取ったのだ。
現地のツアー会社の担当と、その会社から派遣されているスルーガイドを、乗せたバスが、その日から2泊するカイロ郊外のギザ地区のメナハウス・オベロイに到着したのは、6時30分頃のことだった。部屋もまだ割り当てられておらず、とりあえず、着替えなどをするために男女用に各1部屋用意された。女性が多いツアーなので、牧たちは、比較的ゆっくりと、着替えをすることができたが、きっと、十四〜五人いる女性たちは、この部屋に、きゅうきゅうづめだろう。
「牧!こっちに来いよ!」
洗顔を済まして、少しすっきりした牧が、バスルームから戻れば、三井が、ベランダへ出るドアの向こうから牧を呼んでいた。
声に呼ばれて、牧がベランダに出ると目の前に広がる、ホテルの中庭の向こうに、ピラミッドが2つ見えた。
「ピラミッドだぜぇ。部屋から見えるんだよなぁ。すっげーよなぁ。でも、俺、もっとでっかいと思ってたよ」
「さすがに、ピラミッドに一番近いホテルだな。でも、もしかしたら、ここからでも遠いんじゃないか?」
牧が、斜面がはっきり見えないことに気づいて、かなりの距離があるのではと疑問を口にしたが、聞いてる風もなく三井はベランダの角で牧を呼んだ。
「こっからの写真もとっとこうぜ。牧」
どうやら、三井は、写真に写るのが好きなようだ。きっとミーハーな旅になるだろう事を、予感して牧は、溜息を心の中で吐いた。だが、所詮、三井に甘い牧のこと、そそくさと、部屋にカメラを取りに戻り、三井の要望に応えてやる。ついでに同じツアーの男性に、二人のスナップを撮ってもらう。牧は、この調子で、何枚写真をとることになるか、想像しただけでくらくらした。
集合までの間に、ホテル内の銀行で、US$のチェックを両替する。何でも24時間営業らしい。しかし、業務風景は至極のんびりで、急ぎの場合は困りものだろう。
8時30分頃ホテルのロビーに集合して、チャーターバスに乗ってピラミッド見学に向かう。ピラミッドは、ホテルから、車ですぐの高台にあり、一番近いのが、有名なクフ王の第一ピラミッド、次が、カフラー王の第二、そして一番遠くにメンカウラー王の第三ピラミッドがある。ホテルから見えていたのは、クフ王とカフラー王のものだった。
バスの駐車場を降りて、強い風で砂が舞う中、目の前の壁のようなものを見上げる。
「でけぇ・・・」
三井は、呆然と第一ピラミッドを見つめている。ガイドの説明を聞きながらも、心はここにあらずと言った風情で、ただ、ひたすらピラミッドを見つめる三井に、牧は、愛しさが溢れてしまう。照れ隠しに、カメラを構え、ピラミッドを撮ろうとしたが、五〇M位離れたこの位置では、持ってきたカメラの広角に収まりきらない。あきらめて、入り口をズームで撮ろうとする。第一ピラミッドの入り口は現在二つ。建てられたときの入り口と、後世に盗掘されたときの穴がそうだ。正規の入り口は、大きな石が左右から倒されていて、ぴったり合わさっているため、開けられていない。中に入るためには、盗掘穴を使用している。ガイドにつれられてその入り口に向かう。地上から四・五M高い入り口の位置まで、階段が作られている。入り口の周りに本当のピラミッドの積み石が見える。一M以上の高さがある石が積み重なっているのだ。
「すっげーよな、どーやってこんな石運んだんだろーな」
誰に問うともなく、三井は、驚きを口にする。
「そうだな、いろいろ説はあるが、どれにしても、とてつもない人力が費やされたんだろうな・・・」
牧も、旅行にくる前にいろいろ下調べしたが、実際にその前に来てしまえば、そんなことは、どうでも良くなってしまう。とにかく、でかいのだ。
『これを作った時代に生まれなくて良かったかも』と牧は思った。
順番に並んでピラミッドの中に入る。入り口は、そう狭くない。少し頭をかがめるくらいで入れた。進んでいくと盗掘穴の先が、正規のピラミッドの上昇通路にぶつかる。
「う、うそっ・・・」
狭いのだ。人一人で、余裕があってちょうどぐらいの横幅はまだ許せるが、問題は、通路の高さだった。1M3、40位の高さしかない。小柄な女性でもかなり腰をかがめた中腰で、30度ぐらいの急な傾斜の通路を昇るのは苦しいようだった。まして、1M80を越える牧と三井には泣きたいくらいきつい通路だった。40Mほどそれが続く。
『もうやだ・・・』
三井が切れそうになった頃、やっと、上昇通路は、終わりを告げ8M位天井の高さがある大回廊に着いた。
「ひーっ、きつかったよなぁ。足が笑っちまったぜ。あと10M続いてたら、俺泣いてたかも・・・」
息が、あがってしまった様子で、三井が後ろの牧を見た。
「あぁ、とにかく前進するしかなかったからな。戻るのも結局中腰なんだからどうしようもなかったしな」
「う、そ、そーか、帰りもまたあそこ通るのか・・・・」
三井は、そのことに思い当たって、がっくりした。
「ま、きっと昇るよりは楽だろう」
途中ですれ違った降りてくる人は、そんなに堪えていなかったのを牧は、思い出したからだ。
「ほんとかよ」
半信半疑で、三井は牧の方を見た。
そうこうする内に大回廊は終わり、王の間の入り口に着くこの入り口も高さが低く、かなり膝をかがめてはいる。
「うわーっ、蒸し暑ちーっ!」
いきなりサウナのような湿気におそわれて、三井は小さく悲鳴を上げた。王の間は、なぜか、異様な湿気があり、暑い。確かにたくさんの人がいることもその一因なのだろうが、換気扇が回っていても全然きいていない。ガイドの話を聞きながらも、じっとりとまとわりつく空気に、牧は閉口する。王の間は、入り口と反対側に、花崗岩でできた石棺があるだけなのだが、ここに財宝が詰まっていた時のことを思うとそれなりにわくわくする。だが、三井はお構いなしに、石棺のそばから牧に写真を写せと言う。ピラミッド内部はフラッシュさえ焚かなければ撮影OKである。だが、フラッシュなしではほとんど映らないと思うくらい薄暗い。牧は、この日のために用意した絞りの小さいレンズに付け替えて、三井を撮ってやった。それでも、かなりシャッター速度を落としているため、手ぶれが不安ではあった。三井が、代わりにとってくれると言うが、あまり期待しないで被写体になる。
「あとで、さっきの狭めー通路もとっといてくれよな」
「どうするんだ?」
「他の奴らに言ったってぜってー信用しねーだろうから、証拠写真にする」
「・・・わかった」
確かに、三井や自分の両親に報告するときに、証拠写真としてつけておけば、説明も楽だろうと、思う。
ガイドの話が終わり、あとは、30分ほど自由時間となった。二人は、とりあえず、王の間の真下にある、女王の間と呼ばれる部屋を見学してから、外の石と一緒に写真を撮ろうと決めた。大回廊を下り、女王の間に入る。そこでは、何だか妖しい雰囲気が漂っていた。王の間の半分くらいの室内に、男女四、五人が車座になって座り込んでいる。瞑想しているような雰囲気だが、なにやら、発声をしている。それが室内に妖しく反響していて、三井は、驚いて目をぱちくりしている。牧も、何をやっているのか解らなくて、ただ、その様子を眺めているだけだった。とりあえず、邪魔にならないように周囲を回って、大きな横穴のところで写真を撮って、部屋を出た。
「何だったんだろうないまの・・・」
「さぁ、ピラミッドパワーの研究か、新手の宗教か、あと、前衛音楽の実験という事も考えられるな」
話して歩く内に問題の上昇通路に着く。とりあえず、昇ってくる人に道を譲り、通路が空いたので下り始める。初めは、身体を折り曲げて下っていたが、登りより、足にくるので、参った。ふと後ろを見ると、他のツアー客が、身体を斜めにして足から降りているのが見えた。牧が、それをまねてみると、かなり身体が楽なのに気が付いた。
「三井、こうやって降りてみろ。かなり楽だぞ」
「え?・・・あ、ほんとだ。よかった。このままだと足が笑っちまうとこだった」
途中、登りの人に道を譲りながら、ゆっくり下っていく。ようやく、盗掘用の通路に出た。あとは、まっすぐに外に出るだけだ。とりあえず、今来た上昇通路を写真に撮っておく。外に出て、大きく背伸びをする。
「ひやーっ、狭かったぁ。こんなにでかいピラミッドの中が、あんなに狭いなんて思わなかったよ」
「ほとんど、石でできてるんだな」
そういって、二人は、ピラミッドの石と一緒に写真を撮った。人間と対比させれば、その石の大きさがわかるだろうと考えたのだ。
「あっ、ラクダだっ」
三井が、離れたところで客引きをしている駱駝屋を見つけた。
「乗りたいのか?」
「え、い、いや、そ、そーじゃねーけどよぉ。やっぱ、お約束って感じだろピラミッドとラクダってさ・・・」
とりあえず、写真をとっといてくれと、牧に頼みながら、じーっと見ている様子から、よほど好きなんだなと思う。翌日のフリータイムに乗せてやってもいいかと、牧は考えた。
集合場所の、バス駐車場までほんの数十Mだが、物売りが次々とやってくる。パピルス、絵はがき、古銭など、何でも”1ダラー”で呼び込む。断っても次々とやってくるのには、閉口する。ようやくバスに駆け込んで、一息着く。
「いやー、物売りすごかったなぁ」
「そうだな、しかし、今頃から、土産を買っても嵩張るだけだしな。よほど、その場所でしか手に入らないものは仕方ないが、それ以外は、締めていこう」
「おう」
三井は、窓の向こうにいる駱駝に気が付いて、返事も上の空で見つめている。牧は、笑いを堪えるのに苦労した。
全員がそろって、バスが出発する。今から、パノラマポイントと呼ばれる、高台に向かうのだ。ピラミッドは、一つ一つが、巨大なため、三基全てを、一度にカメラに収めるには、かなり離れたところから撮影する必要があるのだ。第三ピラミッドの後ろに広がる砂漠の高台が、ちょうど、三基そろって写真を納めやすいビューポイントとなっているのだ。そこに向かうバスの中で、添乗員が、駱駝に乗って記念撮影する希望者を募った。駱駝に乗って、自分のカメラで、ピラミッドを背景に写真を撮ってくれるサービスが、1ドルだという。牧は、三井が、反応しているのに気が付いた。
「乗ってみるか?三井?」
「え、う、いや・・・。何か、すっげーミーハーだよな」
三井が強がりを言っているのに、牧は、吹き出しそうになりながら、自分が乗らなければ、きっと、乗りたくてもやせ我慢するんだろうなと考える。
「そうだな、でも、俺は、乗ってみたいな。長距離だと大変かもしれないが、乗って写真撮るくらいなら、そんなに危なくないだろうし、やはり、一度くらいは経験しておきたいしな」
そういって、希望すると言って手を挙げた。
「え?牧が乗るんなら俺も乗るっ!」
三井が、待ってましたというように手を挙げる。
パノラマポイントに到着して、ツアー客全員で団体写真を撮ったあと、各々、いろんなポーズで、写真を撮る。風が強く、砂が舞うのが辛いが、やはり、目の前にピラミッド群を見るのは、楽しいものだ。
そして、三井が待ちかねた、駱駝と写真撮影の時間となった。添乗員や、ガイドにカメラを預けて駱駝に近づく。駱駝は、大人しく地べたに座っているが、それでも背中に乗るには、一M以上の高さをよじ登らねばならない。馬のように鐙が無く、背中を跨いだら、首の付け根にある握り棒を掴むように指示される。足でしっかり背中を挟み、握り棒をがっしりと持つと、駱駝使いが駱駝に立ち上がるように命令する。
「う、うわっ!」
駱駝は、後ろ足から立ち上がる。前足は、まだ折ったままなので、後ろ足の高さの分、極端に前につんのめる。握り棒に、必死でしがみつかないと、前に転がり落ちてしまうのだ。前足も立つように命令されて、駱駝が、完全に立ち上がる。
「ひゃーっ、たけぇー」
三井は、揺れる背中にしがみつきながら、辺りを見渡す。駱駝自体の背中の高さが、二M近くある上に、自分の上半身の分まで、目線が上になる。地上3M近いところを握り棒を掴んだだけで揺られて歩くのは、なかなかに怖い。添乗員が、ピラミッドをバックに駱駝使いの親父と一緒に写真を撮ってくれた。親父は、なかなか愛想がいい。二枚写して、乗ったところに戻る。駱駝を降りるのも、なかなか大変だ。駱駝は、座るときは前足を先に折るのだ。やはり、乗ったときと同じように前方向に転がり落ちそうになる。後ろ足をなかなか折ってくれなかったので、三井は、腕がぶるぶる震える体勢で、堪え続けなければならなかった。ようやく、駱駝が座ってくれたので、そろそろと背中を降りる。
三井の次に、牧が乗った。三井が乗っている間、牧は、うれしそうな三井の顔や、駱駝の乗り方などを、数枚写真に収めていたのだ。
「牧ーっ!すげー高いだろっ!」
三井が先輩面で、牧に笑いかける。牧は一瞬、三井のあまりの無邪気さに、くらくらしたが、ここで抱きしめるわけにもいかないので、じっと堪えて、三井に笑い返す。写真を撮って、駱駝を降り、三井の元に戻る。
三井は、座っている駱駝をじっと見ている。駱駝は、愛嬌のある顔をしている。小さい頭に、つぶらな黒い目と、いつも笑っているような口。
「変な顔だけど、何か見てて可愛いーんだよな」
「気に入ったみたいだな」
「おう、でも乗るのは、背が高くて結構怖いから、見てる方がいいけどな」
バスに乗り込むように、添乗員の指示があって、三井は、名残惜しげに駱駝と分かれた。これから、スフィンクスを見に行くのだ。スフィンクスは、カフラー王の第2ピラミッドの南にある。カフラー王のピラミッドとそこから王の葬儀を行った、河岸神殿までのびる参道の終わりのところに建てられている。カフラー王の時代に建てられたとか、それ以前からあったとか、諸説あるが、未だにはっきり解っていない。牧と三井は、スフィンクスの前の音と光のショーの会場前にやってきた。ここからだと、スフィンクスとカフラー王のピラミッドが普通に1枚の写真に撮れる。少し広角のものなら、クフ王のピラミッドも入れることができる、最もメジャーなカメラスポットだ。スフィンクスは、首が落ちないようにする修復作業の最中で、中に入ることができないようだった。おきまりの記念撮影をして、カフラー王の河岸神殿にはいる。この中からだと、スフィンクスの横が見れるのだ。首の辺りに足場を組んである、風化の進んだスフィンクスを目の当たりにして、この遺跡が、後世まで見ることができるよう、牧は祈りたい気分だった。
「何か、スフィンクスって小せーなぁ」
横で、三井がつぶやく。確かに何もないところにこれだけあれば、大きく見えるかもしれないが、ピラミッドを見てきたあとで、スフィンクスを見ると、小さく感じる。
「そうだな、今まで見ていた観光写真なんかは、みんな、スフィンクスの前から撮ってあるから、ピラミッドが遠くに映っていて、スフィンクスが大きく感じるものばかりだからな」
スフィンクスの横顔と写真を撮って、集合場所に戻る。